第17話『彼氏のフリをした。』

「んっ……」


 女性達の楽しげな声や笑い声が聞こえる中、俺はゆっくりと目を覚ました。

 最初に視界に入ってきたのは、楽しそうに笑っているあおいの姿。誰かと話が盛り上がっているのだろうか。

 俺が目を覚ましたのに気付いたのだろうか。あおいは顔をこちらに向け、俺と目が合うとニコッと笑った。そのことで心が温かくなっていって。それもあり、物凄くいい目覚めになった。


「おはようございます、涼我君」

「おはよう、あおい。どのくらい寝てた?」

「30分くらいですね。いつもより小さな声でお喋りしていましたが……起こしてしまいましたか?」

「ううん、そんなことないよ。自然に目が覚めたし。ぐっすり眠れた」

「それなら良かったです」


 安堵の笑みを浮かべるあおい。

 ゆっくりと体を起こすと……いい目覚めをしたのもあって、体もスッキリしている。これなら午後も遊べそうだ。

 レジャーシートの中を見ると……ここにいるのは、俺の他にはあおいと海老名さんと佐藤先生だけか。あと、鈴木は昼寝から起きたんだな。


「今は俺を含めて4人ですか。愛実達はどこか遊びに行ったり、海の家へ行ったり?」

「美里ちゃんと鈴木君と道本君は海に行きました。10分ほど前に鈴木君が起きて。道本君と泳ぎの勝負をすると。ゴール判定員として美里ちゃんも一緒に海へ」

「そうだったのか」


 起きてすぐに道本と泳ぎの勝負をしたいとは。まあ、体を動かすのが大好きな鈴木だけのことはある。


「愛実はついさっきお手洗いに向かったわ。まだ見えるかしら」


 そう言って、海老名さんは海水浴場の端にあるお手洗いの方を指さす。その方向を見てみると……女性用のお手洗いに入っていく愛実の後ろ姿が見えた。


「入っていったな」

「そうね。それで、あたし達は海に来た思い出とかの話をしていたの」

「そうだったんだ。……鈴木のときにみたいに、俺が寝ている間に何かした?」

「涼我君を膝枕している姿を理沙ちゃんにスマホで撮ってもらいました」

「それをあおいと愛実と樹理先生に送ったわ。麻丘君にも送っておこうか?」

「ああ、頼むよ」

「了解」


 そう言い、海老名さんはバッグから自分のスマホを取り出した。送ってくれる写真は後で確認しておくか。


「あと、私は涼我君の寝顔を見るのを楽しんだよ。君の寝顔は今まで見たことがなかったからね。あと、たくましい体もね」


 うふふっ、と佐藤先生はにんまりと笑っている。この人、筋肉とか好きだもんなぁ。あと、先生の前で寝たことはこれまで一度もなかったか。


「あおい。俺が寝ている間に先生が変なことをしなかった?」

「いえ、特には。寝顔が可愛いと見入ったり、お腹をちょっと触ったりしていたくらいですね。愛実ちゃんや理沙ちゃんも触っていました」

「そうだったんだ」


 佐藤先生だけじゃなくて、みんなで俺のお腹を触っていたのか。ぐっすり眠っていたから全然気付かなかったな。あと、俺のお腹を触ったから先生はにんまりしているのか。


「涼我君の寝姿良かったよ。あと、お腹は固かった。ジョギングの成果だろうね」

「再開して3ヶ月ほど経ちますからね。再開直後と比べて、体力だけでなく筋肉も付いてきたみたいです」


 今回の海水浴は、一緒に行く人達のおかげで、ジョギングの成果が色々と分かるイベントになっている。夏休み中は無理のない範囲でランニングの頻度を上げて、体力と筋肉をもっと付けていきたい。


「麻丘君、写真送っておいたわ」

「ありがとう。……ところで、愛実……帰ってくるの遅くないか?」

「確かにそうですね。さっき、お手洗いに入っていく姿を見ましたけど……中で何人も並んでいるのでしょうか」

「人の多い場所に行くと、お手洗いで待つこともあるわよね……あっ。あれ……」


 海老名さんは少し目を見開きながらそう言い、レジャーシートの外の方を指さす。その方向を見てみると……お手洗いの近くで立っている愛実の姿が。何か困っているのか苦笑いしている。また、愛実の手前には、黒髪の男と茶髪の男の後ろ姿が見える。

 佐藤先生は自分のバッグから取り出したメガネを掛けて、あおいが指さす方を見る。


「愛実ちゃんがいるね。あの様子からして……ナンパだろうね」

「ええ、俺もそう思います」

「愛実ちゃん、とても可愛いですもんね。胸もかなり大きいですし……」

「前にも海やプールでナンパされたことがあるわ」

「そうだったんですか。春休みのお花見でも私と一緒にナンパされましたね」

「そうだったな。俺が行ってくる。男の俺が行くのが一番いいだろう」


 お花見のときを含め、愛実をナンパから助けたことは何度もあるし。


「頼むわ、麻丘君」

「愛実ちゃんを連れて帰ってきてください!」

「何かありそうな感じだったら、海水浴場のスタッフと一緒に君達のところへ行くよ」

「分かりました」


 俺はビーチサンダルを履いて、早足で愛実のところへ向かう。

 愛実が男達にナンパされるところはこれまでにも何度か見たことがある。ただ、これまでと比べて、胸に抱くモヤッとした気持ちが強くて。体目的かもしれないと思うと怒りも沸いてきて。

 ただ、今は何事もなくナンパを追い払い、愛実と一緒にレジャーシートへ戻ることが目的だ。冷静かつ毅然とした対応を取らないと。


「愛実」


 早歩きで近づきながら、大きめの声で愛実の名前を呼ぶ。

 俺の声に気付いたようで、愛実はそれまで顔に浮かべていた苦笑いが、ぱあっと明るい笑みへと変わっていく。

 俺の呼ぶ声や愛実の表情の変化もあってか、愛実の手前にいる男2人がこちらを向いてくる。耳にピアス付けていたり、両腕にいくつもブレスレットを嵌めていたりといかにもチャラそうな男達である。


「お手洗いから戻ってくるのが遅いから心配したんだよ。それでこっちまで来てみたんだ」


 そう言って、俺は愛実のすぐ側に立つ。

 愛実は嬉しそうな笑顔で俺のことを見つめてくる。


「ありがとう、リョウ君。レジャーシートに戻ろうとしたら、ここでその2人に遊ばないかって声をかけられて。一緒に遊びに来ている人がいるし、その中には男の人もいるって言ったんだけどしつこくて」

「そうだったのか」


 男と一緒に来ていると話してもしつこく絡んできたのか。断るための嘘だと思っていたのだろうか。それとも、愛実の話を信じたとしても、愛実を捕まえたかったか。愛実は魅力的な見た目の持ち主だからな。

 俺はナンパしてきた男達のことを見る。男の俺が登場したからか、2人とも機嫌悪そうだ。特に黒髪の方は。


「この子、俺の彼女なんで。これ以上彼女に絡まないでくれますか」


 そう言って、愛実の彼氏のように見せるために、俺は左手で愛実のことを抱き寄せた。その際、愛実の大きな胸が俺の体にしっかり触れて。そのことにドキドキするけど、カップル感を出すためにもこのままでいよう。

 愛実をチラッと見ると……予想外だったのか目を見開いていた。ただ、それも一瞬のことで、すぐに笑顔になり、俺に近づき、俺の胸に頭が触れる。触れた部分から伝わる熱は結構強い。


「マジで男連れだったのか。しかも彼氏……」


 と、茶髪の男の方はがっかりとした様子に。どうやら、この男は俺の言動を信じてくれたようだ。「彼氏」効果は絶大みたいだな。


「彼氏と来ているなら、そう言えばいいと思うんだけどな」


 黒髪の男は機嫌悪そうにそう言う。まあ、ナンパを撃退する一番いい断り文句は恋人と一緒に来ていると言うことだからな。愛実はそう言わなかったみたいだし……もしかして、俺の嘘がバレてしまったか?


「この女から彼氏って言葉は出なかったが……金髪が来てからの表情を見る限り、この金髪と親しそうなのは確かっぽいな」


 チッ、と黒髪の男は舌打ちした。


「あーあ、せっかく可愛くて胸が凄くデカい女を見つけたのに。本当に男連れかよ」

「それが分かったのなら、二度と彼女には絡まないでください」

「分かった分かった。……おい、行くぞ」

「あ、ああ」


 黒髪の男は俺のことを睨んで再び舌打ちすると、茶髪の男と一緒に海の家が並ぶ海水浴場の中心部に向かって歩いていった。こちらに振り返って、俺達の様子を見るかもしれないので、少しの間は愛実のことを抱き寄せていよう。


「……何とかなったみたいだな」

「うん。リョウ君、今回も助けてくれてありがとう」


 そうお礼を言うと、愛実は俺のことを見上げて嬉しそうな笑顔を浮かべる。そのことにキュンとなって、体が熱くなってくる。今も体を抱き寄せているし、俺の体の熱が伝わっていそうだ。


「あの男の人達に声をかけられたとき……凄く不安で。お手洗いに行くときはリョウ君寝ていたから」

「そうか。愛実がお手洗いに行った直後に起きてさ。ナンパされている愛実を海老名さんが見つけて。それで、ここにやってきたんだ」

「そうだったんだ。私の名前を呼ぶリョウ君の声が聞こえたとき、凄く安心できて。私のことを彼女だって言って抱き寄せたときはドキッとしたけど、彼女感を出すために胸に頭を寄せたの」

「そっか。愛実のその演技もあって、すぐに立ち去ってくれたのかもな」


 もし、愛実がぎこちなかったり、凄く恥ずかしそうにしたりしていたら、男達がどんな反応をしていただろうか。彼らがどういう行動を取っても、俺が愛実を守ることには変わりないけど。


「そうだといいな。でも、一番はリョウ君が来てくれたことだと思ってるよ。堂々としていてかっこよかったよ! ありがとう!」

「いえいえ」


 愛実はいつもの可愛らしい笑顔を見せてくれる。さっき、ナンパに絡まれて苦笑いする愛実を見ていたからとても嬉しい。かっこいいって言ってくれたことも嬉しくて。愛実のために行動できて良かったと心の底から思う。


「じゃあ、レジャーシートに戻るか」

「そうだね」


 俺が愛実の体から右手を離すと、愛実は俺の左腕をぎゅっと抱きしめてきた。


「ま、愛実?」

「……あの男の人達がどこから見ているか分からないし。レジャーシートに戻るまではカップルのフリ……しよう?」


 ね? と、可愛らしい声で言い、愛実は俺の左腕を抱きしめる力を強くする。俺の左腕は素肌だし、愛実は水着姿だから……愛実の豊満すぎる胸の柔らかさをダイレクトに感じられる。それに加えて、左腕が愛実の優しい温もりに包まれて。抱き寄せたときよりもドキドキが強い。


「わ、分かった。この体勢で一緒に帰ろう」

「うんっ」


 愛実はとても嬉しそうに返事した。

 俺は愛実と一緒にレジャーシートに向かって歩き始める。

 愛実が腕を抱きしめている効果がさっそく出ているのか、男性中心に羨望の眼差しを向けられることが。愛実は魅力的な笑顔と容姿の持ち主だからなぁ。眼差しを向ける人達の中には、俺がいなければナンパしたのにと考える人がいるかもしれない。


「今までにナンパから助けられたときのことを思い出すよ。特に春休みのお花見のとき」

「俺も春休みのときのことを中心に思い出した」

「そうだったんだ」

「……愛実。今後、ナンパされたときには、彼氏と来ているって嘘ついていいからな。さっきみたいに俺が彼氏のフリをするからさ。ナンパを諦めさせるにはそれが一番手っ取り早いからさ」

「……うん。そうする」


 愛実は穏やかな笑顔になり、静かな口調でそう言った。

 レジャーシートが近くなると、あおいと海老名さんと佐藤先生が笑顔でこちらに手を振っているのが見えた。愛実を無事に連れて帰ってきてほっとしているのだろう。俺と愛実は3人に向かって小さく手を振った。

 愛実に腕を抱きしめられた状態のまま、俺達はレジャーシートに戻った。


「ただいま。愛実を連れて帰ってきました」

「みんな、ただいま」

「おかえり、愛実! 麻丘君もよくやったわ」

「2人ともおかえりなさい! 無事に帰ってこられて安心しました」

「愛実ちゃんも涼我君も何事もなくて良かったよ。涼我君が愛実ちゃんを抱き寄せる瞬間はとてもかっこよかったね」


 あおいも海老名さんも佐藤先生も笑顔で迎えてくれた。ナンパされている愛実を見つけられたんだから、俺が愛実を抱き寄せるシーンも見えているか。

 愛実が俺の左腕を離し、レジャーシートの中に入った。みんなもいるからか、愛実は中に入ると安心しきった様子に。


「愛実ちゃんを抱き寄せたってことは、愛実ちゃんの恋人のフリをしたってことですか?」

「そうだよ。そうするのがナンパを一番諦めさせやすいかなと思って」

「麻丘君の言う通りね」

「私もリョウ君の演技がおかしくないように、恋人らしく振る舞ったの。それですぐに立ち去ってくれたんだ」

「そうなのですか。……フリとはいえ、涼我君と恋人らしい振る舞いをした愛実ちゃんが羨ましいです! 戻ってくるとき、凄く仲睦まじい雰囲気でしたし」


 あおいは愛実に向かって羨望の眼差しを向ける。そのことに愛実は嬉しそうにしていた。

 知らない人が腕を組んでいる水着姿の男女を見たら、大抵はカップルか夫婦だって思うだろうし。俺を好きなあおいが愛実を羨ましがるのは当然と言えるかも。


「私も涼我君の彼女っぽい気分をちょっとでも味わいたいですっ! 涼我君、隣に座ってください!」

「あ、ああ」


 あおいの言う通りに、彼女の隣に座ると……あおいは俺の右腕をぎゅっと抱きしめてきた。愛実と同じことをしたかったのね。

 車の中でも、あおいに腕を抱きしめられるときはあった。ただ、今は水着姿だから、そのときと比べてあおいの柔らかさがよく分かる。愛実ほどの柔らかさではないけど、ドキドキしてきて。嬉しそうなあおいを見るとドキドキが増して。

 その後少しの間、海やプールで遊んだ思い出などを5人で談笑する。その間、あおいは俺の腕を離すことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る