第6話『日常はまだ遠く』

 真衣さんに挨拶して、俺達は愛実の家から学校に向けて出発する。

 今日もよく晴れており、日差しに直接当たると結構暑い。なので、出発した直後にマスクを外してバッグに入れた。

 また、今日になって咳の症状が治まったとのことで、あおいも俺とほとんど同じタイミングでマスクを外した。制服姿でマスクをしていないあおいを見るのは先週の金曜日以来なので、結構久しぶりに思えた。


「愛実ちゃん……辛そうでしたね」

「そうだな。顔も赤かったし、少し息苦しそうにもしていたから」

「ですね。昨日の朝のことを思い出しました」

「同じような症状だもんな」

「ええ。ただ、笑顔を見せてくれたことには安心しました。昨日の私と一緒で、私達の顔を見られたからでしょうか。愛実ちゃんの場合は、涼我君からのキスというおまじないもありましたが。恋人ですが、愛実ちゃんが羨ましいです」

「ははっ。きっと……そうだろうな。これまでも、愛実が風邪を引いたときは、学校に行く前に様子を見に行くのが恒例で。そのとき、愛実は笑顔を見せてくれることが多かったよ」

「そうでしたか」

「もちろん、キスのおまじないはさっきが初めてだけどな」


 俺がそう言うと、あおいは「ふふっ」と楽しそうに笑った。

 思い返すと、小学生の頃から登校する前に風邪を引いた愛実の様子を見に行くと、愛実は笑顔を見せてくれた。愛実は当時から俺のことが好きだったし、好きな人が会いに来てくれるのが嬉しかったのだろう。


「それに、昨日はあおいが風邪を引いていた。だから、あおいの元気な姿を見られたことの嬉しさも、愛実が笑顔を見せた理由の一つだと思うぞ」

「……私が元気になったのが嬉しいと言っていましたもんね」

「ああ」


 昨日、愛実はあおいの体調が早く良くなってほしいと言っていたからな。だから、翌朝に元気な制服姿のあおいを見られて嬉しかったのだろう。


「私のように、愛実ちゃんも一日で元気になると嬉しいですね」

「そうだな。きっと元気になるさ。昨日、あおいが行った病院に行くし。あそこがかかりつけのお医者さんなんだ。これまでも、あの病院で処方された薬を飲めばだいたいは一日で治るから」

「そうですかっ」


 あおいはニコッと笑いながらそう言う。

 今回も、俺の話した通りに愛実が一日で元気になるといいな。そうなるためにも、放課後になったらあおいと一緒にお見舞いに行って、愛実のしてほしいことをしてあげたい。


「そういえば……涼我君と2人きりで学校に行くのはこれが初めてですね」

「そうだな。小学校に入学する前にあおいが引っ越したし、再会してからは愛実と3人で登校していたもんな。愛実が風邪を引くのは高2になってからは初めてだし」

「ええ。もし、引っ越すことがなかったら……一緒の小学校に入学して、愛実ちゃんが引っ越してくるまではこうして2人で登校していたんでしょうね」

「そうだろうな」


 愛実が調津に引っ越してきたのは小1の5月末。なので、もし、あおいが福岡に引っ越していなかったら、2ヶ月ほどは毎日2人で小学校に登校していただろう。


「それで、愛実ちゃんが引っ越してきてからは、3人で一緒に登校していたでしょうね」

「そうなっていただろうな」


 昔のあおいも、今と変わらず明るくて社交的な性格だった。だから、調津に引っ越してきた愛実と出会ったら「一緒に登校しようよ!」と誘って、3人で小学校に通っていたんじゃないだろうか。


「涼我君と2人で小学校に通えると思っていた時期もあったので、こうして涼我君と2人きりで学校に行く経験ができて嬉しいです。ただ、これまでずっと愛実ちゃんと3人で登校してきましたから、3人一緒なのが一番いいですね」

「そうか。3月になるまであおいが引っ越すことを知らなかったし、小学生になったらあおいと一緒に通えると思ってた。だから、あおいと2人で登校するのはいい経験だと思ってる。ただ、愛実とも一緒なのが一番いいな」

「そうですかっ」


 俺が同じ気持ちだと分かったからなのか、あおいは結構嬉しそうだ。


「明日は3人一緒に登校したいな」

「そうですね!」


 あおいは明るい笑顔で、とても元気良く返事をしてくれる。いつものあおいを見ることができて嬉しいな。

 愛実の風邪が1日で治って、明日は3人で一緒に登校できるといいな。いつものように愛実とあおいが笑顔を見ながら。

 あおいと2人きりで登校するのは、かつて思い描いていた「あったかもしれない日常」だった。そう考えると、何だか感慨深い気持ちになる。

 あおいと話していたのもあり、気付けば調津高校の校舎が見えている。1年半ほど通ってきた学校だけど、あおいと一緒に登校するのは初めてだから新鮮に見えた。

 2年2組の教室のある教室A棟に入り、昇降口でローファーから上履きに着替える。

 いつも、うちの教室がある4階までは階段で上がる。あおいは元気になったとはいえ、病み上がりでもある。なので、今日は階段かエレベーターのどっちにするかあおいに尋ねると、


「いつも通り階段で行きましょう」


 と、快活な笑顔でそう言った

 階段を使って4階まで上がる。ただし、普段よりゆっくりとした速度で。それもあって、4階に到着したとき、あおいは特に疲れた様子は見られなかった。そのことに一安心。

 後方の扉から、2年2組の教室に入った。

 今日も教室の中は涼しくなっていて快適だ。毎日、誰かがエアコンのスイッチを入れてくれているおかげなんだよな。ありがとう。


「2人ともおはよう! あと、あおいちゃんは元気になったんだね!」

「良かったよ! でも、愛実ちゃんが一緒じゃいないってことは、今度は愛実ちゃんが風邪?」


 などと、あおいの友人を中心に俺達に声を掛けてくれる。

 俺達は彼らに朝の挨拶をして、愛実が風邪で欠席することを伝えた。あおいが元気になったことに喜ぶ人もいれば、愛実が学校を休むことに寂しがる人もいた。 

 あおいと俺は自分達の席に向かうと……いつも通り、窓側後方のスペースに道本達がいた。


「麻丘、桐山、おはよう」

「2人ともおはようだぜ! 桐山が元気になって何よりだ!」

「あおい、麻丘君、おはよう。愛実が欠席するのは寂しいけど、あおいが元気になって学校に来られて良かったわ」


 道本達は俺達に向かって挨拶してくれる。今日は愛実が風邪で欠席するけど、あおいが元気になって登校した。なので、3人は普段ほどではないものの、昨日よりは明るい雰囲気になっていた。


「みんなおはよう」

「みなさんおはようございます! メッセージやお見舞いに来てくれたおかげで、1日で元気になることができました!」


 俺達は荷物を自分の席に置いて、道本達に朝の挨拶をし、あおいは感謝の言葉を述べる。

 あおいの言葉もあって、3人は嬉しそうだ。海老名さんはニッコリと笑ってあおいのことを抱きしめる。


「あおいが元気になって良かったわ」

「ありがとうございます、理沙ちゃん」


 あおいはお礼を言うと、両手を海老名さんの背中へと回す。

 昨日、お見舞いに来たときもあおいと海老名さんは抱きしめ合っていたな。海老名さん……あおいが元気になったのが本当に嬉しいのだろう。あと、2人が抱きしめ合う光景は何度見てもいいものだ。


「桐山の次は香川か」

「風邪がうつっちまったのかな?」

「その可能性はあると思います。涼我君と一緒に、ずっと私の部屋にいてくれましたからね。私が咳をすることが何度もありましたし。それに、3人ともマスクとかをしていませんでしたから。今朝、3人で反省しました」

「そうだな、あおい」

「お見舞いのときには気をつけないといけないわね」


 海老名さんの言葉に俺達4人は「そうだな」と頷く。

 今日の放課後は愛実のお見舞いに行く予定だ。あおいとは違って咳は出ていないけど、風邪がうつらないようにしっかりと対策しないと。


「そういえば、この5人でいるのは初めてか」

「そうだな、道本! 新鮮だな!」

「いつもは6人でいるものね」

「そうだな、海老名さん」

「この5人でいるのは初めてですから新鮮ですね! ただ、愛実ちゃんもいる6人なのが一番いいですね…。」


 あおいはしみじみとした様子でそう言う。登校するときも、あおいは愛実と3人一緒なのが一番いいと言っていた。あおいは愛実のことが本当に大好きで大切な友人なんだな。


「俺も同じ気持ちだよ、あおい」

「ええ。みんなで一緒にいられるのが一番いいわ」

「そうだな。昨日、鈴木が言っていたんだけど、6人一緒なのがしっくりくるな」

「おう! 今もそう思ってるぜ!」


 鈴木は明るい笑顔でそう言う。それもあって、俺達5人の間の空気が明るいものになる。

 あおいがいなかった昨日も、愛実がいない今日もしっくりこない。昨日と今日を通じて、6人一緒なのが一番いいと思っているのだと実感する。

 ただ、曜日の関係もあって、学校で6人一緒にいられたのは先週金曜日が最後。だから、高2になってからの日常がまだ遠いところにある感じがした。


「やあやあやあ、みんなおはよう。チャイムが鳴るまでは自由にしていていいよ」


 佐藤先生のそんな声が聞こえた。なので、声がした方に向くと、教卓の近くにスラックスにノースリーブの縦ニット姿の佐藤先生がいた。

 佐藤先生は女子中心に近くにいる生徒数人に「おはよう」と挨拶した後、こちらにやってくる。


「涼我君達もおはよう。愛実ちゃんが体調不良でお休みだけど、元気になったあおいちゃんを見られて先生は嬉しいよ。あおいちゃん、治って良かったね」

「はいっ! 樹理先生、お見舞いのメッセージありがとうございました!」


 あおいは嬉しそうな笑顔でお礼を言う。

 いつもの笑顔でお礼を言われたからか、佐藤先生はニコッと笑い、


「いえいえ」


 と言って、あおいのことを抱きしめた。あおいのように、女子生徒が体調不良で欠席して、再び登校すると、佐藤先生はその生徒のことを抱きしめることが多い。チャイム前に教室に来たのはあおいを抱きしめるためだったか。


「元気になって良かったよ、あおいちゃん」

「はいっ。……あと、先生……温かくていい匂いがします。縦ニットを着ているのでとても柔らかい感触で……」

「ふふっ、そう言ってくれて嬉しいよ。あおいちゃんの抱き心地もいいね。今日の仕事も頑張れそうだ」


 佐藤先生は優しい笑顔になって、あおいの頭を撫でる。ここは学校であおいが制服姿だけど、プライベートで仲良くしている2人を見ているのもあり、歳の離れた友達を抱きしめているように見える。あおいも嬉しそうにしているし。

 あと、女子高生のあおいを抱きしめて、今日の仕事を頑張れそうだと言うところが佐藤先生らしい。


「明日は愛実ちゃんを抱きしめて、6人一緒にいるところを見られたら最高だね」

「そうですね、佐藤先生」


 佐藤先生も早く日常に戻ってほしい気持ちは一緒か。

 あと、愛実はこれまで佐藤先生に抱きしめられると嬉しそうにしていたな。今回も早く元気になって、先生からハグされてほしい。

 それから程なくしてチャイムが鳴り、今日も学校生活が始まるのであった。

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