第21話『健康診断』
午前10時45分。
俺達3人はいつもより2時間以上遅い登校をする。
既に健康診断が始まっており、校門を通ると体操着やジャージ姿の生徒ばかりだ。複数のレントゲン車があり、そこに向かって生徒達がズラリと並んでいる様子も見える。普段とは違う調津高校の光景が広がっている。
「凄い光景ですね」
「そうだね、あおいちゃん。みんな体操着姿なのは健康診断以外だと体育祭と球技大会くらいだもんね」
「そうだな。あおいが前に通っていた高校も、一日で健康診断をやったのか? 別の高校に通ってる友達の中には、今日は内科検診、別の日に眼科検診……って感じで、4月中に何日かに分けてやったそうだから」
「中学までは何日かに分けてやる形でしたが、高校では一日で全ての項目を検診しましたね」
「そうだったんだ」
愛実と俺も中学までは別々の日に検診する形だったな。中学まではその形で検診する決まりになっているのだろうか。
個人的には、調津高校みたいに健康診断の日が設けられている方がいいと思える。その日は授業がなくなるし、ゆっくりと登校できるから。
俺達は2年2組の教室に向かう。
「おっ、みんなおはよう」
「おはよう!」
道本と海老名さんは挨拶してくれるけど、鈴木は……だらんと机に突っ伏しており、右手を軽く挙げるだけだ。いつもは3人の中で一番元気に挨拶してくるのに。彼らしくないな。
「3人ともおはよう」
「みんなおはよう。あと、鈴木君はどうしたの?」
「元気なさそうですね。朝食を食べてはいけませんから、お腹が空いて力が出ないとか?」
「それもあるだろうけど、鈴木は採血が苦手なんだ」
「……思い出した」
去年の健康診断。全項目が終わった後、当時は別のクラスだった道本と鈴木に会ったとき、顔色の悪い鈴木が道本に肩を貸してもらっていたな。その際、鈴木は採血が苦手だって話していたっけ。
「私も思い出した。去年の健康診断後に会ったとき、鈴木君の顔色が悪かったね」
「香川もか。……昨日の部活帰りに、先輩から2年でも採血はあるって教えられてさ。それから鈴木はこの調子だ。去年も採血後は体を支えていたから、今年は麻丘も鈴木を支えてくれると嬉しい」
「もちろんさ」
「……ありがとな、麻丘」
力のない声でお礼を言うと、鈴木は微笑みながら俺の背中を軽くポンポンと叩いてくる。普段なら有り余る力で痛みを感じるほどに叩いてくるから、本当に元気がないのだと分かる。心なしか、普段よりも体が一回り小さく見える。同じクラスになれたから、今年は鈴木の力になろう。
「あおいって注射とかはどうなの?」
「……苦手です。登校する前に3人でクリスを観て元気を付けてきましたが……去年の健康診断で採血をした後は気分が悪くなりましたし、理沙ちゃんと愛実ちゃんが側にいてくれると心強いです」
「分かったわ」
「一緒にいるから安心してね、あおいちゃん」
「ありがとうございます」
家でクリスを観ていたときほどではないけど、愛実と海老名さんに向けて笑顔でお礼を言っている。2人がいれば、あおいの方は何とかなりそうかな。
それから程なくして午前11時となり、佐藤先生がやってきた。
朝礼の中で、佐藤先生が健康診断の受診票を配り、今日の健康診断の説明してくれる。
この後、体操着やジャージに着替えて、男女別で健康診断を受診。全ての項目を受診し終わったら、各自制服に着替えて下校していいとのこと。
朝礼が終わり、女子達は続々と教室を出ていく。校門を出たところで待ち合わせしようと約束して、あおい、愛実、海老名さんも教室を後にした。
女子達が全員出た後、男子達は制服から体操着やジャージに着替える。特に寒くないので、道本や鈴木を含め体操着姿の生徒が多い。俺は……一番落ち着くという理由で、下はジャージ、上は体操着という格好だ。
「麻丘。行こう」
「行こうぜ」
「ああ」
俺は受診票を持ち、クラスの男子達と一緒に教室A棟の昇降口のところにある受付へ向かう。
受付を済ませ、俺達は壁に貼ってある『順路』の紙や、健康診断センターの方々の案内に従って、各項目について受診していく。身長、体重、視力、聴力、内科など様々だ。去年と変わったのは身長が1cm伸びたくらいで、他は健康そのものだ。
「オレ、去年よりも体重3キロ増えたぜ!」
「きっと筋肉が増えたんだろうな。出会ったとき以上にマッチョになってるし」
「麻丘の言う通りだな。練習を凄く頑張ってるし、飯もよく食べるもんな」
「ははっ、そうか!」
朝は採血に怖がっていた鈴木も、授業がなくて普段とは違う学校の中を廻っているからか、段々元気になっていた。このテンションで採血に臨めればいいんだけど。
あおいと愛実、海老名さんはどうしているだろう。彼女達の姿は見かけていないし、今も周りは男子達ばかりだから、動向が掴めない。スマホを持っているし、訊いてみるか?
――ブルルッ。
ジャージのズボンのポケットに入れてあるスマホのバイブ音が響く。
さっそく確認してみると、噂は……していないけど何とやら。あおいからLIMEでメッセージが届いている。通知をタップすると、
『もうすぐ採血です。教室の前まで来たら、段々怖くなってきました』
女子の方はもうすぐ採血なんだ。採血会場の教室の前まで来て怖くなってしまったのか。注射が苦手だから仕方ないか。少しでも元気になったり、気持ちが軽くなったりする言葉を送りたいな。
『そうか、怖いか。でも、あおいならきっと大丈夫だ。愛実や海老名さんが側にいるし。それに、終わったらクリスの映画が待ってるぞ。頑張れ、あおい!』
というメッセージをあおいに返信した。これで、少しは怖い気持ちが紛れればいいけど。
そんなことを思っていると、俺の返信にすぐに『既読』マークが付き、
『そうですね。クリスの映画が待っていますもんね。ありがとうございます! 頑張ります!』
という返信が届いた。クリスの映画のパワーは凄いな。採血頑張れよ、あおい。
その後も俺達2年2組男子の健康診断は続いていく。
どの検診項目でも、スタッフの方から「大丈夫です」とか「問題ないです」と言われてほっとしている。
また、健康診断を受ける中で愛実から、
『採血終わったよ。あおいちゃんも』
というメッセージを受け取った。愛実が送ってくるってことは、あおいは採血されて気分が悪くなっているのかもしれない。去年はそうだったらしいし。愛実とあおいにそれぞれ『採血お疲れ様』と返信しておいた。
俺達も順路に従って健康診断を進めていき、いよいよ採血の項目になった。
「つ、次は採血か。ふ、二人は先に受けてくれ。お、オレは後で受ける」
苦笑いしながらそう言うと、鈴木はうちのクラスの男子の中の最後尾に並んだ。次は採血だから怖くなってきたのだろう。
「去年も鈴木はこうだったのか?」
「ああ。クラスの中で一番後ろに並んでた」
「そうなんだ」
「麻丘は注射って平気か? まあ、3年前にたくさん経験があるだろうけど」
「入院中は点滴や血液検査をしていたからな。採血や予防接種くらいでは何とも思わなくなったよ」
「……そっか」
道本は静かな口調でそう答えた。
列は高い頻度で進んでいき、俺と道本は採血会場の教室の中に入る。中では10人ほどのスタッフさんが採血を行っている。これだけの人数でやれば、列もすぐに進んでいくか。
採血されても何ともなさそうな生徒もいれば、少し顔色が悪くなっている生徒もいる。そんなことを思いながら見ていると、あっという間に次が俺の順番に。
「次の方、どうぞ」
「こちらにもどうぞ」
黒髪の女性スタッフさんと茶髪の女性スタッフさんが手を挙げてそう言う。
「じゃあ、また後でな、麻丘」
「ああ」
俺は茶髪のスタッフさんのところに向かう。彼女、ショートヘアだけど、可愛らしい顔立ちなので愛実に似ているな。
お願いします、と言って俺はスタッフさんに受診票を渡す。
「麻丘涼我さんですね。利き手はどちらですか?」
「右です」
「では、左から採血をしますね。左腕をこちらのクッションに乗せてください」
スタッフさんの指示通り、俺は左腕をアームクッションの上に置く。
「では、採血します。リラックスしてくださいね」
「はい。お願いします」
それからすぐに、俺は左腕から採血をしてもらう。
針が刺さるチクッとした痛みや、血を抜かれていく独特の感覚。交通事故で入院したときのことを思い出す。入院中は血液検査のために、定期的に採血されたな。
「はい、終わりましたよ」
昔のことを思い出していたら、あっという間に採血が終わった。針が刺された場所には正方形の絆創膏が貼られている。
「残りはレントゲンだけですね」
「はい。ありがとうございました」
スタッフさんから受診票を受け取り、椅子からゆっくり立ち上がる。採血は何度もやっているし、抜かれた量も少量なので気分が悪くなったり、立ちくらみが起きたりすることもない。
「麻丘も終わったか」
背後から道本の声が聞こえたのでそちらを振り向くと、すぐ目の前に道本の姿が。彼も左腕に俺と同じ絆創膏が貼られていた。
「お疲れさん」
「道本もお疲れ様。鈴木は……」
入り口の方を見ると、待機列の先頭に鈴木の姿があった。まもなく自分の番だからか、今朝よりも顔色が悪くなっている。
「次の方、こちらにどうぞ~」
「う、うっす!」
鈴木は大声で返事する。ただ、緊張しているからか、その声が翻っていて。
鈴木は手を挙げている金髪のロングヘアの女性スタッフさんのところに向かう。俺は道本と一緒に彼のところへ。
「お、お願いしやすっ!」
「……お、お願いしますね。後ろの2人は……」
「彼、採血が苦手でして。去年、採血後にちょっと気分が悪くなって」
「体を支えるために後ろについていていいですか?」
「分かりました。かまいませんよ」
良かった、許可をもらえて。
鈴木はスタッフさんに受診票を渡して、利き手ではない左腕をアームクッションに置く。
「麻丘。鈴木の彼女が写っている写真ってスマホにあるか?」
「あるよ。去年、みんなで遊んだり、文化祭に来たりしたときの写真が」
「よし。じゃあ、その写真をスマホに表示させて、鈴木に見せてくれ。そうすれば、鈴木も気持ちが紛れるだろう。俺は後ろから鈴木の体を支える」
「分かった」
彼女を溺愛している鈴木にはいい方法かもしれない。俺はスマホを取り出して、アルバムから鈴木の彼女が写っている写真を探す。
「……あった」
去年の秋、鈴木の彼女が調津高校の文化祭に来てくれたときの写真だ。愛実と海老名さん、鈴木の彼女が写っている。鈴木の彼女は笑顔でピースサインをしているし、これがいいだろう。拡大して、鈴木の彼女が画面いっぱいに表示されるようにする。
「鈴木。彼女の写真だ。これを見て、少しでも気持ちを落ち着かせてくれ」
そう言い、俺は鈴木にスマホの画面を見せる。
鈴木は「おおっ……」と呟いて、俺のスマホの画面をじっくり見ている。そのおかげで、彼から感じる緊張した雰囲気が和らいだように見える。顔の血色が良くなったような。
「凄く可愛いぜ……」
「可愛い彼女だな。……彼の採血、お願いします」
「はい。採血しますね。チクッとしますよ」
スタッフさんがそう言った直後、鈴木の左腕に注射針が刺さる。その瞬間、鈴木の体がビクついた。
「あぁっ、オレの血が……抜かれていく……」
呟くようにしてそう言うと、見る見るうちに顔色が悪くなっていく。ここまでの如実な顔色の変化を見るのは初めてだ。
「でも、目の前に
顔色こそ悪いものの、鈴木は微笑んでいる。写真の効果は大いにあるようだ。道本はそこまで考えて俺に写真を見せろって言ったのかも。ちなみに、美里というのは鈴木の彼女の名前だ。
それからすぐに、鈴木の左腕から注射針が抜かれ、刺された箇所に絆創膏が貼られた。
「頑張りましたね。採血はこれで終わりですよ」
「……どうもっす」
何とか鈴木の採血も終わったか。
道本は鈴木の右から、俺は左から鈴木の体を支え、3人で採血会場を後にする。
「道本に麻丘、すまないな。それと、ありがとう」
「気にするな。特に怪我や病気をしなければ、採血なんて健康診断くらいしかないんだし。それに体質だってある。あと、よく頑張った」
「麻丘の言う通りだな。頑張ったな、鈴木。残りはレントゲンだけだ。このまま行こう」
「……おう。2人ともありがとな」
今もなお顔色は良くないけど、鈴木の笑顔には柔らかさを感じられた。
順路に従って、俺達は校舎の外にあるレントゲン車の待機列のところへ向かう。男女別なので、俺達は男子の列の最後尾に並ぶ。
登校してきたときと同じで、レントゲン車に向かって長めの列ができている。ここに並ぶと、分散させて登校するのは正解なんだなと思う。
「リョウ君!」
「道本君! 鈴木君!」
愛実と海老名さんの声が聞こえたので、そちらの方を見ると……女子の方の待機列に並ぶ愛実と海老名さんがこちらに大きく手を振っていた。愛実に肩を貸してもらっているあおいも小さく手を振っていて。俺と道本で女子3人に大きく手を振った。
「女子達も最後がレントゲンかな」
「かもしれないな。あおいも手を振れるくらいには元気になっていて良かった」
去年、前の高校で健康診断を受けたときも、今のように友達に体を支えてもらっていたんだろうな。
それから5分ほどで、愛実達3人はレントゲン車の中に入っていった。さらに10分ほどで俺達もレントゲン車の中に入り、レントゲン写真を撮ってもらった。
全ての項目が終わったので、俺達は受付に受診票を提出して教室に戻る。制服に着替え始める頃には鈴木の体調は普段に近いところまで戻っていた。
制服に着替え終わったので、俺達は愛実達との待ち合わせ場所である校門へ向かう。そこには愛実とあおい、海老名さんがいた。
「3人ともお疲れ様。あおいは体調は大丈夫か?」
「はい。制服に着替える頃には元通りの体調になりました。愛実ちゃんと理沙ちゃんが側にいてくれましたし、涼我君のメッセージのおかげで採血も乗り越えられました」
「それは良かった」
俺のメッセージも役に立ったようで嬉しい。
「採血のときは私の体操着を掴んでいたよ。昔、リョウ君にもしていたのかなって思った」
「あのときのあおいはかなり可愛かったわね。鈴木君は体調どう? レントゲン車の前で見かけたときは、麻丘君と道本君に支えてもらっていたけど」
「すっかりと元気になったぜ!」
「じゃあ、鈴木も桐山も元気になったから、駅の方に行って食事するか」
道本の言葉に俺達は賛同し、6人で駅の方に向かって歩いていく。
手頃な値段で食べられるという理由で、俺達はイタリアンレストランのチェーン店でお昼ご飯を食べた。
また、昼食後は、道本と鈴木と海老名さんがまだあおいの家に行ったことがないということで、あおいの家に行き、アニメを観たり、ゲームをしたりして楽しく過ごすのであった。
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