第18話 追憶

 多田野さんから使った分の弾薬をもらい、弾倉に装填。満タンになった弾倉をバックパックに詰め込んで、回収してきた缶詰の中でもハイカロリーなスパム缶とフルーツ缶を3つほど貰って、避難所を後にした。




 時刻は16時。予定時刻まであと2時間。俺は真夏の炎天下の収まる気配もないコンクリートジャングルを歩き始めた。


 渋谷までのルートは俺が逃げて来たルート、つまり最短距離を行く。もちろん、通行不能箇所がある可能性が高いため、途中どこかで迂回することになるだろう。それに、どれほど感染者がいるのかもわからない。2時間で辿り着けるだろうか。


 だが、もう行くしかない。俺がテロ組織の側の人間だったとしても、そうでなかったとしても、俺の空白の記憶を埋める何かがそこにあるに違いない。




 そう考えた途端、鈍痛が頭の中を襲う。何かを思い出そうとする自意識と、それを留める無意識が頭の中でせめぎ合っているのか。


 小銃を握る手にじんわりと滲む汗をシャツで拭って考えを振り払い、鈍痛が治まっていくのを感じながら歩き続ける。








 お堀から離れて15分。何でもない交差点を進んでいると、横道から感染者の声が聞こえて来た。


 無論、全部を相手にしていては文字通り日が暮れてしまうため、姿を見られぬようにやや姿勢を低くしながら早足で進む。




 だが、感染者の声は近付いてきている。姿を見られていたか?音は立てていないはずだが…


 そう思って路上に停まっている車の陰から、低い姿勢のまま声のする方を覗く。




「生存者か」




 見えたのは必死に感染者から逃げる親子だった。それがこちらへとやって来ている。俺は迷わず車の上に飛び乗って彼らからよく見えるように手を振りながら叫んだ。




「こっちだ!こっちに来い!」




 逃げている方向から突然現れた俺に、彼らの足が一瞬だけ止まるが、こちらが感染者でないとわかると走り寄って来た。




「あ、あんた自衛隊か?」


「いえ、違います。ですが、彼らの仲間です。あなたはどこから?」


「え、ええっと、避難所のある代々木公園を目指していたんですが、アレに追われていて」




 息を切らしながら、30代のスーツ姿の男性は彼の娘と思われる少女の手を取って、冷静に説明してくれた。こんな状況でもしっかり言葉で説明してくれると、こちらも助かる。




「ここからなら皇居の方が近いし、道中も安全です。道はここをずっと真っ直ぐです」


「こ、皇居が…緊急メールには代々木としか書かれていなかったので…わかりました、あっちに逃げればいいんですね」




 感染者が今も追いかけて来ているが、父親は俺に頭を深く下げてから、娘の手をもう一度握りなおして走り始めた。


 だが、まだ小学校低学年と思われる少女は、この炎天下で走る力を失っているのか足がほとんど動いていない。父親もそれに気が付いて走るのをやめたが、疲弊した子供を連れて歩いていては感染者に追いつかれる可能性もある。




「しょうがない」




 俺はそんな親子を見捨てられるわけもなく、小銃を構えて近寄って来る感染者へと射撃を開始した。




「あんたらはそのまま逃げろ!こいつらは俺が引き付ける!早く行け!」




 発砲音に驚いている父親に向かって大声で叫んだ俺は、親子から感染者を引き離すために小銃を撃ちながら移動を開始した。


 チラッと振り返ると、父親は娘を抱き抱えて逃げ始めていた。しかし父親も数日間ほぼ飲まず食わずだったのか、その逃げ足は速いとは言えなかった。




 俺は射撃をやめて、近くに落ちていた街路樹の枝を拾ってガードレールに打ち付けて音を立てながら感染者を誘引しつつ、走り始めた。


 銃声と俺の叫び声、ガードレールの金属音に釣られた感染者がワラワラと集まってくる。なんなら親子を追いかけていた感染者とは別の群れもやって来る始末だった。


 俺はしばらくガードレールを叩きながら、走り続けた。








 感染者を撒くのに時間を取られ、渋谷の交差点の近くへとやって来た時には17時40分を回っていた。




 通常なら後5分で渋谷の交差点まで行ける距離だ。俺が≪最初の感染者≫を見てから5分でここまで移動したんだったな。




 最初の感染者…?




「うがっ…!!」




 突然、鋭い痛みが頭を襲う。何だ、最初の感染者がなんだってんだ?


 あまりの痛みに俺は膝を折って、地面に倒れた。




 意識が薄れると同時に、何かが脳裏に過ぎった。












 これは…記憶?


 人だ。女性だが、誰だろうか。


 見た目は活発そうな若い女性だが。


 笑った?俺に笑いかけたのか?どうして?あなたは…?












 ふと現実に戻った瞬間、俺は嘔吐していた。何も食べていなかったから色の悪い胃液だけがアスファルトにぶちまけられる。それが脳内で理解され、さらにもう一度込み上げてくる気持ち悪さで嘔吐する。


 胃酸の酸っぱい匂いを荒い息が吸い上げることで悪循環を起こす。俺はすぐに立ち上がって移動した。




 道路のガードレールに背を預けて、持っていたペットボトルの水で口をゆすぐ。喉の焼けるような感覚がなくなることはないが、気持ち悪さはだいぶ落ち着いた。




 そこでようやく大きく息を一つ吐くと、ビルの隙間から夕陽が差し込んできた。夕方とはいえまだ暑さの残るなか、その日差しの暖かさに心地よさを覚えるほど、俺の身体は冷えていたらしい。


 夕陽の眩しさに目を細める。夕陽…夕陽?








 なんだ、何が引っかかるんだ。今度は頭痛はない。だが、ドックンドックンと鼓動が大きく早くなっていくのがわかる。




 なんだ、何なんだ?わけがわからない。




 一度考えるのをやめて、時間を確認する。一瞬だと思っていた意識障害は割と長かったようで、既に時間は17時55分。


 予定時刻まであと5分しかなかった。




 俺はすぐに立ち上がって、走り始めた。急げ、急げばまだ間に合う。


 何が待っているかもわからぬ場所へと、俺は全速力で走って行く。






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