第270話 サハギン(2)

「クソ半魚人ども、そこまでっす! その人魚族の女性を放すっすよ!」


「ゲギャッ……? なんだぁ、またヒト族ぅ?」


 人魚の女性をいたぶっていた三体のサハギンの注意が、一斉に弓月へと向いた。

 両者の距離はまだ少しあり、戦闘距離まではやや遠い。


「ギャギャッ、最近は俺たちの領域にヒト族が潜ってくるのが流行ってんのかぁ?」


「だがメスガキ一匹だぜ。戦士の力はあるみたいだが」


「構いやしねぇ、二人がかりでヤッちまおうぜ。ヒト族のあの頃合いは、ちょうどいい卵の産ませ頃だ。ギャギャギャッ」


 長い舌でべろりと舌なめずりをしたサハギンが、別の一体のサハギンとともに弓月のほうへと向かっていく。


 向かったサハギンのうち一体は、人魚の女性に槍を突き刺していた個体だ。

 その手の槍が引き抜かれた際に、人魚の女性がひときわ大きく悲鳴をあげた。


 苦悶する人魚の女性は、残る一体のサハギンに取り押さえられる。


「くっ……! その女性を放せっつってるんすよ! さもないと──!」


 弓月がフェンリルボウの弦を引き、そこに青白く輝く矢を生み出す。


 だがそれに呼応するように、人魚を取り押さえていたサハギンが、その手の槍の先を人魚の首筋にあてた。


「ゲギャギャギャッ、やめときなぁヒト族のお嬢ちゃん? おイタをすると、この女の首に穴が開いちまうぜぇ?」


「それにどうせ三対一、敵いやしねぇんだ」


「ギャギャギャッ、おとなしく俺たちの苗床になるんだなぁ」


「くっ……ひ、卑怯っすよ! 正々堂々と戦えっす!」


 そう言いつつも、弓月はフェンリルボウの攻撃動作をキャンセルし、観念した様子を見せた。

 彼女のもとに向かう二体のサハギンが、勝ち誇った声をあげる。


「そうそう、それでいいんだ」


「俺たちのねぐらに連れて行って、たっぷりと楽しませてやるからよぉ。ギャギャギャッ」


「くっ……半魚人のくせに、下品極まりないっすね!」


 弓月は一転して、逃げの姿勢を見せた。

 近寄っていく二体の半魚人から遠ざかるように、泳ぎ去っていく。


「おいっ、逃げんじゃねぇぞメスガキ!」


「あの人魚の女がどうなってもいいのか!」


「別にいいっすよ。できるもんならやってみるといいっす」


「「はあっ!?」」


 弓月の様子が、豹変した。

 逃げるのをやめ、再びフェンリルボウを構えて、そこに光り輝く矢を生み出していく。


 俺は後輩に、遠方から声をかけた。


「お疲れさん、弓月。なかなかの名演技だったぞ」


 そんな俺のすぐそばには、【三連衝】によって瞬殺されたサハギンが白目をむいて浮かんでいた。


 また俺の隣にいる風音の腕の中には、救出された人魚の女性が抱かれている。


 俺と風音とで【隠密】スキルを活用し、人魚を捕らえていたサハギンの死角からこっそりと接近、人質を救出すると同時にそいつを片付けたのだ。


【隠密】スキルの効果は、相手との実力差に比例して高くなる。

 覚醒者相当のサハギンといえども、格下相手であればそう易々と気付かれることはない。


 ましてや弓月に注目していたのだ。

 俺と風音の二人がかりで仕掛ければ、人質救出は困難な仕事ではなかった。


 というわけで、残るは弓月を追いかけていった二体のサハギンだけだ。

 俺からのねぎらいの言葉を受けた弓月は、ご満悦な様子で声をあげる。


「へへーっ、演技派の火垂ちゃんとはうちのことっすからね。さあ、反撃の時間っすよ。さんざっぱら汚い言葉をぶつけてきた報いを受けるっす──フェンリルアロー!」


「なっ……!? ギャアアアアアアッ!」


 弓月が放った氷の矢は、残る二体のサハギンのうち一体の胸部を射抜き、そいつを一瞬で戦闘不能に陥らせた。


 ダメージの衝撃で大きく吹き飛ばされたそのサハギンは、ぐったりとした様子で静かに海底へと沈んでいく。


 なお水中でのフェンリルボウによる攻撃は、軌道上の海水をわずかに凍らせるものの、その威力が大幅に減殺されている様子は見られなかった。


「ギャギャッ!? い、一撃で……!? どうなってやがる、クソッ! ──だったらメスガキ、今度はお前を人質にとってやる! ギャギャーッ!」


 残る一体のサハギンは、三つ又の槍を手に弓月へと向かっていく。

 海中のサハギンの動きは、さすがに素早い。

 あっという間に距離を詰め、その手の槍を鋭く突き出した。


 弓月のフェンリルボウの二射目は間に合わず、俺や風音さんも距離があるのでカバーには入れない。

 回避も及ばず、サハギンの槍がぐさりと、弓月の腹部に突き刺さった。


「ぐぅっ……!」


「ギャギャギャッ、どうだ我が槍の威力は! 遠隔攻撃使いなら、近接戦に持ち込めばこちらが有利! このまま意識を刈り取って、人質に──」


 サハギンは弓月の体から槍を引き抜いて、さらにもう一撃を加えようとする。

 弓月の腹部から、鮮血が赤い煙のように漏れ出した。


 だがそのとき、刺された側の弓月の口元が、ニヤリと歪む。


「ハッ、この程度! 土台のレベルが違うんすよ──フェンリルアロー!」


「ギャギャッ!? グギャアアアアアッ!」


 サハギンの二撃目より早く、弓月のフェンリルボウから二射目の氷の矢が放たれた。

 その矢はサハギンの胸部に突き刺さり、そいつをただの一撃で撃沈させた。


 三体目のサハギンも、ゆっくりと海底に沈んでいく。

 これで障害は、すべて排除された。


「弓月、大丈夫か!?」


 俺は慌てて、弓月のもとに泳ぎ寄る。

 後輩は、にへらっとした笑顔を向けてきた。


「大丈夫っすよ先輩。こんなザコの一撃じゃ、大事ねーっす。HPは二割ぐらいしか減ってないし、血ももう止まったっすよ」


「そ、そうか。良かった……」


「先輩、自分でうちをおとりにするって決めておいて、慌てすぎっすよ。ご褒美、楽しみにしてるっすからね♪」


「分かった。今すぐには厳しいが、落ち着いたら何でも言ってくれ」


 俺は弓月に治癒魔法をかけてから、その体を力強く抱き締めた。


 弓月は「この時点でだいぶご褒美っすね」と言って、嬉しそうに俺を抱き返してきた。


 俺たちはその後、人質にされていた人魚を連れてフェルミナとゲラルクさんが待っている洞窟へと帰還した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る