第9話 昇降口


「ちょっといい?」


 放課後。


 愛莉は昇降口で上靴から普段靴に履き替える最中だった潤一に、勇気を振り絞って声を掛けた。


「いいよ。でも、靴履くまで待っててくれないかな?」


 潤一は相手を待たせないために、そそくさと両足に靴を通した。


「よっと。オッケー。それで用件は何かな?」


 潤一は話を促すために、愛莉の目を見つめた。


「う、うん。ちょっとね」


 愛莉はなぜか恥ずかしそうに潤一から目を逸らした。


 潤一はその不自然な行動に対して脳内にクエッションマークを描いた。


「・・あの。この前、助けてもらったお礼がしたいの。だから、私とカフェでも行かない?もちろん、お金は私が払うから」


 愛莉は豊満な胸の前で両手を握り、頬を紅潮させながら潤一を誘った。


 よく目を凝らしてみると、愛莉の瞳は潤んでいた。


「いや、悪いよ。それに大したことはしてないから、お礼は必要ないよ」


 潤一は美少女に誘いを受けたことを内心喜びながらも、本心を口にして愛莉の誘いを断った。


 彼自身は本当に大したことをしていないと思っていた。


 それに愛莉のおかげで今田に報復できたため、少なからず、潤一は彼女に感謝していた。


「いや、ダメ!本当にダメ!私はお礼をしないと自分の気持ちが収まらないの。それに・・」


「それに?」


「ううん。なんでもない。とにかくお礼は絶対させてもらうから!」


 愛莉は真剣な表情で頼み事をするかのような綺麗な姿勢で潤一の瞳を覗き込んだ。


「おいおい。以前、那須さんおんぶしてた奴と那須さんが何か話してるぞ」


「まじか!もしかしてあの2人・・」


「いやいやそれはいくらなんでもありえないって。だって那須さんとそいつが一緒に登下校しているとこ見たことないだろう?」


 下校のため昇降口に足を運んだ複数の男子がありもしない事実を口走っていた。


 その声に反応して複数の生徒も関心を示し、視線を愛莉に移した。


『面倒臭いなあー。このまま拒否し続けてもこの子は諦めず、俺が目立つだけになってしまう』


 潤一は現在、自身が置かれた環境を脳内で瞬時に認識した。


「わかった!じゃあ、お言葉に甘えてカフェで奢ってもらおうかな」


 潤一は人差し指と親指で丸を作り、オッケーのサインを披露した。


「本当に!」


 愛莉の顔が華やかなものに変化した。


 おそらく無意識だろうが、愛莉は胸の前で両手をガッツポーズしていた。


「それでは行こうか。え〜と。ごめんね。君の名前を存じ上げてないから申し訳ないけど、教えてもらっていいかな?」


 潤一は頬を軽く掻きながら苦笑いを浮かべた。


「私は那須。那須愛莉っていうの。あなたは?」


 愛莉は潤一の名前を尋ねた。


「俺の名前は中森潤一っていうんだ。よろしくね。那須さん」


 潤一は愛莉が靴を履き替えるまで待機した。


 潤一と愛莉が一緒に正門に差し掛かるまで、部活動に勤しむ人間、またそれ以外の人間達が彼らに対して多くの視線を遠慮なしに向けた。


「おいおい。あの陸上部の那須が男と一緒に下校してるぞ」


「うわ!まじか!でも付き合ってるわけじゃないだろ」


「えー。あのビックツーの那須さんがねー。これは訳ありー?」


「それとも、本当に惚れてるのかもね!?」


 人々は躊躇いなく好き勝手な言葉を自由に表現した。


 それらの口は留まることを知らなかった。


 本当に、この世の中は表現の自由でありふれている。

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