第1章:その便利屋、お尋ね者につき
第一話 棺の中からこんばんは
※ ※ ※ 夜 アリアンナ邸 ※ ※ ※
人生で一番、幸せな時間。彼にとってそれが今だ。
「今日も綺麗だよ、アビー。」
「あなたも素敵よ、私の伯爵様。」
頼りない蝋燭の灯に照らされた部屋で、赤い瞳のハンサムが踊っている。
彼はティモシー・アリアンナ伯爵。
この大国メルディアーナにおいて王に次ぐほどの権力を持つと言われる大貴族、アリアンナ家の現当主。
民に愛される名君であり、明晰な頭脳を持ち、社交界では完璧な紳士であり、良き夫で良き父親でもある。
この世界で最も完璧な人間の1人だ。
「幸せだよ、アビー。君とこうしていられて。」
美食や芸術の最高峰をティモシーは触れてきた。
だがアリアンナ家の財がもたらす贅沢でさえ、最愛の妻であるアビゲイル・アリアンナと共にステップを踏む時間には敵いはしない。
この蝋燭の微かな光に照らされた部屋で過ごす彼女との時間はティモシーの心にいつだって平穏をもたらしてくれる。
ティモシーが愛する者の存在を確かめる部屋のその真下。
そこで下品なチンピラ達が宴会を開いている。
ここはアリアンナ邸の名物、巨大シャンデリアが照らす大広間だ。
肉、酒、お菓子。
欲望を満たすご馳走をチンピラ達は欲望のままに食らっている。
「いいよな、ボスは。運命の人に出会えて。俺もいつか会えるかなぁ。バズラ。」
「運命ってのは転がり込むもんじゃねえ。自分の努力が必要だ。」
男たちの中でも一際大きな男、バズラが運命について講釈を垂れる。
彼の言う通りだ。行動もせずに運命に身をゆだねるなど、蜘蛛が巣を張らずに獲物を待つようなものだ。
「どんな努力すりゃいいんだよ。ひたすら娼館に行って、違う相手を抱けばいいのかよ。」
「娼館で運命の人が見つかる可能性は…。ん?」
「ひっぐ、ひっぐ…。」
運命に関する議論を泣きじゃくる声が水を差した。
無視したくてもあまりの無様さに耐えられない。
「どうした、ブレゴ?ただでさえみっともねえお前の顔に、惨めさまで上乗せすんじゃねえよ。見苦しいったらありゃしねえ。」
ボトル片手に泣くのはブレゴだ。情けなさに頭と手足が付いたような奴である。
情けないその顔は涙と鼻水と涎に塗れていた。
「アマンダに…、捨てられた…。」
「アマンダだ!?言っただろ。アマンダはお前なんて眼中にねえんだから程ほどの付き合いにしとけって。それなのに運命なんて感じやがって、このニブチン!」
「うるせえ、うるせえ!例の事件のせいだ!ベンズが悪いんだ!」
ブレゴは精一杯の努力をした。
娼館の人気者アマンダに好意を抱いてもらえるように。
しかし、努力や才能だけで思い通りにならぬが色恋沙汰。アマンダにとってブレゴが財布以上の存在になることはなかった。
「気にすんなって。例の事件がなくても、お前はアマンダには絶対に捨てられてたから。」
「うるせえ、うるせえよぉ!」
傷口に塩をすりこむかのような言葉だが彼の為である。
未練を残さずに前に進むには必要なのだ。
「分かるぞ。アマンダはお前が童貞捨てた相手だからな。けどな、初めてなんて大したことじゃねえんだ。」
ブレゴは童貞を捨てた夜を忘れはしない。
玩具をもらった子供のように走り回っていた。
「いいか、こう考えろ。お前はようやく童貞を捨てたんだ。童貞を捨てた相手に、捨てられることこそ童貞を捨てるってことなんだ。真剣に悩んでたじゃねえか、アマンダへのプレゼントを。その努力が出来るなら、運命の相手はいつか見つかる。よし、ブレゴが童貞を捨てた記念に飲むぞー!」
「カンパーイー!」
「楽しそうだな、下は。」
下階の喧噪をティモシーは感じ取っていた。
本来、下階の大広間は上流階級が舞踏会といったパーティーを開く場所だ。
だがセレブの宴など気取った上辺を剥がせば、貴族や王族が些末なゴシップを探り合い、異常性癖を共有する醜い催しだ。
ティモシーが幾度も胃腸がよじれる思いをしたあの大広間を彼らの宴で滅茶苦茶にしてやれるのは爽快なのだ。
「聞いて。このままでいいの?」
アビーは真剣な面持ちでティモシーの眼を覗き込んだ。
「彼らとの時間が楽しいのは分かるわ。けど、あの娘や爺やはどうするの?あなたにはもっと大事にすべき絆があるのよ。目を背けないで。」
「聞いてくれ、アビー。私は多くの苦難に出会い、そして乗り越えてきた。それは君がいてくれたからなんだ。だから母に去られ、父に虐げられても、私はあの娘の良き父になれた。全ては元に戻すことが出来るんだ。君がいるだけで私にはそれが為せる。」
ティモシーはアビーの手を引き、ある大きな箱の傍らへと向かう。
その箱は棺桶だ。骸をしまう箱。
「私たちの為にまた1人、犠牲が出るのね…。」
「そう思うかもしれない。だが棺桶の中にいる彼はあんな事件を起こし、反省の色ひとつ見せることはなかった。私は彼に機会を与えたのに自ら台無しにしたんだ。もう擁護する余地はない。」
ティモシーの妻への説得。
それはまるで自身に言い聞かせているかのようだ。
「ふう…。」
ティモシーは深呼吸して、精神を整えると腰の剣を抜いた。
剣の名はヴィトス。柄頭には救い主が人々を導いた灯台を、鍔には人々が奇跡を目撃する際に乗っていた船をあしらったアリアンナ家の宝である名剣だ。
アリアンナ家は邪悪なる企てを試みた魔術師を退治するという偉業を行い、この剣を賜った。
「始めよう。」
聞こえてきたのは不気味な音だ。
蛇に丸呑みにされそうになってるカエルの断末魔のような音がティモシーの口から響きだした。
彼を知る人ほどこの光景が信じられないだろう。
ティモシーのような心優しい紳士の口からこんな音が出るとは。
部屋の床が光りはじめた。いや、床が光っているのではない。
床に描かれた文字や図形が光っている。
魔法陣だった。魔術師が儀式に使用する際に描く紋様。それも巨大なものだ。
ティモシーの口から出る人知を超えた声色に呼応するかのようにその光は強弱を変化させている。
そして発狂したかのような詠唱を唱えつつ、ヴィトスを天高く掲げた。
魔法陣の光は最高潮に達している。あと少しで終わりのようだ。
「うぉおおおぉぉおおああああああ!」
ティモシーは正気を失ったかのように白目を剥き、奇声をけたたましく張り上げ、天井を仰ぐ。
「はぁっ!」
そしてヴィトスを棺桶に突き立てた。
「…。」
奇天烈な詠唱が響いた先ほどとは一転、輝く魔法陣を静寂が包んだ。
10秒ほど経っただろうか。ティモシーにも魔法陣も一切の変化は見られない。
「おかしいぞ…。」
ティモシーは疑問に満ちた顔をしている。
いつもはこんなはずじゃないのに。
剣を通して、腕に伝わるはずのあの酷い感触がないのだ。
「もう一度よ。」
「わかってるさ。」
アビーに促され、ティモシーは棺桶から剣を引き抜く。
何度もやりたくないというのに。
先ほどのように狂人のふりでもしなければこんな儀式はできないのだから。
「はあ、ふう…。」
深呼吸をしてもう一度。棺桶に剣を…。
「うおっ!」
突然の物音にティモシーは驚愕した。
棺桶の蓋が動いた。誰かが中から出てこようとしている。
「アビー!」
ティモシーは愛する妻を背中に隠して、剣を構えた。
そして棺桶から現れた者に備え、その姿を赤き瞳に捉えた。
「な…。」
時が止まった。
棺桶から現れたのは何千年もの時を越えて残り続ける彫刻に命を与えたかのような美しき者だった。
しかも透明感のあるきめ細やかな肌に包まれた一糸纏わぬ裸体だ。
宝石のような大きな瞳、鮮やかな唇、さらりと流れる髪。
気高ささえ放つ美しき裸体を堂々と晒していた。
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