第59話『私もしたい。されたい。』

 愛実の肩のマッサージが終わった後は、愛実の淹れたアイスコーヒーや、今日のために愛実が用意してくれていたお菓子を楽しみながらアニメを観る。もちろん、愛実とは隣同士で座り、寄り添いながら。

 観ているアニメは『秋目知人帳』。さっき、俺が原作漫画を読んでいたことと、このアニメは小学生時代のお泊まりでも何度も観たことがある作品だからだ。楽しいだけでなく、懐かしい気持ちにもさせてくれる。


「秋目知人帳面白いね!」

「面白いよな。昔から観ているから、懐かしい気持ちにもなる」

「お泊まりのときにも観たもんね。クリスの次くらいにたくさん観ているんじゃないかな」

「そうだな。初期のシリーズは小さい頃に作られているし、たくさんエピソードがあるもんな。お互いの親も楽しんで観ていたし」

「そうだったね。お母さんは特に好きだからね」


 小学校の低学年のときは、愛実の家に泊まると真衣さんと一緒に『秋目知人帳』を楽しんで観ることがあったな。あやかし系の作品だけど、優しい雰囲気に包まれた人間ドラマも魅力的で。それが親子で楽しめる一つの理由なのかなと思う。


「あと、小学生のときのお泊まりでは、こうして寄り添っては観なかったよね」

「そうだったな。一緒に観やすいように、隣同士に座って観てはいたけど。愛実がくっついたのは、怖いシーンとか衝撃シーンを観たときに俺にしがみついたことくらいかな」

「あったあった。リョウ君も一緒だから、ちょっと怖そうな作品でも大丈夫かなと思って観てみたら、結構怖くてしがみついちゃうことがあったな。リョウ君はあまり怖がらないから頼もしかったよ」


 当時のことを思い返しているのか、愛実は優しい笑みを浮かべている。

 予想外に怖いシーンがあるアニメを観たときは、愛実は俺の腕をしっかりと抱きしめて寝ていたな。そんな愛実のことを可愛いと思ったっけ。


「そういえば、昨日もあおいちゃんとはこんな感じでアニメを観ていたの?」

「ああ、そうだな。お菓子や紅茶を楽しみながら、クリスを観たよ。あと、タイミングが合って、コメディアニメをリアルタイムで観た」

「そうなんだ。今みたいに寄り添いながら?」

「ああ。あとは……あおいの希望で、あおいが俺の脚の間に座って、後ろから軽く抱きしめた体勢でも観たよ」

「そうだったんだ。あおいちゃんらしいかも」


 愛実は納得した様子でそう言う。あおいは普段からスキンシップするし、告白してからは愛実の前でも物理的な距離をかなり縮めている。だから、お泊まり中には色々なことをしたと思っているのかも。


「その体勢でリョウ君と観たことは一度もないから、私もやってみたいな。あおいちゃんもやったし」

「ああ、いいぞ」

「ありがとう」


 嬉しそうに言う愛実。

 やっぱり、あおいに対抗して自分もやってみたいって言ったか。予想が当たったから、頬が緩んだのが分かった。

 俺が後ろから抱きしめている間にあおい吸いをしたけど……あおいに対してはいきなりやったので、愛実にも事前に何も言わずにするか。

 俺はベッドにもたれかかる体勢になり、両脚を広げる。

 どうぞ、と俺が両脚の間を右手でポンポンと叩くと、愛実は「失礼します」と言って脚の間に座ってきた。


「俺を背もたれにしてくれ。あおいもそうしていたから」

「分かった」


 愛実は俺の言う通りに、背中を俺の胸に付けてくる。そのことで、愛実の髪からシャンプーの甘い匂いが香ってドキッとする。

 俺は両手を愛実の体の前面に回して、お腹のあたりで軽く抱きしめた。


「どうだ? 愛実」

「……背中からリョウ君の温もりが感じられて気持ちいいです。お腹に手が当たっているから、そっちも温かいし」

「そう言ってもらえて良かった」

「リョ、リョウ君はどうかな?」

「いい感じの抱き心地だ。温かいし」

「……良かった」


 愛実は顔だけ俺の方に振り返り「えへへっ」と笑う。この体勢にドキドキしているのか、愛実の頬がほんのりと赤くなっていた。


「じゃあ、この体勢で秋目を1話観てみようか」

「ああ、そうしよう」


 俺達は『秋目知人帳』のアニメを観るのを再開する。

 昨日はあおいを抱きしめていたとはいえ、愛実とは初めてなのでやはりドキドキする。愛実も同じような感じなのか、抱きしめた直後よりも、愛実の体から伝わってくる熱が強くなっている。

 あおいのときと同じように、愛実の頭がすぐ側にあるから、呼吸する度に髪からボディーソープの甘い匂いがしっかり香ってきて。だから、少しずつ癒やされ始めている。

 この体勢でアニメを観始めてから10分くらい経ったし……そろそろやってみるか。

 俺は顔をゆっくりと愛実の後頭部に近づけ、そっと顔を髪に埋めた。その状態で深呼吸する。


「ひゃあっ」


 深呼吸した瞬間、愛実のそんな可愛らしい声が部屋に響く。何の予告もせずにやったから驚いているのだろう。

 顔を埋めているから、さっきよりもシャンプーの甘い匂いを強く感じる。愛実本来の甘い匂いも感じられるからとても癒やされる。


「頭のてっぺんとか後頭部に温かい吐息が当たって……!」

「ごめんごめん」


 そう謝罪して、俺は愛実の髪から顔を離す。

 その直後、愛実は体ごと俺の方に振り返ってくる。驚いたからなのか、愛実はさっき抱きしめたときよりも顔の赤みが強くなっていた。


「実は、あおいを抱きしめてアニメを観たとき、髪からいい匂いがしたから、顔を埋めて匂いを嗅いだんだよ。だから、愛実にも同じことをしたんだ」

「なるほど。そういうことだったんだね」

「もし嫌だったならごめん」

「ううん、いいんだよ。ビックリしたけど、嫌だとは思わなかったから。……リョウ君、あおいちゃんに猫吸いみたいなことをやっていたんだ」


 ふふっ、と愛実は朗らかに笑う。愛実が嫌な想いをしていなくて安心した。この笑顔からして、俺の行動に引いている感じもないし。


「猫吸いならぬあおい吸いをしてた。で、あおいも俺の胸に顔を埋めて、インナーシャツ越しに涼我君吸いをしていたんだ」

「そうだったんだ。ちなみに……あおいちゃんと私、どっちの匂いが好き?」


 愛実は上目遣いで俺を見つめながら問いかけてくる。なかなか凄いことを訊いてくるな。でも、自分もあおいも匂いを嗅いだら、どちらの方が好きなのか気になるよな。


「なかなか比べづらいな。でも、どっちの匂いもとても良くて好きなのは確かだ」


 今の俺の正直な気持ちを愛実に伝える。これで納得してくれたらいいんだけど。

 愛実は目を細め、口角を上げて、


「そっか。私の匂いが好きなら……まあいっか」


 と言ってくれた。どうやら、今の俺の答えで納得はしてくれたようだ。良かった。


「私、リョウ君の匂いが好きだし、私もリョウ君吸いしたいな」

「もちろんいいぞ」

「ありがとう」


 愛実は楽しげな様子で俺の寝間着のボタンを外していく。あおいはインナーシャツ越しに匂いを嗅いだと話したから、自分も同じようにやりたいのだろう。愛実を見ていると微笑ましい気分になる。


「じゃあ……失礼します」

「どうぞ」


 愛実は俺の胸にそっと顔を埋めてくる。


「すー……はー……」


 と、愛実は深呼吸をしていて。その際、インナーシャツ越しに愛実の吐息の温もりが感じられて。顔を埋めている姿を見ているから心地良く感じるけど、いきなり背後から吐息の温もりを感じたらビックリするよな。


「……シャツ越しにリョウ君の匂いを感じる。いい匂い。あと、うちで使ってるピーチのボディーソープがするから幸せな気分だよ」

「そうか」


 俺の匂いが好きだと事前に言われていても、いい匂いだと言われると嬉しい気持ちになる。

 あと、あおいも自分の家で使ったボディーソープの匂いが香ってくることが嬉しいって言っていたな。自分の体と同じ匂いがするのは親近感が湧いていいのかもしれない。


「あぁ、リョウ君。リョウ君……」


 俺の名前を何度も呟きながら、頭を胸にスリスリしてくる。何だか俺に甘えてくる猫みたいな感じで凄く可愛らしいし、愛おしい気持ちにもなる。

 愛実の頭を優しく撫でる。顔を埋めて感じる髪の柔らかさもいいけど、こうして撫でたときに感じる柔らかさもいいな。

 愛実は顔スリスリが終わると、ゆっくりと俺のことを見上げてくる。


「リョウ君吸い……とてもいいね」


 幸福感に満ちた様子で愛実はそう言ってくれる。


「そう言ってくれて嬉しいよ。昨日、あおいとは吸い合ったんだ。だから、愛実ともしたい」

「うん、いいよ。リョウ君に……私吸いされたい」


 愛実は快諾すると、俺の胸に顔を埋めて、リョウ君吸いを再開する。

 俺も愛実の髪に顔を埋めて、愛実吸いを再開する。さっきよりも、髪の中は温かくなっていて。甘い匂いが強くなっていて。また、胸元には定期的に愛実の吐息の温かさが感じられて。いつまでもこうしていたいと思えるほどに癒やされる。愛実も同じなのか、しばらくの間は俺の胸元から顔を離すことはしなかった。

 気付けば、途中まで観ていたエピソードは終わっており、次の話の中盤に差し掛かっているところだった。昨日と同じように、観ていたところまで戻して、アニメを観るのを再開した。愛実を後ろから抱きしめたり、隣同士で寄り添ったりと何度か体勢を変えながら。




「ふああっ……」


 愛実と一緒に秋目知人帳を観たり、女性主人公の異世界ファンタジーアニメをリアルタイムで観たりしていると、急に眠気が襲ってきた。時計を見ると、午前0時近くになっていた。

 愛実の前でしっかりとあくびをしてしまったのでちょっと恥ずかしい。ただ、愛実にとってはそれが面白かったのか、ふふっ、と楽しげに笑った。


「眠くなってきた?」

「ああ。今日はバイトがあったからかな」

「そっか。私も眠くなってきたよ。……そろそろ寝ようか。私のベッドで一緒に」

「そうだな」


 その後、俺は歯を磨いたり、お手洗いを済ませたりして寝るための準備をする。昨日のあおいと同じく、歯を磨くときは洗面所で愛実と隣同士に立って。そういえば、小学生のときのお泊まりでも、歯磨きは一緒にしていたな。

 寝るための準備を終え、俺は愛実と一緒に部屋に戻る。

 部屋の灯りを消し、愛実はベッドライトを点ける。


「リョウ君。壁側がいい?」

「愛実が壁側でかまわないよ」


 そういえば、昨日、あおいともこういうやり取りをしたな。俺はお客さんでもあるし、ベッドから落ちないように壁側の方がいいかと訊いてくれたのだろう。

 愛実は「分かった」と言い、掛け布団をめくってベッドの中に入る。俺の方を向いて横になる姿は、昨日のあおいと重なる部分がある。

 俺もベッドに入って、仰向けの状態で横になる。その際、愛実は俺の胸元まで掛け布団を掛けてくれた。そのことで、愛実の甘い匂いに包まれた感覚になる。また、徐々に愛実の温もりにも包まれるように。


「私のベッドでリョウ君とまた眠れる日が来るなんて。幸せだな」

「そうか。愛実のベッドで一緒に寝るのは……小学校の3年生くらいが最後か」

「そうだね。懐かしいね」

「懐かしいよな。まあ、あの頃に比べたら、お互いに体が大きくなったけどな。体が当たっているけど、愛実は狭くないか?」

「ううん、大丈夫だよ。リョウ君なら、むしろどこかに触れているくらいがいいから」

「それなら良かった。俺も狭く感じないよ」


 今夜もよく眠れそうだ。

 愛実がいる中でベッドに横になったことで、あることを思い出した。俺は仰向けの状態から、愛実の方に体を向ける状態になる。そして、愛実のことをそっと抱きしめた。その瞬間に、愛実は「ほえっ」と可愛らしい声を漏らす。


「リョ、リョウ君……」


 至近距離で俺を見つめる愛実の顔は、ベッドライトの暖色の灯りだけでも分かるくらいに赤くなっていた。いきなり抱きしめたからか、困惑の表情を浮かべている。


「告白してくれた直後のお家デートで膝枕してくれたよな。そのときに、抱き枕になってもいいって言ってくれたのを思い出してさ」

「……ああ、言ったね! 私も思い出した」

「良かった。だから、今夜は愛実を抱きしめて寝ていいかな?」

「もちろんだよ。……嬉しい。リョウ君に抱きしめられて眠れるなんて夢のようだよ。でも、現実なんだよね」


 愛実はとても嬉しそうな様子で言ってくれた。そのことに俺も嬉しい気持ちになる。

 愛実を軽く抱きしめているし、胸もちょっと当たっているからドキドキする。だけど、温かくて抱き心地がいいから癒やされて。これならぐっすりと眠れそうだ。


「リョウ君。今日は私の家で久しぶりにお泊まりできて楽しかったよ」

「そっか。俺も楽しかった。誘ってくれてありがとう」

「いえいえ。こちらこそありがとう。リョウ君に手作りハンバーグを美味しく食べてもらえて、マッサージしてもらえて、たくさんアニメを観て、互いの匂いを吸い合って、こうして同じベッドでリョウ君に抱きしめられて。お泊まりを通じて、リョウ君のことがもっと好きになったよ」


 持ち前の優しい笑顔でそう言うと、愛実はゆっくりと顔を近づけてくる。

 そして、俺の唇に柔らかいものがそっと触れる。


 愛実は俺に……キスしてきたのだ。


 ふっくらとしている愛実の唇から伝わる感触や温もりがとても優しくて。愛実の甘い匂い強く感じて。あおいと同じくらいに心地いいキスだ。ただ、愛実とは初めてのキスなのもあり、体がどんどんと熱くなり、心臓の鼓動が早くなっていく。

 10秒ほどして、愛実の方から唇を離した。すぐ目の前には、愛実の恍惚とした笑顔が。


「キスっていいね。初めてしたけど、凄く幸せな気持ちになれるよ。きっと、キスした相手がリョウ君だからなんだろうね」

「そう言ってくれて嬉しいよ。いいキスだった」

「良かった。私はこれがファーストキスだけど、リョウ君ってどうかな……?」


 俺の目を見つめながら、愛実は甘い声色で問いかけてくる。好きな人のキス事情は気になるよな。しかも、昨日はあおいの家にお泊まりしたし。……ここは正直に言おう。


「……昨日、あおいとファーストキスをした。お泊まり中にも何度かキスしたよ」

「……そっか。あおいちゃんとしているかもって思っていたけど……やっぱりね」


 愛実は笑みを顔から消さなかったけど「はあっ」と小さくため息をつく。そんな愛実の反応に胸がちょっと苦しくなった。


「私もいっぱいキスするね。あおいちゃんとのキスよりもいいって思えるくらいに」


 甘い声で愛実はそう言うと、俺に再びキスしてきた。今度のキスは唇を押しつけるような形で。俺の唇を軽く咥えたりしてくるので、さっきよりも積極的なキスだ。


「んっ……」


 と、甘い声を漏らすと、愛実は俺の口の中に舌を入れ込ませてくる。俺の舌をゆっくりと絡ませてきて。そのことで、愛実の口から歯磨き粉のミントの匂いがほのかに香ってきて。あおいのような激しさはないけど、愛実らしい優しさを感じられるキスで。気持ちいい。

 やがて、愛実の方から唇を離す。

 舌を絡ませてキスするほどだから、愛実の唇は湿っていて。ベッドライトの明かりに照らされているから、とても艶やかな印象を抱かせる。愛実が俺の目を見つめながらとても幸せな笑顔を見せてくれるし、今も愛実の体を抱きしめているので、かなりドキッとする。


「キスの感覚が良くて、リョウ君と舌絡ませちゃった。舌を絡ませるのって気持ちいいね」

「……俺も気持ち良かったよ」

「……良かった」


 えへへっ、と愛実は声に出して笑う。キスしたことで愛実の可愛い笑顔が戻って良かった。


「リョウ君とキスしたから、とてもいい夢を見られそう」

「見られるといいな。……じゃあ、そろそろ寝るか」

「うん。おやすみ、リョウ君」

「おやすみ、愛実」


 寝る挨拶をすると、愛実はベッドライトを消して、俺にキスしてきた。

 愛実は目を瞑ると、さっそく可愛らしい寝息を立て始める。愛実の寝顔が可愛いのは昔と変わらないな。何度もキスした直後だし、抱きしめているから愛おしさも感じられて。

 俺も目を瞑る。

 愛実の柔らかさや温もり、甘い匂いをしっかりと感じるからドキドキして。でも、同時に心地良さも感じられて。だから、眠りに落ちるまでさほど時間はかからなかった。

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