第4話『ひとときの天気雨』


 エコとタークが二人で暮らし始めてから、一か月ほどの時間が経った。


 最初は戸惑うことも多かったタークだが、すぐにここの生活に慣れ、エコと二人で気楽な日々を過ごしていた。



 タークの追手が現れる気配は今のところない。油断は禁物だが、タークの思った通り【ヒカズラ平原】の奥地に入った時点で追跡を諦めているのかもしれない。【ヒカズラ平原】の向こうには人跡未踏の大山脈が聳えるのみで、人の住む街はひとつもないからだ。


 こんな僻地に人が暮らせる環境があるとは誰も思わないだろう。ほとぼりが冷めるまでここで暮らしていれば、辺境の地で野垂れ死んだと勝手に思ってくれるのではないだろうか。



 家と木の間に渡したロープに洗濯物を干しながら、タークはそんな風に都合よく物事を考えていた。

 甘い考えという自覚はあるが、魔物のいない場所でのエコとの生活は気楽過ぎて、以前のような悲観的な考え方は出来なくなっている。



「タークー、どこー? ちょっと来て~」

「ここにいるよ。すぐ行く」


 タークが家に入ると、エコが料理していた。

「何作ってるんだ?」

「お昼ごはん! ねえターク、水汲み頼める?」

「分かった。メシ作るの早くないか? 今朝食を食べたばかりなのに……」

 タークがいぶかしむ。そう言いつつ、調理台の隣に置いてある水桶を持ちあげた。


「あのね、しばらく雨が降らないでしょ」

「うん?」

「だから畑に水を撒かなきゃ。すっごく疲れるから、先に食事用意しとこうと思って……」

「ふーん」

 エコの発言に少しだけ違和感を覚えたタークだったが、話を流して水汲みに行く。


 タークは井戸で水を汲み上げ、畑の脇に持っていった。すると畑のふちにエコが立っていた。

 いつもとエコの雰囲気が違う……そうタークが感じたのは、エコが手に持っている立派な杖のせいだ。


 古木で出来た杖の先端は受け皿状に窪んでおり、そこに大きな卵型の石がはめてあった。石は太陽光を浴びて、きらきらと水色に光っている。


 エコは両手に水桶を下げたタークの姿を見ると、「ターク、なんでこっちに持ってきたの?」と不思議そうに尋ねた。

「畑に水を撒くんだろ、使うと思ってこっちに持ってきたんだが……」

 エコは不思議そうな顔をしたが、少し考えてから、納得したようにこう答えた。


「その水は、中の水入れに入れておいて。水撒きはこうやってやるの! みててよ~」


 言うと、エコは目を閉じた。静かに口を動かし、ぶつぶつと何事かつぶやいている。


「……!」

 大気が湿気を帯び、エコを中心に風が吹き始めたような気がした。

 タークは水桶を持ったまま、エコを凝視していた。


 これは、魔法の詠唱に間違いない! エコが手に持っているのは、うわさに聞く魔導士の杖……魔法を使うための道具だ。


(もしかして……)

 ひと月エコと寝食を共にしているタークだったが、エコはあまり魔導士らしい姿を見せることがなかった。

 一緒に生活している限り、エコは普通の女の子と何も変わらないように思える。


 エコが普段使う魔法といえば、薪に着火するとか蛍玉ほたるだまを点灯させるとかいった地味なものばかりで、タークがイメージしていたような派手な魔法とは結びつかなかった。

 そのせいでタークは(魔法って意外と大したことないものなのかな)と思っていた。だが、この魔法は違う……! タークは自分の神経が昂っているのを感じる。


「『ウォーターシュート』!!」

 エコが叫ぶと同時に高く杖を掲げる。すると杖の先端から、ゆうに水桶三杯分の容積があるであろう巨大な水の塊が無数に撃ちだされた。

「すごい……!!」

 撃ち出された水塊のあまりの大きさと迫力に、タークが息を呑んだ。


「……はじけろっ!!」


 頃合いを見計らって、エコが言う。その言葉に呼応するように、上空で激しい爆発が起こる。

 爆発した水塊は水しぶきとなって降り注ぎ、落下の過程でさらに細かい水滴に変わる。そうして、地表をまんべんなく濡らしていった。

 葉を、土を、タークの体を――無数の水滴が叩いた。空間がリズミカルな音で満ちる。


 青空のもと降り注ぐ水のひとつぶひとつぶが、日光を細切れにして輝いている。分解された光が赤や青や黄色や紫色になって、空中に大きな虹を描き出した。


(すごい……!)


 タークは目の前の光景に見とれて、魔法の雨の中で立ち尽くした。体が濡れることは、一切気にならなかった。むしろ清々しい気分にすらなる、夏のひとときの天気雨。



「これが魔法……これが魔導士なのか……」

 狭い範囲とはいえ、空から雨を降らせることが出来る人間がいるとは……話には聞いていたが、こうして実際に見ると信じられなかった。


 エコは先ほどから休みなく水の球を発射している。


 畑の土は、水を吸って次第に黒くなっていった。しおれかけた作物の葉が、悦びとともに濡れていく。ひらひらと舞う白い羽の蝶々が、急な雨に驚いて逃げて行った。



 タークがエコに目を戻した。と同時にギョッとする。

 エコがぐったりと杖にもたれかかって、額に脂汗を浮かべて苦しそうに呼吸している。

「エコ! どうした?」

 タークは反射的に叫び、エコのもとへ駆け寄った。



――――


 その時。

 エコとタークの家から北へ約76キロレーン(1キロレーン=約1km)ほど離れた、【石の街トレログ】のはずれにある宿の一室。


「ぜえ、ぜえ、ぜえ……。み……見つけたぞ……! ついに居やがった!!」


 男が唇をふるわせてそうつぶやいた。


「【ヒカズラ平原】に住み着いてる人間がいるとは思わなかったが……」


 男は少し緊張した面持ちで、すべての指に指輪をはめた左手でテーブルの上の酒瓶の首をつかんだ。そのまま瓶の酒をあおり、ぶはあ、と息をつく。


「これで居場所は分かった。しかし遠いな……まったく、あいつはどれだけ俺の手を煩わせるんだ!」


 酒瓶を叩きつけるように机に置くと、宿を震わせるほど大きな音がした。階下で、宿屋の小さな娘が泣く声がする。

 男はそんなことは意に介さず、目を閉じると、呼吸を整えて精神を集中させた。


――――



 エコがぐったりと椅子にもたれていた。

「あぁ、つかれたー」

「落ち着いたか?」

 タークが心配そうに声をかける。


「うん、もう大丈夫……。ありがと、ターク」


 水やりの直後息苦しそうにしていたエコを部屋まで運び、タークが介抱しているところだった。

 一杯の水を差しだすと、エコはそれを一息に飲み干した。


「どうしたんだ? どこか具合が悪かったのか?」

 タークには何が起こっているのか分からない。


「ううん、ちょっと『マナ』を使いすぎただけ。久しぶりだったから加減が……えへへ」

 エコはそう言って、照れた。タークが顔をしかめる。

「『マナ』……?」

「え? ……マナ、知らない?」

 エコが驚いた。




「――説明が難しいんだけど、『マナ』っていうのは魔法のエネルギー源……みたいなものかな。『マナ』を使いすぎると、息が苦しくなるの」


 タークが捕ってきたウサギのスープと、ふすま入りパンとグリーンサラダ。

 昼食を二人でとりながら、エコがマナの話をし、タークがそれを注意深く聞く。エコがタークに魔法の話をするのはこれが初めてだった。


「息が苦しくなる? 魔法を使うと……そうだったのか。全力で走ったあとみたいなものか?」


 サラダをフォークで刺しながら、ターク。エコがうーんと唸る。


「強力な魔法を使いすぎると息が出来なくなって、ひどいとさっきみたいに身動きできないほどの呼吸困難になるってわけだな。……魔法を使うには、それなりのリスクもあるってことか。マナは、さっきみたいにゆっくり休んで呼吸を整えれば回復するのか?」

 タークが聞くと、エコは少し考えて答えた。


「んー、うん。師匠は『マナは前借りできる』って言ってた。自分が持ってるマナを超えた分は、“呼吸負債”として残るんだって」


「ふーん。魔導士も大変だな。やりすぎたら、本当に死ぬんじゃないか?」

「うん、もちろん! だから焦って魔法を使ったり、運動しながら使うのは禁物」

 エコはあっさりと言ったが、タークはぞっとした。

 魔法を下手に使うと死ぬ? さっきだって、タークから見れば危ない状況だった。“呼吸負債”という言葉は、もしマナを使い込んで“破産”したら死んでしまう……ということをも意味してはいないか?


 言いながら、エコが隣に立てかけてあった杖を手に取る。

「その杖の意味は? ――うまいな、このスープ」

 タークがスープをすすりながら言う。

「ほんとだね。うーん、杖があると集中力が増すのかな? 使う材によって効果も違うみたいだけど、わたしはこれしか持ってない。師匠が作ってくれたの」


 エコがタークに杖を渡す。持ってみるとずいぶん重い。ずっしりとした木の柄の先端についているのは、【卵水晶】という希少な鉱石らしい。


「ラグダモリの木は気持ちを落ち着かせて、マナの消費を抑える。卵水晶は術者のイメージを増幅させてくれて、魔法が想像以上の力を発揮するんだってさ。わたし、杖を持たないと強い魔法は使えないの。師匠が、上達するまで杖を使うようにしろって。十年修行すれば素手でも魔法が使えるようになるって言ってたけど」


「それだよ、エコはほかにはどんな魔法が使えるんだ? もっと凄いのがあるのか。さっきのは水の魔法だったが、他には? 雷を落としたり、竜巻を呼び出したり?」


 タークが興奮気味にエコに尋ねた。エコはいたって普通に、「そんなの無理だよ~」と笑い返す。


「わたしが使えるのは、さっきの水やりに使った魔法とか、植物を成長させる魔法くらい。そんなにたくさんはないよ」

「植物を成長させる? どういうことだ」

 タークが聞くと、エコは一瞬だけ考え、

「やって見せようか?」

 そう言うと、土の入った鉢植えを机の上に置いた。


 そこにグリーンサラダに入っていた葉菜――小さな大根の芽を落とす。

「『グロウ』!」

 気合と共に魔法を唱えると、大根の芽は新しい根を生やし、通常の数万倍ものスピードで成長して、鉢植えに根を張った。


「これが植物を成長させる魔法」

 まるでなんでもない事のように、エコが言う。

 タークは感心して鉢植えを持ち上げ、一瞬で15センチレーンほどに成長した大根を土から引き抜いてみた。

 まだ小さいものの、既に大根の形をしている。数秒前まで、ただの芽に過ぎなかったのに……。



「魔法か。学べば誰にでも使えるって聞くが……」

「そうだね。タークにも出来るよ?」

「……子供の時から始めて15年以上かかるって書いてあったぞ、師匠の部屋にあった本には」

 タークは時々、師匠の部屋の本で魔法の勉強をしていた。どの本にも、『魔法の習得には相当の時間がかかる』と書いてある。また、『男性より女性の方が適正がある』とも。実際魔導士は圧倒的に女が多いらしく、男の魔導士は珍しい。


「そうなの? うそだよ、コツが分かればすぐ出来るようになるよ。わたしが教えようか?」


 エコはまだ、生まれてから6年しか経っていない。

 しかし寿命が10年というのだから、タークよりも時間の密度が濃いのかもしれない。

 現にエコはすべてにおいて覚えが速く、まるで乾いた土が水を吸うかのように教えを吸収する。

 技術の上達も段違いに早く、タークが教えた包丁砥ぎも数回やっただけですでにタークと並ぶぐらいうまくなった。これには、タークも舌を巻いた。


 そんなエコだから、逆に人にものを教えるのはとても下手だった。教わる人間が、自分と同じように一度言ったことを全て覚えているとは限らない。一度見ただけで、それと全く同じに作業できるとも限らない。

 しかし、エコにはそれがどうしても理解できないらしい。



「いや、いいわ。俺には難しくて分からんよ」

「ねえ。タークってそういえば、いくつ? 何歳なの?」

 エコが身を乗り出す。


「分からない。成人してからは数えてないんだ」

 タークはあっさりと答えた。タークの地元では、だいたい16歳で大人として認められる。

「見た目からして、わたしよりは年上だよね~。師匠が言ってたけど、わたしは寿命が短い分いろんなことが速いんだって」


 タークは、エコが十年しかない自分の寿命についてどう考えているのか不安だった。

 もしかしたら知らされていないのかもしれない。最初はそう思ってもいたのだ。


 しかしそれとなく聞いて見たところ、エコは生まれた時から自らの寿命を知っているし、その時間が短いとも思っていないらしい。


 エコは何事にもせっかちな傾向があるが、それには寿命の短さが影響しているのかもしれない。

 そんなことを考えつつ外の景色を眺めていると、遠くで雷が鳴った。


「あ……」


 あれよあれよという間に、湿り気を帯びた風と共に暗雲が沸き起こり、空が一気に暗くなる。そして、落雷を伴う夕立が降り始めた。


「……」

「……」


 切れ間のない雨音の中、笑い声が起こる。


「あはははは、水やりした意味がない!」

「これは敵わないな! ははは!」



 二人はのんきに笑い合ったが、それもさっき干した洗濯物のことを思い出すまでのことだった。

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