罪、誘われて

弘彩 ナズナ

罪、誘われて

最高気温は三十度を超えていた。太陽から逃げるように自転車を漕ぐ。

「コンビニ行こうよ」

 一緒に帰っていた友達に提案してみた。こんな暑さでは、コンビニで買ったアイスも食べている途中に溶けて手に垂れてしまい、冷え切った飲み物も飲み切る頃には温くなってしまうだろう。

「いいけど、早く帰ったほうがよくない」

「いいじゃん。そっちのほうが青春感あってよくない」

 正論を言われたものの、学生にとっての魔法の言葉の青春を口実に無理やりコンビニに連れていく。

「何買うのさ」

「コンビニ行ってから決めればよくない。そういう細かいところ嫌われるよ」

 若干傷ついたような顔をしている間にコンビニにつく。コンビニでソーダ味のアイスを買って溶けないように、頭が痛くなりながらも必死に食らいつく。対して、友達はゆっくり食べ進めている。友達の食べている姿を見て、食べ終わってしまったアイスの棒を見てもっと味わうべきであったと後悔をする。

「明日電車で海に行かない」

 友達のほうから遊びの誘いをするのは珍しかった。いつも、こちらから誘っても断ることも多く下校の時間が唯一プライベートで話せる時間であった。

「なんで海、遠いじゃん。近場のカラオケとかでいいんじゃない」

 海に行くことは賛成であったが、普段でさえ遊ばない友達がわざわざ遠い海を遊ぶ場所に選ぶ意味が分からなかった。

「それこそ、あんたの好きな青春とやらで片付けられるじゃん」

 青春という理由で説明される側に立つと、その曖昧さが心に残り何かがつっかえるような気持ち悪さがある。そんな感情とは裏腹に心のどこかで納得する自分もいて、単純な自分が気持ち悪さを際立たせる。青春という言葉一つで、納得させられる単純さが学生らしさを演出する一番の鍵なのかもしれないなとも思う。

「明日って言ったってそんなに簡単に行けるものなの。電車の切符の値段とかしっかり調べたの」

「私一万円ぐらい持っていくよ。あんたは五千円とかでいいよ。遊びに誘ったのは私だし、足りなかったら私がその分払うよ」

 結論は切符の値段も、海の近くにある飲食店の食べ物の値段も調べていないということであろう。ちゃんとしている友達が、調べていないということに少し驚いたが合計で一万五千円もあれば足りるであろう。学生の腹を満たし、学生の一日を充実させるのに一万円も五千円も多い気がするが、備えあれば患いなし、大は小を兼ねる。お金がたくさんある分には、少なくて帰りの分に足りるかどうか心配するよりもましであろう。

「海が見たいの。それだけなんだけどさ、嫌なら全然いいよ。嫌だったら、カラオケでも昼ご飯だけでも一緒に食べない」

「全然行こうよ。明日の天気見てさ、行くかどうか決めようよ。メールそっちに送るからさ」

 青春という言葉に込められるものよりも単純な理由な気がした。

「財布以外に持ち物あるの」

 初めて海に友達と遊びに行くためか、自分一人で考えられる持ち物まで聞いてしまった。

「そのくらい自分で考えなよ。何歳なの」

 笑われながらそう言われる。その笑いは嘲笑に決まっているのに、馬鹿にするような不純なものではなく、恋をした異性に見せるあどけないぎこちない笑顔だった。

 コンビニでそのまま分かれ、家に帰る。それ以降の記憶は疲れて眠っていたのか、楽しみでそのことで頭がいっぱいになっていたのかはわからない。ただ、駅に午前の九時に集合だということだけは起きてすぐに頭に浮かんでいた。きっと、昨日の寝る直前に電話で話していたのだろう。メールの履歴を見返しても、友達とのメールの履歴は残っていなかったため、電話で明日の予定を話したのだろう。

「ご飯食べてきた」

 待ち合わせ場所には友達のほうが先に来ていた。

「食べてないけどどうしたの。お腹空いたの」

「空いちゃった」

 頬を赤らめて恥ずかしそうに小さくそう答えていた。

「海に行く前になんか食べよっか」

「いいよいいよ。誘ったの私だし、海に行ってから食べようよ。あっちに行って、何も食べられないほうがお腹空いてるって友達の前で公表する何倍も恥ずかしいよ」

 さっきの恥ずかしさが嘘に思えるくらいはっきりと頭脳明晰な科学者のように答える。いつも通りと言えばそうなのだが、恥ずかしがっている所を見ると所謂ギャップのせいなのかとてもかっこいいように見えてしまう。

「切符買っといたよ。一万円とは別でお母さんが切符代くれたの。だから、申し訳ないとか変なこと思わないでね」

 いつもの冷徹な感じに内心安堵する。

「海までだいたい何時間くらいかかるの」

「んー、一時間強じゃない。都会に住んでるわけでもないから電車に乗る機会ないし、電車の時間間隔なんてよくわかんないや」

 おおよそ二時間といったところだろうか。そのくらいの時間であれば、景色を見続けても友達と話し続けても飽きず、満足も十分にできない丁度いい時間だろう。駅のホームは長期休暇ではないものの、夏の海や山のシーズンなのかいつもよりは混みあっていた。

「ねえ、もしかして海混んでたりしない」

 周りに声を聴かれたくないのか小声で耳元でそう聞いてくる。

「でも三連休でもなんでもないただの週末だからそこまで混んでないんじゃない」

 いつもより混んでるといっても、都会の駅でも特別に栄えている地域でもないので最初の一駅から満員電車になるような人数ではなかった。多くても一車両と二車両半が埋る程度で座ることには困らないであろう。

――黄色い線の内側にお下がりください

 駅員のアナウンスが注意を呼び掛ける。

「私たち乗るのこの電車だよ」

 電車が速度を落としながら止まり始める。速度を落としても重そうな車体からは異様な恐怖感をあおっていた。ただ、車内に入ると青を中心としたカラフルな色が安心感を演出させた。海に向かう電車だからなのか、上には夕日を背景にした綺麗な海岸と決め台詞が背景に邪魔にならないほどのうまい大きさで書かれていた。

 海がある目的の駅に着くまでは初めて見る景色に魅了されていたのかお互い無言だった。海が見え始めたのは目的の駅に着く二駅ほど前の地点であった。近くに海があるわけではなく、手前に個人商店や魚介の飲食店があり、奥に海が多少見える程度であったが海が見え始めると海が見える範囲なんか気にならないほどに興奮していた。数年前の話だがここの地元のことがニュースで取り上げられてるのを見てお母さんがバブルの時期は県を代表する観光地で、ホテルの予約は平日休日関係なしに全部屋が満室になり、近くにはもう取り壊されてしまったが、遊園地があったと話してくれたのを思い出した。今ではその面影は一切なく、錆びたトタン製の屋根の一軒家が並んでいるだけの小さい街になってしまっていた。盛者必衰、そんな言葉があるが幸せで絶頂な時に不安なことはだれも考えられないのであろう。むしろ、まだ体力があるうちに街を全力で盛り上げることが正しいのかもしれない。

「着いたよ」

 肩を叩かれて気が付く。駅のアナウンスに気づかないほど景色に夢中になっていた。座席に取り残されていたのは私達だけで、車内には誰も乗っていなかった。向かい側の窓からは乗っていた人達が足早に駅から出ていくのが見えていた。

「うん。ありがとう。いこっか」

 友達は興奮しているのかどこか落ち着かない様子であった。目は輝いて、足と腕は必要以上に動かしていた。初めて見る姿に笑みがこぼれてしまう。普段遊ばないのはテンションが天井を突き抜けるかのような勢いで上がるのをあまり見られたくないからのだろうか。

――綺麗

 二人揃って小さく息が多く混じった感嘆に似た声を出す。

  駅を出た瞬間に目の前には太陽によって輝きをグラデーションさせた広大な海が広がっていた。こんな見たこともない景色を事前に知っていたらテンションが上がってしまうのにも納得してしまう。

「海の近くに行こう」

「うん」

 友達に誘われて大きい声が出てしまう。周りの人々もテンションが上がっているのか大きい声を出したことには誰も気に留めていなかった。単なる週末だからなのか、人は多いものの十分な隙間があり、人波ではない海の波がはっきりと見えていた。海に入ることは想定しておらず、水着は持ってきていなかった。サンダルで海に足元をつけるくらいだと思っていたのに、友達は何も言わずに海へ着替えずに飛び込んでいった。

「冷たくて気持ちいいよ」

 そう言う友達の濡れた姿に思わず惚れそうになってしまう。私が男子だったら一瞬で恋の魔法にかけられていただろう。

「私着替え持ってないから入れないよ。水着も着てきてないし、持ってきてもないよ」

「あんたの後ろにあるバックに着替えあるよ」

「何着」

「私の分しかないけど」

 無性に腹が立った。ここまできれいに期待をさせて裏切ることが友達同士でできるであろうか。むしろ、友達だからできるのではと考えてしまう自分が憎い。自分は何も悪くないと言い聞かせる。

 友達は濡れたのが嫌なのか、海特有の塩分で体がべたつくのが嫌なのか、海から引き返してすぐに海と反対側にある海の家の隣に作られているおしゃれな外観をした木造のシャワー室アンド着替え室と書かれている個室にさっき言っていたバックを抱えて駆け込んでいった。

「ごめんね。ちょっとはしゃぎすぎた」

「いいよ。見てるこっちも楽しかったし」

 時刻は十二時に差し掛かろうとしていた。周りも海の近くにいた人々は徐々に近くにある飲食店や海の家に流れていた。

「私たちもご飯食べようよ。朝からお腹空いてるんだよね」

 すっかり忘れていた。友達は朝からお腹を空かせていたのだ。海の家の価格は一般的なカレーでも八百円というバカげた値段をしていた。飲み物もお冷以外は二百円からでないと買えないというのを見て絶句してしまう。お祭り価格のような特別な場所に思えるため払ってしまうのかもしれないが、普段海に行かない私からすると高いように見えてしまう。

「高くない」

「仕方ないよ。海の家って一定の期間しかやらないし、この夏の時期に一年分稼がなきゃいけないんだよ」

 仮に海の家で得た収益のみで生活を営んでる人間がいるのであれば是非とも紹介をしてもらいたかったが、確かに一定の期間しかやらないと考えると妥当な値段に思えてしまう。

「私カレーとタコライス。飲み物はお冷でいいや」

「私朝食べてきたし、タコライスだけでいいかな」

 お腹が空いている感覚こそないものの、昼時になればどんなご飯も喉をすんなり通るものだ。人生で数回しか食べたことがないタコライスを今回はじっくり味わって食べる。友達は三日ぶりにご飯にありついたかのようにカレーライスを吸い込むかのような勢いでかき込んでいた。

 ご飯を食べた後は砂浜から少し歩いて釣り人が多くいるようなところにいた。ここからの夕日の景色がいいんだよと友達に聞かされて、電車内に貼られていた夕日の景色が見えるところを二人で探していた。途中で釣り人にも聞いたところによると、こことはまたしばらく離れた地点に展望台が設置されている少し高所の場所があるらしく、そこからの景色なのではないかと言われて二人とも諦めて、もう少し先まで歩いて帰るということになった。

「あそこでソフトクリーム買わない」

 すでに辺りはオレンジに染まりかけていた。そんな中目の前に小さい個人商店のようなところにソフトクリームののぼりがあるの見て私が提案した。

「いいよ。バニラ味でいいでしょ」

 そう聞かれて小さく頷く。今日は暑くて、どうにもこってりとした味のチョコ味は食べる気になれなかった。日は沈みかけているのに体は昼間の太陽のせいなのか妙に火照っていた。友達が勝ってくれたソフトクリームを口に入れた瞬間に、ソフトクリームが溶けている感触を不気味なくらいに感じていた。手には溶けたソフトクリームが垂れてコーンを食べるころにはコーンは少しも硬くなかった。友達は波止めの上を歩きながら食べていた。ソフトクリームで汚れていない手で友達の手を強引に握る。友達は一瞬戸惑ったようにこちらを見たが、コンビニで見せた初恋の異性に見せる笑顔にすぐ変わる。だが、その笑顔には少し感じたことも思ったこともない気味悪さなのか、形容しがたいなにかがあった。

「落ちたら危ないよ」

 手を握る前でも握った直後でもいうべきであったが、あの不思議な笑顔のことについて考えていた伝えるのを忘れていて数歩歩いてから口が開いていた。

「落ちないよ。もう落ちてるけど」

 意味が分からなかった。何か大きいな悩みが孕んでるような言い方だった。最近英検の結果が八ッ弄されていたのを思い出して、そのことについてしばらく友達を励ますようなことを一人で言っていた。

「英検じゃないよ。恋だよ恋。あのね、こんなこと今言うのもあれだけどふゆが好きなの」

 いきなりだった。鈍感と言われることは多いが、ここまで鈍感だとは自分自身でも思っていなかった。

「なんてね冗談」

 笑いながらそうごまかしていた。嫌だった。嘘を言っているのか本当を言っているのか鈍感な私は何もわからなかった。でもさっきの笑いに感じた変な感じよりも気持ちが悪かった。その笑い方にははっきりと嫌と感じていた。

「誤魔化すからいつもダメなんだよ」

「え」

 驚きに満ちた声だった。なのに振り返って見せた顔には涙が滲んで唇が微かに震えているように見えた。振り返って見えた私の顔はきっと黒一色だっただろう。その黒は落ち込んだ太陽のせいで姿を見せた夜なのか、それとも単なる影なのか。どちらにせよ、その黒は罪悪感を含んでいる最悪な黒だっただろう。例えていえば罪人の顔に近いのかもしれない。私も罪を犯した。「ダメなんだよ」なんて、思ってすらない責める言葉を勢いのままぶつけてしまった。何がダメか聞かれたら何も答えられずに今握っている手を無理矢理にでも解いて追いつけないところまで息が切れても転んでも走っていただろう。

ソフトクリームが溶けきって私の手は白に染まっていた。体が火照る感覚もどこか遠くへ行ってしまい、体は心の底から冷え切っていた。

「ごめん。本当に何でもないから気にしないで」

 声は温度がなかった。その冷たさは無関心でも蔑むものではなかった。心が死んでしまった温度だった。彼女が温度を保っているのは目だけだろう。きっと今頃目頭は熱くなっている。紫色になった唇も流れてくる涙で生気を戻すだろう。

 彼女が泣き始めていくつ時間が流れたかは分からなかった。日は完全に落ちきっていた。潮風はやけに冷たく、波は勢いを増していた。波の音に紛れて鼻をすする音が聞こえる。

「私付き合うとかわかんないよ」

 苦し紛れに平常心を装って嘘を言葉にした。辛いのは私ではなく彼女なのはずっと前から分かっていた。付き合うことの難しさも人を好きになる気持ちも何もかもすべてわかっていた。

「これで私たち最後だね」

 一瞬耳を疑った。きっと死ではなく友情関係の最後だろう。気づいた時にはつないでいた手は宙ぶらりんになっていた。

「答えはいらないの。ここまで登って」

 波止めの上に誘われるままに上ってしまう。同じ土俵に上がる資格なんかとっくになかった。

「悲劇は死をもって終焉を迎えるって聞いたことない。死がなきゃ人生は完成しないし、人の気持ちも勝手に作り出すことなんてできないの」

 泣いていた面影はどこにもなかった。そこにあるのは無に近い恐怖心だけだった。

「どういうこと」

 恐る恐る聞いてみた。その瞬間に肩に強い力がかかる。衝撃で目を瞑ってしまっていた。少し目を開いた時に広がっていたのは彼女が私を押した腕をそのまま硬直させている姿だった。きっと私が死を迎えれば、彼女が考えることが頭の中で思いの通りのままになるということがあの言葉には詰まっていたのだろう。

 波が多き音を立てて私を歓迎していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

罪、誘われて 弘彩 ナズナ @HiroAya_NaZuna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る