第346話 兄と弟②(オルディオ視点)




 兄と仲は良好だったと思う。


 ただ、その関係は強固と言えるものではなかった。

 

 何かあれば揺らいでしまうような、信じきれるかと言われればわからず、相手の本心も正確なものを考えられるような関係性ではなかった。


 それに加えて、俺は兄と離れた時間が長すぎた。だからこそ、どこか嫌われている気がしたり、弟としてどこまで見られているのかわからなかった。


 だからこそ、今日本人の口から本音が聞けたのは自分が思っていたよりも嬉しかった。


「……この場を設けていただいて良かったと、心底思っています」

「それは……」

「実は俺、兄様に嫌われているんじゃないかと思い込んでいたんです」

「!!」


 本音をこぼせば、兄は大きく目を見開いて固まった。


「こうやって……二人きりで話す機会が、そもそも俺達にはなかったでしょう? 本音を言い合う機会が。……だからこそ、お互いが何を考えているのは何となくでしかわからなかった」

「……あぁ」

「それも、離れてからは何となくさえもわならなくなった」


 顔を見る機会さえ減れば、いくら兄弟といえど通じ合えるものがなかった。


「だからまさか、今回兄様の行動理由が自分だったことが嬉しくて……」

「…………そう、喜ばないでくれ。僕はそれでも罪滅ぼしが足りないくらいなんだから」


 小さく笑みを浮かべた自分に対して、兄は複雑そうな表情になった。


「……継承権がなくなって自分の気持ちに整理がついた時、僕はオルディオに一生謝っても許されないことをしたことに気が付いたんだ」

「……」

「幼い頃、継承権を放棄しただろう? 僕はその時、本当にオルディオが自分の意思で放棄したのかと都合良く解釈したんだ。…………そんなはずないのに」


 兄にとっても、あの日の発言は深く記憶に刻まれていたようだ。そして、幼い頃などまだ考えが固まっていないはずだと付け足した。


「僕は無神経にオルディオから継承権を奪った。……奪った挙げ句、自分もその座に就くことはできなかった。情けないなんてものじゃない。一人の人生を台無しにしておいて、到底許されることではない」


 そう言われれば、確かにあの日に対して負の感情がなかったわけじゃない。


 だけど今となっては、そうやって自分のことを考えてくれる兄の思いにどこか感動してしまう自分がいるのだ。


「……罪、などと仰らないでください」

「オルディオ……」

「これは決して罪ではありません。それに、俺には本当に王位を継ぐ意志がありませんでした。……この話をするなら、俺は兄様に押し付けた点、申し訳なさを感じているんです」


 この話で罪悪感という言葉が持ち出されるのなら、兄側だけに非があるとは思わない。


「それは、違うだろう。オルディオは権利を剥奪されたのも同義。押し付けるだなんて」

「いえ。兄様が罪悪感を抱く時……それは、俺が抗議をした時ですよ。確かに剥奪されましたが、俺に王子としての自覚があればそれを父様に伝えて奪い返すことだってできた」

「でも……」

「俺は逃げたんです。兄様に全てを押し付けて。……だからこの件は、引き分けにしませんか」


 どうか自分が全て悪いなどと思わないでほしい。そもそも元凶は、王妃という別の場所にある。これに対して心をすり減らすのは、あまりにもおかしい。


「全てを加味した上で、嬉しかったんです」

「…………」


 喜ばれていい立場じゃないとでも言いたげな兄に、俺はリカルドからもらった情報を口にした。


「兄様。兄様がイノを守ってくれたこと、知っているんです」

「えっ……」

「イノという存在がシグノアス公爵にバレた時、イノが影武者でいかに俺と長く過ごしてきたのかを伝えて庇ってくださったと」

「どうしてそれを…………いや、愚問か」


 答えはリカルドの従者なのだが、どことなく兄は察した。


「僕は……オルディオの全てを知るわけではないけれど、オルディオにとって彼が重要で大切な存在だということは、何となく感じていたから。……まさかこれを利用されるとは思わなかったが」


 兄がシグノアス公爵を遠回しに止めてくれたおかげで、イノに利用価値が生まれて生かされたのは紛れもない事実。それが嬉しくて、ありがたかった。


「それで良かったのです。……生きてくれれば、生きてさえいてくれれば、何とでもなりますから。だからこそお礼を伝えさせてください。本当にありがとうございます」

「…………そう、か」


 必要以上に罪悪感を感じている兄は、感謝を受け取れなさそうな様子だった。


「オルディオ…………僕が仮面を手に取ったのは、分不相応にもお前を助けられると思ったから。……でも、その願いが叶わないのなら、僕は仮面を外す所存だ」

「兄様……」

「もちろん、イノとベアトリス嬢達の安全を保証できる形で」


 それは、本当にエドモンドという人が王位に未練も執着もないことを決定付ける最後の言葉だった。


「お気持ち、凄く嬉しいです。ただ、仮面を外すのは少し待っていただけませんか?」

「何かあるのか?」

「はい。ご存じかもしれませんが、シグノアス公爵は仮面付きの兄様とイノを王位に継がせるために、父様を殺そうとしております」

「!!」


 見開かれる目は、この思惑を知らないことを示していた。


「……そんな愚かな真似が、許されるとでも」

「いえ、許されません。ですが、それしかシグノアス公爵の計画が成し遂げられる未来がないのです」

「…………そうか。父様はオルディオの顔を知っているから」

「はい」


 意図に気が付いた兄は、ぎゅっと唇を噛み締めた。


「こんな僕でも…………守れるのなら、力になれるのなら、なりたい。オルディオのために動きたい。何かできることはないか……?」

「……ありますよ。兄様が力を貸してくだされば、確実にシグノアス公爵を失脚させ、上手く行けば社交界から追い出せるかと」

「本当か……!?」

「はい」


 これは次期国王としてふさわしい、リカルドが立てた計画。

 そこには、もちろんエドモンドという人物も重要な鍵だった。


 シグノアス公爵を追い詰めるために、まずすることを兄に告げる。


「……兄様。俺は一度死ぬつもりです」


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