第310話 光をくれた君(オルディオ視点)



 幼い頃、自分の王位継承権は突然消えた。王妃である母が“争いの種はいらない”と言って、俺の継承権を勝手に放棄したのだ。


 だけど知っていた。自分が母に嫌われていることを。どうやら王妃の母はお父様の母、俺にとってはお祖母様のことが拒絶するほど嫌いだったよう。


 残念なことに、父に似て、さらには祖母に似てしまったこの顔は、母に嫌われることになった。そのことを父も、仲の良かった兄でさえ知らないだろう。


 幼いながらに嫌われていることは知っていた。だがまさか、勝手に王位継承権を放棄されるとは。あの時は、シグノアス公爵が裏で手を回してこの主張を通したのだった。


 それ以来、母とシグノアス公爵には嫌悪しか抱かなくなっていた。


 最初は反抗しようとも思った。父に、自分は放棄しないと伝えるつもりだった。けれども、兄の「ありがとうオルディオ。オルディオの分まで必ず頑張るから」という純粋な眼差しに、反抗するのが馬鹿らしくなってしまったのだ。


 元々国王になりたいと思ったことなかったから。


 けれど、自分の無力さは常々感じていた。


(……どうして、俺にはこんなに力がないんだ)


 窓の外を眺めながらぼんやりとする日々を過ごしていた。


 継承権を放棄したことで、王座を継ぐための勉強は勝手に不要とされ、必要最低限教師がつくことはなかった。


 膨大に余った時間を、何かに活かすこともできなかった。継承権を放棄するまでついていた影武者には、一度ゆっくり休むように暇を出していた。


 別に見張りがついていた訳でもなかったため、こっそりと王城の庭園を歩いていた。


(……驚くほど何の気配もしないな。継承権のない俺は無価値、というわけか)


 自嘲しながら歩いて庭園を抜けると、庭園の外れにある大きな木の下で休憩することにした。


(……俺は生きる意味があるのか?)


 所詮自分は第二王子。


 父は良くしてくれるものの、その父に返せるものは何もない。それにきっと、必要なのは俺でなく後を継ぐエドモンド兄様だ。


 空を見上げれば、風が吹き木の葉が揺れている。退屈な時間が流れる……そう思えば、突然泣き声が聞こえた。


「うっ、うっ……」

「!?」


 驚いて辺りを見渡すも、少なくとも視界内には誰もいない。警戒しながら声に耳を澄ませた。


「うぅっ……ひっく」


 女の子の声だった。声だけで、凄く泣いていることが伝わってきた。そしてそれは後ろの方から聞こえてきた。


(……この木の向こう側か)


 大きすぎる木が影になって、反対側の人間までは見えなかった。


 どうしたものかとため息をつこうとした瞬間、少女は泣くのを止めた。厳密には泣き声でなくそれをごまかすように、声を漏らしたのだ。


「……お母様なんて大嫌い」

(…………)


 その言葉は凄く興味を引かれるものだった。そして無意識に反応してしまった。


「……俺も」

「!! 誰かいるの……!?」


 静かな木の下では、反対側に十分届く声の大きさだったようだ。少女が反応して尋ねてくる。


「……すまない。聞くつもりはなかったんだ」

「あ……先客がいらしたのね。私の方こそごめんなさい」

「いや、気にしないでくれ」


 少女は意外にもすぐに謝罪をした。文句を言われると構えていた手前、少し拍子抜けしてしまった。


 謝罪の後、わずかな沈黙が流れる。


 まだ少女がいると気配的にわかったので、先程の言葉の意味を尋ねた。


「……どうして嫌いなんだ?」

「え……」


 突然そんなことを言われて、すぐに答えてもらえるとはもちろん思っていない。なので、今度は自分から話すことにした。


「俺は……勝手に俺のことを嫌って、勝手に俺の人生を決める母のことを軽蔑するほど嫌ってる」


 兄には見せる優しさを、俺には少しも見せることはなかった、そんな母。思い出すと自然と手に力を入れてしまった。


「同じだわ。私も……勝手に私の人生を決めるあの人が嫌い」


 まさか理由まで似ているとは思わず、反射的に後ろを向いてしまう。


「……大嫌いよ、本当に。でも悔しいことに、嫌った所で私の人生は変わらないのよ」

「……どうする、つもりなんだ」


 少女の言葉は強く俺を惹き付けた。


「……戦うの、何度でも。今日は上手く行かなくて泣いてたけど、それでも戦わないと」

「……戦って意味があるのか?」


 それは彼女ではなく、自分にも問いただしているようだった。


「あるわ。……だって、私の人生だもの。あの人の、お母様の人生ではないのよ」

「!!」


 私の人生だもの。


 その言葉は、俺の胸に鋭く突き刺さった。


「自分のために、私の人生を歩むの。もうこれ以上好きにはさせない」

「……自分のために」

「そうよ。あなたも同じなら、諦めないで。私と一緒に戦いましょう」

「……一緒に」


 彼女にとってそれは、何気ない言葉だったのかもしれない。けど、ずっと孤独で、生きる意味さえわからなかった俺からすれば、光が差し込むほど力のあるものだった。


「……君はどうやって、何のために戦うんだ?」

「どうやって、はわからないわ。正攻法でも上手くいかなかったから。でも何のためかはわかる。大切な人を守るためよ。……きっとそれは、自分を守ることに繋がる」

(大切なものを、守るため)


 とても少女とは思えないほどの毅然とした態度は、憧れを抱かせるほどだった。


 木の向こうにいる彼女に、気が付けば俺は夢中だった。顔も見えない彼女だが、そこにいることだけはわかる。


 もっと話したい、そう思った瞬間、さらに奥の方から女性の声が聞こえた


「ベアトリス!」

「あ……あの人だわ。……行かないと」

「あっ」


 抱いた願いは消えてしまった。それでも俺はすがるように、引き留めてしまった。


「またいつか、会えるだろうか」

「……会えるわ。私もあなたも、諦めずに戦い続ければ。だから頑張って。応援しているから」

「……君も。応援してる」

「ありがとう」


 そのやり取りを最後に、彼女は木を離れた。


 もう一度空を見る。


 少女の……ベアトリスという名前の彼女のおかげで、俺はまだ生きてみようと思えたのだった。


 


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