05.女友達の腹筋は割れている

いつものように自分の部屋。


いつものように風呂を出てきた葵がいつものようにベッドに腰を下ろす。


「伊織ー、重しー」


「俺は重しじゃない」


と言ってみても結末が変わらないのはわかっているので、素直に葵の脛の上に腰を下ろす。


これから葵がしようとしてるのは腹筋で、俺はその時に身体が持ち上がらないようにするためのウェイトだ。


ちなみに後ろ向き。


前向きでスマホを弄っていると頭が正面衝突して危ないからな。


葵がやるのは後頭部に両手を揃えたスタンダードな上体起こし。


最近は腹筋(上体起こし)不要説なんでのもあるらしいけど、葵とのトレーニングメニューでは基本的にこれだ。


そもそもバランスよく鍛えたいならリングフィットでもやればいいので、腹筋自体をやることに目的を見いだしている感もあるが。


ともあれ、この役割から解放されるためには葵が満足しないといけないので、とっととやるべきことを済ませるのが一番。


「いーち」


といつものようにカウントしてやると、横になっていた葵の額が俺の背中にコツンと触れてそのまま戻っていく。


尻の下にぐっと力が掛かってからその圧力が弱くなり、背中への感触を境にまた段々と力が掛かっていく感覚はちょっと面白い。


「にーい」


スマホを弄りながら女友達の上に乗って筋トレを手伝っている奴は、日本広しと言えど俺くらいだろうな。


「さーん」


これ自体慣れた日課の一部だけど、誰かに見られたらだいぶ変な顔をされるのは簡単にわかる。


「よーん」


あと葵は女らしさはそんなに無いが、その気安さと明るさで大学の男には結構人気があるらしい。


「ごー」


おっぱいも大きいし。


「ろーく」


まあ顔だって客観的には整ってるしな。


「なーな」


そう考えると俺が葵のことを異性として見ていない方が不思議なことのように思えるが、特に事情はない。


「はーち」


強いて言うなら自然とこうなっていたんだけど、もしかしたら本当に最初の最初は異性として意識したことがあったかもしれない。


「きゅーう」


もうそんな昔の記憶なんて覚えてないけどな。


「じゅーう」




(~中略~)




「にじゅきゅうー」


結局彼女が欲しいかどうか以前に、ちゃんと恋愛ができるかどうかが問題なんだよなあ。


「さーんじゅう」


「っぷはー!」


俺が自分の恋愛クソザコっぷりに想いをはせていると、葵のノルマが終わったのでカウントも止める。


「おーわり」


「お疲れ」


丁度手癖で周回していたアプリの日課も終ったので、そのままソファーに帰ろうとすると葵に呼び止められる。


「ほら、交代」


というのはつまり俺にも腹筋をしろと言うこと。


んー、と思ったがまあいいかと思い直して、パンパンと葵が叩くベッド中央に横になる。


当然のように俺の脚の上に乗る葵は、ウェイトとしては若干物足りないのだがそこはしょうがない。


いくら胸が有っても流石に相当筋肉つけないと男より重くはならないからなー、なんて二重の意味でセクハラな感想は心の中に仕舞っておいて。


葵はこっち向きかあっち向きかはその日の気分次第なんだが、今日は俺と同じくスマホを握ってあっち向き。


「いーち」


とむこう向きの発声でコールが始まって、ふんっと腹に力を込める。


上体を起こしてから、葵の伸ばした背中に額をつけるとその拍子に前髪がくしゃっとなった。


「にーい」


全く同じ前後反復運動をしていると、気分はさながら水飲み鳥だ。


「さーん」


つーかもうすでに辛い。


そもそも腹筋苦手なんだよ。


「しーい」


なるべく楽をするために勢いよく上体を起こすと、おでこが今までよりも高い位置に当たった。


「いでっ」


触れた感触は背中より盛り上がっていて、軽い痛みが走る。


そして俺が痛かったということは当然葵も痛かったわけで。


「ちょっと、ブラの金具は避けなさいよって前から言ってるでしょ」


そう、当たったのは葵のブラジャーのホックの部分だ。


「避けるも何もどこにあるのかわかんねえって前から言ってるだろ」


「ここよ、ここ!」


葵がシャツをぴっと引っ張ると、確かにブラジャーのベルトの部分がはっきりと浮かび上がる。


「覚えたっ?」


「いや?」


「なんでよっ」


いやー、だって女子のブラの高さとか普通覚えんし。


「もう面倒だから文句があるならシャツ脱いでろよ」


それならシャツに隠れた下着に頭突きする危険性もない。


まあ実際脱がれたらそれはそれで困るが。


「じゃあほら」


「ってマジで脱ぐんかい」


「あんたが言ったんでしょ、なにか文句でもあるの」


本当は抗議したいことはあるが、自分が言いだした手前それを引っ込めたら完全に負けなので言う訳にはいかない。


「あー、もういいよそれで、続きやるぞ」


「ごーおっ」


「いや、はええわっ」




(~中略~)




「にじゅうはちー」


し……、死ぬ……。


「にじゅうきゅー」


もう目の前に下着姿の女がいるとかそんなことどうでもいいくらい腹筋がパリパリしてる。


「さんじゅー」


ぐおおおおおおお!!!


「おしまいっ!」


と叫んでからそのままベッドに倒れ込む。


ちかれた。


まあ短時間的な筋肉の疲労だけで、明日に筋肉痛が残るほどのトレーニング強度でもなかったんだけど、それはそれとして疲れた。


もう数日は腹筋はいいな、なんて俺の思惑とは裏腹に、シャツを着た葵が楽しそうに告げる。


「また明日ね」


日課と言いつつお互いに、毎日やることを課しているわけではないのだが、少なくとも今の葵はやる気に満ちているらしい。


このままだと明日どころか今週ずっと毎日コースかもしれない、と危機感が俺に囁くので遠回りに牽制しておく。


「腹筋バキバキになったら男にモテねえぞ」


「それなら大丈夫、ちゃんと割れないように加減してるから。ほら」


シャツの裾を捲って今度は腹を見せる葵に目を凝らす。


うーん?


「いや、もううっすら割れてねえか?」


「うそおっ!?」


そこには薄っすらとだが確かに筋肉の繋ぎ目の段差ができている。


「うわー、気付かなかった」


「まあまだできかけって感じだしな」


ちょっと筋トレを休むか脂肪を付けたら見えなくなるくらいだ。


「でも流石にねー、腹筋はねー」


「別にいいだろ、誰に見せるでもないし」


他人に腹筋見せるなんて海に行く時か温泉にでも入るかセックスする時くらいだろう。


そして基本引きこもり気質なゲームオタクが海とか温泉に行く可能性はかなり低い。


セックスは言わずもがなだしな。


そんな俺の論理的な思考を、葵は否定する。


「トレーニングは自分のためにやってるから人に見せるかどうかは関係ないの」


肉体が絞られていくのが好きというならわからなくもないが、それなら腹筋割れててもよくねえか?とも思う。


「そこはあたしの美的感覚の問題だから」


「わかんねえ……」


「伊織だってゲームでキャラメイクするとき、人が見てもわからないくらい顔を微調整するでしょ。それと一緒よ」


「あー」


なんとなくわかったような、わからないような?


「結局自分が納得することが大事?」


「そういうこと」


一応の理解を得た。


「じゃあ明日は腹筋は無しだな」


これ以上鍛えたら腹筋が見事なチョコモナカジャンボになってしまう。


別に俺が腹筋したくないからではない。


「そうね」


「よし」


「じゃあ明日は代わりに腕立てで」


「ええ~~~」


どんなに理屈をこねて頑張っても、無限筋トレ編からは抜け出せないようだった。




「伊織、背中押してー」


「んー」


今度はベッドの上で開脚前屈をしている葵にストレッチの手伝いを要求される。


正面から見たらショートパンツの隙間から下着が見えそうな格好だが、当然葵はそんなことを意識しないし俺もしない。


「じゃあ押すぞ」


「よろしくー」


裏に回って背中に両の掌を当て、そのままゆっくり力を籠める。


くーと曲がっていく葵の上体が30度を超え45度を超え、60度を超えてもまだ曲がっていく。


もはやこれ俺いらなくねえか?


なんて思うほどよく曲がる葵の体は、最終的に水平にかなり近い角度まで倒れる。


「もうすぐ顎がベッドにつきそうだな」


というか胸の先端はもう床についてる。


「んん~、でもここから先が長いのよねー」


「俺にしたらもう十分に見えるけどな」


俺だって葵のストレッチに付き合わされることはあるので同年代の男の平均よりは柔軟できると思っているが、それでもこんなには曲がらない。


というかもう軟体生物かな?ってくらい別の生き物に見えてくる。


「つーかこれ俺いるか?」


ここまで曲がるならもう後ろから負荷をかける意味があるのかも俺にはよくわからない。


「んー、どうだろ」


「おい」


「あはは、冗談だって。ちゃんとストレッチの足しになってるわよ。……たぶん」


「帰っていいか?」


「ここが伊織の部屋でしょ」


まあそうなんだが、家に居ても家に帰りたくなることってあるよな。


え?ない?


「じゃあ交代」


「ん」


別に俺は身体が柔らかくなりたいわけではないんだけれど、それでも身体が柔らかくて困ることがあるわけでもないのでたまにはこうして交代している。


「それじゃはい」


「んんん~~~」


ベッドに腰を下ろして後ろに座った葵に後ろから押されると、全身の筋がぎりぎり言ってるのがわかる。


「ほらもうちょっと」


「いだだだだ」


勢いよく押しすぎると身体を痛めたりするのだが、されとて負荷をかけないと効果は薄いので葵が程度を見極めてじわじわと、しかし確実に圧力を上げてくる。


「がーんばれ、がーんばれ」


葵の声はなぜが凄く楽しそうで、見なくても満面の笑みを浮かべているのがわかった。


「むりむりむりむりむりむり!」


悲鳴を上げると葵がそのままの位置をキープして、俺が拷問からの脱出をするのを許してくれない。


「伊織はいまいち身体柔らかくならないわねー」


「お前がおかしいんだよっ」


「誰がおかしいですって?」


「ぐがががぎぎぎぎぎ!」


そこからたっぷり三十秒の制裁を受けて、俺の全身の筋肉はズタズタに断裂してしまった。


「ストレッチくらいでそんなになるわけないでしょ」


まあそうなんだけど。


「んー、今日は満足」


と気持ちよさそうに伸びをする葵とベッドから降りてソファーと座布団に戻る。


普段ならここからゲームを始める流れだが……。


「そうだ葵」


「ん?」


「腕相撲しようぜ」


「なによ急に」


当然、思いついたのはバイト先で後輩と腕相撲したからなんだが、実際に葵とならいい勝負になるんじゃないかと思ったから。


俺の方が体格的には有利だが、筋トレの質的には葵の方がちゃんとしてるのでどっちが強いのか気になったのだ。


「俺の鍛え上げられた筋肉でわからせてやるぜ」


「そういうのは自主的に筋トレしてから言いなさいよ」


なんて言いつつ葵もやる気はあるようで腕捲りをしつつこっちに手を差し出す。


「いつでもいいわよ」


ぎゅっと組み合った手は、さっきまでの筋トレで熱を持っていて熱いくらいに感じる。


当然、ハンデ無しの真剣勝負だ。


「それじゃあ、レディー、ゴー!」


合図とともに気合を入れて、お互いに全力で力を籠めると腕が僅かに傾いた。


そのあとたっぷり数十秒をかけて勝負を決したのだが、どっちが勝ったかは葵の名誉のために秘密にしておく。




★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


身体が柔らかい女の子っていいですよね。


次回は再び後輩のターン。


そして明日投稿できるといいな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る