拾弐話

肉剣妖魔の潜伏場所は閃郷切乃介の予想通り阿修羅院付近だった。

土竜のように地中に潜れるが薬品は液体なので地中に浸透するし、発光する力が強い為に肉剣妖魔の肉片から逃走経路は割り出せた。

弦たち激流鬼が妖魔を狙った場所に誘導する為の餌とも言える薬品を肉剣妖魔用に調整した物も用意は出来た。

全ての条件が揃った為、槍絃は人気の丑三つ時の阿修羅院に義刀を呼び出した。


「さて、今晩でお前の討ち損じの尻拭いを終わらせようか」

「言ってろ」

「でよ、ちょっと、アレ、何よ?」


広い境内にも関わらずわざわざ義刀に近寄って耳打ちした槍絃が示したのは鳥居近くの2人だ。

阿修羅院の娘、時雨乃。

閃郷斬乃介様の叔父、閃郷切乃介。

槍絃は声を掛けなかったが何故か2人は義刀よりも先に阿修羅院に来て槍絃に会釈して鳥居付近で待機している。


「おいおい、まさかお前が声を掛けたんじゃねえよな?」

「すると思うか?」

「しないな」

「同行すると言われた」

「で?」

「好きにしろと言った」

「場所は?」

「伝えてない」

「じゃあ自力で俺たちの合流場所を探し出したのか。その努力は別に使えよなぁ」

「好きにさせておけ。討滅の邪魔になるなら切るだけだ」

「はいはい。全く、これだから素人は嫌だねぇ」


心底嫌そうな顔で2人を見て、槍絃は直ぐに2人を見る目を人に対する物から石を見る物に変えた。

ここから先は妖魔を討滅する為の時間で人を守る事は彼の仕事ではない。

邪魔になるなら切り捨てる。

義刀と同様の考えに言動を切り替える。


「そういや弦ちゃんの依頼はどうした?」

「討滅が優先だ。鍛冶師の見学はまだ後日になった」

「そうかい。ま、魔動駆関の箱は興味有るけど、いずれだな」

「例え箱が加工出来ても完成するのは俺たちの2世代後らしい」

「……俺の孫の代?」

「ああ。色々と工夫が必要らしい」

「何だよ、期待しちまったぜ」

「よく言う」

「それくらい言わせろって。さて、じゃ薬を使って行こうかね」

「直ぐに来るのか?」

「さあ? 距離に依るんじゃね?」


言いながら槍絃は弦から貰っていた薬品を切断された御神木の根本、肉剣妖魔が開けた穴に振り掛ける。

義刀は刀の鯉口を切り、槍絃は薙刀を手に取った。

妖魔が出てくれば直ぐに魔装を呼んで鬼に成れる体勢だ。

薬品を巻いて約20秒で地面が小さく振動したのを義刀は感じた。

槍絃も同じように揺れを感知したようで静かに視線を合わせ御神木を視界に納めつつ周囲への警戒を強める。

薬品を巻いたのは御神木の穴だが肉剣妖魔がその薬品の場所から出てくるとは限らない。

丑三つ時に街を歩く人影は無いが、それでも阿修羅院以外の家屋から肉剣妖魔が顔を出す可能性は有る。

しかし、それは杞憂で済んだようだ。

揺れは少しずつ大きくなり鳥居付近の時雨乃と閃郷切乃介も地面が揺れているのを知覚出来たのか険しい表情で腰を低くし揺れに対応している。

閃郷切乃介は刀を抜いて時雨乃を背後に庇うように前に出たが、地下に居る肉剣妖魔にどこまで意味が有るかは分からない。

義刀と槍絃の感覚では肉剣妖魔は明らかに境内の地下に居る。

薬品に釣られて恐らく御神木に近付いているが、一直線というよりは警戒しながら少しずつ近付いているようだ。


「憑き物のクセに警戒心の強いヤツだ」


槍絃の軽口に義刀も首肯する。

妖魔の行動は獣の様に直線的か、擬態する昆虫の様に変則的か様々だ。

この肉剣妖魔は基が剣術を修めた侍だけあって周囲を警戒するだけの判断力があるようだ。発生してから数日経っているので成長して警戒心を身に着けた可能性も有る。

程無くして揺れが収まり静かに御神木の根本から肉剣妖魔が姿を現した。

逃走に使われた穴から、まるで様子を伺うように小さく目玉部分だけが地表に現れる。

義刀と戦った際には人体の目を使用していたが肉剣部分を分離した際に人体の目は消失した。恐らく新たに肉体に目玉を生やしたのだろう。


「おいおい、本格的に警戒心の強い奴だな」

「このままだとまた逃げられる」

「それは面倒だが、今日は良い餌が居るだろう?」

「……成程。使えるな」


槍絃の意図を察した義刀が鞘で地面を叩いて肉剣妖魔を挑発し、次いで自分の背後、鳥居付近が肉剣妖魔の視線に収まるように位置を調整する。

鳥居付近とは言うが具体的には時雨乃を肉剣妖魔が認識するように動いたのだ。

肉剣妖魔の元は閃郷斬乃介だ。

彼が執着する物として考えられるのは2つ。

1つは銀条撃蓮との銀閃流次期当主の座を争う事。

1つは時雨乃への慕情。

銀閃流は道場が崩壊しているので次期当主についての議論は道場の再建の目途が立つまで不可能だ。

つまり現状で閃郷斬乃介が執着を示す事が出来るのは時雨乃のみになる。

効果は有った様で肉剣妖魔は時雨乃を視界に納めた瞬間に変化を起こした。

警戒するように目玉だけを地表に出した居たが地面が揺れるのも構わずに慌ただしく地表に姿を現す。


「召喚」

「切り刻む」


義刀は鯉口を切っていた刀を勢い良く納刀し、槍絃は薙刀の柄頭と左手袋を打ち当てそれぞれの魔装を召喚する。

赤い1本角の鬼は義刀が業炎鬼の魔装を纏った姿だ。

槍絃が呼び出した魔装は絶風鬼の名を体現するかの様に風の意匠が多分に施された流麗な魔装だ。薙刀のような長物の得物を扱う為に肩周辺の可動域は大きく取る為に装甲は薄く、しかし胴体や前腕には業炎鬼と同様に厚い装甲に覆われている。

頭部は額から後頭部に向けて流線形の形状で作られており兜は顔全体を覆っているが栗部分のみ開閉部が有るようだ。


「少し試したい事が有る。火炙りに出来るか?」

「分かった」


姿を現した肉剣妖魔は目測で全長4メートル、尻尾とでも言えば良いのか地面から最後に出て来た本体の後端部には刀の鍔と柄が生えている。

そんな肉剣妖魔に向けて業炎鬼は大きく踏み込み上段から刀を振るう。その際に絶風鬼からの要望に合わせて刀の鍔から炎を噴き出し刀に纏わせる事無く肉剣妖魔に炎を放つ。

炎の維持は簡単ではないが、1度燃え移ってしまえば維持する為に集中する必要は無い。

肉剣妖魔も左に避ける仕草は見せたが、絶風鬼が下段から薙刀を振り上げて風の刃を放ち妨害した。

炎は妖魔に直撃し、周囲に肉が炎で焼かれる匂いが充満する。

義刀が咄嗟に刀の鍔から出せる炎の大きさは精々、1メートル程度だ。

肉剣妖魔も正面から炎に衝突している為に投影面積は少なく全長の中でも燃えたのは極一部と言って良い。

直撃した炎に焙られる痛みに肉剣妖魔が苦しみ悶え、全身で痛みから逃れる様にのたうち回る。周囲を見ない暴れ様に修繕中の母屋や本殿が再度粉砕されていく。


「前回と同じになるぞ?」

「こっからだって」


調子良く答えて絶風鬼が下段に薙刀を構えて暴れる肉剣妖魔に踏み込んだ。

無差別に暴れる肉剣妖魔の攻撃範囲に入らないように間合いは遠く、先ほどの風の刃と同様に遠距離攻撃を行うつもりらしい。

いつでも肉剣妖魔に肉薄出来るよう刀を両手で突きの姿勢に構える業炎鬼の前で絶風鬼が薙刀を振るう。

それは刃を立てた斬撃では無く、刃を寝かせ扇の様に風の壁を作る素振りだ。

狙い通りに風の壁が肉剣妖魔に放たれ、肉剣妖魔に着火した炎が風で煽られる。火鉢に扇で風を送り込んで火力を増すのと同様の理屈で炎は火力を増し肉剣妖魔の半身程に燃え移る。


「はっはぁ! やっぱ炎は煽ってなんぼだよな!」

「成程」


槍絃の狙いを理解した義刀は再度、業炎鬼としての炎の力を発動させる。

今度は鍔から炎を噴き出すのではなく、最近特訓している左掌で炎の塊を作る物だ。

特訓時の様に形状に拘りは無い。

ただ自然に消火される事が無い様にだけ集中し、可能な限り大きく炎を生み出し肉剣妖魔に投げ付ける。

業炎鬼が新たに放った火炎球は直径1メートルにも満たない。

その火炎球が着弾する前に絶風鬼が再度、薙刀を扇の様に振るい火炎球に風を送り込む。

火炎球よりも風の壁の方が速度が速い。

風は火炎球を背後から加速させ、壁が着弾した事で火炎球は皿の様に大きく成り火の津波に変化する。

境内は基本的に砂利で埋め尽くされており、燃える物といえば御神木と本殿と母屋。

肉剣妖魔を含めて御神木と本殿が山火事を連想させる程の広範囲の炎に包まれた。


「阿修羅院の建て直しはもう無理だな」

「別の場所に建てれば良いだけだ」

「淡泊だねぇ」


肉剣妖魔が業炎鬼の炎から逃げ切れたのは炎を全身に浴びる事が無かったからだ。

今、目の前の肉剣妖魔は頭から柄まで全て炎に包まれている。


「空に打ち上げなくて良いのか?」

「どうやって?」

「分からん」

「俺もだ。なので、燃え尽きるのを見守る」

「分かった」


そもそも体長4メートルの巨体を誇る肉剣妖魔が火達磨になっている。

もし空に打ち上げて地面に落ちるまでに炎が鎮火しなければ阿修羅院付近全域が燃え尽きる可能性が有る。

その前に激流鬼などの水を生み出せる鬼が派遣されるかもしれないが、派遣されなければ火事への対応や逃げ惑う人々によって肉剣妖魔に逃走される可能性が上る。

ただ効率的に妖魔を討滅する為の思考によって2人は肉剣妖魔が燃えていく様の観察を続けた。


「鬼ってのは基本的に単独行動だが、成程、こんな戦い方が出来るのか」

「業炎鬼と絶風鬼は偶々相性が良かった」

「言えてる。激流鬼と絶風鬼だとこうは出来ねえな」

「相手が炎の憑き物なら逆に俺たちの組み合わせの方が相性が悪い」

「そりゃそうか。俺の風が炎を煽っちまう」

「炎、いや、熱、奪えれば?」

「おい、どうした?」

「少し特訓の事を思い出していた」

「憑き物を前に余裕じゃねえか」

「そろそろ終わる」

「は?」


義刀の言葉に釣られて槍絃が肉剣妖魔を見ればその体積を大きく減らしている。

最初は4メートル近く有った全長は今や2メートルは切って魔装よりも小さくなっている。


「いやいや、焼けるの早過ぎじゃね?」

「鬼の炎が普通なものか」

「はいはい、舐めてましたすみません」


最もな言葉に肩を竦め、槍絃は薙刀を構え直した。

義刀も刀を上段に構え、鍔から激しく炎を噴いた。


「炎を出せ。炎の竜巻に包んでやる」

「分かった」


業炎鬼は炎を鍔から噴き出しながら上段から中段に構え直して火力を上げ炎を全長2メートルに噴き上げる。

絶風鬼は身体を独楽のように回して薙刀を突き出す力を為、刀から吹き上がる炎に向けて薙刀の周囲に集めた風の渦を突き出した。

特に掛け声も無く、ただ2人の鬼が静かにそれぞれの業を重ねただけだ。

宣言通り、刀から吹き上がる炎を肉剣妖魔に向けて竜巻が飲み込み肉剣妖魔を直撃する。

表面が焼けた事で多少なりとも鎮火が始まっていた炎が再び勢いを増して肉剣妖魔を飲み込み、体表を炭化させた端からより大きな炎で飲み込んでいく。

消火するなら炭化する事、地面に炎を擦り付ける事が肉剣妖魔に出来る事だが鎮火した傍から火力を追加されれば成す術は無い。

槍絃の想定通り、肉剣妖魔は境内全てを飲み込む程の火力に飲まれ、今度こそ焼失した。


「逃走した可能性は?」

「逃げられるような穴は無い。周囲は狐共に見張らせていたが、特に逃げる物は無いみたいだ」

「では?」

「ああ。討滅完了だ」

「助かった」

「へっ、尻拭いしたんだし、今度団子を奢れよ?」

「お前、団子を早食いしただろう?」

「急ぎだったんだよ。今後はちゃんと味わうって」

「なら良い」


義刀は納刀し、槍絃は薙刀を振って左手と軽く打ち合い魔装を解除した。

全焼した御神木と本殿、偶然火事に巻き込まれなかった母屋を見ても義刀と槍絃は何も感じない。

ただ戦闘の余波で起きた火事だと認識しているだけだ。

再建の目途が立っていただけに時雨乃は肩を落としているが2人は視界の端に納めながら気にもしなかった。

妖魔に堕ちたとはいえ甥を目の前で焼き殺された閃郷切乃介は何かに耐えるように眉間に皺を寄せて肩を小さく震わせている。

どんな気持ちで居るのか2人には分からないし知る意味も感じられないので気にしなかった。

妖魔を討滅して少しすると喪服の様に黒い着物に身を包んだ10代前半の少年が現れた。

以前に阿修羅院で義刀が声を掛けた時と異なり背後に数人引き連れている。


「消火活動を頼む。それと、今回は逃げられていないか念の為に周辺を警戒しろ」

「畏まりました」


短い返答を返す少年以外は話す事は無い。

少年が身振りで水場を示すと少年よりも年上らしき者も含まれるが少年に反発する様子も無く水場の水を使って消火活動を開始した。

桶の数は集まった人数よりも少なかったので余った人員は周辺を警戒している。

義刀の指示通りに肉剣妖魔が逃げたか確認しているのだろう。

念の為に消火活動を見届けてから離れるつもりの義刀と槍絃に時雨乃と閃郷切乃介が近付いて来る。


「これで終わったのですね」

「そのはずだ」

「甥が迷惑を掛けた」

「鬼は魔を滅するが勤め。謝罪される理由は無い」

「それでも、身内の不始末に決着を付けて貰ったのは某だ」

「好きにしろ」

「義刀、そんなだから業炎鬼は話し辛くて誤解されるんだぜ?」

「……そちらの、緑の鬼の方とは随分と毛色が異なるのだな?」

「男に見られるのは趣味じゃねえんだ。流派による特色だって思っといてくれ」

「良かろう」


槍絃の軽薄な態度は好まないようで閃郷切乃介は直ぐに会話を切り上げ時雨乃に深々と頭を下げて阿修羅院から去って行った。

彼はそもそも流浪人で京の街の住民ではない。特に何も言わないが近日中に何処かに旅立つのだろう。

時雨乃も別に槍絃の事は好まないので自然と義刀に視線を向けた。

槍絃は空気は読めるので義刀だけに時雨乃への対応を任せて境内近くに来ている狐の方に向かった。


「このような事がまた起きるのでしょうか?」

「だろうな」

「憑き物に成る程の激情、私にはまだ理解出来そうに有りません」

「理解出来れば憑き物に成るだけだ」

「それもそうですね」

「再建に更に時間が掛かってしまうだろうが憲兵隊が来て事情は伝わるだろう」

「はい。仮の住処も、もう暫くは我が家のままでしょうね」

「そうなる」


特に話す事は無い義刀は事務的に伝えられる事だけ伝えて腕を組んで妖魔が消滅した辺りに視線を向けた。

周囲に燃え移った炎は喪服の男達の活躍で消火が進んでおり阿修羅院周辺に燃え移る事も無さそうだ。

こんな事が京の街では何日かに1度は起きる。

義刀だって1週間の間に閃郷斬乃介、銀条撃蓮と2体の妖魔に遭遇している。

今後も似たような頻度で、もしかしたらより頻繁に妖魔が発生するかもしれない。

そんな事を考えている義刀に何かを察したのか時雨乃も燃える境内を見ながら口を開いた。


「今後も、憑き物は生まれ続けるのでしょうね」

「そうだ」

「その度に、誰かが激情を持つのでしょうね」

「そうだな」

「では、私はまた憑き物に成る方の事を調べようと思います」

「好きにしろ」

「はい。もし戦いの場に居りましたら、お気になさらず。私からもお声掛けする事は控えます」

「そうか」


今回は偶々、阿修羅院を発端として妖魔が連続して発生した。

だから義刀も時雨乃が付近に居る事で妖魔の動向を想定し易かったから付近に居る事を許容して居たが、今後は違う。


「出来ればもう、お会いする事が有りませんように。では、失礼します」

「ああ」


そうして阿修羅院を去って行く時雨乃を意識から除外して義刀は消火活動と周辺の観察に集中する事にした。

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