第360話 約束の場所へ(オルディオ視点)





 長い戦いにようやく終止符が打たれた。


 終わりを祝うことになったが、それよりも俺には行くべき場所があった。兄様達に一言告げると、その場所へと急ぎ走るのだった。



「見えた……」


 それはかつて、彼女と初めて対面した思い出の木。俺の記憶の中で、消えることはなく濃く残り続けた大切なもの。


 そして、新たな約束の場所でもあった。


(……もし、彼女がいるのなら)


 レティシア嬢を介してやり取りをした手紙には、この木の下に会いに来てほしいと綴った。


「……!!」


 兄様が王城に到着した時間を考えれば、自分の方が先に来れると踏んだ。しかしその予想は見事に外れ、木の下には美しい女性が佇んでいた。


「……ベアトリス」

「!!」


 ぱっと顔を上げてこちらを見つける。その表情は不安と心配に包まれたものだった。今すぐにでも抱き締めて落ち着かせたい衝動に駆られたが、どうにか制御して一礼する。


「……無事、シグノアス公爵に処罰が下りました」

「……そう、ですか」


 安堵の息を吐くベアトリスだが、まだ表情は浮かない。


「これでようやく、私を取り巻く危険が限りなく無いに等しくなりました」

「……それは良かった」


 小さく微笑んだ彼女だが、その笑みさえも愛おしく守りたいと思ってしまう。少しずつベアトリスに近付くと、彼女の目の前まで移動した。


「私は……もう王家の人間ではなくなります」

「それは……」

「王位継承権を放棄すると共に、家を出ることにしました。……幸い、剣が戻ってきましたので騎士として生き続けようと思います」


 元々、最初に継承権を無理やり放棄させられた時から自分の行く道は決まっていた。それを改めてベアトリスに声に出すことは緊張したが、それも全て呑み込んだ。


「ベアトリス。……私はもう王子ではありません。騎士とはいえ、平民に近しい状態となる可能性もあります。……今のような、公爵令嬢として得られた当たり前を私は提供することができません」

「……」


 ベアトリスは途中で口を挟むことなく、静かに耳を傾け続けてくれた。


「それでも、私は貴女と共に生きたい」


 スッと跪くと、ベアトリスの手をとって手の甲に触れた。


「ベアトリス。どうか貴女を永遠に隣で守り続ける騎士として生きる権利を、私にくださいませんか?」

「!!」


 真剣な眼差しを決してそらすことなくベアトリスへと向けた。彼女は大きな瞳を見開くと、その瞳を揺らし始めた。


 今までベアトリスが当たり前に受けられていた、公爵令嬢としての特権は俺の隣では何一つ受けれなくなるだろう。それがわかっていても、そうだとしても、彼女に何も告げずに離れることだけはしたくなかった。


「……オル様」

「その名はーー」

「同じでしょう? オルディオ殿下であるなら、オル様とお呼びしても問題ない筈ですよ」

「……それは、そうですが」


 声色からは、まだ答えがわからなかった。ただ静かに、表情を変えずにそう告げたのだ。


「オル様だったのですね。……あの日共に戦おうと、ここで誓ったのは」

「……覚えて、いるのですか?」

「正直、ここに来るまではわかりませんでした。ですが、この木を見て、貴方を見て、思い出せたのです」

「……そうですか」


 思い出してほしいと願ったことはあったが、本当に思い出せるとは思わなかった。俺にとっては掛け替えのない記憶でも、彼女もそうとは限らないから。


「私は公爵令嬢として、一家の長女として戦い抜きました。オル様も、無事終えられたのですね」

「……はい」

「お疲れ様でした。……お互いに」

「えぇ、お疲れ様でした」


 そこでようやく、ベアトリスの温かな笑顔を見ることができた。


「私は二十四年間、公爵令嬢として生き続けました」

「……ご立派です」

「もう十分、贅沢はしきったと思うのです」

「……それは」

「だからもう必要ありません」


 ベアトリスの美しい瞳が、俺を捉えて外さなかった。


「いかなる生活でも構いません。覚悟はできていますから」

「ベアトリス」

「だから……私を隣に置いてください、オル様。……もうどこにも行かないと誓って」


 それは泣き出しそうな笑顔だった。その笑みを見た瞬間、想っていたのは自分だけではなかったのだという嬉しさと、ここまでベアトリスを傷付けてしまった自分に腹が立った。


 だが、複雑な感情が込み上げるよりも先に、立ち上がってベアトリスを引き寄せてから力強く抱き締めることの方が先だった。


「約束します。もうどこにも行かないと。……ベアトリスの傍に居続けると」

「……約束、ですからね」


 顔は見えないものの、ぎゅっと背中の服を掴まれる感触はわかった。自分の腕の中に収まったベアトリスが愛おしくて、可愛らしくて仕方なかった。


(……やっと、君と再会できた)


 複雑な感情の中、最も込み上げてくるのは嬉しさだった。そっと腕の力を抜いてベアトリスを見れば、瞳から涙をこぼして赤くさせている姿があった。


(……やっぱり君だけだ。俺のために泣いてくれるのは)


 それが更に喜びに拍車をかけると、俺はベアトリスの頬に触れた。


「……ベアトリス」


 そう声をかけて微笑むと、そのまま優しく口づけを落とすのだった。

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