第18話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑮
時間を少々遡る。厳密に言うと里野さんから目視出来る程度に離れ、オレと閑谷が片隅で二人で話し合っていた頃合いだ。
その内壁はワンブロック分の凸形を為していて、里野さんから閑谷の姿は殆ど遮られた状態だろうが、オレだけでも見えていれば監視の役目として問題はないと思う。
「よっ吉永、吉永っ」
「あ、えっ、ちょ、声が大きい。もうちょっと声のトーンを落とさないか?」
音量を下げるようにと右手を使ってジェスチャーで示すと、すぐに閑谷は口元を噤む。けれど彼女自身としてはさほど大きな声を出した感覚は無いようで、目蓋が垂れている。
まあ、実際に大きいというのは語弊がある。オレと閑谷が想定したよりも透き通っていると称した方が正確だけど、わざわざ訂正する必要もないし早速打ち合わせに入ろう。
「閑谷……また、助けてもらうことになるけど、いいのか?」
閑谷が自ら課した口封じを解く。
そんなの決まっていると言わんばかりに、まなじりを細めて。
「うん、もちろん——」
微塵の混迷もなく、微笑み頷く閑谷の顔色が、オレの脳裏でさんざめいている。そういえば最初に閑谷と相対した日も、タレント探偵になる以前の彼女も、こんな風に臆せず応えてくれた。
図らずも今回。当時の立場と酷似していて、一応オレは追い詰められたというか不利な立ち位置ではあるけど、閑谷が居るのならひとまずは気持ちだけでも心細くは無くなる。
「——でもどうしようか吉永。私、この後の立ち回りが全然分からないんだけど……」
「……そんなので本当に頼んで良いのかよ? いやなら断ってもいいのに」
「ん? そんな選択肢は無いんだけど? というかもうこの格好になってるし、全力で容疑を晴らすつもりしかないよ?」
今更何を言うんだと、素敵な衣装を見せびらかすようにして両手を広げる閑谷が、拙くも逞しいオレにとっての一縷の望みになる。
タレントになっても、探偵になっても、閑谷は当時と変わっていない。二ヶ月程度しか経過していないから当然かもだけど。
「分かった……じゃあ、始めようか?」
「うん、お願い。バッチリ憶えるから」
その静かな返答が、タレント探偵が推理を始める合図になる。まず、オレが故意にやっていない大まかな根拠を枚挙していく。
現場状況と閑谷の台詞を織り交ぜたそれっぽい理由の積み重ね。推理というのはどこか完璧さを求められていると勘違いされがちだけど、現実は大衆が納得すれば、もしくは容疑を掛けた人物を折れさせることが出来れば御の字だ。
この場合はヘイトを向けた白砂 朱里に、オレへの疑惑を取り下げさせれば良い。
でもそれを疑い位置に居るオレが指摘したところで説得力がない。だから代わりに閑谷が、オレの思考を代弁する。通常なら彼女に利点は何一つも無いんだけど、とりあえずはタレント探偵としての営業の一環だと、この互恵関係が締結される。
「——ハンガーラックが電動で固定されているから、閑谷は撮影した映像を元にオレが衣服に触れていないこと、移動出来ないことへのアピール。横幅が同じだからという言い訳で、側面からのアプローチを否定して欲しい。ここまで大丈夫か?」
「うん。アドリブをどうしようかなっていうのはあるけど、吉永の言ってることは大丈夫だよ。でも……朱里さんが納得するかな?」
閑谷の疑問も一理ある。だってこの潔白証明は穴だらけだ。白砂 朱里がとにかくオレを犯人として吊し上げたいという魂胆なら、もうどうしようもない。まあそれは、どんな事件でも容疑を払拭するのは困難だから、このくらいは妥協点として諦めるほかないが、やるせなくもある。
「……正直オレにも、そこまでは分からない。基本的には白砂 朱里に委ねることと変わらないから」
「んー……私が聴いてる限りなら、吉永への心証は良くなりそうだなーって思うけどね」
「まあ根本的な解決ではないしな。別にオレたちは警察でも、弁護士でも、裁判官でもない。素人の意見をどこまで聞き留めてくれるかは、もう当人次第だ」
「うん……でも、私がこのまま何もしないよりはマシだよね? 朱里さんたちが言い争っていたのもなんとかしたいし……吉永にここへ来たことを、後悔させたくない」
「ああ……」
決起を表すみたく、両手に拳を作って見据える閑谷はそのあと、オレが伝えたい大まかな要所を反芻しているようだ。
個人的にだけど、閑谷は結構損な役回りのはずだ。初めて会話をした頃から既に、無駄にお人好しというか、そのせいで今の関係性があるからなんとも言えないが、いずれも彼女の魅力には違いないと思う。
「ここまでは故意によるモノへの弁解だから、若干面倒だけど……——」
「——あっ、そっか。わざとじゃないパターンもあるのか……どうしよう、そこまで憶えられるかな?」
「いや、そっちは簡単だ」
「簡単?」
「背景のはりぼてが倒れて、固定されたハンガーラックが一緒に倒れていないのは変、これだけで良い」
すると突然、決意の拳はどこへやら、閑谷がいきなり両手を叩き出す。それは確かにと、瞳孔全体がはっきりと確認可能なくらい見開いていた。ただ、こんな相手の内心までを穏やかにする表情の最中悪いけど、突き付けなければならない言い分がある。
「あとさ、それを言った後のことなんだけど……——」
「——んっ、なに?」
「いや……閑谷には少し酷かもしれないし、嫌なら言わなくても良いんだけど……その、白砂 朱里を説得出来そうだなっていうタイミングで、それとなく泉田さんに疑惑を向けて欲しい。背景にキズが付いていて、事前にセットを弄ることへの否定は叶わないとか、なんか別の理由でも良いが——」
「——えっ……なんでそんなことするの?」
閑谷が眉間を寄せる。至極真っ当な反応だ。しかもこれはオレを弁護してくれた泉田さんにも申し訳ない。けれど、俺だけじゃなく双方が関与は無理だということへの、とどめの一撃になると確信している。
「白砂 朱里が疑っているのはあくまでオレだ。なのに急転して、閑谷が泉田さんをまるで真犯人候補みたいにすれば間違いなく動揺するだろう」
「だからだよ、何にもしてないんでしょ?」
「ああ。でもオレの加害が否定されたら、同時に泉田さんも白くなる。それに白砂 朱里は最初から二人を疑わずオレだけにした。その時点で泉田さんが犯人になることを、例えそうだとしても、望んではいないと思う……疑惑を摺り替えたところで今更だろうし、閑谷が心配するようなことはきっと起こらない。だから、ここに居た全員を穏便に済ますためのブラフをお願いしたい」
無理にとは言わない。心を痛めるかもしれない提案なのは承知の上。ましてや口述するのは閑谷だ、あまり他人を責め立てるのが好きじゃないのは良く知っている。
それは探偵を模したキャラクターのタレントとしては、とても大きな欠点かもしれない。けれど閑谷に初めて好感を持ったのは、この無条件の優しさな気がする。
「……誰も、傷付かないよね?」
「その頃になればオレの容疑が大体晴れて、泉田さんを庇いやすくなる。恩返しの意味を兼ねて、最悪の事態にはさせないよ」
憂慮する閑谷には頼りない台詞だろう。だけど、その虚ろげは綺麗なのに見たくない。どうすれば正解なのかと悩んでいると、閑谷が急に吹き笑う。
「……吉永が言うなら、信じるよ」
「えっああ……——」
そんな不意打ちに徐々に言葉を失う。
無垢と相対する恐ろしさだろうか。
「——色々と吉永には迷惑を掛けてるしね、悪役を引き受けると思えばいいかな?」
「……」
「ちゃんと、守ってあげなよ?」
「……分かってる。でも、もしかしたらオレが、そうする必要はないかもだけど」
「うん。それが一番平和だね」
表沙汰にならない罪というのは無数にあるだろう。だから願わくば、いがみ合う対抗同士が許容範囲の着地点を目指す。平然とはそうして成り立つものだと感じる。
「ああ……オレの心労も減るしな」
「んんっ、サボるのは無しだからね?」
「了解……あっそうだ、もう一つの方も話とかないとだな」
「もう一つ?」
閑谷がそう言って疑問符を浮かべる。もう一つというよりは寧ろ、こっちが本題だ。
「スマホは接続可能だよな?」
「うん。撮影も出来るし、検索とかも出来るけど……それがとうかしたの?」
情報収集も容易。これならみんなが戻って来る前には終わらせそうだ。
「……白砂 朱里の、過去を調べる」
「過去……?」
まだ確定じゃないが、恐らくはそこに不可思議な行動原理のヒントがあると思う。それは何故、白砂 朱里がオレを急に疑い出したのか、そもそもそんなことをする理由は誰のためだったのか、詳らかに分かるはずだ。
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