第6話『襲撃』

 朝から嫌な予感がした。……本当に嫌な予感が。

 タークの嫌な予感は、よく当たる。


「来たか……?」


 朝食を食べた後すぐ、タークは家の外の草原に出ていた。

 ウサギや野鳥を獲るため――エコにはそう言っておいたが、本当は違う。……襲撃に備えるためだ。


 タークは久しぶりに、旅路で常に携帯していた山刀さんとうを持ち出していた。本来藪を切り払う道具であり、武器としては心許ない。しかし、無いよりましだった。

 タークも旅の道中でそれなりの修羅場を潜ってきたし、殺し合いの経験もある。

 その経験から、この“嫌な予感”が意味するものは……身に危険が迫っている証だと知っている。


 タークにかかっている追手は、男の魔導士だった。数回襲われ、そのたびに全てを捨てて逃げてきた。

 魔導士と戦って勝てる見込みはないからだ。


 流浪の身だったタークなら、全てを捨てて逃げることがいくらでも出来たし、事実これまではそうしてきた。

 ――しかし、それは過去の話だ。もう、身一つの放浪の旅は終わったのだ。

 今のタークには定住の地があり、守りたい人がいた。だからもうこれ以上、逃げるわけにはいかなかった。



 タークは茂みの影に身を潜め、感覚を研ぎ澄ませる。風がゆっくりと、北から南に吹いている。天気は曇りで、薄暗かった。タークはこのまま【リング・クレーター】外縁の山に向かい、辺りを見て回るつもりだった。

 ふと振り返って家の方を見ると、裏にある物干し場でエコが洗濯物を干している姿が見えた。


 そして、そのまま家の反対側に目をやると――――。

 そこにひとつの人影があった。



 杖を持った人間……魔導士だ!


 なんて失敗だろう。タークは“嫌な予感”を感じたことで、敵を迎え撃つどころか、無意識に敵のいる方向から離れてしまっていたのだ……。

 これが逃げ続けてきた自分への罰なのだろうか……。

 タークは激しく後悔したが、既に遅すぎた。魔導士の詠唱は終わっていた。


「エコ……ッ!!」

 タークが踵を返して走り出した瞬間……家が、爆発した。


――


 時間は数十秒戻る。


「あの家だな! あの野郎が居やがるのは!」


 エコの家を見つけた魔導士フィズンは、ほくそ笑んだ。同時に指で紋を刻み、口早に呪文を唱える。


 フィズンが【ヒカズラ平原】のはずれでタークを見失ったのは、今から八週間ほど前。


【ヒカズラ平原】の中にもその向こうにも、村や街はない。だからいずれ必ず、タークはしびれを切らして人里へ降りてくる……。

 そう読んだフィズンは、危険を冒して【ヒカズラ平原】に入るのは止めて、待ち伏せすることにした。人を雇い、街道や、街に入る人間を見張らせる。


【ヒカズラ平原】は危険な魔物が多く、そう長い間身を潜められる場所ではない。まず間違いなく、周辺の集落に姿を見せるはずだった。


 しかし、待てど暮らせどタークは現れない。

 そこでフィズンが行ったのが、魔法生物による捜索だった。


 魔法で『感覚共有』ができる蝶の魔法生物を作り、【ヒカズラ平原】へ向けて放つ。


 捕食されまたは力尽き、時間と共に目減りする蝶を補充しつつ、精神をすり減らして捜索を続け――タークを視界に収めたのが今から二週間前のこと。

 これは、タークの最大の誤算だった。タークは既に相手が索敵を終えているなどとは想像もしていない。だからいきなり家を攻撃されるとは考えられなかった。


 フィズンのいた街からここまでは急いで二日ほどの距離だが、移動する間にタークがいなくなってしまっては意味がない。そのための準備と、タークの動向観察でさらに時間を食った。


 その間、フィズンの所属する魔導士協会【フスコプサロの会】の上層部から、何度も何度も『早く任務を終えろ』との催促があった。

 闇の組織は使えない人材に厳しい。

 これ以上時間をかけるようなことがあれば、組織からどんな罰が下るか……。想像するだけで身が凍る思いがした。フィズンにも後がない。


 ――狙うは、タークが住んでいる家。タークと住んでいる少女……エコのことなど、フィズンの眼中にはない。

他人が巻き込まれるとしたら、むしろ――あんな所に逃げ込んだタークのせいなのだ。


「くらえッ!! 『バンゴリゾ』!!」


 フィズンの爆撃魔法『バンゴリゾ』が発動した。空気が圧縮されつつ一点に集まり……激しい爆発が起こった。

 一軒家が粉々に吹っ飛ぶ。


 これで、少なくとも戦闘不能になるはずだ。あとは土人形【ゴーレム】を送り込み、とどめを刺せば……ようやく任務が終わる!!

 フィズンは興奮し、すぐさま足元に準備してある『ゴーレム生成魔法陣』を起動させた。


『バンゴリゾ』と【ゴーレム】の創造……。


 ふたつの大きな魔法を使ったフィズンは、それによる“マナ”の大量消費によって激しい息切れを起こし、その場にうずくまった。顔に笑みが浮かぶ。

 魔法陣から盛り上がった土くれが三体の【マッドゴーレム】となって、任務を全うするために動き始めた。


 早いところ仕事を終わらせ――街に帰って何をしようか。

 勝利を確信したフィズンは、そんなことを考えていた。




――


 家が爆発した瞬間、エコは幸運にも家の外にいた。

 爆発と同時に起こった激しい爆風をまともに受け、エコの体は木の葉のように吹き飛ばされた。


 そして、そのまま家の陰にあった灌木の茂みに突っ込む。


「エコ!!」 

 タークが叫ぶ。エコのもとへ全速力で駆け寄ると、その体を抱き起した。

「エコ! エコ! 大丈夫か!?」

 タークが呼びかけると、エコが顔を歪めて唸る。

 意識はある。体を調べてみたが、幸い大きな怪我はしていないようだった。

「ターク……」


 エコが薄目を開けた。

「ターク……大丈夫? 何があったの?」

 タークは早口で状況を説明した。

「追手だ! 俺の追手が来た。そいつが、魔法でエコの家を――、すまない。さあ、急いでここから離れろ――。俺は、あいつと決着をつける!」

 タークはそう言い、魔導士フィズンのいる家の方を睨みつけた。

 全てがあまりに突然過ぎて、エコは状況が理解できない。

「追手? タークの? 待ってよ、なにがなんだか――」


 混乱したエコは、体を起こすと同時にそれを……、その光景を見た。


 家が、燃えている……。


 緑の屋根が吹き飛び、天井と壁が崩れ落ち、煙突から赤い炎が上がっている。

 居間の家財道具が破片となって飛び散らかり、食器棚が燃え、割れた蛍玉が炎にさらされ、ゆっくりと融けていた。


 玄関扉は蝶番ごともげ、離れたところに落ちている。時間と共に勢いを増す火の手が、寝室と台所を繋ぐ廊下を静かに呑み込もうとしていた。


 何かが動く気配がして、エコが視線を少し横にずらした……、爆風に巻き込まれたのだろうか、ヤギが一頭黒焦げになって呻いていた。

 エコがアラミミと呼んで可愛がっていた、角の長い白ヤギ。春先に生まれたばかりの黒い子ヤギが、その脇で悲しそうに鳴いていた。



「あ……………………」


 全てが――全てが、破壊されていた。ついさっきまでそこにあった日常が、これまでのエコの人生のすべてが。


 エコの視界に見える景色は色を失っていた。頭の奥で、耳鳴りのような重低音が響いている。

 耳元でタークが何か叫んでいたが、耳鳴りのせいでよくわからなかった。タークはしきりに何か言っている――『ニゲロ』。そう聞こえた。


(ニゲロ? ……ニゲロってなんだっけ……)

 エコの小さな胸に、何か熱いものが噴き出してくる。いままで味わったことのない感情が、炎のようにエコの思考を侵食していく。


(あ、ニゲロって『逃げろ』か……。なんでタークはそんなこと言うんだろう? この状況でどうして? なにから逃げるの?)

 エコは知らぬ間に歯を食いしばっていた。そしてそのオレンジ色の瞳で、漠然と目の前の炎を見つめる。炎の向こうに、人影のようなものが見えた。こちらに向かっている。

 エコは満身の力を込めて、拳を握り込んでいた。


 理由は分からない。心臓の鼓動が、エコに何かを訴えかけるかのように高く弾んだ。脳を揺らす耳鳴りが激しくなった。痛みに似たなにかが、背筋を這い上っていた。

 エコがようやく気づく……自分の体が、エコに向かってこう言っているのを。


 ――怒れ。


「逃げろ、エコ! あとは俺が……!」

「違う!!」


 否定。エコの突然の叫び声に、タークが肝を抜かれる。


「タークはここにいて。あいつは、わたしが倒してやる……!!」

「エ……ッ!?」


 次の瞬間、止める間もなくエコの脚が土を蹴った。

「まっ……、とまれ!」

 タークも立ち上がって後を追うが、エコの方が脚が速い。



 崩れた家の瓦礫の脇から一体、燃え盛る家の中からさらに二体、計三体の黒い影が、エコとタークに向かってゆっくりと近づいてくる。

 瓦礫の中、燃える火をものともせず接近してくるそれは、体高1.3レーンほどの不細工な土人形――フィズンが作った【マッドゴーレム】だった。

 造物主(マスター)であるフィズンに『見つけた者の捕縛』を命令された彼らは、エコを認めると鈍重な動作で接近してくる。


「『ウォーターシュート』!」

 エコが口早に詠唱し腕を突き出すと、人の頭ほどもある水塊が手のひらから高速で射出された。

 水塊がまっすぐに【マッドゴーレム】に向かい、激しい水しぶきと音を立ててその頭部を吹き飛ばした。衝撃で体が倒れる。


 エコは乱れた呼吸を整えつつ、【マッドゴーレム】が来た家の反対方向を注視した。そこに、魔導士フィズンの人影を認める。


「あいつ! あいつがやったんだ……!」

 エコは憎々しげに言うと、すぐに詠唱を始める。距離は20レーンほど――エコは人影を睨みつけ、気合と共に腕を突き出した。


「『ウォーターシュート』!!」


 エコの手のひらから再び水の球が放たれる。一発、二発、三発の連射。

 エコの魔法は眼前の【マッドゴーレム】の体をやすやすと貫通して泥くずに変え、そのまま魔導士に向かった。


 だが――水塊は魔導士の目前で突然はじけ飛んだ。激しい水飛沫が上がる。


 エコは驚き、一瞬動きを止めてしまう。

「なにっ!? ――ぎゃあっっ!!」

 体に強烈な電撃が走る。エコは悲鳴を上げ、とっさに家の影に転げ込んだ。


「なんだ……!?」

 エコは物陰に身を潜め、電撃によって火傷した腕をさすりつつ、相手の様子を伺った。

 幸い傷は深くなく、しびれは残るものの致命的ではない。エコは急激に冷静さを取り戻した……。

 これは戦いだ。焦ったら負ける――負けたら死ぬのだ。


 見ると、杖を持った魔導士の前に一本の太い氷柱が打ち立てられていた。先ほどエコの水弾を防いだのは、どうやらあの氷柱らしい。

 先ほど魔導士がエコに放った電撃の魔法と、防御に使った氷柱。この二つの魔法はともに消費マナが激しいらしく、魔導士はその場で立ち止まって息を整えているようだった。


「大丈夫か!? エコ!」

 やっと追いついてきたタークが、エコを助け起こす。

「大丈夫、びっくりしただけ! ターク、来るよ!」


 エコが視線を向けた先に、タークも視線を合わせた。

 二体の【マッドゴーレム】がのそのそと接近してくる。

「ターク、わたしは魔導士を倒す! タークはこいつらを抑えて!」

「なにっ!?」

 タークがエコに反論しようとした瞬間、タークに向かって一体の【マッドゴーレム】が突っ込んでくる。標的をこちらに変えたようだ。

「ちっ!」

 タークは地面に落ちていた大きい石を持ち上げ、【マッドゴーレム】に向かって力任せに叩きつけた。しかし【マッドゴーレム】は堪えず、タークを掴まえようと腕を繰り出してくる。



 エコはすでに瓦礫の影から飛び出し、再びフィズンと対峙していた。



――



 エコが水弾を続けて放つ。フィズンが氷柱を立ててそれを防ぐ。


 フィズンの電撃は、エコの水弾魔法、『ウォーターシュート』よりも射程範囲が狭いようだ。エコはなるべくフィズンの射程圏内に入らないように気を付けつつ、牽制攻撃を繰り返していた。このままでは、どちらにも決定打がない。


「は、は、は、はっ」


 エコは小刻みに呼吸をするよう努めた。呼吸が浅くなり、動きが止まったら終わりだ。わずかな油断が死につながるギリギリの緊張感の中、エコは焦っていた――いや、興奮はしていたが、かつてないほど頭が冴えていた。

 エコにまだ見せていない隠し玉があるように、きっと相手にももっと強力な奥の手があるはずだ。たとえば家を破壊した爆撃魔法のような――。

 この膠着状態を解き、どのタイミングでそれを繰り出すかが、勝負の分かれ目になる。

 戦いの見通しがついた。


 防御の魔法にマナを使わせていれば、大技を撃つ余裕は生まれない。エコの呼吸に余裕がないのと同じく、相手も氷柱で防御することで息切れしているはずだった。その証拠に、家を見下ろせる小高い地点から動こうとしない。


 エコは疲れていた。

 本気の魔導戦をやるのはこれが初めてだ。戦いに慣れていないエコにとって、高速で頭を回転させ、臨機応変に魔法を使いながら立ち回るのは体力と神経を削る重労働だった。

 いつどこから敵の攻撃が来るか……という緊張感、走りながら魔法を使う苦労。そう長くは続けられない……いつか体力の限界が来る!



「おい!! お前っ!! おとなしくタークを引き渡せ!」

 対峙している魔導士が大声を上げた。


「罪人はしかるべき罰を受けなきゃならない! どうせタークは死罪だ! そいつは自分の住んでいる土地を統治している魔導士を襲撃した、凶悪犯だぞ! お前も魔導士なら、それがどういう意味かは分かるだろうが! 庇うと、お前も処罰するぞ!」

 一歩的な物言いだった。エコの頭に血が上る。

「うるさいっ! いきなり来て家を壊して――勝手なことばかり言って!」


 その勢いのまま、口早に詠唱した。

「これでも、くらええぇっ!! 『フレイム・ロゼット』!!」


 エコが両手を重ねて、勢いよく突き出す。

 エコの前の何もない空間から突如として爆炎が沸き起こり、先ほどの水塊より三倍も大きい紅蓮の火球となって、一直線にフィズンに向かった。

「!! 『氷柱壁』っ!」

 フィズンはとっさに詠唱し、地面に分厚い氷の壁を打ち立てた。

 火球が氷柱に激突する。

 太い氷柱がすさまじい音を立てて一瞬で昇華し、辺りに熱い蒸気が広がった。フィズンの背筋が冷える。


(ぜっ、はっ、はっ、はっ……。あ、あのガキ……素手でこんな魔法が使えるのか!?)

 杖は魔導士にとって重要な道具だ。杖がなくても魔法は使えるが、あるとないとでは威力に違いが出る。

 フィズンが今の魔法を防げたのは……氷の魔法の防御は、熱攻撃に対しての相性が良いからだ。


 しかし……! いまのは相手の必殺の魔法だったはずだ。とすれば、またとない攻撃のチャンスとなる。

 フィズンはとっさに魔法で風を起こし、視界を阻んでいる蒸気を吹き払った。

 目の前を見回す。――エコの姿がない!

「どこへ行きやがった……!」



「ぜーっ、はーっ、はーっ、はーっ、はっ……」

 マナの大量消費による息切れは想像以上に厳しく、エコは危うくその場で膝を折り、意識を失ってしまうところだった。

 這うようにして何とか手近な木の陰に身を隠したものの、今の状態で発見されたらひとたまりもない。

(やっぱり、杖がないと……!)

 エコは必死で呼吸を整えつつ、頭の中でつぶやいた。杖がないと、エコの火の魔法――『フレイム・ロゼット』は十分に威力を発揮できない。

 エコのイメージでは、もっと苛烈で、高速で、大きな爆発を起こす巨大な火の球を作ったはずだった。

 しかし急いで詠唱したこともあり、発動はしたもののイメージ通りの魔法には遠く至らなかった。やはり杖が無くては、魔法に決定力を持たせられない。


 杖のある場所は……、廊下の奥にある、燃え残ったエコの自室。だがそこに行くには……敵の眼前を横切らなくてはならない。


(行くしかない)

 待てば待つほど相手の呼吸が回復し、危険が増す。

 エコはぐっ、と息を止め、茂みから飛び出した。



「そこかっ!」

 エコを探して距離を詰めていたフィズンが、魔法で鋭利なつららを作り、エコに向かって何本も射出した。

「うぎっぃ!」

 エコの肩につららが突き刺さった。エコは思わず体勢を崩した。だが足を踏ん張り、転ぶことだけは避ける。

「死ね!」

 フィズンが、さらに何本ものつららを作ってエコに放っていく。


「ウゥッ! ……『グロウ』!」

 エコは片手で傷を抑え、もう片方の手を土に置いて唱えた。

 植物を成長させる魔法『グロウ』。

 エコの足元から双葉が芽吹き、瞬く間に成長してひと固まりの茂みを作る。


「はあ!!??」

 突然眼前に現れた植物の塊を見てフィズンが驚く。つららは茂みに阻まれて、威力を殺された。

 しかも、その向こう側の様子が全く見えない。

「なんだあの魔法は……!」


 茂みの陰からフィズンに向けて数発の水弾が飛んでくる。フィズンはとっさに氷柱の壁を作り、それを弾いた。


 ドアが閉まる音が聞こえた。エコが自室への扉をくぐったのだ。フィズンの魔法に、木の扉や壁を貫通するほどの威力はない。

 ……たったひとつ、フィズンの奥の手である爆撃魔法を除いては。


「あいつよくも……!! だが、閉所に入ったのはミスだ……オレの奥義を味わえ!」

 フィズンは目を閉じて深呼吸しなんとか呼吸を整えると、詠唱を始めた。


――



 タークは、二体の【マッドゴーレム】と必死に戦っていた。

 【マッドゴーレム】は動きこそ単純で遅いがその分しぶとく、多少傷つけてもすぐに治ってしまう。

 ただし、削りとった分の体積は戻ることなく減っていくようだ。山刀(さんとう)で体を切り飛ばすごとに小さくなっている。


「ちぃっ!」

 タークに向かって二体の【マッドゴーレム】が同時に体当たりを仕掛けてくる。すんでのところでそれを躱したタークだったが、すぐ背後にいたもう一体に捕まってしまった。

【マッドゴーレム】はそのまま、重みに任せてタークを地面に抑え込もうとする。


「……ぐおおっ!」

 土砂のかたまりである【マッドゴーレム】にすさまじい力で抑えつけられ、タークがたまらずしゃがみ込んだ。

 のしかかる重みに潰されないよう、歯を食いしばって耐える。真っ赤になったタークの顔に、絞り出されたように濃い脂汗が滲んできた。

 もう一体の【マッドゴーレム】もゆっくりと近づいてくる。全身の骨と筋肉を奮わせ耐えていると、視線の先に部屋に入るエコの姿が見えた。


「……ふんっっ!! ――ぬああっ!!」

 気合と共に、タークが【マッドゴーレム】の体をはねのけ、もう一体にぶつけた。それとほぼ同時に、手に持った山刀(さんとう)でめちゃくちゃに切りつける。

「ぬおおおお、あぁぁぁ!!」

 倒れた【マッドゴーレム】の首のように細くなっている部分に何度も何度も刃を入れ、土の体を削り飛ばす。

 そして重い頭部を抱えてねじ切るようにしてもぎ取ると、もう一方の【マッドゴーレム】に投げつけた。

 そのまま追撃を加えようとした、その瞬間……【マッドゴーレム】の体が崩れた。


「ん!?」

 タークが怪訝に思い振り返ると、魔導士が詠唱している姿が見えた。とっさにカンが働く。

【マッドゴーレム】を使役するために使っていた魔力を元に戻したのだ。とすれば、魔導士が詠唱しているのは……!!


「エコ!! 危ない!」


 タークが叫んだのとほぼ同時に、先ほど家を破壊した爆撃の魔法がエコの部屋を襲った。


「エコ!!」

 エコの部屋が粉みじんに吹き飛び、壁と屋根が砕け飛ぶ。爆片が飛び散る中、タークは爆心地に向けて走り出した。

「エコ! エコ!! ――ぐああっ!」

 タークのふとももに数本のつららが突き刺さる。タークはたまらず、脚を抑えて前方に倒れ込んだ。

 魔導士フィズンが、こちらに杖を向けた。


「げへっ、ひっ、ひっ、ひっ!! 魔導士は片付いた!! あとはお前だけだ、罪人野郎!!」

 フィズンが下品な笑い声を上げた。勝利を確信し、それに陶酔している。

「う、う、うぁがあああ!! よっ、よくもエコをっ!!」

 タークは太ももの痛みを忘れて起き上がると、激情のかたまりとなってフィズンに突進した。

「お前も……くたばれぃっ!」

 フィズンが杖をかざすと、更に何本もの大きなつららがタークに向けて射出された。タークはなんとかそれを凌ぎつつ、手にした山刀さんとうでフィズンに切りかかろうと迫った。だがあと一息で間合いに入るというとき、フィズンが放った電撃の魔法がタークに命中する。


「かっ……ぁ」

 タークはかろうじて意識を保っていたが、全身に流れる電流のせいで、身体の自由がきかない。

 これまでか、とタークは思った。しかし、自分の命と引き換えにしてでも、目の前のこいつだけは……!!

 這いつくばったまま、全身全霊の怒りをもってフィズンを睨みつける。


 フィズンはそんなタークを見下して、冷笑を浮かべる。

「はっ、はっ、はっ、とどめ、だ……ひぃ」

 連続で魔法を使ったため酷い息切れを起こしながら、フィズンは杖先に鋭いつららを作り……。

「死にな……」

 タークに向けて撃ち出した。


「う……」

 鋭い氷の刃がタークめがけてまっすぐに飛んでくる。分かっていても、麻痺した体を動かすことは出来なかった。死を覚悟した瞬間――タークの体が強い力で真横に引っ張られる。

 氷の刃が空を切った。

「!?」

 タークが自分の腕を見ると、いつの間にか植物の根が絡みついている。これに引っ張られたおかげでつららの直撃を免れたらしい。だが、なぜ?



「ひ、ひぃっ!! やめろお前っ!」


 タークがその答えに行きつく前に、フィズンの絶叫が聞こえた。その視線の先に……杖を構えたエコの姿。


「はあっ、はあっ、はあっ……」

 爆炎をかろうじて避けあちこちに擦り傷を負ったエコが、目をうす開きにして、杖を頭上に振りかぶり、構えていた。

 そして杖の先端、エコの直上には……燃え盛る巨大な火球が静かに浮かんでいた。


「あなたは……わたしたちに酷いことをした……」

 エコは泣いていた。そして歯を食いしばる。失ったものの大きさとこれからしようとしている行為の重さを、噛みしめるかのように。


「わっ、わかった! 謝る――謝るから杖を、杖を置け!」

 息切れしたフィズンが両手を上げ、杖を手から落とした。降伏の合図だ。

 だがエコには通じない。

 エコは両目からぼろぼろとこぼれる涙をぬぐおうともせず、フィズンを睨みつける。


「師匠の家を壊し、タークを傷つけて、殺そうとした!」

 杖を持つエコの手が震えている。大火球はエコの怒りを具現したように、ますます激しく燃え盛った。


「ひっ、やめろっ、やめ、やめてくれっ……」

 白熱する光球がフィズンを見下ろしていた。まぶしさに目を焼かれ、フィズンは腕で顔を覆いながら顔を背ける。度重なる魔法の使用で呼吸が切れかかっているので、逃げ出すことができない……。

 その顔面に浮かぶ大量の汗は、熱波によるものだけではなかった。

 


「……今すぐに、全部つぐなえぇっ!」


 怒号と共に、エコは手に持っていた杖を地面に叩きつける。その動きに呼応して、大火球がフィズンに向けてゆっくりと動き出した。

 まるで太陽が地平線に沈むかのように、フィズンに向けて、ゆっくりと……。



「うわ……うわああぁあああああああああああああ!! し、……死にたくねえっ……!」


 フィズンの叫び声は、火炎の中にむなしく消えていった。


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