第18話『佐藤先生からの相談』
午後1時半頃。
お昼ご飯のために一旦、自分の家に帰っていた愛実とあおいは、課題や勉強道具を持って再び俺の家にやってきた。
3人集まっているのもあり、愛実とあおいが難しく思っている数学Bから課題をやり始める。俺にとってはあまり難しくないけど、量が結構多い。今日からゴールデンウィークが始まるから多めに出したのだろうか?
明日は一日バイトがあり、明後日はオリティアに行くから、今日のうちに課題を全部片付けてしまおう。
「涼我君。質問していいですか? 分からないところがありまして」
「あおいちゃんの後に私もいいかな」
「ああ、いいよ」
たまに、あおいと愛実に分からないところを教えながら。ただ、以前に解き方のコツを教えたのもあってか、短い解説で理解してくれるようになった。
3人で一緒に数学Bの課題を進めていると、
――ピンポーン。
インターホンの音が鳴り響く。今の時刻は……午後2時過ぎか。この時間からして、家に来たのは佐藤先生の可能性が高いだろう。
クッションから立ち上がり、俺は扉の近くにあるモニターの前まで行く。応答のボタンを押すと、画面に佐藤先生の顔が映った。
「はい」
『佐藤です』
「お待ちしていました。すぐに行きますね」
『うん』
「……佐藤先生が来た。行ってくる」
「分かりました」
「いってらっしゃい」
俺は自分の部屋を出て、玄関へ向かう。
玄関の扉を開けると、そこにはデニムパンツに長袖のブラウス姿の佐藤先生が立っていた。俺と目が合うと、先生の口角が上がる。
「こんにちは、佐藤先生」
「こんにちは、涼我君。急にすまないね」
「いえいえ、気にしないでください。俺達もオリティアに参加しますから」
「そう言ってくれて有り難いよ」
「さあ、入ってください」
「うん。お邪魔します」
俺は佐藤先生を家に招き入れる。まさか、ゴールデンウィーク初日に担任教師が自宅に来るとは。予想しなかったなぁ。
リビングでゆっくりしている俺の両親に、佐藤先生は挨拶した。新年度になってから初めて会うので「今年も担任としてよろしくお願いします」と。
父さんは穏やかに、母さんはとても嬉しそうに「今年も息子をよろしくお願いします」と佐藤先生に挨拶した。母さん、先生のファンのような感じだからなぁ。
両親との挨拶が終わって、俺は佐藤先生をあおいと愛実が待っている自分の部屋へ連れて行く。
「2人ともお待たせ」
「こんにちは、愛実ちゃん、あおいちゃん」
「こんにちは、樹理先生!」
「樹理先生、こんにちは」
あおいと愛実は笑顔で挨拶すると、佐藤先生に向かって軽く頭を下げた。
「おっ、課題をしていたんだね。感心感心」
「今は数学Bをやっているところです。先生、テレビの近くにあるクッションに座ってください。荷物は適当なところにでも。俺、先生の分のアイスコーヒーを淹れてきます」
「お構いなく」
俺は1階のキッチンに向かう。
佐藤先生が愛飲するサリーズのアイスコーヒーは苦味がしっかりしている。だから、愛実やあおいのものよりも濃く作るか。そう考えながら、来客用のマグカップにアイスコーヒーを淹れた。
自分の部屋に戻ると、3人は談笑していた。女性が3人もいるから、いつもと違って甘い匂いを感じる。
「佐藤先生。お待たせしました。アイスコーヒーを作ってきました」
「ありがとう、涼我君」
佐藤先生にアイスコーヒーの入ったマグカップを渡して、さっきまで座っていた窓側のクッションに腰を下ろす。
佐藤先生はさっそく俺の作ったアイスコーヒーを飲む。
「……おっ、このコーヒー……苦味が強くて美味しいね」
「ありがとうございます。サリーズのコーヒーは苦味がしっかりしていますからね。先生はよく飲んでいるので濃く作ってみたんです」
「なるほど。嬉しいね」
ふふっ、と佐藤先生は俺の目を見つめながら嬉しそうな笑顔を見せてくれる。そんな先生の頬はほんのりと赤くなっていて。だから、綺麗だけじゃなくて可愛らしさも感じられた。
自分の淹れたコーヒーだからかな。お店のコーヒーを美味しいと言ってくれたとき以上に嬉しい気持ちになる。
「樹理先生。さっそく本題に入りましょうか。オリティアについて、私達に相談したいことがあるんですよね」
愛実はいつもの穏やかな口調で佐藤先生にそう言う。
そうだよ、と佐藤先生は返事すると、アイスコーヒーをもう一口。それでスイッチが切り替わったのか、先生の表情が真剣なものに変わる。そんな先生からは凜々しさを感じられる。
さて。佐藤先生はオリティア絡みでどんなことを俺達に相談したいのか。
「私も明後日開催されるオリティアに一般参加する予定なんだ。ただ、サークルチェックをしていったら……会場限定の特典を付けて新刊同人誌を頒布するサークルがいっぱいあるんだ。一人じゃ全ては廻りきれないと思う。なので、もし当日の予定に余裕があれば、いくつかの同人誌を代理購入していただけないでしょうか」
お願いします、と佐藤先生は深めに頭を下げる。
やっぱり、佐藤先生の相談は同人誌の代理購入をお願いしたいことだったか。真剣な表情になるから、いったい何を相談したいのかと思ったけど。想像通りのことで安心した。
「私もいくつか買いに行きたいサークルがありますからね。ただ、そのサークルの中に先生の代理購入してほしいサークルがあれば、一緒に購入していいですよ」
あおいはいつもの明るい笑みを浮かべながらそう言った。
あおいも佐藤先生も持っている同人誌はいくつもある。だから、あおいが行きたいと思っているサークルの中に、先生が代理購入してほしいと思っているサークルがある可能性はありそう。
「もちろんそれでもかまわないよ。ただ、自分の優先したいサークルがあったら、そっちを優先していいから」
「分かりました。涼我君と愛実ちゃんはどうですか?」
「特に目当てのサークルがないから、ぞういう意味では代理購入はしていいけど……代理購入するとなると、あおいちゃんとはたぶん別行動になっちゃうよ?」
「愛実の言う通りだな。きっと、先生は何冊も買ってほしいだろうし」
3人一緒に廻ったら、あおいの買いたい同人誌は購入できても、佐藤先生が代理購入してほしい同人誌はあまり購入できない可能性は高いだろう。
佐藤先生は口元に右手を当てて何やら考えている様子。今の俺達の話を聞いて、何か思うところがあるのだろうか。
「あおいちゃんは調津に引っ越してきてから初めての同人イベントかい?」
「はい、そうです。あと、涼我君と愛実ちゃんとまだ一緒に参加したことがないので、明後日のオリティアに一緒に参加しないかと誘ったんです」
「そうだったんだ。それなら、あおいちゃんのチェックしているサークルの中に、代理購入してほしいサークルがあったら、一緒に買ってもらうだけでかまわないさ。涼我君の言うように、何冊も代理購入ほしいサークルがあるし。3人で一緒に廻ってほしいから」
優しい笑みを浮かべながら、佐藤先生はそう言ってくれる。
「佐藤先生のお気持ちは嬉しいです。3人一緒に廻るのも楽しそうだと思っています。でも、場合によっては、一緒に会場まで行って、会場の中では別行動という形でも全然かまわないですよ?」
平然とした様子でそう言うあおい。そんなあおいに、俺と愛実と佐藤先生は「えっ?」と声を漏らしてしまう。
「今まで、友達と一緒に同人イベントに参加したことは何度もあります。ただ、買いたいサークルが別々なら、会場に着いたらその場で別れて、一通り廻り終わったら合流することは普通にありました。むしろ、そういうイベントが多かったです。ですから、もし涼我君や愛実ちゃんが私とは違うサークルをチェックしていたら、会場に着いたら別行動しようと思っていたんです。そうすれば、それぞれの買いたい物が買える確率が上がりますし。それで、合流した後にご飯を食べたり、会場内をぶらぶらしたりできればいいなと」
あおいはいつも通りの明るい笑顔で言う。この様子からして、俺達に気を遣った嘘ではなく、本当に経験してきていることなのだと窺える。
「それに、涼我君や愛実ちゃんと同人イベントに参加するのは、これからきっといっぱいあると思いますから」
あおいはそう言うと、ニッコリと可愛らしい笑みを見せてくれる。
3月までとは違い、俺とは隣同士で、愛実とも2件離れたご近所さん同士。予定さえ調整すれば、難なく一緒に行ける環境なんだ。きっと、これからあおいと一緒に同人イベントに参加することは何度もあるだろう。
「確かに、あおいと一緒に行くのは今回だけじゃないもんな」
「そうだね、リョウ君。じゃあ、私達3人で代理購入を引き受けようか」
「そうだな、愛実」
「樹理先生に協力しましょう!」
「……ありがとう、みんな」
佐藤先生は目を細めて、嬉しそうに笑った。
今回の同人イベントでは、佐藤先生の代理購入に協力しよう。
「佐藤先生。どのサークルの同人誌を代理購入してほしいのですか?」
「LIMEのグループトークで送るよ」
その後、佐藤先生によって、俺と愛実と先生のグループトークにあおいが招待された。
佐藤先生は代理購入してほしいサークル一覧をメッセージで送る。スペースの配置番号とサークル名が書かれている。その中には、以前、俺と愛実で代理購入しに行ったサークル名もある。全部で……7つか。なかなかあるな。
「これが代理購入をお願いしたいサークルだよ。買ってほしい順に書いてある。あおいちゃんも行きたいサークルがあるかな」
「あり……ますね。スマホのメモ帳アプリで纏めているので、ちょっと確認します」
「ああ」
あおいも同じサークルの同人誌を買いたいと分かったからか、佐藤先生の顔はとても明るい。2人ともチェックしているサークルがあったか。
あおいがチェックしやすいように、俺のスマホに先生の代理購入してほしいリストを表示させて、あおいの前に置いた。あおいは自分のスマホと俺のスマホを交互に見ている。
「……2つありました。『赤色くらぶ』と『ジーエルブロッサム』です」
「おぉ、その2つか。赤色くらぶはBL、ジーエルブロッサムはGLのいい同人誌を出すよね」
「ですね! 私、赤色の新刊は一番買いたくて、ジーエルはその次に買いたいと思っているんです」
「じゃあ、その2つのサークルはあおいにお願いしてもいいかな」
「分かりました! お任せください!」
元気良くそう言うと、あおいはそれなりにある胸を張った。あおいは同人イベントの参加経験を積んでいるようだし、頼れるオーラがある。
「了解。じゃあ、残りの5つのサークルは俺と愛実でやろう。5つなら……2人で一緒に廻っても大丈夫かな」
「そうだね。この『ばらのはなたば』っていうのは、確か大手のサークルだったはず。ここに最初に行けば、全部買える確率は結構高いと思うな」
「そうだな」
これまでの代理購入のときのように、愛実と一緒に廻ることになりそうだ。
「愛実ちゃんの言う通り、『ばらのはなたば』は大手サークルだよ。あとは『赤色くらぶ』も大手サークル。どちらも壁側に配置されている」
「人気のある壁サークルということですね」
「そうだね、あおいちゃん。ただ……私が言うのは何かもしれないけど、あおいちゃんには涼我君か愛実ちゃんのどちらかが一緒にいた方がいいと思う。特に大手サークルの場合、新刊の購入制限のある能性がある。列に並んでいる人の数が多いと、並んでいる途中で購入できる部数が制限されることもある」
「私も関西のイベントに行ったとき、大手サークルの列に並んでいたら、途中で『新刊は1人1部まで!』とスタッフの方からアナウンスされた経験がありますね」
なるほど、購入制限か。
以前、俺も愛実と一緒に代理購入のために大手サークルの列に並んでいたら、新刊は1人2部までってアナウンスされたことがある。おそらく、より多くの人の手に新刊が渡ることを考えての措置なのだろう。
最悪のパターンは今、あおいが言ったように、並んでいる途中で1人1部ずつと制限がかかってしまうこと。そうなると、あおいが佐藤先生の分まで買えなくなってしまう。
「樹理先生の言う通りですね。私かリョウ君か、どっちかがあおいちゃんと一緒に廻ることにしようか」
「あおいの分も先生の分も確実に買うためにはそれがいいな。どっちと一緒に廻りたいかあおいと愛実が決めていいぞ。あおいは俺達と初参加なんだし」
「そうだね。あおいちゃんに任せるよ」
「分かりました」
きっと、あおいは愛実と一緒に廻りたいって言うんじゃないだろうか。俺とは違って愛実はBLも好きだし、何よりも女の子同士だからな。
「涼我君と廻りたいです」
「へっ?」
まさか、俺と廻りたいと言ってくるなんて。予想外だったので、思わず間の抜けた声が出てしまった。そのことに愛実と佐藤先生は楽しそうに笑っている。
当の本人であるあおいは、笑顔で俺のことをじっと見つめている。
「お、俺と?」
「……はい。さっき言ったことと矛盾してしまうかもしれませんが、関西の同人イベントに参加していたとき、涼我君と一緒に廻っていたらどんな感じなのかと思うことが何度もあったんです。ですから、涼我君と廻ってみたいなって」
あおいは頬を赤く染めていきながら、そう話してくれた。最終的にははにかむ形に。そんなあおいがとても可愛らしくて。
小さい頃、あおいと一緒にアニメを観たり、漫画を読んだりしていた。だから、同人イベントに行くと、俺と廻ったらどんな感じだろうかって考えたのかもしれない。
「分かった。当日は俺と一緒に廻ろう」
「はいっ!」
あおいはとても嬉しそうに返事をしてくれる。こんなにも嬉しそうだと、当日、あおいと一緒に廻るのが楽しみになってくるよ。
「ただ、愛実も1人で廻りきるのが難しそうだと思ったら、俺に連絡してほしい。そのときは手分けして代理購入していこう」
「うんっ、ありがとう」
ニッコリと笑って愛実はそう言った。
これで、当日の会場での廻り方は決まったかな。当日は佐藤先生の買いたい同人誌が全て買えるように頑張ろう。
「3人ともありがとう。当日はよろしくね。ちなみに、私はエロい意味で成人向けの同人誌を頒布するサークルを廻る予定だよ。こればかりは自分で買わないといけないからね」
「まあ、俺達は高校生ですからね」
成人向けの同人誌を買ってきてくれと頼んだから、教師としてはもちろん人としても大問題だ。あと、エロい意味で成人向けの同人誌を買うと現役の教え子に宣言するのも問題かもしれないけど。
「あと、代理購入の対価として、みんなの当日のイベント入場料や交通費、飲食代などの諸経費は全て私が出すからね」
「ありがとうございます!」
あおい、結構嬉しそうだな。イベントや会場にもよるけど、入場料や往復の交通費がそれなりにかかる場合があるし。あと、元々は代理購入の予定はなかったから、棚からぼた餅的な感覚があるのかも。
「あとは……そうだね。君達のやっている課題の質問に答えよう。化学の課題も出していたし。化学はもちろん、数学や英語なら質問に答えられると思うよ」
「さすがは理科科目の先生ですね! 心強いですっ!」
「ありがとうございます、樹理先生!」
あおいと愛実は目を輝かせて佐藤先生のことを見ている。2人とも理系科目はそこまで得意ではなく、課題のことで俺に質問することが何度もあるからな。先生がいるのは心強いよな。あと、2人に見つめられているからか先生嬉しそう。
その後、俺達3人は課題を再開する。
佐藤先生は本棚にあるラブコメの漫画を読みつつ、俺達の質問に答えていく。俺もコミュニケーション英語の課題で先生に質問したら、分かりやすく教えてくれた。先生、理科だけじゃなくて、数学教師と英語教師にもなればいいんじゃないでしょうか。
佐藤先生のおかげもあって、俺達3人は連休前に出された課題を初日に全て終わらせることができたのであった。
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