第331話 修道女の行方
キャサリンが修道院を脱走した。
その事実は、私達の顔を曇らせた。
「キャサリンおね……あの人が抜け出したんですか」
今までの名残から、思わずお姉様と呼んでしまいそうになる。もう戸籍上繋がりはないのに。言いかけて首を軽く振ると、取り敢えず〝あの人〟と言い直した。
「レティシアも呼び捨てでいいんじゃないか?」
「……そうですね」
その戸惑いを拾ったカルセインから、さっとフォローが入った。そのまま手紙の内容が告げられる。
「リリアンヌの元に、修道院を抜け出した情報が届いたので念のため情報の共有を――」
そこまで言いかけて、カルセインは何かに気が付いた。
「エルノーチェ公爵家には……俺の元には、修道院から連絡が届いていない」
「「!!」」
私が目を見開くのと同時に、レイノルト様のまとう空気が一変するのもわかった。
「カルセイン殿。それは、彼らが――自称門番のシグノアス公爵家側の人間に、潰されている可能性があるのでは」
レイノルト様の鋭い眼差しに、カルセインの瞳孔が揺れた。手紙を持っていた手を下げると同時に、カルセインは下ろした手に力をいれる。
「……迂闊でした」
悔しそうに、どこか苦しそうに一瞬顔をゆがめるカルセインだったが、私はそれよりもリリアンヌの書いた手紙が気になって仕方なかった。
「お兄様」
もう一段階カルセインが力を入れ過ぎて手紙がつぶれそうになった瞬間、すぐさまカルセインの手に自分手を伸ばした。
「あ……すまない」
「いえ」
カルセインの内心が動揺と怒りで揺れ動いているのは、表情と空気から感じ取ることができた。
その様子を心配しながら、私はカルセインから取った手紙に視線を移した。リリアンヌの記された手紙は非常に読みやすく、時系列を丁寧にまとめる形の内容になっていた。
沈黙が流れる間、私は急いで読み上げた。手紙の内容で気になる箇所を見つけた。
「…………随分前なんですね、脱走したの」
「前?」
カルセインがそっと手紙を覗き込んだ。
「はい。私とレイノルト様がセシティスタ王国に到着するより前ですね。……となれば、今キャサリンはどこにいるのでしょうか」
「キャサリン……確かにな。脱走したということは、どこかを目指したということだ。真っ先に思い浮かぶのは我が家だな」
カルセインの反応にこくりと頷くと、今度はレイノルト様が考察を深めた。
「ですが現状、彼女はここにいない。手紙をもみ消されたとしても、エルノーチェ公爵家に来ることは難しくないと思います。ただ、たどり着いていないのが事実ですね」
「修道院に戻った場合は、改めて連絡が来るとすれば、エルノーチェ公爵家に来なくてもリリアンヌお姉様の元に行きますよね。でも来ていない」
果たしてキャサリンはどこに行ったのだろうか。
疑念の対象はキャサリンの所在に関するものに変わった。
「……キャサリンが行く場所、か。こんなことも言うのは何だが、キャサリンが行く当てはあるのか?」
「……ほとんど無いはずです。家から縁を切られた上に、贖罪中の修道女をかくまうほど親しい間柄の人はいないと思います」
そう答えながら、キャサリンの交流関係を頭に思い浮かべた。
彼女は取り巻きと信者こそ多かったものの、その関係は断罪されたことでなかったことにされたと思う。キャサリンに何があっても彼女を問答無用で信じて、匿うほどの強固な信頼関係を持った人はいないと思えた。
「どこかで野垂れ死んだ場合、それこそ大きく話題になるはずだ。新聞にも取り上げられていないことから、生きている可能性の方が追うべきだろう」
(あまり……口には出せないけれど、あの人はそんな簡単に死なない気がする)
カルセインの思考はもっともでそれに自分の直感を加えた結果、私もキャサリンは生きている確信に近い思いがあった。
「……野暮な疑問かもしれないのですが」
レイノルト様がそう静かに発言し始めた。
「彼女は、仮にもエドモンド殿下の婚約者でしたよね。頼るような関係ではなかったのでしょうか」
一度は婚約した相手なのだから。
レイノルト様の言いたいことの着地点が、うっすらと見えた気がした。それに対して、反射的に否定が自分の中で浮かんだ。
エドモンド殿下とキャサリンの中に愛はない。
これはわかることだから。ただ、キャサリンが頼ろうと思っている相手、味方につけようとする相手として、エルノーチェ公爵家はむしろ当てはまらない。
「……頼る、というよりも利用する、依存する。……その面では、エドモンド殿下は有効ではあるかもしれません。ただ、エドモンド殿下は王位継承権がなくなっているとはいえ、王子なので、面会がそもそも難しいかもしれませんが」
キャサリンの心情的に、むしろエルノーチェ公爵家には訪れないことに気が付いた。
「……パーティーなら」
レイノルト様は小さく呟いた。
「パーティーなら、接触できる可能性はあがりますね」
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