第18話『タークの死』

 エコが地面に倒れているテンクラ・ハルナを見つけたのは、“銀面”による攻撃を受けた場所から少し離れた岩場だった。

“銀面”の魔法の破壊力が強すぎ、吹き飛ばされてしまったらしい。しかしそのおかげで氷槍の直撃は避けられたようだ。

 身体のあちこちに痛々しい傷ができている。

「ハルナ先生。……ハルナ先生っ!」

 エコがハルナの名前を呼びながら、身体を揺さぶる。ハルナは冷たい岩場にぐったりと横たわったまま、反応がない。

「ハルナ先生……」

 エコはハルナの胸に耳を当てた。心臓の音がする。

「生きてる……」

 エコはほっと胸をなでおろした。

「う……っ、エコ……」

 ハルナは頭を抑えながら、地面に手を突いて起き上がろうとした。が、その途中で顔を歪める。

「いた……っ!」

「ハルナ先生!」

 エコはハルナの足首を見た。外くるぶしの辺りが赤く腫れあがっている。

「ひどく腫れてる……」

「くじいたか、折れたか……ちょっと動けなさそう……状況はどうなったの? あの魔導士は……?」

「あいつらはハルナ先生を攻撃した後、また崖の上に戻った……『シンギュラ・ザッパ』を殺そうとしているみたい」

 ハルナは眉を寄せて泣きそうな顔になる。

「く……! 情けない……。自分の教え子すら十分に守れないなんて。口ほどにもないとはこういうことね……」

「ハルナ先生……」

 背後で唐突に雷光がきらめいた。“銀面”が足下の湖に向かって雷撃魔法を使っている。

 魔法が発動した一瞬だけ湖が昼間のように明るくなり、わずかに遅れて轟音が耳をつんざく。まるで脳みそを直接揺らされているかのような衝撃がある。


「ハルナ先生……わたし、タークを助けてくる。必ず戻るから、待っててね!」

 エコがそう言いながら立ち上がった。ハルナは驚く。

「エコ……! いったいどうするつもりなの? 一人であの二人をどうにかするなんて無茶よ!」

「でも……わたし、行かなきゃ!」

 エコは振り返り、歩き出した。ハルナはエコの背中に向かって叫ぶ。

「エコ! 私は、自分のことは自分でなんとかします。私のことは放っておいて、タークさんを助けたらすぐに脱出なさい。分かった!?」

 ハルナが叫ぶと同時に、再び稲光と、空気が破裂するような轟音が鳴り響く。

「待ってて!」

 ハルナの言葉が聞こえているのかいないのか、エコはそう言い残すとそのまま闇の中に消えていった。


――――


「誰だ……!?」

 タークはその場にいる“第三者”の存在に気付いた。

 意識だけで存在でき、思考が精神波となって共有される……この特殊な空間ができた理由は、当事者の魔導士シンギュラ・ザッパですら知らない。

 この空間に肉体は存在できず、タークもシンギュラ・ザッパも意識だけの存在となってクラゲのように漂っている。その丸裸の意識から発せられる思念は一種の波となり、意図せずお互いに伝わってしまう。

「まて、ターク君。それはない。ここには私と君しかないはずだ……なぜなら……」

「分かってるよ。誰かがいるとしたら、とっくに気が付いてるはずだ。……頭の中にそいつの言葉が流れ込んできてな」

「そうとも、そんなはずはない……?」

 だがタークは、はっきりとその存在を感知していた。そしてタークが感じ取ったことは、その瞬間シンギュラ・ザッパにも伝わっている。疑念はゆっくりと確信に変わっていった。

「誰だ……?」

 探るように、シンギュラ・ザッパの思念波が広がる。応答はなかった。

「どこにいる……?」

 タークも同じように思念波を行き渡らせ、違和感の原因を探ろうとした。

 すると、何者かの声が聞こえてきた。

(わた……)

 それは最初、微かな声に過ぎなかった。存在さえ不確かな。

「わた……? 私……?」

 だがタークとシンギュラ・ザッパがその声の主を知りたいと思うたび、願うたびに、声が少しずつ大きくなっていく。

「私……私は……」

 声が聞き取れるほど大きくなっても、タークとシンギュラ・ザッパのように思考共有は起こらない。

 それを怪訝に思いながら、二人はさらに疑いの波を重ねていく。

「誰なんだ、君は。君の名前は……?」

 魔導士シンギュラ・ザッパが声に向かって優しく語りかける。

 わずかな間をとって、声はゆっくりとつぶやいた。

「私は……私の名前は……『キメリア=カルリ』」

「なに……!?」

 その瞬間、魔導士シンギュラ・ザッパが驚愕の声を上げる。タークも驚いた。

「なんだと……! お前は……!!」

 声ははっきりと言った。


「はい。私の……私の名前は…………私の名前は、『キメリア=カルリ』です」



――――



“銀面”の放った稲妻の残響が洞窟から消えると、辺りはしん、と静かになる。

「電撃は水を走る。しかし『シンギュラ・ザッパ』には効果がない……、だが電流は湖の水全てに行き渡っているはず。仮説通り、『シンギュラ・ザッパ』は肉体を完全に水と化す能力を持っているようですね。実体化している状態と、体を水と化している状態。先ほどは実体化している状態で電撃を浴びたが……今は違う」


 静寂の中、カナリヤがぶつぶつと独り言を言う。“銀面”は何の反応もせずに横に立っていた。先ほどから連続して強力な魔法を発動させているにも関わらず、“銀面”は息切れひとつしていない。

「……水は電気を通すがゆえに、抵抗をほとんど持ちません。水は電撃を全て受け流し、エネルギーは地面岩壁に吸収される……そのため、ノー・ダメージということか」

 カナリヤが一人合点し、組んでいた腕を組みなおす。


「摩訶不思議、『ミッグ・フォイル』が為した魔法生物。しかし……湖の水が全て凍らせたとしたらどうでしょう? 水と化した『シンギュラ・ザッパ』もそのまま氷となるのか、はたまた彼を構成する水だけ湖の氷と分離するか……? いずれにせよ、凍り付いて生きていける生物は存在しない。……やれ、“銀面”」

 カナリヤはそう結論付けると、腕を解いて“銀面”の背中に杖の先端を押し当てた。すると、“銀面”の腕がびくっ! と動き、目の前に伸ばされる。

 その手のひらから、白い光を放つ冷気の波導が発射された。

 波導はゆっくりと湖面に広がっていき……白く輝くそれが触れたそばから、水面は白く凍り始めた。


 想像を超えたあまりにも強力な魔法の威力を目の当たりにして、カナリヤの目が血走った。

「ははは……一体この湖はどれくらいの容積があるでしょう。池と言うには大きく、湖と呼ぶには小さい……。とはいえ、相当な量には違いない! だが私の“銀面”の魔力に不可能はない……! これを操れる私に、不可能はありませんよ! ははははは!」

 カナリヤは自信たっぷりに笑いながら、“銀面”の背中に押し付けている杖を、さらに強く押し込んだ。


「ま……まずい……っ!」

 その光景を背後で見ていたエコは焦った。湖が瞬く間に凍り付き、水面が膨張して亀裂が走る。

(しかし、あれだけの魔力を湖に振り向けている今なら……!)

 あれだけの魔法を攻撃に使っていれば、エコの魔法を防ぐことは出来ない……少なくとも、大きく消耗させることができるはずだ。

 無理やりそう決めつけて、エコは攻撃を決行した。


「『フレイム・ロゼット』!!」

 エコが作り出した豪火球は、周囲を炎熱の渦に巻き込みながら“銀面”とカナリヤ・ヴェーナに向かって突進する。

「なにっ!?」

 エコの攻撃は、完全にカナリヤ・ヴェーナの不意を突いた。――彼だけが相手だったのであれば、豪火球は彼を物言わぬ焼死体にしただろう。

 しかしその傍らには、彼を守る存在――“銀面”がいるのだ。


 エコの予想は当たらなかった。エコが放った渾身の魔法はカナリヤの眼前で跡形もなく消滅し、それとそっくり同じ規模で撃ち返される。

“銀面”の魔力は、こちらの予想をことごとく上回ってくるほど強い。どれほどの『忌み落とし』すれば、ここまで強力な魔力を得られるのだろう。

「ぐっ!!」

 だがエコも、撃ち返されることを想定していなかったわけではない。ポジションを変え、反撃を躱しながら第二射を撃ち込んでいる。マナの大量消費による呼吸不足のせいで火球は先ほどよりも一回り小さかったが、威力は十分だった。

(今度こそ!!)

 この短時間で“銀面”の使った魔法は、湖に打ち込んだ雷の魔法、氷の魔法、そしてエコの魔法をかき消した魔法、それとほぼ同じ規模の炎の魔法。

 それらすべてが、常人ならたっぷり1~2分は呼吸困難になるほど大量のマナを使う大魔法だ。


 魔法を使って戦う以上、マナ不足による息切れは避けて通れない弱みだ。どんなに強力な魔導士であっても、息切れを起こせばそれ以上魔法は使えない。

 したがって“銀面”も、ここまで追い詰めれば、エコの第二射に対して防御も撃ち返しも出来ない……はずだった。


“銀面”は第一射にしたことと全く同じことを、第二射に対しても行った。つまりエコの放った火球は、またしてもエコ目掛けてまっすぐ反射された。

「っ!!『フレイム・ロゼット』!!」

 エコは咄嗟に三発目の『フレイム・ロゼット』を放った。しかし今度は攻撃ではなく、打ち返された魔法に対する防御として使わざるを得ない。

“銀面”が反射させた火球とエコの『フレイム・ロゼット』とが空中で激突し、干渉して爆発する。

「くああっ!!」

 爆風でエコの身体が吹き飛ばされる。

「小娘が! よくもやりましたね。“銀面”! 小うるさいカトンボを、潰しなさい!」

 カナリヤが素早く命令を下す。“銀面”の手から無数の氷の刃が発生し、エコに向かって連射された。

「まだ魔法を使うのか……うわあっ!」

 高速で飛来する鋭い氷の刃がエコを襲う。エコは咄嗟にその場に倒れてなんとか直撃を避けようとしたが、それ以上どうすることもできなかった。呼吸がままならず、これ以上魔法は使えない。渾身の攻撃が失敗した以上、一刻も早く“銀面”の射程圏内から逃げなくてはならなかった。

“銀面”の氷の刃が、倒れたエコを追撃する。

「くそおっ!」

 エコは必死に地面を転がり、崖際から湖に飛び降りた。エコの身体が崖から転がり落ちた瞬間、エコのいた地点に何本もの尖った氷が突き刺さった。

 エコの身体はそのまま湖に落ち、小さな水柱を上げる。

「……さっきの小娘……湖に落ちたか? やれやれ、まさかあれだけの力の差を知りながら攻撃を仕掛けてくるとは……まあ、『シンギュラ・ザッパ』と共に凍り付いてもらうとしますか」

 カナリヤは二三回深呼吸して気持ちを落ち着けると、再び“銀面”の背中に杖を押し当てた。


――――



(なに……!『キメリア=カルリ』だと……?)

 タークを中心に、驚きと疑いの混ざった思念の波が立つ。

 名を聞いた途端、タークの頭の中にはっきりとしたイメージが浮かんでくる。明るい髪色の若い女性の姿。これが魔導士『キメリア=カルリ』の姿なのだろうか。

(そうです。私の名前は『キメリア=カルリ』。こう言った方が分かりやすいでしょうか……、かつての『ミッグ・フォイル』によってタークさんの体内にいた寄生虫を作り出した魔導士です)


 

(なんだと……)

 魔導士シンギュラ・ザッパが驚く。彼はずっと、『キメリア=カルリ』という存在に怒りを覚えていた。

 自らの理想とする安全で完全な水を汚し、時としてタークのような部外者さえ巻き込んでしまうことになった原因こそ、湖に宿る寄生虫『キメリア=カルリ』なのだ。『シンギュラ・ザッパ』と『トレログ』の水の供給システムに文字通り“寄生”している、憎き魔法生物。

 しかしシンギュラ・ザッパはこれまで、『キメリア=カルリ』のことを自分の『ミッグ・フォイル』によって生まれた副産物だと思っていた。

 だが、違ったのだ……。寄生虫『キメリア=カルリ』を作ったのは、この……。

(お前が『キメリア=カルリ』を作っただと……!?)

 怒りの波が空間を満たす。空間を介して思考がつながっているからかターク自身がその被害者だからか、タークにもその怒りは自分のもののように思えた。


(待ってください……怒らないで話を聞いて……おじいさん)

(!?)

 魔導士キメリア=カルリの言葉を聞き、シンギュラ・ザッパが面食らう。

(おじいさん……会いたかった。ターク、あなたのおかげね。私はいままで……どんなに頑張っても、このおじいさんが作り出した思考世界に入り込むことはできなかった。私の“願い”がまた一つ叶ったわ……。ああ、魔法の世界は、魔導士は、なんてすばらしいんでしょう。こうして時と空間をまたぎ、おじいさんに巡り合えるなんて。……マナよ、感謝します)

 少し芝居がかった調子で、キメリア=カルリが言った。

(私の……孫?)

 シンギュラ・ザッパの複雑な心境が、空間を介して繋がっているタークにも痛いほど伝わってくる。


 この複雑な感情の波を理解するには、シンギュラ・ザッパが自らの家族……妻と娘にしてきた仕打ちを知る必要がある。

 彼は『トレログ』を創設する画陣魔導士(境界魔法陣を作り出す特別な魔導士のこと)となるために、それまでの人生で積み上げてきたもの、全てをなげうった。文字通り、全てを擲ったのだ。最終的には、自らの命さえも。

 彼が『トレログ』を建てる際に決めた覚悟はそれほど確固たるもの、彼にとっては全てに優先する絶対的なものだった。


 だが、当然妻と娘を含む周りの人間は、そんなシンギュラ・ザッパの気持ちを理解することができなかった。妻は、彼についていくことは出来ないと言った。まだ小さい娘を、遠い僻地に送るのは危険すぎる……そう言ってシンギュラ・ザッパを引き留めようとした。

 妻と娘に罪はない。それ相応に愛してもいた。だが彼は、それを捨てることにした。強すぎる決心は、時として人を不幸にすることもある。シンギュラ・ザッパの決めた覚悟はそういうたぐいのものだった。


 結局、彼は故郷に妻と娘を残し、死ぬまでその仕事に尽くすことになる。その間一度も故郷に戻らず、家族とは生き別れとなった。

 そのため彼は自分に孫がいることすら知らなかったのだ。


(おじいさん、私はあなたの娘の娘です。……でもあなたを恨んでいた母と違って、私はおじいさんに……というより、おじいさんの為した仕事に憧れていました。そしてできることなら、その意志を継ぎたいと願いました。現在『トレログ』を支えている水の循環システムがあなたの理想とする姿とかけ離れてしまっていることは分かっています。だけど……私の経験から言わせてもらえば、おじいさんの理想は理想に過ぎなかったんだわ。おじいさんの『ミッグ・フォイル』がどれだけ大きな力を呼び起こしたしたとしても、それでも一人の犠牲だけで永久とこしえに水を生成し続けるなんてことは無理なのよ)


(なんだと……!?)

“理想”という言葉が、シンギュラ・ザッパの胸を突いた。

『理想は理想に過ぎない。現実を見ろ』シンギュラ・ザッパが『トレログ』を創っていた時に散々言われた言葉だ。

 しかしシンギュラ・ザッパは、その“理想”を果たした。その証拠に『トレログ』の境界魔法陣は完成し、こうして今日まで形をとどめているではないか。すべて、シンギュラ・ザッパの過去の行動の結果だ。


(理想に過ぎないだって……? しかし、だからといって、人の命を水に変えるなどということが許されるのか……!)

 シンギュラ・ザッパの重い感情が空間に行き渡る。

 一人の犠牲……一人分の魔力だけでは、トレログを維持するための水を作り続けることは出来ない。そんなことはシンギュラ・ザッパにも分かっている。だが、その解決のために市民の命を犠牲にし続けることは、彼の正義にどうしようもなく反している。


(お願い、私の気持ちも分かってよ。私の代……つまりおじいさんが亡くなってから46年後には、すでに『トレログ』の水資源は尽きかけ、街は衰退し始めていたわ。……それでも、個人の魔法の力だと考えればよくもった方よ。私もおじいさんに倣って『トレログ』のために力を尽くしたけれど……残念ながら私の魔法の才能は、おじいさんに比べるとだいぶ劣る。おじいさんと同じように、持てる魔力全てを使って水を作り出すことも考えたけれど、私の魔力では大したことはできない。だから……。私が起こした『ミッグ・フォイル』は、おじいさんの“理想”を裏切るものになってしまったかもしれない)


 キメリア=カルリはそこで少し言葉を止めた。そして、覚悟を決めたようにこう続ける。

(けれど……私は後悔していない。そうよ。私はこれでよかったと思っている)


 真剣な彼女の話を聞いたシンギュラ・ザッパは、もはや怒りを発しなかった。

 自分と同じ理想をもった魔導士としてキメリア=カルリを認め、自分と同じく街のために尽くした者として、敬意を持とうとしていた。

(ならば聞かせてくれ。私の意思を継いだというのなら、なぜ市民の命を巻き込む形にせざるを得なかったのか……考えを聞かせてくれたまえ)


 タークはその真摯な気持ちの波に心打たれた。この度量の深さと切り替えの早さ。これが街とそこに住む人々のことを第一とする為政者の考え方なのだろうか……。

 それは、一庶民であるタークにとっては衝撃的なことだった。与えられた環境でただ生きている者にとっては、目の前の問題に対処するので精いっぱいだ。しかし街を創設するほどの為政者となると、ここまで広く物事を見据え、遠い未来のことまで思慮をめぐらせているのだ。


(私の生きていた時代……当時の『トレログ』にも、犠牲を払って街の為に尽くしてくれる人はいたわ。彼らなら街の人柱として、自分の体とそこに宿るマナを水に変えてくれたでしょう。しかし……人の理想は永遠には続かないわ。いつか必ず途切れる。私の世代が死に絶え、一時的に繁栄したとしても、次の世代に同じ意志を持つ者が現れる保証はないわ。私は、持続しない力は無力とそう変わらないと考えている。持続しない力に頼る以上、そこに真の意味での街の繁栄はない。その時は良くても――近く滅びる)


 たしかに、とタークは思った。

 今のトレログ市民を見ても、自らの体を捧げられるほど強い愛郷心を持っているとは言い難い。人口の増加や経済の発展と引き換えに市民ひとりひとりの気持ちは薄くなり、無関心になる。

 普段、水のために誰かが犠牲を払っているなどと考えることはないだろう。潤沢な水が使えるこの生活を、当然のこととして享受しているのだ。


(人体が内包するエネルギー『マナ』を使って人の心が抱く“願い”を世界に現すのが、『魔法』という技術の根幹。使い方は分からなくても、人間は皆『マナ』を作り出す能力を持っている。もちろん訓練を積んだ魔導士の方が『マナ』の総量は多いけれど……それでは、『トレログ』の市民を導く人材がいなくなってしまう。だから私は考えた。どんな人でも――魔導士以外の人でも、その体に宿る『マナ』を利用して水を生成する魔法を発動させられないか、と)


 キメリア=カルリの話は複雑だったが、シンギュラ・ザッパと記憶と知識を共有しているタークにはするすると理解できた。

『マナ』、すなわち体内に発生する魔法的なエネルギーは、魔法の訓練を積んでいない人間でも少なからず持っている。

 そのエネルギーを利用する方法こそが『魔法』であり、その為に必要なのが“願い”だ。


(人々に与える“恩恵”がそのための“犠牲”を上回って働き続ける限り、そのシステムには存在価値があるとみなせる。でも、)

 魔導士キメリア=カルリはそこで一度言葉を区切り、眉根を寄せてタークの方を見た。

(タークさん……あなたの身に起きた不幸は私の責任だわ。しかし、それでも、そうした不幸を常に上回る幸福が『トレログ』にもたらされているということに私は疑いを持っていない。個人の感情にフォーカスすれば不幸な出来事でも、それが生み出す恩恵がそれよりも大きい確信があるからね)


(……話は理解できるが……)

 シンギュラ・ザッパは考え込んでいた。わずかなひっかかり。どうしても最後の一点で納得できない部分がある。

 タークがその気持ちを代弁する。

(……教えてほしいんだが、この場合水の生成魔法を発動するための“願い”をしているのは誰なんだ?『キメリア=カルリ』に寄生された人間は自意識を失ってしまうし、本心で『水になりたい』とは思ってないだろう。誰だって自分の命が一番大事だ。そんなことを望むはずがない)

(……!)

 タークの質問に対し、キメリア=カルリは返答に窮した。

(そうか……そういう事か。魔法が発動するには、マナと願いが必要になる)

 シンギュラ・ザッパが本質を見透かしたように話す。


(キメリア……。やはりこのシステムは残酷なものだな。つまり、寄生された人間は【依代】……というより、魔法を使うための材料に過ぎないわけだ。ターク君、この場合“願い”をもっているのは『本人以外すべてのトレログ市民』だよ……。『自分以外の誰かが犠牲になってくれるならそれでよし』という、大衆の集団心理なのだ。『キメリア=カルリ』に寄生された人間は自意識を奪われ、彼以外すべてのトレログ市民の“願い”を叶えるための材料と化す……そういうことだろう)


(……そうよ。ひとつ付け加えるとしたら、寄生された人間が地下湖まで自分の足で歩いてくることは、魔法の力を強めるための『儀式』よ。……これも『キメリア=カルリ』の本能として、半ば強制的に行っている……。言い訳程度に付け加えると、こんなに面倒な手順を踏むのは、犠牲者ひとりからできるだけ沢山の水を作るため。可能な限り生贄を減らせるように)

(なるほどな)

 しばらく、誰も何も言わなかった。このシステムを作った張本人である魔導士二人と、その犠牲者であるターク。

 だがタークの心に、二人を責めるような気持ちはなかった。

 結局、全て不幸なめぐり合わせに過ぎない。キメリア=カルリもシンギュラ・ザッパも、自分の力の及ぶ範囲でベストを尽くしただけだ。

(なあ、……もうひとつ聞いてもいいか?)

 タークがシンギュラ・ザッパに質問を投げかける。

(なんでも聞いてくれたまえ、心を共にする友人よ)


(いままでだって、多くの寄生された人間が『シンギュラ・ザッパ』に呑み込まれてきたはずだろう。なのに、なんでキメリア=カルリとあんたは初対面なんだ? ――状況から察するに、あんたとキメリア=カルリがここで会えたのは、俺の身体の中に寄生虫がいたからじゃないのか)


(ふむ……たしかに、まっとうな疑問だな。だがそもそも、寄生虫『キメリア=カルリ』がここに連れてきた人間の中で、この空間まで来たものはこれまで存在しなかった。私がこの状態になってから、ターク君が初めての友人だ)

(仮説にすぎないけれど、それはタークさんの意識がここに来る前にすでに『起きていた』からじゃないかしら。タークさんからは強い意志の力を感じる。――我が強いといえばいいのかしら。あれに寄生されてなお自分を保てるほどの意志力を持った人間はそうそういない――そのおかげで、私は彼と一緒にこの空間に入ることが出来た)

 タークは少し考える。


(――『キメリア=カルリ』の寄生は人を選ぶと聞いたことがある。病弱な人間や、心に傷をもつ人間。そういった体と精神の抵抗力を失った人の方が危ないと……旅人の間で、『老人、子ども、弱っている者にトレログの水を飲ませるな』という話がなんとなく伝わっている。この認識は正しいか?)


 タークが尋ねると、キメリアがためらわず答える。

(ええ、事実だわ。街の経済に負担を与えないためと、意識を奪ってしまった方が願いの器として利用しやすいため。それと、言いにくいけれど……街の貢献が薄い老人や病人を『間引く』ためでもあるわ)

 そうはっきりと言った。

(考えることに無駄がないんだな。犠牲を強いるとしても、結局はそれが街の為になるような仕組みになっているってわけだ。……そういう生きる力を失っている人間が寄生されてきたとすれば。俺が意識を取り戻せたのは、そのためかもしれないな。俺はこんなところで死ぬつもりはない……いや、無かったと言った方がいいのか)

 シンギュラ・ザッパはそれを聞いて悲しくなる。

(……ターク君。気の毒だが……)


(ああ、分かってるよ。俺の身体はとっくに死んでる。『シンギュラ・ザッパ』に呑み込まれて、既に『水』になってしまってるんだ。なぜ魔導士でもない俺の意識がこの空間に存在し続けているのかよく分からないが)

(それは私の影響かもしれないわ。……私とタークさん、きっとどちらが欠けてもおじいさんに会うことは出来なかったのよ)

(きっとそうだろうな……。ここはいわば、私の私的な心理空間。そこに入るという事は、よほどの……)

 シンギュラ・ザッパが申し訳なさそうに言う。

 だが、彼にはどうすることもできなかった。魔法生物『シンギュラ・ザッパ』は彼の意志で動いているわけではなく、あくまで独立した一個の生命体なのだ。

 システムは二人の手を離れ、独立して動いている。そして、一人の男の命を飲み込んでしまったということだ。


(死んだのか、俺は……)

 タークは自分でも意外なほど、すんなりと自分の死を受け入れていた。

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