第57話『愛実の家でお泊まり』

 正午から午後6時まで喫茶店のバイトだ。

 お昼時からのスタートなので、カウンターに立った瞬間から、絶え間なくお客様に接客していく。忙しいけど、時間があっという間に過ぎていくから特に嫌だとは思わない。今日のように、バイトが終わった後に楽しみなことが待っていると、むしろいいと思えるほどだ。

 それに、昨日はあおいとのプールデートと久しぶりのお泊まりをして、今朝は桐山家で美味しい朝食をいただいた。そのことで元気を蓄えていたのもあるし、


『バイトお疲れ様! リョウ君の好きなハンバーグの準備をして待ってるね!』


 と、休憩中には愛実からメッセージが来て。それらのおかげで、午後6時までのバイトを難なくこなせたのであった。




 午後6時過ぎ。

 シフト通りにバイトが終わり、俺は帰路に就く。6時間のバイトをした後だけど、いつもよりも疲れが少ない。あと、日もだいぶ暮れて暑さが和らいできたのもあり、体が軽く感じて。


「昨日、プールデートから帰るときも、今みたいに結構暗くなっていたな」


 あのときも、暑さが和らいでいて歩きやすかった。ちょうど一日前のことなんだよな。随分と昔のことのように感じる。あれから、あおいにお泊まりに誘われて、初めてのキスを交わして、あおいと久しぶりのお泊まりをしたからだろうか。


「今日は愛実とお泊まりか」


 愛実と2人きりのお泊まりに限れば小学生以来だ。あおいほどではないけど、久しぶりのお泊まりになる。どんなお泊まりになるのか楽しみだ。愛実も俺の好きな人だから。このお泊まりを通じて、愛実のことを考えられたらと思う。

 愛実のことを考えていたら、自然と足取りが軽くなっていて。気付けば、自宅まであと少しのところまで来ていた。

 それから程なくして、自宅、愛実の家、あおいの家が見えるように。どの家も灯りが点いているのが分かる。昨日はあおいの家に泊まって、今日は愛実の家に泊まるんだよな。あおいが調津に戻ってきてから5ヶ月近く経つけど、2日連続でそれぞれの幼馴染の家に泊まることになる日が来るとは思わなかった。

 自宅に帰り、俺は自分の部屋に、お泊まり用の荷物を纏めたトートバッグを取りに行く。バイトから帰ってすぐに愛実の家に行けるように、午前中の間に今夜のお泊まりの荷物を準備していたのだ。

 荷物を持って、リビングにいる母さんに声をかけることに。


「母さん。愛実の家に行ってくるよ」

「いってらっしゃい。まさか、2日連続でそれぞれの幼馴染の家にお泊まりしに行くなんてね」

「俺もさっきそう思った」

「ふふっ。愛実ちゃんとも楽しいお泊まりの時間を過ごしなさいね」

「ああ。行ってくる」

「いってらっしゃい」


 俺は愛実の家に向かって家を出発する。

 隣の家なので、10秒もしないうちの愛実の家の前に到着した。

 この10年間で、愛実の家には数え切れないほどにたくさん行っているけど、お泊まりしに行くのは中学以降では初めてだ。だから、インターホンのボタンを押すときはちょっと緊張した。


 ――ピンポーン。

『はいっ。あっ、リョウ君!』


 インターホンの音が鳴り終わった瞬間に、スピーカーから愛実の声が聞こえてきた。その声は普段よりも弾んでいて。


「涼我です。来たよ」

『待っていたよ。すぐに行くね』


 愛実がそう言うと、プツッとインターホンの通話が切れる音が聞こえた。

 耳を澄ますと、愛実の家の中から足音が聞こえてくる。その音が大きくなっていき、


「いらっしゃい、リョウ君!」


 愛実が元気良く出迎えてくれた。愛実はとても嬉しそうな笑顔で。膝よりも少し長めのスカートに、ノースリーブの縦ニットという服装がとても可愛くて、大人っぽくも感じてドキッとする。


「こんばんは、愛実」

「こんばんは。リョウ君、バイトお疲れ様」

「ありがとう」


 俺がお礼を言うと、愛実は俺のことを抱きしめてきた。そのことで愛実の温もりや柔らかさを感じ、甘い匂いがふんわりと香ってきて。

 家の玄関で愛実が俺を抱きしめてくるなんて。昨日はあおいの家でお泊まりしたから、俺に早く触れたかったのかな。何にせよ、抱きしめてくる愛実が可愛らしい。

 愛実の頭を優しく撫でると、愛実は俺を見上げてきてニコッと笑う。そんな愛実も可愛くて、好きだな……って思う。


「リョウ君。ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ、私がいい? って、私を選んでも、すぐにできることと言えば膝枕くらいだけど……」


 えへへっ、と愛実はデレッとした感じで笑っている。さっきから可愛いが続いているな。

 それにしても、漫画やアニメ、ラノベでの定番シーン「ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」と言われるときが来るとは。ちょっと感動した。俺が来たら言おうと決めていたのかな。


「どうする? リョウ君」

「そうだなぁ……。まずはご飯がいいかな。バイト上がりだし。夜になったら、愛実の部屋で愛実との時間をたっぷりと楽しみたいな」

「分かったよ、リョウ君!」


 愛実は満面の笑顔でそう答える。どうやら、俺の返答に満足したようだ。

 もし、一緒に住んだら、こういう問いかけをされるようになるのかな。


「すぐに食べる? それとも、お父さんが帰ってきてからにする? 定時で仕事が終わったら、あと20分くらいで帰ってくるけど」

「そのくらいの時間なら、宏明ひろあきさんから帰ってきてからでも全然大丈夫だよ」

「分かった。じゃあ、それまでは私の部屋でゆっくりしてて」

「ああ。ただ、その前に真衣さんに挨拶してもいい? お泊まりするからさ」

「いいよ。さあ、上がって」

「お邪魔します」


 俺は愛実の家の中に入る。

 愛実と一緒に、真衣さんがいるキッチンへと向かう。真衣さんは食卓でアイスコーヒーを飲みながらスマホを眺めていた。ただ、俺達に気付いたようで、スマホを食卓に置き、とても優しい笑顔を向けてくれる。


「リョウ君来たよ」

「こんばんは、真衣さん。今夜はお世話になります」

「ゆっくりしていってね。久しぶりに涼我君がうちでお泊まりしてくれて嬉しいわ。何年ぶりになるのかしら」

「中学以降では初めてですから、少なくとも4年は経っていますね」

「もうそんなに経つんだぁ。時の流れはあっという間ね」


 ふふっ、と真衣さんは楽しそうに笑う。それにつられて愛実も声に出して笑っていて。2人の笑顔は本当に似ている。真衣さんが若々しいから、母と娘ではなく、歳の離れた姉妹のように見えるよ。

 真衣さんとの挨拶が済んだので、俺は愛実と一緒に彼女の部屋に向かう。

 愛実の部屋に入ると、エアコンがかかっているため涼しくて快適だ。愛実のほのかな甘い匂いも感じられるからとても癒やされる。


「荷物は端の方に適当に置いておいてくれるかな」

「ああ、分かった」


 愛実の言う通り、部屋の端の方にトートバッグを置かせてもらう。

 クッションに戻ろうとした際、ベッドに枕が2つ置かれているのが視界に入る。いつもは1つなのに。だから、自然と顔がベッドの方に向いて。


「えっと……今夜はリョウ君と一緒にベッドで寝たくて。ダメかな?」


 頬をほんのりと赤くし、俺のことをチラチラと見ながら愛実は問いかけてくる。

 俺のことが好きだし、小学3年生くらいまではお泊まりすると一緒のベッドで寝ていた。ゴールデンウィークのお泊まりでも、あおいきっかけのハプニングだったけど、一緒のふとんで寝たし。だから、今回のお泊まりでは自分のベッドで一緒に寝たいと思ったのだろう。


「もちろんいいよ、愛実」

「ありがとう! 嬉しいな」


 言葉通りの嬉しそうな笑顔を愛実は見せてくれる。本当に可愛いな。


「ちなみに、昨日……あおいちゃんと寝るときはどうだったの?」


 笑顔のまま、愛実は問いかけてくる。昨日は恋のライバルのあおいとお泊まりしたし、どんな感じだったのか気になるよな。


「あおいのベッドで一緒に寝たよ」

「やっぱりね。ゴールデンウィークのときも、ハプニングとはいえ一緒に寝たし。今夜は私と一緒に寝ようね」

「ああ」


 一緒に寝る約束をしたからか、あおいとベッドで一緒に寝たことについては特に嫉妬している様子は見られない。

 もしかしたら、寝ることに以外にも、昨日のあおいと同じようなことをしたがるかもしれないな。

 愛実の父親の宏明さんが帰ってくるまでは、愛実も俺も最近買った漫画について語り合った。

 愛実の言う通り、20分ほどして宏明さんが帰宅した。なので、愛実は夕食作りに取りかかる。ハンバーグのタネは既にできているので、あとは焼くだけで完成だという。

 宏明さんにも挨拶をして、その後はキッチンに行き、ハンバーグを焼いて盛りつけをする愛実の姿を見守った。料理が得意なだけあって落ち着いている。また、赤いエプロン姿がとても可愛らしい。

 ハンバーグと付け合わせのコンソメ仕立ての野菜スープの匂いがキッチンに広がり、食欲がそそられる。お昼にバイトでのまかないを食べてから、口に入れたのは休憩中に飲んだアイスコーヒーくらいだから、かなりお腹が減ってきた。

 もうすぐできるから、と俺は愛実に食卓の椅子に座らせられて、


「はい、できました!」


 愛実によって、デミグラスソースがかかったハンバーグと、野菜スープが俺の目の前に置かれた。飲み物のアイスティーも出してくれたので至れり尽くせりだ。

 4人分の配膳が終わり、愛実は俺の右隣の椅子に座った。また、俺の正面には宏明さんが座り、宏明さんの隣には真衣さんが座っている。お泊まり以外でもこの食卓で香川家のみなさんと食事したことはあるけど、今日はお泊まりなので懐かしい気分になる。


「じゃあ、夕ご飯を食べようか。いただきますっ」

『いただきまーす』


 愛実の号令によって、夕食の時間が始まる。

 やっぱり、最初は俺の大好物のハンバーグを食べよう。フォークとナイフを使って一口サイズに切り分け、口の中に入れた。……すぐ隣から、愛実にじっと見つめられながら。

 ハンバーグを口に入れた瞬間、デミグラスソースの濃厚な味わいが口の中に広がる。ゆっくりと咀嚼すると、柔らかなハンバーグから旨みと甘味たっぷりの肉汁が出てきて。その肉汁がデミグラスソースと絶妙に混ざり合い、旨みが一気に膨らんだ気がした。


「……物凄く美味しい。さすがは愛実だな。最高だ」


 愛実の目を見ながら、ハンバーグの感想を言った。

 俺の感想がちゃんと届いたようで、見る見るうちに愛実の顔には笑顔の花が咲き、


「リョウ君にそう言ってもらえて嬉しいよ!」


 とても嬉しそうに言った。そんな愛実を見ていると、口の中に残っているハンバーグの味わいが広がっていくのが分かった。


「良かったわね。涼我君が泊まりに来るから、今日はいつも以上に張り切って作っていたものね。本当に美味しくできているわ」

「涼我君の言うように、さすがは愛実だね。美味しいよ。今日の仕事の疲れが吹っ飛ぶよ」

「分かります。俺もバイトの疲れが吹っ飛びました」

「ははっ、そうかい」

「お母さんとお父さんにも美味しく食べてもらえて嬉しいよ」


 愛実はとても嬉しそうに言うと、ようやく自分のハンバーグを食べ始める。一口に切り分けたハンバーグを口の中に入れると、「うんっ」と頷いて、モグモグ食べている。その姿がとても可愛らしい。

 次に野菜スープを一口食べると……コンソメベースのスープに玉ねぎ、人参、キャベツといった具材の旨みが染み出ていて美味しい。具材も程良い柔らかさに煮えているし。


「リョウ君。ハンバーグを一口食べさせてあげるよ」

「ありがとう」

「はい、あ~ん」


 俺は一口サイズに切り分けられたハンバーグを愛実に食べさせてもらう。真衣さんと宏明さんの前だけど、小さい頃からたくさんやっているからな。特に躊躇いはなかった。

 愛実に食べさせてもらったからか、さっき自分で食べたハンバーグよりも味わい深くて、美味しく感じられる。


「本当に美味しいです」

「ふふっ、良かった」

「……じゃあ、お礼に俺からも一口」

「うんっ」


 愛実の口に合うサイズにハンバーグを切り分け、愛実の口元に持っていく。


「はい、愛実。あーん」

「あ~ん」


 愛実にハンバーグを食べさせる。

 口に入れた直後から、愛実は笑顔でモグモグと食べている。自分で食べさせると、普通に食べている姿よりも可愛く思えるな。


「とっても美味しいっ」


 幸せそうな笑顔で愛実はそう言った。その姿も可愛くてキュンとなる。


「あらあら、いいわね。若い2人に見習って、私達も一口食べさせ合いましょうよ」

「……やってみようか、母さん。人前でやるのは久しぶりだから、ちょっと緊張するけど」

「ええ!」


 真衣さん、とても嬉しそう。

 その後、真衣さんと宏明さんはハンバーグを一口ずつ食べさせ合った。特に真衣さんは幸せそうにしていて。真衣さんはもちろん、宏明さんも年齢より若く見えるので、2人は若い頃はこういうことをしていたんだろうなと想像させてくれる。

 愛実の家でお泊まりするのが久しぶりなのもあり、これまでここで泊まったときの思い出話や、麻丘家と一緒に行った家族旅行などで話が盛り上がり、楽しい夕食の時間になった。

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