第3話『“エコ”研究日誌』

「ねえ、ターク……」


 エコが、心配そうにタークの名前を呼ぶ。


 タークは下を向いたまま、エコの方を見ようとしない。


「どうしたの、ねえ、ねえ……」

 いくら呼びかけても返事がないので、エコが椅子から立ち上がってタークの肩をつかみ、揺さぶった。タークは震えていた。


「ねえターク、魔導士ってなに? わたし、魔導士なの?」

「…………」

 タークは何も答えない。エコは泣きそうだった。

「わたし、分からない。わたしは、師匠に教わったことしか知らないの。……魔導士のことは、まだ教わってない。ターク、教えて。魔導士ってなに?」


 エコが半泣きになりながら必死に問いかけると、タークはようやく顔を上げてエコの方を見た。

「……魔法が使えるんだろう?」

「魔法? ……うん、たぶん」


 エコがおもむろに手を広げた。すると手の平からみるみるうちに水が湧き上がり、ボール状にまとまって静止する。

 まるで重さを忘れたかのように宙に浮かぶ水の球。まさに人知を超えたところにある、超常の力……。


「これが魔法でしょ?」

「魔法を使える人を【魔導士】と呼ぶんだ」

「そっか。じゃあ、……わたしは魔導士なんだ。ねえ、タークは魔導士が嫌いなの?」

 エコがそう問いかけるとタークは顔をしかめた。そして、エコから目を逸らしながら言った。

「……そうだ」

「そっかぁ……」


 エコが落胆して、腕をだらん、と落とす。水球もそれに従って床に落ち、水しぶきを立てて激しく飛び散った。

 タークの足が濡れる。

「つめてっ」

「あ! ……ごめん、ごめんね、ターク……」


 エコはすぐに流しの下から雑巾を取り出し、這いつくばって濡れた床を拭き始めた。

 タークはエコの邪魔にならないよう立ち上がり、机と椅子をどけて、エコが床を拭くのを手伝う。ひどく惨めな気持ちになっていた。



「いや……すまなかった。――【魔導士】は嫌いだが、エコのことが嫌いなんじゃない」

 タークが正直に謝ると、エコがぱっと顔を上げた。

「ほんと! ……よかった~、安心したよ」


「俺は、……魔導士に親を殺されたんだ。だから……、エコには関係ないことなのに、魔導士と聞いてつい取り乱した。悪かった」

「えっ、そうなんだ」

 エコが驚く。

「親って、自分を産んだ人のことだよね? 殺された……そっか」

「ああ……。ひどい親だったが、親は親だからな。エコの親は、どこにいるんだ?」

「親かぁ。師匠ってことになるのかな、わたしを作ったのは師匠だから」


 師匠が親……? タークは少し考えたが、追及はしないことにした。


「あ、そうだターク、今日は師匠の部屋で寝てね。明日からは、別のところにベッドを用意するからさ」



――


 エコに案内された師匠の部屋は、居間の奥、廊下の途中にあった。


「ここが師匠の部屋だよ。普段は使ってないけど、この間掃除したばっかりだからきれいだよ! じゃあ、ターク、おやすみ!!」

「おやすみ、エコ」

 エコはそう言ってドアを閉めた。


「魔導士か……」


 タークは一人で呟くと、ぼうっと思考を巡らす。エコのこと。この家のこと。エコの師匠のこと。そして、自分自身のこと。


 タークは、なにも好き好んで旅をしているわけではない。生まれ故郷を離れたのは、父親の仇をとるために魔導士を襲撃し、失敗したからだった。

 その際タークは、魔導士から“あるもの”を奪って逃げた。

 一市民が都市の支配者たる魔導士に牙を剥くことは、いかなる理由でも許されない重罪だ。その為タークには追手がかかり、故郷を出てから今まで、ずっと命を狙われ続けている。


 当初は安住の地を求めて街々を巡っていたタークだが、限界を超えた疲労と途切れない緊張で人間不信に陥ってしまい、街に住むことを諦めたのが数週間前。



 街に住めないならばいっそ……というなげやりな気持ちで、タークはあえて人間がほとんど存在しない僻地、【ヒカズラ平原】に入ったのだ。


【ヒカズラ平原】に入ってからすでに三週間ほど……追手もついに諦めたのか、このところ、気配を感じない。

 しかし、長期間誰とも出会わず話せない状況が二週間も続くと、タークは耐えがたい孤独を感じるようになった。

 見積りが甘かったことにタークは激しく後悔したが、その時には周囲100キロレーンに人の気配はなくなっていた。


 昼間聞いたエコの言葉が、タークの脳裏によみがえる。


『タークはここに住むの?』


 よそ者の俺が、ここに住むなんてありえない。そう思いつつも、エコのこの言葉が頭から離れなかった。

 タークはエコのことも好きだったし、ここには家と畑がある。この恵まれた環境で暮らすことができたらどんなにいいか……と思う。


 だが、追手がタークを諦めた保証はない。つまり、自分がここにいるとエコに危害が及ぶ可能性があるということだ。

 自分のせいでこの平穏を壊すようなことだけは、決してしてはいけない。タークは強くそう思っていた。

 やはり明日の朝早くにでも、ここを出ていくべきなのか……。



 結論を出せぬまま、タークはベッドの隣にある本棚に視線を移した。

 そこには、見たこともない題名の本がびっちりと収められていた。インクと革は貴重品なので、本は非常に高価だ。タークは一応文字が読めるのだが、こういう立派な本を読んだことはあまりない。


 タークは何気なく、本棚に並ぶ背表紙の文字に目を走らせた。


『フスコプサロ会報』

『虚実の輪郭~忌み落としという邪法~』

『魔法陣学全集④境界魔法陣』

『流れ星とミッグ・フォイル』

『三大導家の成り立ち・麻薬と人身売買の歴史図説』

『魔導草本学②麻薬と麻酔』

『ラブ・ゴーレム』

……


「ん?……」

 タークが一冊の本に目を留める。その背表紙には、手書きの文字でこう書かれていた。


『“エコ”研究日誌』


「……!」

 本棚から抜き、手に取ってみる。それは本というより、ばらばらのメモをまとめたファイルのようなものだった。

 タークは動きを止めてドアの方を見た。物音ひとつしない。エコはもう寝てしまったようだ。

 後ろめたい気がしたが興味には勝てず、タークはファイルのページをめくった……。




 その翌日。




「ターク! ごはんだよ!」

 部屋の外からエコの声。タークはすぐにドアを開けた。

 目の前に元気のいいエコの笑顔が現れた。

「おはよう!」

「おはよう」

「よく眠れた!?」

「ああ」



 そんな会話を交わしつつ、エコとタークが廊下を歩き、リビングに入る。食卓には、出来たての温かい料理が並んでいた。タークが感激しつつ食べる。


 そして一通り食事を終えた後、エコが真剣な面持ちでこう切り出した。


「ねえ、ターク。ほんとにここに住まない? わたし、もう一人になりたくないよ。師匠は全然帰ってこないし、いつまでこのまま過ごせばいいのか分からないの……」

 

 エコが寂しそうにうつむき、そう言った。――しばしの沈黙。


「……ああ」

 タークがそう答えると、エコがおもむろに顔を上げた。

「本当!? ターク」


「本当だ。でも、それは俺の話を聞いた上でエコに決めてほしい。――昨日、俺の親が魔導士に殺されたって話はしたろ? 俺は親の仇を討つために、その魔導士を襲った。だが直前で殺しそこねて、逆に追手がかけられたんだ。俺はお尋ね者で、魔導士に命を狙われてる。――つまり……俺をここに置くとエコにも危害が及ぶかもしれない。だからもし……」

「やった! わたし、もう一人ぼっちじゃないんだ!!」


 タークの説明が終わらないうちに、エコが興奮して椅子から跳ね上がる。エコのオレンジ色の瞳は、朝日のようにきらきらと輝いていた。


「エコ、お前……」

 タークは不安になる。エコはなにか、勘違いか早合点をしているのではないか。

 しかし、そうではなかった。

「タークは命を狙われてるけど、それでいいならここに住むんでしょ!? いいよいいよ! 大丈夫だよ、ここにはほかに誰も来たことないし、もし追手が来たらわたしが追い払うから!」

 エコはそう言いながら、本当に嬉しそうに笑った。

「よろしく! ターク!」

 タークの両手を取って、激しく上下に振る。タークはされるがままに手を動かしながら、昨夜師匠の部屋で読んだ『“エコ”研究日誌』の内容を思い出していた。




『“エコ”はウネ科植物【マンドラゴラ】の大型種を品種改良して生まれた【魔法生物】である。植物でありながら人語を解し、知能も人間同様に高い。またマナ、魔法にも高度の適応を見せる』


『生理機能はほぼ人間同様だが、マンドラゴラの特徴を強く残す=植物に近い部分も併せ持つ特異体質』


『【魔法生物】ゆえに学習速度は速く、寿命は短い。他実験体の状態から見て、寿命は長くて10年ほどと推測される』



 その難解な資料の内容は、タークにはほとんど理解できなかった。かろうじてそこから読み取れた情報をまとめるとこのようになる。


 確かなのは、エコという少女が師匠という人物によって作り出された生物……。


【魔法生物】だということだ。


 しかし、タークが最も驚いたのはそこではない。エコの緑色の髪の毛を見た時から、ただの人間ではないと感じていたからだ。

 それは最後に慎重に記してあった――エコの寿命についての記述だった。


『【魔法生物】ゆえに学習速度が高く、その分寿命が極端に短い。他実験体の状態から見て、“エコ”の寿命は長くて10年ほどと推測される』


 ――10年。

 あまりにも短すぎる。『“エコ”研究日誌』には今から6年前の日付がついていた。エコは現在6歳。つまり残された寿命は――、長くてあと4年ということだ。


 いつの間にかタークの胸には、『エコと共にいてやりたい』という素朴な感情が生まれている。

 もし少しでも一緒に過ごせたら、エコは喜ぶだろうか。それがこの少女の幸せにつながるだろうか。こんな自分でも、エコの役に立てるのだろうか?


 タークは考える。


 ここに住むことをエコが許してくれるなら、その時には、『覚悟』を決める必要があると。

 本当に追手がここに来るようなことがあれば、絶対にエコに危害が及ばないようにしなければならない。そのために命を捨てることになっても、だ。


 その『覚悟』を決めなければ、エコと共に過ごし、エコの人生に関わる資格はない。

 エコがタークを受け入れてくれるなら……その恩にはどうしても報いなくてはならない。追手が来るなら刺し違えてでも倒す。エコに迷惑が掛からないように。

 それが、タークの出した結論だった。



 いつまで続くかは、分からない。

 とにかく、こうしてタークとエコはこの家で一緒に暮らすことになったのだった。



 やがて旅立つその日まで――。



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