第163話 スニーキングミッション

 朝と昼の間ぐらいの時刻。

 少し前まで晴れていた空は、今は暗雲が立ち込めている。


 俺と風音さんの二人はいま、閑静な高級住宅街の一角にある、豪商ゴルドーの屋敷の前にいた。


 ただ、屋敷の前といっても裏手側だ。

 人目を盗み、隣の住居との間にある細い路地を通って、正面口とは反対側にある裏路地へと来ていた。


 そんな俺たち二人の目前には、背丈の二倍近い高さがある石造りの塀が立ちはだかっている。

 頭上に手を伸ばしてもなお、塀の上までは一メートルほどもある高さだが──


「──よっ、と」


 まず風音さんが、垂直跳びで素晴らしい跳躍力を見せ、両手で塀の上につかまった。

 そのまま腕の力だけで、ぐいと体を持ち上げる。


 華奢に見える女性の体でも、ジャンプ力やパワーは常人のそれではない。


 風音さんは【隠密】スキルを発動した状態で、首から上だけを塀の上に出すと、きょろきょろと周囲を見回す。


「大地くん、大丈夫。いけるよ」


 風音さんはそう言って、ひょいと塀の向こう側に飛び降りていった。


 俺もまた風音さんに続き、塀を乗り越えて、向こう側へと飛び降りる。

 当然ながら、【隠密】スキルは発動した状態だ。


 飛び降りた先は、ほどよく草の生えた土の地面。

 音もなく降り立った俺は、素早く駆け出して、近くにあった建物の陰に風音さんとともに隠れた。


 ──というわけで、俺たちは今、ゴルドーの屋敷へと忍び込んでいる。


 目的は、エスリンさんの居場所を突き止め、可能であればそのまま救出すること。

 それに加えて、ゴルドーが人身売買を行っている証拠をつかむことができれば理想的だ。


 弓月はというと、今回はグリフォンとともにお留守番だ。

【隠密】スキルを持っているのが俺と風音さんだけなので、仕方がない。


 隣にいる風音さんが、周囲に人目がないことを確認しつつ、小声で話しかけてくる。


「【隠密】スキルを使えば、物音を立てずに忍び込むことは簡単だけど。問題はエスリンさんの居場所を探り当てられるかどうかだよね」


「ええ。でもエスリンさんがこの屋敷に連れ込まれたのは、おそらく間違いない。この屋敷のどこかに捕まっているはずです」


 この点に関しては、エスリンさんの従者たちがファインプレーを見せてくれた。

 彼らが街で聞き込み調査を行った結果、一つの有力情報を獲得したのだ。


 その情報とは、とある路地裏でゴルドー商会の馬車に積み込まれた「荷物」に関するものだった。


 証言をした街の人によると、冒険者らしき髭面の巨漢が、とある荷物をゴルドー商会の馬車に積み込むところを目撃したのだという。


 そのとき「荷物」が身じろぎするように動き、同時にくぐもった女性の声が聞こえてきたのとのこと。

 その荷物は、何か大きなもの──例えば人間のような──を毛布で包んで、ロープでぐるぐる巻きにしたような形状のものだったらしい。


 その後、荷物を積み込んだ馬車は、高級住宅街のほうへと向かって走っていった──というのが、ついさっきの話だという。


 加えて、その証言のものとまったく同じ馬車が今、この屋敷の敷地内に停まっているのだ。


 つまり、この屋敷の敷地内のどこかにその「荷物」──エスリンさんがいる可能性が高い。

 それが敷地内のどこにいるのかを探し出すのが、今の俺たちの任務だ。


 俺と風音さんは、屋敷の裏手側から建物外周をぐるりと半周回って、正面口近くへとたどり着く。


「風音さん、馬車の中に人の気配は?」


 俺は建物の陰から、件の馬車が停まっている正面玄関前を覗き見る。


 馬車の近くには、花壇の手入れをしているメイドが一人いたが、【隠密】スキルを使っている俺たちに気付く様子はまったくない。


【隠密】スキルには、純粋に物音を消すだけでなく、超自然的な力で存在そのものを気付かれにくくする効果もある。


 特に探索者シーカーの力を持たない一般人相手に対しては効果が高く、よほど露骨に姿を見せでもしない限りは認識されないはずだ。


「ううん、馬車の中には一人もいないと思う」


「ってことは、エスリンさんはすでに馬車から運び出されたあとってことですかね」


「だと思うよ。でも【気配察知】スキルの効果も確実じゃないから、一応確認しておく?」


「そのほうがいいか。お願いします」


 二人で行く必要もないので、より俊敏な風音さんが、一人で馬車の元まで駆けていく。


 ほとんど一瞬の出来事だ。

 花壇の手入れをしているメイドが、風音さんに気付く様子はまったくない。


 風音さんは、馬車の御者台や荷台の中を確認すると、すぐに俺の隣まで戻ってきた。


「やっぱりいないね」


「となると消去法で、この建物内にいるはずですね」


「そうなるかな。──大地くん。ここから入れそうだよ」


 風音さんが、屋敷の窓の一つを指して伝えてくる。

 窓の戸が開放されていて、侵入にはうってつけだった。


 俺たちは人目がないことを確認しつつ、その窓から建物内へと潜り込み、エスリンさんの捜索を開始した。

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