殺しの序曲が鳴り響く

 ブラッドは口をわなわなと震わせていたが、隊長の声には耳を貸していた。統制の取れた、信頼を基に築かれた部隊の連帯であることは、クーにも分かった。そしてこの男たちを突破することが至難であることも、見抜いた。キルギバートは言った。

「だがお前は、だから暴走するな。頼むから、皆のためにできることをしてくれ。みんなの気持ちを代弁するのはいい。だからそこまでにしておいてくれ」


 少し間が開いて、ブラッドは黙って、そして次に声を出した時には、冷静さを取り戻していた。ふーっと息を吐き、ブラッドは言った。

「うちの隊長はこの通り。クソまじめだ、助かったな運ちゃん」

 

 クーは隊長に告げた。

「骨があるな青年。気に入ったよ。この街の子供たちの保護者の一人として言っとく」

 キルギバートは人として、クーに尋ねた。

「子供たちは元気か?」

「ああ。風邪ひいたりしてるけど、両親は奪われていない。勉強もできてる」

「彼らは、新しい人間になれるか」

「嵐に巻き込まれず、平和に暮らせればそうなれると信じる」

「希望の芽は、育ちそうか?」

「それは彼らの心にある。大人ができることを必死にやる事だけが、答えだ」

「その回答を聞けて良かった」


 クーに相対しながら、キルギバートはこう言葉を重ねた。

「今夜が山だ。我々はギリギリの絶壁を、歩く。だが少なくとも、軍として、私はこのモルトランツの人々とともに崖を歩きたい、と思っている」

 彼の声が微弱に、だが確かに震えている事も、クーはわかった。

「戦場に立つ以上、我々の信念は明確だ。だからこそ。最後までいさせてくれ。この街の人々のために、最後の殿軍は我々が引き受け、跡を濁さぬよう発つ。それがモルト軍人の良心とするのは、あまりにも不遜であることを解りながら、そうさせてほしい。それが我が司令官からの命令であることも、あなたにはわかっていただきたい」


 そこまで話して、ハッチを開いた新兵のカウスが慌てた様子でこちらに来る。

 そりゃあ、何が入ってるかなんてすぐにわかる。


 耳をそばだてるように、手の平を立てて会話している。キルギバートが特に声の大きさを変えることはない。外は静かだ。向こうとしても聞かれたって構わないのだろう。


「隊長」

「ハッチを開いたところ、大量の武器弾薬が見つかりました」

「抵抗勢力でしょうか?」

「そうは思わない。彼の眼は本物だ」

「軍規によれば、取り押さえなければなりません」


 キルギバートが開かれたハッチの方を見た。

「この武器は?」

 この時点でクーは、相手がどんな勢力であろうと、良心を見せればこちらの意図を、理解可能な人間であるに違いないことはわかっていた。だからそのまま伝えた。

「背中を撃つためだ。キルギバート隊長。君たちの意図が明確ならば、誰がこのモルトランツを荒らし、壊そうとする?それはウィレにも、モルトにもいるんだ。そしてモルトに対しての君達であるように、ウィレに対しても俺には仲間がいる」


 そして暗号コードを口にした。

「『勇気ある姫の紐帯』と名乗っておこう」


 協定の定めによって彼ら正規モルト兵は、この時間以降、暴走に介入できない。こんな風に抵抗線を貼って圧力を加えながら撤退のタイミングを待っている状況だ。


 キルギバートが口尻を上げて笑う。

「なるほど。上官からよく聞いている。それに君の仲間とも会った。素性は理解した」

「隊長、どうしますか?」

 カウスが判断を仰ぎ、隊長が返答した。

「通してやれ。クロス」

「はい。隊長」

 今まで事態の推移を見守るように立っていた兵士が頷く。


 クーはここで、本当のところは胸をなでおろした。こいつ等は例の白兵戦を生き残った手練れ、単純に数の上でも負ければ、グラスレーヴェンがある時点で勝算は薄いと実は最初から分かっていたからだ。


「それじゃ。行くからさ」

 一応、ハッチの奥の装備品を義眼で確かめ、自分で蓋を閉めた。それが終わるといつものような気の抜けた声で、クーは別れの言葉を伝えてトラックの運転席に乗り込む。

「ご無事で」

 ブラッドが言う。

「君らもな。会えてよかった」

「我々が救えない多くの命を、救ってくれ」

 トラックがエンジンをかけ、そしてタイヤが地面を噛んで回って、関門を抜けて道路を走りだす。トラックの計器を照らし出す色とりどりの光、そしてドアミラーに映るあのモルト兵達。


 キルギバートの敬礼は月に照らされて、やけにクーの瞳の中の記憶に残る。

 クーはそのままアクセルを吹かし、道路に乗り、彼以外誰もいない郊外の道をひた走りに走った。やがて道沿いから見える街の景観の中に、空に向かって放たれる光の柱のようなサーチライトと、そしてその光芒に輪郭を描く巨大な鋼鉄の人が歩くのをいくつか見た。建物はぽつぽつと窓に光があって、そこにはまだ人が残っている。

 灯火管制が命じられたとはいえ、街から完全に明りを消すことはできないようだ。

「連中も戦いに行くんだろう」

 検問所の兵士たちの影を思い起こし、クーはつぶやく。その後しばらくして、荷捌き場の巨大な敷地がフロントガラスごしに見えてくる。

 夜も七時を回った。交通の影響を受けたと言い訳できる、ギリギリの時間となる。

 運転席に深々と腰かけるクーの周りには様々な色のライトが光っている。

 ステアリングを握るうち、カーナビゲーションのアナウンスが聞こえた。

『モルトランツ荷捌き場は道なり、もうすぐ到着です。入口、右側です』


 予想の通り、柵はとげとげしいバリケードに替えられていて、モルトの兵士が完全武装して立っていた。

 クーはいつもの仕事の、いつも通りの動作を行った。トラックは低速に動きながらゲートを抜ける。車両IDと運転手のパスキーをゲートが自動認証する。

 モルトの兵士は以前のように、うやうやしく敬礼をしたりはしない。

 そのとげとげしい人と物のやぐらを抜けたとたん、クーは敷地内ではありえない異常なスピードで走行を始めた。


「じゃー。おっぱじめますか」


 速度は落とさない。 


 アクセルを踏み、ドアを開け放つ。

 ブラストする風がクーの頬を撫で、全身をさらい、クーのすべての感覚を鋭敏に仕立て上げ、嵐と化して、すさまじい爆発を起こす。

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