第2話:疑惑の香辛料
「やあ、サラ嬢」
「これはアレックス殿下。御機嫌よう」
カレッジにて、第二王子アレックス殿下とその取り巻き連中に遭遇した。
苦手なんだよな、昔から私のことバカにしてくるし。
こんなやつと同学年なのは実に不幸だ。
前世の私は何をやらかしたんだろうか?
「聞いたよ。兄上の婚約者に内定したようじゃないか」
「お陰様で大変な栄誉に与かりまして」
「どうやって兄上を篭絡したんだい?」
これだ。
この相手を値踏みするように目を細める表情が爬虫類っぽくて嫌いだ。
世の御令嬢方は怜悧さを秘めた眼差しなんてもてはやすけれど、こいつは怜悧じゃないからね?
成績はせいぜい中の上レベルだから。
「それがジャスティン様は私の二の腕に魅了されたようでして」
「二の腕?」
「ソテーして食べると美味しそうだと」
「「「「ハハハハハ!」」」」
大爆笑だ。
こんな時でもウケを取りに行ってしまう自分の性格は大好き。
「ま、せいぜいムダな努力をしてくれたまえよ」
「御忠告ありがとう存じます」
手をヒラヒラさせながら去って行くアレックス殿下。
しかし『ムダな努力』とはどういう意味だろう?
私がジャスティン様にふさわしいくらい美しくあろうとすることを指すならムダに違いないが……そんなことする気ないしな?
「相変わらず嫌味な男っすねー」
「あら、ヨーコさん」
今のやり取りを見ていたらしい、くるくるに結った髪だけが淑女っぽいヨーコさんが話しかけてくる。
彼女は超大店カンピネン商会の跡取り娘だ。
「アレックス殿下もヨーコさんの家のお店の重要なお客様でしょう? そんな汚い口を利いてはいけませんよ。心に秘めておいて、ここぞという時に吐き出さないと」
「あはははっ! サラ様はサイコーっすね」
ロイヤルカレッジは王族貴族に限った教育機関ではない。
多くはないが、豪商の娘であるヨーコさんのような平民も在籍している。
もちろん彼女だって上流階級にふさわしい言葉遣いを備えてはいるが、私やアイリーンの前では砕けた口調で喋る。
その方が本音で話してくれているようで嬉しいけどね。
「聞きましたよ。ジャスティン殿下と婚約ですって?」
「そうなの。私に務まるかしら?」
「サラ様メッチャ優秀じゃないですか」
「また顔面どうこうで婚約破棄されたらどうしようかと」
「それは深刻な問題なんすか? それともギャグなんすか?」
「王子殿下にボディブローを食らわすのはアリだと思う?」
「ああ、ニコラス様の件は伝説になってるっすね」
二人して笑い合う。
「冗談はそこまでにして、ジャスティン様ってどんな人か、ヨーコさんは御存知ないです?」
「え? 確かに店で話したことはありますが、婚約者様に語るほどの情報は何もないっすよ」
「ジャスティン様って、性格が強引でひどく我が儘だって噂があったでしょう? 実際に会ってみたらそんなことなくて。私の前で猫を被ってるだけなのか、それとも噂の方が間違ってるのか知りたいの」
視線を宙に浮かべて思い出そうとするヨーコさん。
「そういえば……いや、ぶっきらぼうというか口下手ではありましたが、横柄と感じたことはないっすね」
「ふうん、やっぱり。どこから出た噂なのかしら?」
「わかりませんけれどね。カレッジでの成績は悪かったらしいじゃないすか」
「そうね」
「ところが入学時の成績はトップだったそうすよ」
「えっ、そうだったの? てっきり腹違いの弟と同じで最初からバカだったのかと」
「あはははっ!」
段々成績を落としたがために性格も捻くれた?
いや、捻くれたって風にも見えないんだけど。
まあ王子様だもの、カレッジの勉強だけじゃなく、色々忙しいのかもしれないしなあ。
「ヨーコさん、貴重な情報をありがとう」
「あれ、貴重だったっすか?」
「気になる点はあるわね」
「期待してるっすよ」
何を期待されたんだろう?
華麗なる婚約破棄はもう勘弁なんだが。
◇
お妃教育が始まった。
カレッジ最終学年の学位取得課題と重なり、お妃教育が短期の詰め込みになるから地獄の苦しさになる……と思っていた。
いや、周りの皆もそう考えてたみたいだけど、そんなことはないのだ。
何故ならルイス先生の薬学教室に入り浸ってた私は、既に最終学年の学位取得課題を終えているようなものであり、お妃教育もさほどハードではないから。
自他ともに認めるブサイクの私は、マナーで侮られることがあってはならないと、そっち方面だけは叩き込まれていたし、他国の商人との通訳に駆り出されるくらい数ヶ国語ペラペラだし、地理や歴史は大好物だし、ウィットと根性は売るほどある。
あれえ? 気付かなかったけど私お妃向いてる?
ジャスティン様が照れくさそうに声をかけてくれる。
「御苦労だったね」
「いえいえ、もったいないです」
「英気を養うためにたっぷり食べてくれ」
「ありがとう存じます。頂戴いたします」
「ああ、遠慮なくどうぞ」
お妃教育後の食事はジャスティン様とともにいただくそうだ。
ジャスティン様の美顔を目の前に据えて御飯なんて贅沢だなあ。
テーブルに並べられた料理をサーチする。
私は魔力持ちで『解析の術』の使い手、料理に使われている成分を調べることなどお手の物なのだ。
王家の食事で毒が入ってるなんて思わないけど、習慣みたいなもの。
ふんふん、変わったハーブや香辛料が使われているなあ。
さすが王家の食事だけのことはある。
「ステファニーの件なのだが」
おおっと、こちらからは聞きづらかった前婚約者のことをジャスティン様は話してくださるようだ。
ためらいがちなジャスティン様。
「こんな話題はマナー違反だろうか?」
「いえいえ、お気になさらず。ステファニー様にはお気の毒なことでしたが、巷の噂では全く要領を得ないのです。何があったのか知りたく思っていました」
「そうだったか。やはりサラ嬢は知っておくべきだと思って」
ホッとした表情のジャスティン様美形。
「発表では病死と聞いています」
「そうだな。実際には自殺だ。ここ二年ほど、ほとんどお妃教育が進んでなかったらしい」
「えっ? 何故でしょう?」
「何も頭に入らないと言っていた。ステファニーが悩んでいたことは知っていたが、死を選ぶほどだったとは……」
そんなバカな。
ステファニー様はカレッジ首席卒業で、総代を務めたほどの才女ですよ?
「ええと、ステファニー様が受けていらっしゃったお妃教育とは、私が受けているものと同じですよね?」
「もちろんだ。サラ嬢の教育は、まだ始まったばかりなのに驚くべき進捗だと聞いている」
ジャスティン様が優しい笑顔を向けてくる。
おかしい。
二年前ならステファニー様はカレッジ卒業一年前。
おそらくは私と同じように既に学位取得課題を終えていたんじゃないかしら?
その後の二年なら今の私と同じ、いや、スケジュールが詰まってない分、お妃教育は相当楽だったんじゃないか?
わけがわからない。
「医者や教師陣の見解としては、将来の王妃という立場が強度のプレッシャーだったのではないかとのことだった」
「でもステファニー様は、ずっとジャスティン様の婚約者だったのですよね?」
「いや、正式に婚約者となったのは三年前だった。それまでも事実上の婚約者だとは言われていたけれど」
「そうだったんですか?」
知らなかった。
でもそれなら正式に婚約者となり、お妃教育が捗らないことをストレスに感じていたことはあり得る?
ジャスティン様が形の良い眉を歪める。
「苦しいことがあったら、すぐにオレに伝えてくれ。サラ嬢までステファニーと同じ目に遭ったらオレは耐えられない」
「ジャスティン様、もったいないお言葉を……」
イケメンが悲しそうな顔をしているなんて本当にもったいないわ。
私は精神的タフさを買われているくらいなので、自殺するなんてことはあり得ませんのでお気遣いなく。
◇
「何それ、ノロケのつもり?」
「事実なのよ」
ここのところのお妃教育で、講義の終わりにジャスティン様と食事していることを話していたのだ。
サクランボを口に放り込みながらアイリーンが言う。
「順調そうで何よりですこと」
「それがジャスティン様からおかしなことを聞いたのよ」
「おかしなこと?」
「ステファニー様、ここ二年ほどほとんどお妃教育が進んでなかったんだって。何も頭に入らないと言っていたって」
「えっ? そんなことある?」
「それほどプレッシャーが強かったのかしら。アイリーンどう思う?」
「あなたはどうなのよ。実際にお妃教育を受けてみた感想として」
「厳しいことは厳しいけど……でもステファニー様にはもっと時間があったはずよね」
「講師陣の教え方が理不尽ってことはないのね?」
「ないわよ。ステファニー様があんなことになったから、気を付けてくれてるってことはあるかもしれないけど」
さすがにお妃教育を担当する講師は、人格知識教え方申し分ない方々ばかりですよ?
「となると……」
「何よ。気になるわね」
「ステファニー様ね、カレッジの成績、第三学年から少しずつ落としてたらしいのよ」
「えっ? でも首席で卒業じゃない」
「……第二学年まではトップだし、最終学年は学位取得課題だけだし」
第一王子ジャスティン様の婚約者だから忖度もあったろうということか。
第三学年といえばお妃教育が本格的に始まった年。
「成績を落としてたことを気に病むような愚痴をこぼしてたって。変でしょ?」
「何が?」
「普通ならお妃教育が厳しいっていう愚痴をこぼすものなんじゃない?」
「そういえば……」
ジャスティン様の婚約者になったことやお妃教育にプレッシャーを感じていたのならば、アイリーンの言う通りだ。
でも……。
「根拠が弱いわね。たまたまかもしれないし」
「もっと変なことがあるでしょ?」
「何かしら?」
「入学時トップだったジャスティン殿下がバカレベルまで成績が悪くなる。その婚約者だったステファニー様も成績を落とす。最高の教育を受けてるはずのお二人がよ?そんなことあり得る?」
「……」
「百歩譲ってステファニー様がお妃教育との重複で大変だったとしてもよ? ジャスティン殿下が劣等生になる理由がないじゃないの。サラから見て、ジャスティン殿下がそんな不真面目な方に?」
「見えない」
お二人の成績が悪くなったことには、何か全然別の理由がある?
何も頭に入らないということは、記憶力の減退?
「話を聞く限り、ステファニー様が成績落としたのってお妃教育が始まってからじゃない」
「……お妃教育の日は、講義の終わりにジャスティン様と食事するわね」
「サラの得意分野じゃないの。魔法の出番よ」
「……毒ではない。長年摂取し続けて初めて効果の現れる……」
そういえば珍しい香辛料が使われてるなと思った。
薬学のルイス先生に相談してみよう。
「ありがとうアイリーン。やるべきことが見えてきたわ」
「いいのよ。ところでサクランボおかわりない?」
◇
「ルイス先生、少々よろしいでしょうか?」
カレッジの廊下で薬学のルイス先生に話しかける。
ルイス先生は何かを察してくれたようだ。
「チャーミングさの欠片もない表情だね。ということは……今時間あるよね?」
「ええ」
「研究室の方へ」
チャーミングさの欠片もないって。
察し方がおかしくありませんかね?
ドアの向こうの研究室に通される。
「どうぞ。トーヤク茶だよ」
研究室で飲み物を出される、が……。
「遠慮しなくていいんだよ」
「遠慮しますよ。誰がトーヤク茶って言われて飲むんですか」
「サラ嬢以外の人は大概飲むんだけど」
トーヤク茶は目が覚めるほど苦い。
一般に身体にいいと言われてはいるが、少し薬学を齧った者ならそれは眉唾だと知っている。
昔のオーソリティが冗談で飲ませていたのが定着したとか。
迷惑な話だ。
「飲みつけるとこの苦みがクセになるそうだが」
「私はクセにしたくないですね」
「おや、気が合うね。私もだよ」
アハハと笑い合う。
「それで何か、私に相談事かな?」
「お妃教育が始まったんです」
「ん? サラ嬢ほど優秀な頭脳と広範な知識と屈指の打たれ強さを持っていて、困ることなんかないだろう? 学位取得課題なら心配は要らない。まだ記帳していないだけで評価特Aだよ」
「ありがとうございます。そのお妃教育では、毎回講義終了後にジャスティン様と一緒にお食事するという御褒美がついているんですよ」
「何だ、ノロケだったのか。ジャスティン様がサラ嬢を大変気に入っているという噂は聞いているよ」
「そうではなくてですね。その食事に毎回スタス草とパゾの実が用いられているんです」
「スタス草とパゾの実……毎回?」
ルイス先生の表情が険しくなる。
ともに精神を落ち着かせる作用があると言われている香辛料なのだが。
「初めは変わったハーブや香辛料が使われてるなあ、くらいに思っていたんですが、毎回となるとおかしいなと」
「スタス草もパゾの実もかなり効果持続時間が長い。続けて摂取していたらかなり思考が鈍るぞ」
「やはりそうですよね。ジャスティン様も婚約者だったステファニー様も、初め成績が良かったのに徐々に悪くなったっていう話を聞きまして、ひょっとしてこれが原因かと」
「そうか、それで……。ジャスティン様の成績の急降下はどうも変だとは思ってたんだ。スタス草とパゾの実の常用が原因なら説明はつく」
毒じゃないから毒見では異常なしだ。
だから誰も気付かなかったんだろう。
「よく気付いたね。さすがはサラ嬢だ」
「いえ、たまたまその手の魔力持ちというだけです。どうすべきでしょうか?」
「そりゃあ摂取をやめるべきだ。一〇日もすればスッキリするよ」
「それはそうなんですけど、スタス草とパゾの実は善意で入れられてるのかそれとも悪意なのか、あるいは偶然なのかわからなくてですね」
目を瞬くルイス先生。
「善意や偶然なんてことがあるかい?」
「例えば精神に負担がかかるお立場だから気を使って、みたいな」
「なるほど、悪意であってもそういう言い訳が用意されてるのか。厄介だな」
「悪意だったら異なる薬に変えられちゃうだけの気もしますし……」
「それでいいじゃないか。悪意だと決まったら追及してやればいい」
「そうですね……そうします」
「ん? 煮え切らないね。サラ嬢らしくもない」
「そんなことないですぶひ」
再び笑い合う。
「では失礼いたしますね」
薬学研究室を辞す。
……ジャスティン様が私のことを気に入ってくださったり美しいと褒めてくださったりするのは、やはり香辛料の効果で判断力が狂ってるからなんだろうなあ。
でもジャスティン様のお身体や国の将来の方が大事だ。
私は再び婚約破棄されることになりそうだけど、スタス草とパゾの実の摂取はやめさせよう。
◇
「ジャスティン様、内緒のお話があるのです」
今日もまたお妃教育の日、ってほぼ毎日ですけど。
講義の後のお食事タイムです。
ジャスティン様の笑顔が尊いわー。
「何かな?」
「恥ずかしいので人払いしてもらってよろしいでしょうか?」
「ハハハ。サラ嬢は可愛らしいな。外してくれ」
侍女と衛士が下がっていく。
さてと。
「……ジャスティン様は、私が魔力持ちだということは御存知かと思います」
「ああ。食べ物に毒が含まれているとわかるとか」
「ええ。そういうことにしてあるんですが、実はもう少し細かいことを知ることができます。例えばどんな薬効のある食材が使われているとか」
「ふむ?」
「……私のお妃教育が始まってここで食事をいただくようになりました。スタス草とパゾの実が毎食使われています」
眉を顰めるジャスティン様。
「ふむ、スタス草とパゾの実? 聞いたことのない食材だが、それは?」
「精神安定作用があります」
御存知ないようだ。
少なくともジャスティン様が自ら使用を指示されていたわけではない。
「かなり珍しい香辛料です。たまに使う分には心を落ち着かせるいい作用を期待できるのですが、両者を併用して毎回しかも長期間ともなると、深刻な影響が考えられます」
「……それは?」
「思考力、判断力、記憶力等、頭脳の働きがかなり鈍ります」
「何だと?」
「いつからスタス草とパゾの実が用いられていたのか、私は存じません。しかしかなり以前からだとしたら、ほとんどお妃教育が進まないほどステファニー様を追いつめた原因の可能性が高いです」
「!」
色をなくすジャスティン様。
宙に視線を走らせ何かを考えた末、私に言う。
「確認するが、スタス草とパゾの実はオレとサラ嬢の両方の食事に含まれているんだな?」
「はい」
「精神に作用するだけで、命に別状はないと考えていいか?」
「はい、ありません」
「作用から抜け出すためにはどうしたらいい?」
「薬学のルイス先生によれば、一〇日も摂取を控えればよいと」
「サラ嬢にはすまないが、もうしばらく何も言わずにこの食事に付き合ってもらえるか?」
「は?」
今何と?
スタス草とパゾの実を抜かないとぼーっとしたまんまですよ?
……判断力が鈍ったままならば、私をずっと美しいと思っていただけるのかもしれませんけれど。
「信頼できる者に捜査をさせる。そして近い内に陛下と母上、側妃カスリーン並びにアレックスの同席する会食の場を設ける」
「それって……」
「その場で誰の皿にスタス草とパゾの実が使われているか、特定することは可能かな?」
「もちろんです」
「全員の料理にスタス草とパゾの実が使用されているならばいい。そうでないならば……告発してくれるか?」
「わかりました。お任せください」
「オレは証拠集めに取りかかる」
ジャスティン様の悲しげな眼がズキッと心に刺さる。
信じたかったけど、心のどこかで疑っていらしたんだろうなあ。
「では、軽くいただいて、今日はお暇いたしますね」
「ありがとう、サラ嬢。必ず……」
必ず何だろう?
怖くて聞けない。
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