第378話 三階

 階段を上がり、三階へとやってきた。

 目の前にあった廊下を、道なりに進んでいく。


 途中、いくつかの扉に遭遇した。

 総当たりで扉の先を調べていったが、いずれも外れ。


「あとはこの先だけっすね」


 最後にたどり着いた扉の前で、弓月がそうつぶやく。

 後輩の怖がりも、この局面になるとなりを潜め、杖を握る手がわずかに震えているばかりとなっていた。


 俺たちは、いかにも謁見の間の入り口と見える、両開きの大扉の前に立っていた。


 この先に待ち受けるのは、まごうことなくヴァンパイアの本体であろう。

 どこかそういう確信めいたものがあった。


 扉を開く前に、全員に補助魔法をかけていく。

 高々7万ポイントのモンスターと油断して、足をすくわれるのは御免だ。


 とにかく怖いのは、ヴァンパイアが持つ特殊能力の一つ、「魅了」だろう。


 こちらの魔法防御を突破できるほどの強制力があるのかは分からない。

 だがひとたびその影響下に置かれてしまえば、こちらの戦力が一人ぶん、敵に奪われることになる。

 1対4が、2対3になるのは、アクティブなスキルを使えないことを差し引いてもわりと洒落にならない。


 正直なところ、ここに来るまでの道中に、思ったことがある。

 このクエストを受託したのは、ひょっとして判断ミスだったのではないか──と。


 仮にヴァンパイアの「魅了」に誰かがやられたとしても、おそらく力押しで何とかなると思っている。

 だがそれも「おそらく」だ。

 それこそ「高々7万ポイントのために」負うべきリスクではなかったのではないか。


 一方では、冒険者ギルドで出会った、狼牙族の少年の顔を思い出す。

 俺は「一緒に連れていってほしい」と訴える彼に「俺たちに任せろ」と伝えて、同行を断念させた。


 仮に判断ミスであったとしても、ここで引き下がるようでは、本当に人の道から外れてしまう。

 ここでヴァンパイアを倒しても、あの少年のお姉さんを救えるかは分からない。

 だとしても、俺たちにできることをせずに尻尾を巻くのは違う。


「風音、弓月──俺の判断ミスで、万が一があったら、ごめん」


 補助魔法行使の途中、俺がぼそりとつぶやくと、二人の相棒はきょとんとした顔を見せた。


「先輩。ここまで来て、今さら何言ってるっすか?」


「そうそう。私たちは大地くんについていくって、ずっと言ってるじゃん」


「先輩はそういうところ、甲斐性がないんすよね。もっと男らしく『お前たちの身も心も俺のモノだ。黙って俺についてこい』とか言って、ぎゅーってうちらのことを抱きしめて、たぶらかしてくれてもいいんすよ?」


「え……火垂ちゃん、それはさすがに大地くんじゃなくない? ちょっとやられてみたい感じは分かるけど」


「そうかもしれないっす。ちょっと願望がほとばしっちまったっす」


 言いたい放題、あれこれ言われた。

 だがそれで俺は、思わず吹き出して、笑ってしまった。


「ありがとう、二人とも」


「うっすうっす。でもそんな死亡フラグを立てる場面でもないと思うっす」


「うん。万が一を考えすぎて、弱気になりすぎるのもね」


「そうだな。──じゃあ、行くか」


 補助魔法もひと通りかけ終えた。

 俺たちは互いにうなずき合ってから、俺と風音で両開きの扉に手をかけ、引き開ける。


 扉の向こうにあったのは、概ね予想通りの光景だった。

 作戦はあらかじめ、打ち合わせ済みだ。


「行くぞ、風音、グリフ! 弓月は魔法で援護!」

「了解!」

「クアーッ!」

「承知っすよ!」


 間髪置かず、俺は風音、グリフとともに扉の向こうへと駆け込んでいく。


 そこはやや小規模ながら、王城の謁見の間のようだった。

 あちこちが朽ちてボロボロになっていたが、その面影は確かに残っている。


 謁見の間の奥には、玉座に腰掛けた一人の──いや、一体のモンスターの姿があった。


 赤い裏地の黒コートに身を包んだ、あやしげな美男子という見た目。

 邪悪さを宿した深紅の瞳と、犬歯のような鋭い二本の牙が特徴的だ。


 やはり間違いなく、ヴァンパイアだ。

 放たれるプレッシャーの強さは、先日戦ったロック鳥と同等か、それ以上とも感じられる。

 ロック鳥との戦いでは苦戦はしなかったが、こいつの場合がどうだかは分からない。


 ヴァンパイアは腰掛けていた玉座から悠然と立ち上がり、その深紅の瞳をいっそう怪しく輝かせた。


 そのとき俺は、風音やグリフとともに、ヴァンパイアがいる玉座のほうへと向かって一目散に駆けている最中だった。


 敏捷力の差から、風音がわずかに先行している。

 俺はその背中を追う形で、敵のほうへと向かっていた。


 その風音の背中が、びくっと震えたように見えた。

 次いで、駆けていた足がゆっくりと止まる。


「風音!」


 俺は自身も急ブレーキをかけ、風音よりやや前方まで進んだところで止まる。

 風音が「魅了」の影響下に置かれたら、俺が体を張ってでも止めないといけない。


 風音のほうを見ると、その瞳から意志の光が失われているように見えた。


 二振りの短剣を手にした黒装束姿は、そのままふらりと、俺のほうへと向かってくるような動きを見せる。

 やられたか──俺がそう思って身構えた、次の瞬間。


 風音は、はたと意識を取り戻したように瞳に光を取り戻して、ぶるぶると頭を振った。


「危っぶな! よくも──」


 風音はすぐさま、ヴァンパイアのほうへと駆け出していく。

 俺は安堵し、その後を追った。


 その頃にはグリフがすでにヴァンパイアと接敵していて、魔法の炎をまとったくちばしとかぎ爪で、攻撃を仕掛けていた。


 ヴァンパイアはそれに応戦し、鋭い爪が伸びた両手でグリフに反撃する。

 強力な連続攻撃を受けて、グリフが悲鳴を上げた。


【従魔強化】と補助魔法で強化されたグリフだが、さすがにヴァンパイアを相手に、一対一で渡り合えるほどの力はない。


 ヴァンパイアはさらに、怯んだグリフの首筋目掛けて、素早く噛みつこうとした。

 しもべにされた狼牙族の女冒険者が、俺に噛みついてきたときと同じ、「吸血」スキルによる攻撃だろう。


「させねーっすよ──【トライファイア】!」


 そこに三つの火炎弾が飛来、いずれもヴァンパイアへと直撃した。

 グリフに噛みつき攻撃を仕掛けようとしていたヴァンパイアは、強力な魔法攻撃を受けて、ぐらりとよろめく。


 弓月には万が一「魅了」を受けたときのための対策として、フェンリルボウを【アイテムボックス】にしまわせておいた。

 スキル攻撃ができないなら、弓月はそれでほぼ無力化するからだ。


 一方で本来の弓月は、魔法攻撃が本分だ。

「魅了」状態でなくスキルが使えるなら、得意の攻撃魔法で攻めることができる。


 ひとまず「魅了」は風音を狙ったから、その対策は今のところ功を奏してはいないのだが、もとより保険としての対策だから功を奏する必要はない。


 そして、さらに──


「許さない──よくも私に、大地を殺させようとしたな!」


 ヴァンパイアのもとに素早く駆け込んだ風音が、両手の短剣を振るう。


 なお風音の短剣には今回、【ファイアウェポン】は掛けられていない。


 これも弓月と同じような理由で、万が一風音が「魅了」にやられたときに、大きな攻撃力があると厄介だと思ったからだ。


 ゆえに、風音の攻撃はヴァンパイアにも、さほど大きなダメージを与えられない──はずだったのだが。


 ──バヂンッ!


 風音の右手の短剣が、ヴァンパイアの首筋を鋭く斬り裂こうとしたとき。

 その直撃部が一瞬だけ、火花を発したように強く輝いた。

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