弐話

少年が消火を行うのを手伝う者は居ない。

誰一人彼に近付けない。

少年は全くそのことを意識せず消火を終えると桶を元有った位置に戻し男の死肉を確認した。首と右手首を切断された死体の脇腹を確認すれば肉剣が塞いだ筈の傷口は開き大量出血を起こしている。

少年は何の感情も出さずに男の死体を確認し終えると野次馬の群れの中から人を探し出した。


「死体の接収を頼む」

「御意」


少年が境内から声を掛けたのは少年より更に若い少年だった。

喪服のように黒い着物に身を包んだ少年が京の街に消えた。

彼が鬼の仲間を呼び男の死体を回収する者たちを呼んでくる手筈だ。

境内に視線を戻した少年は隊長に注目した。憲兵たちに削がれた肩の傷の手当をされているようだが痛みに耐えて僧侶一家への補償や修理の為の指示を出している。


「……良い武士だ」

「当然だ。俺たちの隊長だぞ」


憲兵の1人が少年に声を掛けた。槍を持つ手は悔しさで震えておりその身体には真新しい傷が無数に走っている。

僧侶一家を助けに入った憲兵の1人だろう、立っているだけでも疲労するのか息は荒い。

少年は何も応えず誰も近付かないように無表情のまま境内の隅に移動した。

それでも空気を読まずに近づいてくる者は居る。

救助された僧侶一家の1人娘だ。父や憲兵に庇われたのか彼女に傷は殆ど無いが、髪は多少乱れている。


「先程は助けて頂きまして、ありがとうございました」


塀に背を預け人を寄せ付けないように目を伏していた少年だが、少女は全く彼の意志を無視して人懐っこく近づいてくる。


「あのお侍様は、どうなったのです?」


少女が気に掛けているのは化物と化した男の事だった。

憲兵たちが不思議そうな顔をする中、少年だけは全く気にせず状況を伝えた。


「俺が切った」

「……そうですか」


予想していた答えを貰った。

少女の反応はまさにそれだった。


「何故、お侍様は憑き物になど?」

「知らん」


一言だけ返して少年が背を向け離れようとするが少女は恐れ知らずにもその肩を掴んだ。


「ですがっ」

「興味が無い」


少女が続きを口にする前に少年は肩に乗った手を払い距離を取った。


「鬼はただ、魔を討滅するのみ。他は関わらない」


それだけ言って少女が質問出来ないよう背を向け少年は今度こそ1人になった。


▽▽▽


京の都は碁盤の目のように作られている。

その中でも北東、占い師たちが鬼門と呼ぶ包囲の地域には鬼たちは集められている。

鬼通りと呼ばれるその区画には小さな河川が有り本来の区画を無視して作られた通路が有る為、T字路になった一角に業炎鬼と看板を掲げる鬼の住処がある。

室内には赤い鎧の装甲や武具が置かれ職人らしき男たちが整備を行っている。

その隅で木刀を片手に稽古に励む男たちが居た。

業炎の赤鬼を駆る少年の姿もそこにあった。

木と木が打ち合う音が屋外にまで響くが、他の鬼の住処からも似たような音が響いている。誰も住処から音が聞こえてきても何も感じていない。

ただし、少々の例外はある。

鬼の住処には不釣合いな丁寧な着物の着方が特徴的な少女だ。阿修羅院の僧侶の娘だが、彼女は非常に浮いていた。

1枚の紙片を片手に業炎鬼の前に辿り着く。


「もし、此方に義刀様はいらっしゃるでしょうか?」


強面の職人たちに精一杯の勇気を振り絞った問いを投げかける。

職人の1人がうら若い少女の問いに応え稽古場の少年を呼んだ。


「おう、義刀。お客さんだぜ、女の!」

「はぁ!?」

「女!?」

「どうなってんだ義刀!」

「殺!」


騒ぐ周囲を全て軽く躱して稽古場から出た少年は少女には妙な成りに見えた。

10代半ばの少年は背丈にもその黒髪にも可笑しな所は無い。黒い稽古用の道着は胸に炎の刺繍が施され、それが彼の無表情に妙に似合っている。

しかし人間として不自然なことに、眼だけは異常に紅い。しかも東洋人らしい黒色と不気味な紅色が重なるように色彩が変化するように見えた。

少女は必死に見間違いだと自分に言い聞かせ少年を観察した。

稽古で息が切れ肩を上下させてはいるが歩みに疲れは無い。


「何をしに来た」

「あ、えっと、先日のお礼に」

「俺は魔を祓っただけだ。お前に感謝される謂れは無い」


突き放すような義刀の言葉に少女が固まる。悪意一歩手前の義刀の言葉に対する反応を見るに少女は人の悪意に慣れていない。

だが、ここでは義刀に味方は少ない。


「てめ、こんなお嬢さんに何舐めた口利いてんだヘタレ!」

「寂れた職人街に可憐な少女、それを減らそうってのかこの屑!」

「素直にお通しして差し上げろこの役立たず!」


恨み節と拳骨の嵐を辟易しながら躱して義刀は業炎鬼道場の外に逃げ少女を盾にする。


「きゃっ」

「この卑怯者!」

「最低野郎!」

「人間の屑!」


溜息を吐き義刀は少女に一言告げた。


「もう此処には来るな」


そう言って義刀は鬼通りに消えていった。

取り残された少女と職人たち、気まずい空気に押し潰されそうな門下生たちが何とか口を開いた。


「取り敢えず、いらっしゃいませ」

「は、はい! お邪魔します!」


義刀の居ない間、少女の自己紹介と業炎鬼道場との対談が始まった。

座敷に通された少女は綺麗な正座で持て成しを受けた。

正面には義刀の父親を名乗る誠実さと厳しさを同居させた表情の初老の男が座っている。


「本日は突然の来訪にも関わらずお持て成し頂き誠にありがとうございます」

「なに、構わんよ」


相手の緊張を和らげる為だろう笑みを浮かべたが、少し引きつっている。

皺とも相まって癇癪一歩手前の危険な表情に見えなくもない。


「わたくしは阿修羅院の娘、時雨乃と申します」

「義刀の父、忠刀と申す」


机の上には茶と綺麗な菓子が置いてあり忠刀の3歩背後には妻らしき女が控えている。綺麗な菓子は彼女が用意した物だ。


「して、何故に時雨乃殿は義刀を訪ねて参った」

「……先日、義刀様は阿修羅院にて魔が憑いたお侍様を切りました。そのお礼と、お伺いしたい事が有りましたので」

「魔を滅するが鬼の務め。奴への感謝は無用だ」

「同じことを仰っておりました。しかし、真に勝手ながら本題はお伺いしたい事についてです」


時雨乃の言葉に忠刀は眉を歪める。この先は彼も何度も経験したことだ。


「何故、あのお侍様は憑き物に成られたのでしょう?」

「それは鬼の知ることではありますまい」

「……調べる、ということはしないのですね?」

「我らは魔を持って魔を滅する。故に、それを調べ魔に近付けば魔に変じることもある」

「え?」

「我ら鬼は西洋の騎士と違い常に自らが魔に変じる危険を抱えている。故に、魔に変じる可能性を極限まで削ぎ落とす必要がある。それがお国が定めた鬼の務め。人の世の為の法」


まるで用意していたかのように淀み無く説明する忠刀の言葉に時雨乃が固まった。


「もし魔に変じた故を知りたければ、己で調べるが良かろう」


それだけ伝えると忠刀は部屋から去った。

顔を青くしてその場を動けない時雨乃に女が声が掛けた。


「御免なさいね、親子揃って堅物で」


優しい鈴の音のような澄んだ声をしていた。

耳心地の良い声に時雨乃は警戒心を忘れ女に無防備になる。


「自己紹介が遅れてしまったわね。忠刀の妻、直刀よ」


声と同じ優しい笑みを浮かべ時雨乃の隣に着く。

自分の分の茶を注ぎ菓子を口に運んで小さな口でほんの少し齧ってから話し始めた。


「さっきの話だけど、別に隠された真実ってわけではないのよ?」

「え?」

「鬼が忌み嫌われている理由だもの。最近の若者は単純に老人たちが嫌っているからって特に理由までは考えていないわね」

「だ、だって、西洋の騎士が使う魔装でそんな事になるなんて聞いた事が無いですよ?」

「西洋は資材も人員も豊富だからかしら、ヤマトの鬼は単身で妖魔に挑むけど西洋の騎士は最低でも4体で挑むのよ」

「それが、どうして憑き物に繋がるんです?」

「鬼と騎士が同じ技量の乗り手で立ち会った場合、鬼の方が高確率で勝つの」

「何故です?」

「鬼は、単身で妖魔を滅する為に妖魔の力を組み込んでいるからよ」

「……え?」


小さな呟きだったにも関わらず、直刀の声は明瞭に時雨乃の耳に届いた。


「魔を持って魔を滅す」

「忠刀様のお言葉ですね」

「いいえ、これは鬼が必ず自分に刻む言葉よ」


否定から始まった直刀の説明に時雨乃は何も言えない。


「騎士には無くて鬼には有る。それが魔動駆関という鬼に積まれた機工よ。妖魔が生まれる理由はご存知?」

「確か、身を焼くほどの憎しみや欲望に囚われた人や動植物が変ずると」

「概ね正しいわ。鬼は魔動駆関と常に繋がり常に欲望や憎しみを糧に力を得ている。だから通常の人よりもずっと小さな憎しみや欲望で妖魔に変じてしまう」

「……現代ならば鬼を増やして複数で憑き物を討伐出来るのではないですか?」

「色々な科学者、時の為政者が研究を重ねて来たし、今も研究されてるんだけどね。それでも解決案は出ないまま。西洋や大陸の生産力が有れば良いのだけれど、結局は人員が足りないでしょうね」

「他国に支援を求めないのですか?」

「その結果、何を要求されるか分からないわ。確実にヤマトは搾取の対象になるでしょうね」


現状で個人が出来ることは無い。

それが直刀が時雨乃に伝えた現実だった。


「1つだけ、これだけは知っておいて。今の都で妖魔の被害者になるのは事故で大怪我をする確率と殆ど同じくらいの確率よ。理解してとは言わないわ。ただ、知っておいて」


稽古場や職人部屋を見学するのは構わないとだけ告げて直刀も部屋を去った。

残された時雨乃はただ拳が赤くなるほど強く握り締め唇を強く噛んでいた。口の端から血が滲み、拳はやがて血の気が無くなり白くなった。

少し経ち、ようやく自分を落ち着かせた時雨乃は席を立ち丁寧に挨拶をして業炎鬼を後にした。

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