月と藤の花、貴方へ。
ヨモツリ
月夜と藤の花、貴方へ。
今日も仕事帰りに、道路に描かれた白黒のコントラストの上を歩いている。
自分が勤める会社の壁に貼られた、ノルマと書かれたグラフと違って、綺麗に月明かりに照らされたコントラスト。
そんな月明かりをかき消すほどに明るく、下品に叫びながら止まる、鉄の箱を目指しながら。
そのまま改札を抜け、ふらふらと箱に乗り込むと、しわしわのスーツを着て、泥のごとく、ぬらぬらと、液体と眼鏡を垂らしながら眠る先客が1人、2人。自分も気にせず席に座る。
数分もしない内に彼らの仲間入りをして、目的地までの時間と恥を共有する。
いつからだろう、目的地に着いたら勝手に目を覚ますようになったのは。
きっと、本来着くべき場所を過ぎ去ってしまった夜、ため息をいくつもつきながらタクシーに乗った夜を過ごした辺りからだろうか。
目的地に着く。仲間達より先に鉄の箱から流れ出して家路へと着く。
くすんだアパート、自分が帰るべき場所。見慣れた階段、錆びついた階段を上がる。
そして、綺麗に光る月。
ーーーきっとまた彼女が来てくれる。
期待と不安を鍵に込めながら、扉を開ける。
いつもの部屋、度数9度の缶を、9回蹴って、9回踏まなければベッドまで辿り着けない自分だけの楽園。
そんな部屋の中、くしゃくしゃのベッドに座ると、さっき開けたばかりの玄関から声がする。
ーーー「おかえりなさいませ」
また来てくれたんだ、自分のために、来てくれたんだ。
期待通りの声に心が震える。すぐにまたゴミ山を蹴り飛ばして玄関へと戻る。
「こんばんは。また来てくれたんですね!
聞いてくださいよ!今日もまたお客さんが…」
捲し立てるように話し始める自分と、ただただ相槌を打ちながら優しく聞いてくれる彼女。
いつからだろう、彼女が現れたのは。
きっと、何気なしに開いた都市伝説を紹介するサイトを見てからだ。
ーーー月夜にだけ現れる、ただただ惨めで勤勉な男性を癒す、麗しき藤の着物美人が居る。
彼女は優しく笑いながら、自分の全てを肯定してくれて、朝になるまで自分の話を聞いてくれる。
何故か彼女は、その人の生い立ちや好きな人、コンプレックスも全て把握している。
そして、彼女は玄関の扉を開けるように執拗に求めてくる。しかし、その扉を開けてはいけない。もし開けてしまったら、悲惨な死が待ち受けている、と。
馬鹿馬鹿しい話だなと思った。
だいたいこんな都会の喧騒の中で、月夜にだけ現れる、着物を着た女性だの、玄関を開けたら死ぬだのってそんな話ある訳ーーー。
ーーー「どうしました?何か辛い事でもありましたか……?」
ふと我に帰る。
彼女と最初に会った日の事を思い出いだしていた。そんな都市伝説ある訳ないと、あるとしても、そんな奴に心を許す訳ないと。
でも今はーーー。
「いや、貴女に会った日の事を思い出していたんです。最初は信じてなかったし、まさか自分の前に現れると思わなかったですから。」
「最初に話した時は怖かったですよ!死を招く怪異のような人だって書いてありましたから。でも、話をしてる内に貴女はそんな人じゃないって分かったんです。自分の事をなによりも分かってくれて、優しくて。きっと綺麗な人なんだろうって、だから」
ーーー「だから、どうしたのですか……?」
「……貴女と会って話がしたいです。もっともっと、自分の事を知って欲しいし、貴女の事が知りたいです。だから……開けてもいいですか?」
ーーー「扉を開けてはいけないって、書いてあったと話してましたよね……?なのに開けてしまっていいのですか?私は貴方を殺してしまうかも知れないんですよ……?」
「いや、貴女はそんな人じゃないです。私には分かります。きっと、何かが気に食わなかった連中が好き放題書いたのでしょう。貴女は私を癒してくれる天使のような人です!万が一間違えていても、貴女になら……殺されたって構いません。」
「だから、今から扉を開けていいですか?貴女に、会いたいんです。」
ーーー「貴方は優しい人なんですね。化け物と蔑まれた私を信じてくれるなんて。」
ーーー「なら、私も貴方を信じます。だから、扉を開けてもっとお話ししましょう。分かり合いましょう。貴方となら、きっと大丈夫だから……。」
ようやく、待ち望んだ瞬間が訪れたのだと悟った。死を恐れて、扉を開ける事を拒んだ過去の自分がどんなに愚かだったのか、ようやく気づいた。
嬉し涙を流しながら扉を開ける。隙間から広がっていく、月明かりが照らし出す未来、彼女との未来。
そんな未来を夢見ながら……。
僕は死んだんだと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます