第116話 緊張をほどいて(リリアンヌ視点)




 披露会前日、フェルクス大公邸にて。


「リリー、準備はどう? 順調かな」


 ノックをしながらリカルドが部屋へと足を踏み入れる。


「こら、リカルド。それじゃノックの意味が無いでしょ」

「あぁ、ごめん」


 反射的に謝りながら、すぐに隣まで来た。さっきまで談笑していたフェルクス家の侍女たちは、余計な気を遣ってそそくさと部屋を後にした。


「空を眺めてたけど、何かあった?」

「……少しだけ胸騒ぎがしただけよ」

「レティシア嬢?」

「レティシアもそうだし……お姉様も。今家には父とキャサリンがいるでしょうから。気が休まらないだろうと思って」

「それはそうだね。……明日を乗りきれば、そこから解放されるはずだよ」

「えぇ。頑張らないと」


 不安げな気持ちを薄めるように、紅茶に口をつけた。


「そうそう。だいぶ毒が回ってきてるよ。毒もそうだし、リリーの頑張りがかなり評価されてきてる」

「本当に?」

「うん。前々からエドモンド殿下側に着いていなかった人間はもちろん、エドモンド殿下とキャサリン嬢派だった貴族さえも、僕らを支持し始めてる」

「それなら……勝機はかなり上がったと信じたいけど」

「明日、何が起こるかわからないからね」

「えぇ」


 リカルドの話によれば、実は前々からキャサリンの言動と行動に引っ掛かる者達が一定数いたようだ。


 キャサリンの話や悪評ではなく、しっかりと自分の目で確かめられる、判断できる、そんな貴族は少なくなかったという訳だ。


「そう言えば昨日は王城に行ったのよね? 鉢合わせとかは大丈夫だったの」

「時間帯を考えて行ったからね。無事注意人物には会わなかったよ。……あぁ、襲撃はされたけど」


 安心しそうになったのも束の間、最後の一言で一気に気持ちがさっと冷え込んだ。


「大丈夫なの!? 怪我はっ」

「わっ……らいじょうぶだよ、リリー」


 リカルドの思わぬ言葉に驚きながら、両手でリカルドの頬を挟んだ。そこから腕や足など、身体中に怪我がないか触って確認をする。


「大丈夫だって、リリー」

「ううん。リカルドは怪我をしても言わないから自分の目で確かめないと」

「口を滑らせたな……」

「昨日一緒に行動したのはリーンベルク大公殿下よね。明日尋ねようかしら」

「リリー、本当に怪我はないよ。ほら見て。元気でしょう?」


 両手を捕まれて私の胸の前まで持っていかれると、目線を合わせて笑顔で告げた。


「……元気に、見えるけど」

「うん。その通り」

「…………」

「ふふ、そんなに疑わないでよ。それにあんまり触られると襲いたくなっちゃうから、駄目」

「っ!」


 こてんと首を横に倒しながら覗き込む表情は、可愛さと妖艶さが相まって胸がドキッとしてしまう。


「……婚前交渉はしないって、ベアトリスお姉様とお義父様と約束したでしょう」

「そうだね。だから僕に約束を破らせないで」


 その言葉とは裏腹に、先程握った私の手を、今度は自分の頬に自ら持っていった。


「なら手を放して」

「やだ。リリーの手温かいから。……落ち着く」

 

 その瞬間、一瞬だけリカルドの本音が見えた。


(いつもみたいにふざけてるけど、緊張してるわ、これ)


 明日が本番であることに、不安を抱えてるのは私だけではなかったようだ。その事実にどことなく安堵しながら、小さく笑みをこぼした。


「手だけでいいの?」

「…………」


 一瞬何を言われたかわからなかったリカルドが少し固まる。それもほんの少しの間で、理解したリカルドは顔をほんのり赤くさせた。


「ずるいよリリー」

「これくらいなら許されるでしょう。私からでもあるし」


 そう言いながら、リカルドの頬から手を放し両手を広げた。その直後、リカルドはそっと胸のなかに優しく飛び込んできた。


「お疲れ様リカルド。貴方が無事に戻ってきてくれて安心したわ」

「……リリーを巻き込まなくて本当に良かった」

「ふふ、それもそうね」

「うん。……何があっても守るから、絶対」

「私もよ」


 それは明日のことだけに限らず。


 今後待ち受けるであろう、険しい道のり全てに向けて改めて誓い合った。


 明日は徹底的に。負けることなど合ってはいけない。


(キャサリン。もう、手加減しないわ)


 そう強く抱きながら明日へ気を引き締めるのだった。

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