第151話 帰還
「嘘……だろ……?」
俺は呆然とつぶやいていた。
アリアさんは谷底へと向かって落ちていった。
俺が伸ばした手は、アリアさんに届かなかった。
アリアさんが落下した途中には、木々の葉が茂った一帯があり、そこへと突っ込んだ彼女の姿はもはや見えない。
ただ、ギィイイイイインッと金属がこすれるような凄まじい音がして、次にドンという鈍い音が聞こえてきただけだ。
谷底からここまでは、高層ビルの十階以上の高さがありそうだ。
常人だったら、まず間違いなく命はないと思える高さ。
だがアリアさんは「常人」ではない。
俺たちと同じ、超人的な力を持った覚醒者──この世界の「冒険者」だ。
「すぐに谷底に下りて、アリアさんを探そう!」
「う、うん。そうだね」
「き、きっと大丈夫っすよ。うちらそう簡単に死なないようにできてるっすから。アリアさんだって、こんなところから落ちたぐらいじゃ……」
震える声で言う弓月の言葉を、俺も信じたかった。
俺たちは洞窟を通って、可能な限り急いで、谷底へと戻った。
だがそこは、アリアさんが落ちたであろう場所とは、崖を挟んで反対側。
アリアさんが落ちた場所は、谷底といっても、厳密にはこの谷の外側なのだ。
俺たちは焦る気持ちを抑えながら、崖の向こう側へと出られる道を必死に探した。
この作業には、実に数時間がかかった。
俺たちがアリアさんの墜落地点へとたどり着いたときには、あたりはすっかり暗くなっていた。
そこにあったのは、著しく流血したあとが見られる、ぐったりとした金髪女性の姿だった。
少し離れた地面には、アリアさん愛用の細身剣が突き刺さっている。
見れば、アリアさんの前にある崖の上部には、縦一文字に鋭くえぐられた亀裂のようなものがあった。
剣を崖に突き立てて、落下の勢いを殺そうとしたのだろうか。
いずれにせよ、俺がやるべきことは一つだ。
「【グランドヒール】!」
俺は倒れ伏したアリアさんに治癒魔法をかけた。
ひどい怪我を負っていたアリアさんだが、その傷が癒えていく。
一度では足りなかったので、もう一度使うと、傷はすっかり癒された。
だが意識を失ったアリアさんが、目を覚ますことはなかった。
HPが0を下回って戦闘不能状態になると、減少したHPを回復したとしても、意識を取り戻すまでには少し時間がかかるらしい。
心臓の鼓動はあり、呼吸もある。
大丈夫だ、死んではない。
俺はアリアさんを背におぶって、風音さん、弓月とともに帰路を進み始めた。
するとしばらくして、背負った相手の声が聞こえてきた。
「んっ……こ、ここは……?」
「アリアさん、意識が戻りましたか。今は飛竜の谷からの帰り道です」
「ダイチさん……えっ……ふぇええええっ!? わ、わたくし、おんぶされていますの!?」
「ああ、すみません。しばらく意識が戻りそうになかったので、運ばせてもらいました」
「い、いえ、あの、その……カ、カザネさんに、殺されるのではと……」
びくびくと怯える声。
その言葉を聞いた風音さんは、くすくすと笑う。
「ふふっ、今回だけは許してあげるよ、アリアさん。でも意識を取り戻したなら、自分で歩けるよね?」
「え、ええ、もちろんですわ。だから殺さないで……」
「あははっ、殺さないよ~。せっかく救った命だもん。でも調子に乗って、大地くんを誘惑しようとしたら──」
「し、しませんわ! だから短剣に手を伸ばさないでください!」
アリアさんのその声で、俺たちの間に笑いがもれる。
よかった。
アリアさんが無事で本当によかった。
だがアリアさんが俺の背から下りたところで、懐中時計を取り出して、険しい顔をする。
「もうこんな時間。わたくしのせいで、こんなにタイムロスを。お父様……!」
確かに、アリアさんを探すのに手間取って、かなり時間がたってしまった。
予定していたよりも半日ほど、帰還が遅れる流れになる。
「でもアリアさんのお父さん、一週間はもつって話じゃなかったっすか? このまま帰っても、出掛けてから四日目っすよね」
「いや、あの医者が言っていたのは『もって一週間』だ。悪ければもっと早く……いや、とにかく急ごう」
悪い想定をしても仕方がない。
俺たちにできることをするしかない。
できる限り急ごうという話になり、行きとは違って、俺たちは夜通し歩いて帰還することにした。
行きのときにはボス戦が控えていたから、コンディションを最善に保っておく必要があった。
だがあと帰還するだけとなれば、多少の無理をしても大きな問題はないはずだ。
食事も歩きながらの軽食で済ませ、どうしても意識が朦朧としてきたときに短い仮眠だけを取りつつ、俺たちは強行軍で帰還をした。
その甲斐あって、ほぼ本来の予定通りのタイミング──街を出てから三日目の夜に、再び街の門をくぐることができた。
その頃には全員、眠さと疲労で今にも倒れそうになっていたが、どうにか馬を操って城までたどり着く。
城門前には、執事が待ち受けていた。
「アルテリアお嬢様……! よくご無事でお帰りになられました!」
「爺や……これ、お父様の、薬草……これを早く、お医者様に……」
「おおっ、これが! ではさっそく、医者に渡して煎じさせます。しかしお嬢様も、だいぶ顔色が……」
「眠くて……疲れているだけですわ……お願い、早く、お父様を……」
「か、かしこまりました! すぐに医者に届けてまいります」
その後、俺たちはアリアさんとともに城に入り、領主の寝室へと通されて患者の様子を見守った。
領主の病状は、俺たちが出立したときよりも、はるかに悪化しているようだった。
会話をできるほどの意識もなく、ずっと苦しみ悶えているばかり。
しかしアリアさんが声をかけると、苦しみながらも口元にわずかな笑みを浮かべたようにも見えた。
医者が急ぎ、薬草を煎じて薬を作ってきた。
その薬を、領主に飲ませる。
「あとは領主様の体力次第です。一晩様子を見ましょう」
医者がそう言ったので、その場は解散となった。
だが領主の寝室から出ると、廊下でまた嫌な人物と遭遇した。
慌てた様子でやってきたその青年──アリアさんの兄エルヴィスは、妹の顔を見るなり表情をひくつかせる。
「ど、どうしてアルテリアが戻ってきているんだ……? 飛竜の谷に行って死んだはずじゃ……そ、そうか! ハハッ、分かったぞアルテリア! どこかその辺で、それっぽい草でも拾ってきたんだろ。自分は全力を尽くしましたって綺麗事アピールのためにな! 冒険者に口裏合わせまでさせて、ご苦労なことだな!」
「ああ、もう……お兄様、邪魔ですわ……夜通しで眠いんだから、いい加減にしてください……ふわぁああああっ……」
「なっ……!?」
アリアさんは、わめき立てる兄をぐいと押しのけて、廊下を進んでいく。
エルヴィスは廊下に尻餅をついて、置き去りにされた。
俺たちもまた、その横を通りすぎていく。
ホントもう、こっちは疲れているんだから、余計なものに付き合っていられるかという感じだ。
「それじゃあ、ダイチさんたち……本当にありがとう……明日また、宿まで伺いに行きますわ……ふわぁああああっ……ご、ごめんなさい……本当、眠くて……」
「いえ、俺たちもふらふらだから、分かります。じゃあアリアさん、また明日」
俺たちはアリアさんと別れると、自分たちの宿に戻って、一晩ぐっすりと休んだ。
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