第212話 悪評を阻止して
気配を消すことは慣れている。かつてキャサリンという究極に面倒な相手から逃げるために、身に付けたスキルだと思う。
それを活かして、ご令嬢方の集まりにそっと近付いて聞き耳をたてた。
「ねぇ、おき気になった? この前のトリーシャ様のお茶会」
「私、その日は行けなかったのよ。何かあったの?」
「あったらしいのよ……! どうやらね、トリーシャ様、エルノーチェ様に無礼な態度を取られたんだとか」
「エルノーチェ様って……大公殿下の」
「そう! 婚約者様よ」
やっぱり予感は当たった。ルウェル嬢は自分の良いように触れ回ると。
「何があったの?」
「何でも、せっかくルウェル様がご招待したのに、エルノーチェ様はお粗末な物をお礼として渡したらしいのよ」
「まぁ……!」
「ルウェル様は嫌がらせをされたと嘆いてるみたいよ」
そこまで聞いた所で、私は一度だけ深呼吸をして口を開いた。
「ごめんなさい。そのお話、訂正させていただいてもよろしいでしょうか?」
「「「!」」」
突然気配を現したものだから、ご令嬢方は固まってしまった。だが、すぐさまカーテシーを取る。
「「「ごきげんよう、エルノーチェ様」」」
「ごきげんよう、皆様」
(凄い……身に染み付いた動きだわ)
ほとんどが子爵家のご令嬢だったので、ルウェル嬢のように侮られることはなかった。
「私も今回はありがたいことにご招待いただきまして」
「そ、そうだったんですね」
「皆様のお話、失礼ながら耳に入ってしまって」
「あ……」
「その、私視点のお話を聞いていただきたくて……よろしいでしょうか?」
いきなりこんなことを言われても困るというものだが、彼女達は快く頷いてくれた。
一連の話を嘘偽りなく、けど大袈裟に表現せずに伝えた。ルウェル嬢に格下の扱いをされたこと、贈り物の真実、彼女の失言まで。
「まぁ……」
「私の話とルウェル様のお話は食い違ってしまっていますが、私の個人の視点として覚えていただければと思います」
信じろなどという傲慢なことは言わない。あくまでも、弁明に近い言い方で彼女達に告げた。
「皆様の和やかな雰囲気を邪魔して申し訳ありません。私に話す機会をくださってありがとうございました」
「「「……」」」
「あ、ありがとうございました……」
なるべく品があるように見えることを心がけながらカーテシーをすると、その場を後にした。
(き、緊張した……どうか彼女達が少しでもなびいてるといいなぁ)
不安を抱えながら、ご令嬢方の輪を離れた。
◆◆◆
〈ある子爵令嬢視点〉
私はルウェル様主催のパーティーに参加していた。あの日、エルノーチェ様とルウェル様の間に何かあったのは、会場内の誰もが理解したが、何がどう起こったかまではわからなかった。
だから、後日ルウェル様から話を聞いた時はエルノーチェ様の印象は少し下がっていたのだ。
その話を友人の子爵令嬢方にしていたら、まさかのご本人が登場した。
驚くべきことに、エルノーチェ様はルウェル様から聞いた話とは一つも当てはまらず、優雅で美しく品のある高位の貴族らしいご令嬢だった。
それだけではなく、あきらかに自分よりも低い身分である私達を尊重する姿には本当に驚いた。そしてなによりも、自身の話を押し付けずにいる姿は、ルウェル様と比べてしまうものがあった。
圧倒的な品、言葉選び、凛とした雰囲気から、ルウェル様よりも正しく感じてしまうのは必然だった。
エルノーチェ様が去ったあと、私達はしばらく放心状態で沈黙していた。
「素敵……」
一人がそう呟いたが、激しく同意した。
「えぇ、私もそう思いますわ」
「……どちらか真実かは私達が考えるべきなのでしょうけど、一つ言えることがあるわ」
そう言うと、私は皆の視線を集めた。
「エルノーチェ様は無礼な態度を取られるような方ではない、ということよ」
「「……」」
「だってそうじゃない? ご自身よりもルウェル様よりも圧倒的に格下の私達にあのような振る舞いをする方が、ルウェル様に非礼な態度を取る理由はないんじゃないかしら」
「「!!」」
冷静に考えてみると、ルウェル様がエルノーチェ様に思うことがあっても、逆はあり得ないという考えにたどり着いた。
「確かに、そんなものはない気がするわ」
「そうね……」
そう呟いていると、私達の中で唯一の男爵令嬢が口を開けた。
「そう言えば……私、近くでやり取りの一部を聞いたんです」
その途端、一斉に視線を集めた。
「確か、エルノーチェ様が尊重してほしいと仰っておりました」
「「「!!」」」
その言葉を真実として、ピースのように繋ぎ合わせた時、どちらの言葉が真実かと結論付けるのに時間はかからなかった。
「……そうとわかれば、この話をさりげなく広めましょう」
「そ、そうね。そうしましょう」
決してエルノーチェ様にそう頼まれたわけではない。それでもそうしようと思った理由は、みな同じだったと思う。
“尊重してもらえたから”これに限る。そのさりげない厚意が、実は私達の胸に強く残るほど嬉しかったのだが、きっとそれをエルノーチェ様は知るよしもないだろう。
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