第38話『コアマ』
午前7時半頃。
超満員状態のまま、俺達の乗る電車は定刻通りにコアマの会場の最寄り駅・国際展示ホール駅に到着した。
コアマ目当てと思われる乗客はかなり多く、俺達のいる方とは反対側の扉が開くと続々と降車していく。超満員による密着と圧迫からの解放感を実感しつつ、俺達も降車した。降りたときにあおいが、
「今までで最高の満員電車でした」
と、俺に耳打ちしてきた。あおいがいいと思える時間を過ごさせられたと思うと嬉しい気持ちになった。
膨大な数のお客さんがいるので、俺達はホームをゆっくりとした歩みで進み、エスカレーターを上がって駅構内へと向かう。
また、エスカレーターを上がっているとき、
「うわあっ、ポスターがいっぱいですっ! さすがはコアマ!」
壁に漫画やアニメやラノベ、ソシャゲのポスターが大量に貼られていたので、あおいはかなり興奮していた。好きな作品のポスターをスマホで撮影もしていて。オリティアのときは駅にポスターが全然貼っていなかったからなぁ。これはコアマならではの光景だろう。
佐藤先生の指示で、俺達はお手洗いを済ませてから俺達は駅から出た。
「国際展示ホールに来るのは2度目ですが、あの逆三角形を見ると興奮しますね!」
国際展示ホールを見ながら、あおいは弾んだ声でそう言う。あおいを見ていると微笑ましい気持ちになるな。愛実と海老名さん、佐藤先生は微笑みながらあおいを見ている。
「私も興奮してきたよ。今日もいっぱい同人誌を買うぞってね」
「樹理先生らしいですね。国際展示ホールに来るのは去年の年末のコアマ以来だから、あの逆三角形の建物を見ると、コアマに来たって感じがするわ」
「私も来るのはオリティアやコアマくらいだから、同人イベントに来たって感じがするよ」
「俺もだよ、愛実」
「ふふっ。さあ、待機列に並ぶよ」
俺達はコアマのスタッフさん達の案内や指示に従い、入場待機列の最後尾に向かって歩いていく。調津にいたときよりも暑くなってきている。
程なくして、俺達は入場待機列の最後尾に辿り着く。正面に国際展示ホールが見えているけど、オリティアでの待機列を並んだときよりも遠く感じる。それだけ、オリティアよりも多くの人がいるってことか。あのときよりも開始時刻まで時間があるのに。
「オリティアのときよりも、会場から遠い場所で立ち止まった気がします」
「あおいも同じことを思ったか」
「コアマは世界最大級の同人誌即売会だからね。オリティアはオリジナル作品だけだけど、コアマでは二次創作を含めてオールジャンルOKだからね。規模はかなり大きい。だから、オリティアよりもかなり多くの人が来るんだよ」
「そうですか。オリティアに来たときも、樹理先生はそう話していましたね。こういうところでも、さすがはコアマって感じがします!」
「ふふっ。開始まで2時間以上あるのに、あおいはもうコアマを楽しんでいるのね」
「初参加ですからね! もう既に楽しいです!」
「あおいちゃんらしいね」
優しい笑顔で愛実が言った言葉に、俺と海老名さん、佐藤先生は「そうだね」と頷いた。
今は午前7時50分。コアマの開始は午前10時なので、あと2時間ほどある。
開始時刻までは、アニメや漫画やラノベのことを話したり、携帯音楽プレイヤーに入っているアニソンを、あおいや愛実とイヤホンをシェアして一緒に聴いたりするなどしながら時間を潰していった。それが楽しくて、時間の進みは早い。
また、開始時刻が近くなると、佐藤先生が代理購入してほしい同人誌や待ち合わせ場所を確認したり、先生からリストバンド型の緑色の入場証を受け取って腕に身につけたりした。こうすると、コアマの開幕まであと少しなのだと実感する。
そして、
『午前10時となりました! ただいまより、コアマ2日目を開幕いたします!』
コアマ2日目開幕のアナウンスがなされた。それもあり、待機列にいる多くの人が拍手している。俺達も周りに合わせて拍手した。あおいと佐藤先生がかなり元気良く拍手しているのが印象的だった。
開幕アナウンスがあってから少しして、俺達は会場に向かって歩き始める。暑い中で2時間以上も同じ場所にいたので、歩き始めたときには胸に来るものがあった。
コアマ運営による順路案内や、拡声器を持っているスタッフさんのアナウンスに従って俺達は入口に向かって歩いていく。
待機している人の数が膨大であることや、歩みがゆっくりであることから、会場に入ることができたのは開始時刻から15分ほど経ってからだった。
オリティアのときとは違って、コアマは国際展示ホール全体が会場として使われている。ただ、佐藤先生の買ってほしい同人誌を頒布しているサークルは東展示棟に配置されているサークルだけ。なので、俺達は東展示棟の方へ向かう。
東展示棟に向かう人はたくさんいるので、そこまではゆっくりとした歩みで歩いていった。
「到着ですね!」
東館のエントランスに辿り着いた。第1ホールから第6ホールまでの入口が見えており、これらは全てサークルスペースに繋がっている。
「じゃあ、ここで一旦お別れだね。みんな、同人誌の代理購入をお願いします」
真面目な様子でそう言うと、佐藤先生は俺達に向かって頭を下げた。
「分かりました! 一緒に頑張りましょうね、理沙ちゃん!」
「そうね、あおい」
「私達も頑張ろうね、リョウ君」
「ああ。一冊でも多く代理購入できるように頑張ろう」
今日は晴れて暑いので、熱中症に気をつけながら頑張りたい。
よろしくね、と佐藤先生は言って、拳にした右手を俺達の前に突き出してくる。代理購入をする前はグータッチをするのが恒例だ。
俺、あおい、愛実、海老名さんは佐藤先生とグータッチして、俺達はそれぞれ別行動を始める。みんな、目的の同人誌を一冊でも多く買えますように。
「リョウ君、私達も行こうか」
「ああ。まずは『ばらのはなたば』だったな」
「うん。サークル配置番号は『し-10』。第6ホールの入口から行くと近いみたい」
「そうか。じゃあ、第6ホールから中に入るか」
「うんっ」
愛実はそう返事すると、嬉しそうな様子で俺の左手を掴んでくる。オリティアでは俺とは別行動だったし、今回もあおいとジャンケンして俺と一緒に行動をするのを掴み取った。だから、この状況が嬉しいのかもしれない。
愛実と一緒に、東6ホールの入口から会場の中に入る。
開始してから20分ほどだけど、会場の中はとても多くの人で賑わっている。オリティアのときよりも人が多い。喧騒というのはこういう状況のことを言うのだろう。
壁側に配置された人気サークル……いわゆる壁サークルはもちろんのこと、それ以外のサークルでも同人誌やグッズのやり取りが行なわれている。毎度のこと、こういう光景を見ると同人イベントに来たって感じがするな。
あと、オリティアとは違って、漫画やアニメなどのキャラにコスプレして売り子をしている人もいる。コスプレしている人がいるとコアマって感じがするな。
「今回もコアマは盛況だね」
「そうだな。さすがはオールジャンルイベントだけある」
「そうだね。あと、2人きりだし、手を繋いでいるからデートしているみたいだね」
「確かに。ただ、先生の代理購入が目的だけど、2人きりの間はデートってことでいいんじゃないか?」
「そうだね!」
えへへっ、と愛実は楽しそうに笑う。愛実の明るい笑顔が本当に可愛くて。屋内だけど、体がどんどん熱くなっていくのが分かった。
事前に佐藤先生から受け取っていたサークル配置図を頼りに、『ばらのはなたば』のサークルスペースへ向かっていく。ちなみに、このサークルも壁サークルと呼ばれる人気サークルだ。
「あそこだね」
愛実はそう言って、ある方向を指さす。そちらを見てみると、壁に美麗な男性2人が描かれたポスターが貼られている。また、そのポスターには『し-10 ばらのはなたば』と記載されている。あそこが『ばらのはなたば』のサークルなのだろう。サークルスペースの前には女性中心に多くの人が並んでいる。
「サークルスペース前の列だけ……じゃなさそうだよな」
「きっとね。オリティアのときは屋外に長い列ができていて。そこに並んだよ」
「そっか」
「サークル・ばらのはなたばの列は屋外になりまーす!」
近くにいる赤いTシャツを着た女性がそうアナウンスする。女性が着ているTシャツはサークルスペースにいる人が着ているTシャツと同じなので、サークルのスタッフなのだろう。
「愛実の言う通りだったな。まあ、壁サークルという時点で、外に列があるだろうって覚悟はしていたさ」
「ふふっ。一緒に並ぼうね」
「ああ」
サークルスペースの近くにある扉から外に出る。会場前で待っているときよりもさらに暑くなっているな。
周りを見てみると……結構遠いところに『し-10 ばらのはなたば 最後尾』と描かれたプラカードを見つけた。かなり人が並んでいるのだと実感する。
列の横を歩きながら、俺達は列の最後尾へ向かう。見たところ、女性の比率がかなり多いな。男性も少なからずいるけど、俺のように女性と一緒なのがほとんどだ。
「並ぶので持ちますよ」
「お願いしまーす」
最後尾に並んでいた金髪の女性からプラカードを受け取り、俺達は『ばらのはなたば』の待機列の最後尾に並ぶ。2列に並ぶ形なので、愛実と隣同士に。
「女性が多いな。女性に人気のサークルか」
「主にボーイズラブの同人誌を出すサークルだからね」
「そうなのか。そういえば、サークルスペースにも綺麗な風貌の男性2人が描かれたポスターが貼られていたな」
「そうだったね」
「……確か、ここではオリジナル本と漫画の二次創作の新刊セットを買ってほしいんだったか」
「うん。新刊セットを買うと限定手提げと会場限定のコピー本が特典で付くからだって。私の分も買うつもり」
「そうか。……凄く長い列だけど買えるといいな」
「そうだね」
オリティアであおいと並んだときの列よりも長そうだ。佐藤先生の分も愛実の分も買えるといいな。
それから2、3分ほどで、黒髪の女性が並びに来たので俺はその女性に最後尾を示すプラカードを渡した。そこからは愛実と再び手を繋ぎ始める。
愛実とはこのサークルで出される二次創作同人誌の元ネタ漫画のことや、最近観ているアニメの話をして待機列での時間を過ごしていく。その中で、列は少しずつ前に進んでいく。ただ、俺達の番になるのはおろか、建物に入ることすらまだまだ先のことだけど。
日差しが照り付けているので結構暑い。ただ、持参したスポーツドリンクをこまめに飲んだり、塩飴を舐めたり、扇子を扇いだりしているので特に辛さは感じない。
愛実もスポーツドリンクを飲んだり、パーカーのフードを被ったりしているので、頬はほのかに赤いけど元気そうに見える。
「愛実、暑いけど体調は大丈夫か?」
「大丈夫だよ。水分補給したり、フードを被ったりしているからね。それに、海水浴に遊びに行ったり、日陰だけどコンサートの物販バイトを3日間したりしたから暑さに慣れているし」
「それなら良かった。俺も愛実の物販バイトの様子を見に行ったとき、あおいと一緒に2時間くらい並んだからな。あれで暑さには慣れた」
「そっか。あとは、今ほどの暑さじゃないけど、会場前で2時間以上待ったもんね」
そういったことで暑さに慣れていなかったら、辛くなり始めていたかもしれないな。
「あとは……リョウ君と一緒だからね。リョウ君と話していると楽しいから、暑い中並んでも全然平気だよ」
愛実はそう言うと、俺の目を見ながら優しい笑顔を向けてくれる。そのことにキュンとなり、並ぶことの疲れが取れていく気がした。体はより熱くなったけど。
「俺も愛実と一緒なのが、暑くても平気な一番の理由だよ」
「……そう言ってくれて嬉しいです」
愛実の笑顔が嬉しそうなものに変わって。愛実は俺の左腕を優しく抱きしめてきた。そのことで、左腕は愛実の温もりに包まれるけど、その温もりが嫌だとは思わない。むしろ、心地良く感じられるほどだった。
それからも、愛実と漫画やアニメなどのことで談笑したり、イヤホンをシェアして俺の音楽プレイヤーに入っている曲を聴いたりして待機列での時間を過ごす。その中で、
「ただいま、新刊はお一人2冊まで、新刊セットは2セットまでとなっております! ご了承ください!」
と、サークルスタッフさんからアナウンスされる。人気だからか、購入制限がかかったか。ただ、新刊セットは一人2セットまでだし、今後1セットのみになったとしても俺もいるから2セット買える。だからか、愛実は特に不安そうな様子は見られない。
1時間以上並んで、俺達はようやく建物の中に入るところまで来た。それと同時にサークルスペースも見えて。
「だいぶ来た感じがするね」
「そうだな。あれからさらに購入制限はかかっていないし、このまま俺達の番になりたいな」
「そうだね」
1セットのみになるならまだしも、完売アナウンスがされないことを祈る。
サークルスペースも見えるので、時折そちらを見ながら引き続き待機列での時間を過ごしていく。暑さ的には楽だけど、完売アナウンスが来ないかどうか不安で、外にいるときよりもちょっとしんどい。
ただ、俺の不安は杞憂に終わりそうだ。完売のアナウンスがされないまま、ついに俺達の番がやってきた。
「新刊セットを2つ買いたいのですが、大丈夫ですか?」
愛実がサークルの接客担当の女性にそう問いかける。アナウンスされていないだけで、1セットまでしか買えないパターンがあるかもしれないもんな。
接客担当の女性は笑顔で、
「大丈夫ですよ。新刊セットをお2つですね」
と言ってくれた。愛実は嬉しそうに「はいっ!」と返事した。先生の分も愛実の分も無事に買えて俺も嬉しいよ。
愛実は接客担当の女性から、限定の手提げを2つ受け取る。その姿を見た瞬間、これまで並んだ労力が報われた気がした。
他の人の邪魔にならないように、俺達はサークルスペースから少し離れたところまで移動する。
「やった! 買えたよ!」
「良かったな、愛実。先生の分も買えて嬉しいよ」
「そうだね。購入制限はかかったけど、2セットまでだし、リョウ君も一緒にいるおかげで特に不安もなく並べたよ。リョウ君、ありがとう!」
「いえいえ。愛実の役に立てて良かった」
きっと、愛実1人だったら「1人1セットになったらどうしよう」と不安に思っていたことだろう。俺がいたことで不安なく過ごせたようで良かったし、嬉しい。手提げの中身を見てニコニコしている愛実の笑顔を見ると、その気持ちはさらに膨らんでいく。愛おしくも思えて。
俺はスラックスのポケットからスマホを取り出して、LIMEのグループトークに『ばらのはなたば』の新刊セットが買えたと報告メッセージを送る。すると、30秒ほどで、
『おぉ、ありがとう!』
と、佐藤先生から感謝のメッセージが送られてきた。
「よし。次のサークルに行くか」
「そうだね」
「次は……『お気にメス』か。サークル配置番号は『れ-26』だな」
「『れ-26』だね。行こうか、リョウ君」
「ああ」
俺達は手を繋いで『お気にメス』のサークルスペースに向かって歩き出す。
その中で、あおいと海老名さんから、『赤色くらぶ』という人気サークルの新刊を買えたとメッセージが。向こうもいい滑り出しのようだ。このサークルはあおい目当てのサークルでもあるので、本当に良かったという思いも。
それからも、佐藤先生の代理購入のために、愛実と一緒に会場内を廻っていくのであった。
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