第381話 荒くれ傭兵たち

 ノーザリア連合国、最北の都市トゥラム。

 その東門付近の市壁で見張りをする衛兵は、体を抱いて身震いをしていた。


「ううっ、今日も寒いなぁ。なあ、相棒」


 ランプの灯りが照らす、夜の暗闇の中。

 市壁の上の通路から、都市の外をぼんやり見張りつつ、彼は相方へと声をかける。


「ああ、まったくだ。それに引き換え、さっき入っていった傭兵どもは、今頃は酒盛りの最中だろうよ。羨ましいったらねぇぜ」


 声を掛けられた相方も、手にしたランプで周囲を照らしながら、そう愚痴をこぼす。

 二人の衛兵は、覚醒者用の武具の上に防寒具を身につけているが、それでも十分に暖かいわけではなかった。


 今の時刻は、二十時の閉門を過ぎたばかりの頃。

 夜番の見張りをする衛兵たちにとって、暖の効いた酒場で飲めや騒げの宴に興じる者たちは、羨望と嫉妬の対象だ。


「あー、俺も早く仕事を終えて、一杯やりたいぜ」


「気持ちは分かる。だが残念ながら、今日の見張りはまだ始まったばかりときた」


「やれやれ。世の中ままならないな──っと、何だ?」


「どうした」


「いや、向こう、北の方角なんだが──」


 一人の衛兵がそう言って、市壁の上から、都市の外の闇を見据える。

 彼は【暗視】というスキルを持っており、常人と比べてはるかに夜目が効く。


 もう一人も、彼が見据える方向にランプの灯りを向ける。

 だがランプの灯り程度では、遠くを照らすことはできない。


「お、おいおいおい……! なんだありゃあ……!?」


【暗視】スキルを持った衛兵が、戸惑いと狼狽に満ちた声をあげる。

 もう一人は、にわかに事態を把握できずにいた。



 ***



 一方、その頃。

 都市トゥラムの酒場“一角獣の憩い場亭”では、見張りの衛兵たちの見立てどおりに、大人数の傭兵たちによる酒盛りが行われていた。


「おい姉ちゃん、ビールもう十杯持ってこい! もちろん大ジョッキだ!」


「こっちもつまみ、五人前な! 大至急!」


「は、はいっ!」


「ていうか姉ちゃんも一緒に飲もうぜぇ。俺たちが奢ってやっからよぉ」


「あ、いえ、その、仕事中なので……」


「ギャハハハッ! そう言ってオメェ、酔い潰して宿に連れ込む気だろ」


「バーカ、何言ってんだ。そんなの当たり前だろ。朝までコースでズコバコってやつよ」


「バカはテメェだ。酒場で働く姉ちゃんを、タダで娼婦にしようとしてんじゃねぇよ」


「お、なんだやるか?」


「おう、いいぜ。望むところだ」


「いいぞ、やれやれ!」


 店には十数人の荒くれ者たちが居座って、どんちゃん騒ぎをしていた。

 静かに飲んでいたほかの客はすでに退散してしまい、今や彼らの貸し切り状態である。


「女将さぁん、マスター。あの人たちいつまでいるんですか? もう私、嫌ですよぉ。さっきなんて、お尻触られたんですよ? 蹴り飛ばそうかと思いましたもん」


 厨房に引っ込んだ際に、ウェイトレスの少女は彼女の雇い人たちに泣き言を言う。

 だが女将もマスターも、大忙しで酒や料理を用意しながら、渋い顔をする。


「追い出そうにも、冒険者? 傭兵? なんだか知らないけど、覚醒者なんだろ。変にへそを曲げられたら手が付けられないからね。あたしたちゃ嵐が過ぎ去るのを待つしかないんだよ」


「すまんが、今日だけなんとか我慢してくれ。日当は倍増しで払うから」


「ううっ、分かりました……。なんとか頑張ってみます……」


 観念した給仕の少女は、ビールが入った木製ジョッキを六個もまとめ持ちして、厨房を出て客席へ。

 だがそこで、げんなりとした顔を見せることになった。


「テメェ、俺をバカにしやがったツケは高くつくぜ?」


「ハッ、やってみろよデブ。返り討ちだ」


「そらどっちが勝つか、賭けた賭けた!」


 荒くれ者たちの中の二人が、席から立って向かい合い、互いに拳を固めて睨み合っていたのだ。

 今にも喧嘩が始まりそうだというのに、周囲の仲間たちも囃し立てるばかり。


「もう帰りたいよぉ……」


 そうしてウェイトレスの少女が、再び泣きの一言を発したときのこと。


「──おいお前ら、やめろ」


 それは荒くれ者たちの中で、ひときわ異彩を放っていた男の声だった。


 店の隅っこで上等の葡萄酒をちびちびやっていたその男は、歳は三十代半ばと見え、まばらな無精ひげを生やしている。

 一見だらしなさそうな雰囲気だが、目の奥に宿る眼光は鋭い。


 喧嘩腰だった二人の男が、その男の声を受け、びくっと震えた。


 男は二人のほうに視線を向けるでもなく、静かに言う。


「嬢ちゃんが酒を運んでこれなくて、困ってんだろうが。座れ、おとなしく飲んでろ」


「で、でもアニキ、こいつが俺のことをバカにしやがったから」


「バカなのは事実だろうが」


「ほぉれ見ろ。アニキだってこう言ってんじゃねぇか」


「テメェもだバカ。いいから二人とも座れ。あと『アニキ』じゃなく『団長』と呼べって、いつも言ってんだろうが」


「「へ、へいっ、アニキ!」」


 今にも喧嘩を始めそうだった二人の男は、慌てて席に着いた。


 席に着いてからも互いににらみ合いを続けていたが、アニキと呼ばれた男が「あ? 俺はやめろっつったよな」と不機嫌そうな声を発すると、今度こそお行儀よくなった。


 ウェイトレスの少女は歓喜した。

 まともな人がいた。

 彼女は揚々とビールを運んでテーブルに置くと、空いたジョッキや皿を回収していく。


 アニキと呼ばれた男が、ウェイトレスの少女に声をかける。


「わりぃな嬢ちゃん。こいつら全員バカでよぉ。悪いやつらじゃねぇんだ、許してやってくれや」


「あー……は、はい……」


「アニキ~、そりゃひでぇよ」


 そんなやり取りが、酒場で行なわれていたときのことだった。


 ずしんと、酒場全体に響くような、わずかな地響きがあった。


 さらに店の外から、人々の悲鳴がいくつも聞こえてきた。

 それらの悲鳴は大きくなるばかりで、やむ気配はない。


 ウェイトレスの少女と荒くれ者たちが、何事かと訝しむ様子を見せる。


 やがてアニキと呼ばれた男が立ち上がり、店の外へと向かった。

 ほかの荒くれ者たちも、ぞろぞろと、そのあとに続く。


「……おいおい、なんだありゃあ」


 アニキと呼ばれた男が、店を出て周囲を見回してから、最初に発したのはそんな言葉だった。

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