第2話 タレントの意識、探偵の振る舞い②

 閑谷 鮮加を一躍有名人にした一枚の写真がある。事件解決後のものと思われる、木陰の歩道で誰かに向けてウィンクをしながら人差し指を伸ばしている瞬間を写した一枚。


 それはのちに【愛凛あいりんの一枚】と呼ばれる。

 閑谷の愛らしい容姿と、凛とした振る舞いを表し。事件の解決から推理、推理といえば探偵、探偵といえばホームズと数珠を繋いで行き、最終的にシャーロック・ホームズシリーズに登場する女性キャラクター、アイリーン・アドラーからも引用された名称らしい。


 まあアイリーンは探偵ではないけど、聡明な叡智を有している女性という意味なら、あながち間違いでは無いと思う。


「あっ……由紀子さん……」

「全く酷い出来だったわね。貴女の暴走気味の心情をなだめる為にも、この休憩のタイミングは的確と言わざるを得ないわ」


 一時休憩を告げられ、挨拶をしつつ撮影現場を離れ、どうしたら上手く行くのかと逡巡としながら下を向いて歩く閑谷に、事務所の社長でもありマネージャーでもある雫井さんが歩み寄ると、容赦のない一言を浴びせる。


 閑谷が更に落ち込んでしまわないか少し心配だったけど、はっきりと指摘して貰ったことで気が緩まったのか苦笑いを浮かべた。


「はい……その、ちゃんと台詞を言わなきゃと思うと噛んじゃって、逆に気負い過ぎないようにしたら動作を忘れ……——」


 そう言いながら閑谷は、雫井さんの後ろに棒立ちしてたオレに気が付いたみたいだ。


「——……吉永。てっきり来ないかと思ってたよ」

「ああ。一応お前の保護者代理みたいなもんだけどな」

「ふふっ何よ保護者って、同い年でしょ? 叔父さんに頼まれたって普通に言えば良いじゃん」

「いや、そうでも言わないとオレがここに居て納得する理由がなくてだな……」


 閑谷と雫井さんが立ち会う所に向かう。殆ど見学者と変わらないオレが、高校の同級生とはいえ、今や時の人である閑谷とこうして話すようになったのは例の事件……いやトラブルからだ。


 簡単に言うと。元々はオレが巻き込まれ、閑谷が手助けしてくれて、事なきを得る。

 因みにどうでもいいかも知れないけど、閑谷が例の写真で指差している誰かとはオレのことだ。フレーム外に居て、当事者以外はきっと知る由はない。

 無論、実はオレが犯人だったなんて叙述トリック的展開では断じてない。まあ……たまたまそこに居ただけだ。


「うーん……私の不甲斐ないところ、吉永に見せちゃったなー」


 戯けた様子で両手を背後ろに組み、わざとらしく偽りの胸を張る。

 悔しむ姿まで見られまいとしているみたいだった。


「鮮加、次の撮影方法はどうする? もう一回役者さんを入れて、物語の流れや台詞の挿入を分かりやすくしても良いけど、向こうにもスケジュールがあるから——」

「——残ってるの、私だけですもんね……何とかしないと」


 雫井さんが閑谷の意向に相槌を打つ。

 とても淡々とした頷きだと思う。


「ええ。でも余裕はあるから安心しなさい」

「そ、それはどういう?」

「今日が無理そうなら、別日も幾つか用意しているわ。貴女はまだ業界に入って日が浅い。今まで演技経験も無いし、十六歳と若いのだから、こうなることも想定済みよ」

「そんな——」


 遠回しだけど、閑谷に対して落ち込む必要は無いんだと伝えている気がする。

 謙遜しようとした閑谷を遮り、雫井さんが更に続ける。


「——だから焦らず、自分を見失わないように。今の貴女は流行りの人扱いだけど、私はそう思ってはいない。鮮加のルックス、スタイルはもちろんのこと、姿勢や所作のたおやかさ、人目惹く表情、人当たりの良さ、この芸能界で長く生きていく才能を自然と持ち合わせているだと判断して、私は貴女をスカウトしたのですから」

「由紀子さん……」

「上手にやろうとして硬くならないように」

「……はいっ——」


 雫井さんの金言を聴いた閑谷の顔付きにみるみると精気が宿ってゆく。がむしゃらに発破をかけたり、とにかくやってみろなどを言わず、雫井さんはあくまで閑谷の適材を論理的に説く。


「——正直に言うと、CMのキャラクターとしての探偵のイメージが湧かなくて、もう何回か失敗しちゃうと思います」

「……貴女、そんなこと考えてたの?」


 閑谷のこの考えは予想外だと眉を顰めた。

 オレもただただ緊張して台詞が覚束無いんだろうなと思っていたから、雫井さんの反応にめちゃくちゃ共感する。


「えっ、だってインタビューやバラエティなら私の気持ちを伝えなきゃだけど、今回は洗剤をみんなが欲しくなるようにと、企業が描く探偵像にしないとって——」

「——鮮加それなら……いや、何でも無いわ」


 閑谷の意思は、タレントとしての優等生のような解答だ。寧ろ満点をあげても良いかもしれない。でも今回の場合に於いては足枷にしかならない意識だとオレでも分かる。


 恐らく雫井さんも勘付いているだろうけど、言葉を窮したのは、理屈自体が何にも間違えていないから。しかし社長兼マネージャーの性分か、閑谷の将来性までを加味し、今の誤りを指摘出来ないでいる。


 となるとこれは閑谷自身が納得する答えを示すしかないんだけど、好きにしなさいなんて言ってしまうのも違うし、何処か突き放すようなニュアンスになりそうだ。


「あれ? なにかおかしなこと言いましたかね、私」

「いえ……」


 そもそも企業側が望むのはきっと新たに創作した探偵像なんかじゃなくて、流行りの閑谷 鮮加もといタレント探偵そのもの。そして視聴者へのニーズは、閑谷が広告塔を務める商品を求めると踏んだ算段だろう。


 極端な事を言えば、物語が微妙でも、宣伝が地味でも、演技が大根のようでも、閑谷が世間一般に浸透した閑谷らしさを演出さえすれば需要も確立し撮影は成功する。


 だけど閑谷にそれを告げるのは芸能人としての向上心や進歩を阻害し、今後の慢心にも繋がってしまうかも知れない。

 簡潔に表すと、現状の閑谷にそこまでのプロ意識を誰も求めていないという事だ。

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