肆話
業炎鬼で稽古に励んでいた義刀だが今日は代官から勅命を受け憲兵隊隊長が入院する療養所に来ていた。
目的は不明だが彼に隊長から伝えることが有るので聞きに行けと言われれば立場上断れない。
見舞いの果物と魔装装着用の刀を持って療養所を訪れると憲兵が待っていた。
「来たか。入れ」
憲兵の後に続いて療養所の中に入れば肉剣の被害に遭った他の憲兵たちも治療を受けていた。数名が義刀に向け睨むような、蔑むような視線を向けてくるが全く気にする様子は無い。
憲兵隊隊長は右腕を失ったことと疲労により長期の療養を余儀無くされている。その上、現場での仕事は不可能だ。彼の人生は大きく躓いたと言っても良い。
「よう、討滅ご苦労さん」
隊長は義刀に何の恨みも無いようで嫌味の無い笑みを向ける。
義刀は少し意外だったが自分から聞く理由も無いので話を先に進めた。
「この度は進退に関わるほどの大怪我、大変だとは思いますがご自愛ください」
そう言って土産の果物を布団の横の小棚に置いた。
「全くだ。もう現場は無理だって分かってるし田舎に引っ込もうと思ってるよ」
「隊長!」
「喚くな。此処は療養所だぞ」
部下を黙らせ義刀に再び視線を向けた。
「部下共はお前に思う所が有るらしいが、此度の事は俺の力量不足。誰が何を言おうとお前の気負うことじゃない」
慰めとも取れる言葉だが義刀には全く響かない。最初から責任など感じていない。ただただ、五月蝿いと思うだけだ。
「お前に伝えておこうと思ったのは、多分、もう1人憑き物が出るってことだ」
「もう1人?」
「ああ。お前が討滅したのは都の西に有る銀閃流の閃郷斬乃介という侍だ」
「人間の武芸には興味が無い」
「鬼と人間じゃ勝負にならねえからな。でだ、今は次期当主決めの直前だったんだがどうにも当主候補の2人、斬乃介と当主の息子の銀条撃蓮(ぎんじょうげきれん)は同じ女を懸想していたらしい。その女、誰だと思う?」
義刀は欠伸をした。
「興味持てよこの世捨て人。相手は阿修羅院の時雨乃嬢だ。2人は次期当主になった暁には時雨乃嬢に婚姻を申し込むつもりだったらしい」
正座しながら船を漕ぎ始めた。
「……お前、本当に興味無えんだな。ま、時雨乃嬢が憑き物に襲われれば僧侶一家も憑き物に近付く。仕事を減らしたかったら何か手を打っておけ。それだけだ」
「貴重なご意見頂きましてありがとうございました。長居してもご迷惑でしょうから、これにて失礼」
「反応早いなオイ」
呆れた隊長だが全く名残惜しさの無い義刀の背を見て安心した。
「お前ら、鬼を相手に感情を見せるな」
襖を挟んだ隣部屋に数十名、室内の数名に隊長が最後の教えを説いた。
「奴らは人間として生きられない。奴らは人間よりも憑き物に近い。奴らは人間を守る為に感情を殺した。人間が人間で有る為に、鬼はただ憑き物を狩る。そこに感情は必要無い。同情も、憎しみも、悲しみも、何もかも、奴らには必要無い。だからお前らは奴らに何も感じるな。奴らもお前らに何も感じない。今後一切、鬼に感情を抱くな。それが、俺からお前らに伝える最後の命令だ」
ただ沈黙のみが療養所に訪れた。
▽▽▽
療養所を後にした義刀は鼻に残る薬品臭さを拭う為に甘味処に来ていた。
隊長の忠告に従い阿修羅院の近く、1つ隣の通りに有る店で餡団子と緑茶を堪能する。
時雨乃がどうなるかには本当に興味が無いのだが仮にも鬼、事前に妖魔を討滅出来るのならば見逃す気は無い。彼が発生を抑えない数少ない感情である美味いという感想から生まれる嬉しさ。それを全く抑えずに義刀は意識の九割を団子に、一割を阿修羅院に裂く。
しかし、人の楽しみとは長くは続かない。
阿修羅院の方から時雨乃が母親らしき女と共に歩いてくる。
通りに背を向けるように体を回し店内の方に視線を変える。時雨乃が外出する時まで監視する気は無いので団子を食い終われば鬼通りに帰るだけだ。
名残惜しく思いながらも最後の串に手を伸ばし、背後の騒がしさに手を止めた。
「この度は同門が大変なご迷惑をお掛けした。道場を代表しお詫び申し上げる」
若い男の声だ。
義刀とあまり変わらない程度に幼さの残る声変わりして数年の低さと高さが同居した声だ。
タイミングとしては丁度時雨乃が義刀の背後を歩いている程度のタイミングのはずだ。
思わず首だけで振り返った義刀は困ったように周囲に助けを求め視線を彷徨わせていた時雨乃と目が合った。
遭遇したことは既に諦め声の主を探すと若い侍が時雨乃と女に向けて頭を下げていた。ここが路上でなかったら土下座でもしそうな勢いで低く頭を下げる姿は侍らしくない。
男が言った同門とは銀閃流の事だと当たりを付けた義刀は最後の串を引っ掴んで体を通りの方に向けた。
特に何もしない。
「あの、頭を上げてください、お侍様」
野次馬に徹する義刀に1度不満そうにした時雨乃だが長時間頭を下げられていても困る。頭を上げてもらう為にも母に変わって声を掛けた。
若い侍は非常に申し訳なさそうに眉を歪めた顔を上げ時雨乃、母親の順に視線を逸らした。
「神聖な寺院ばかりか母屋まで破壊するとは、何度謝罪しても許されることは無いだろうが、申し訳ない」
今度は深過ぎずやり過ぎずの謝罪を口にし2人に向き合った。
「私は銀閃流当主が長男、銀条撃蓮と申します」
「あ、えっと、ご丁寧に、阿修羅院僧侶の妻、雪乃です」
「娘の時雨乃です」
母親である雪乃方は権力者である侍からの謝罪に戸惑っているが時雨乃は何かを我慢しているように見える。
それは時雨乃をよく知る者ならば気付いただろうし、時雨乃の研究心らしき物に気付いた義刀でも分かる態度だった。
……また肉剣が妖魔になった理由を聞くつもりなのか?
あまり興味は無いが今までの経験から事態が悪化する予感がした。
「何か有れば遠慮無く銀閃流へ。私はこれより阿修羅院に向うが、僧侶様はご在宅か?」
「ええ。私たちは買い出しが有るのでお持て成しは別の者がすると思いますが」
「事前に話を通さずに伺うのは私の方、お気遣い無く。では、失礼」
生真面目で沈痛な表情を崩さず撃連は2人の横を抜け阿修羅院への道を進んでいった。
路上での出来事に面白がっていた野次馬たちだが撃連が去った事で騒ぎは霧散した。
騒ぎが納まり雪乃がまだ困惑している隙に時雨乃は義刀に非難の目を向けた。
「鬼は魔を滅するのみ。人の世には関わらない」
「分かっています」
拗ねた時雨乃だが義刀たち鬼の事を聞いた後だ。理解は出来ないが自分の感情を押し付けるような真似は避けた。
「今なら撃連に斬乃介が魔に変じた故を聞けたんじゃないか?」
「かもしれません。しかし、それは後日銀閃流道場にて聞くことも出来ます」
何か有れば来いと言っていたのだ。確かに時雨乃が銀閃流に赴いて聞いた方が落ち着いた状態で聞けるだろう。
分からないのは時雨乃の執着心だ。
義刀には拒絶されても質問を続けた時雨乃が撃連には全く質問しなかった。
「そうか」
「はい。では、これで」
義刀は会計を済ませ阿修羅院の前を通る方へ、時雨乃は雪乃と共に阿修羅院に背を向ける方へ進んでいった。
▽▽▽
鬼は妖魔の噂が流れない限り力仕事や道場を経営して生計を立てている。討伐は憲兵や貴族たちの依頼によって行われることが殆ど、そして討伐することで国から報酬が支払われる。
義刀が住み込む業炎鬼は普段は道場として人々に剣を教えており義刀はその次男。継ぐ事は無いだろうが指導を手伝うことは多い。
他にも都内に荷物を運ぶ集積所の手伝いをする事もある。
あまり剣の指導は好きではない。何も考えず機械的な作業に集中していれば良い集積所の仕事は気楽だ。
意外な事に銀閃流の撃連が集積所で何かを探していた。
「探し物か?」
雇い主に歳が近そうという理由で話し掛けるよう命じられた義刀は渋々撃連に接近した。
振り返った撃連の絵に描いたような驚いた顔、周囲は小さく笑っているが義刀は無表情のままだ。
「ああ。阿修羅院宛ての小包を見てないか?」
何が有ったら銀閃流から阿修羅院に小包が行くのか分からない。しかし朝に雇い主から渡されたリストに阿修羅院宛ての荷物は4つあった。3つは工事用の大きな荷物だが1つは小包だ。送り主は書いていないので撃連に渡すかは躊躇われる。
「ああ、荷物が有る事を確認したかっただけだ。渡してくれとは言わないよ」
爽やかな笑みを浮かべる撃連だが中々去ろうとしない。
無視して仕事を続ける義刀の事を周囲は変な目で見る。
「なあ、君が阿修羅院で閃郷殿を斬った鬼か?」
「…………」
「答える気が無いのは分かった。それが答えになる」
「…………」
「手合せ願おう」
刀が鞘を擦る微かな音が集積場に響いた。
微かな音にも関わらずその音は確かに人々の動きを止めた。止めるには充分に力で周囲を威圧した。
ただ溜息を吐き感情の無い瞳を向ける義刀に怯みもせず撃連は正眼の構えを取る。
義刀は素手だ。
撃連は義刀に刀を取れと首だけで示した。
「坊主、表でやってきな」
集積所中からオヤジと呼ばれる上司から鞘に収まった刀が義刀に投げ渡された。
「……はい」
顎で外を示す。
少し頭を冷やした撃連は納刀し義刀に続き外に出た。
義刀の溜息は絶えない。
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