ろくでなし評

乃々沢亮

第1話 僕の叔父さん

 母は昔から僕が叔父に近づくのを嫌っていた。

 母は叔父、つまり実の弟のことを口ばっかりが達者な芸術家気取りの、怠け者でろくでなしな男と評している。社会不適合者だとも言っていた。

 だからそんな叔父に洗脳されたら困ると心配して、僕を叔父から遠ざけようとしていたのだった。

 

 母の意に反して、僕は叔父が好きだった。

 僕が小学生の頃の叔父は二十代後半から三十代であったはずだが、普通の大人らしくはなかった。

 あれはダメこれはダメとか言わないし、勉強しろとも逆に冒険しろとも言わなかった。僕の言うことを否定することもなく、ただただ遊びに付き合ってくれていた。

 幼い頃の遊びを思い出すと大抵、叔父の姿がその笑顔とともに思い浮かんでくる。そんなに好きだったのは、いま思えば僕をあまり子供扱いしなかったのが幼心に嬉しかったからなのかもしれない。


 僕は叔父のことを「おんちゃん」と呼んでいた。

 叔父の名前は樹音じゅおんといい、祖父母がそう呼んでいたからだ。

 じゅおん(樹音)というのは叔父の年代からするとかなりな名前だった。四人姉妹の後にようやく生まれた待望の男の子で、祖父がだいぶん遊んで命名したらしい。母に言わせればその名前が、叔父のその後の人格形成に悪い影響を与えたに違いないのだそうだ。


 しばらくの間、僕はおんちゃんが何をしている人なのか知らなかった。祖父母の家に祖父母と一緒に住んでいて、いつ僕らが遊びに行ってもおんちゃんは家に居た。

 おんちゃんの部屋は散らかっていて、油絵や白黒の写真が散乱していた。床には吸い殻でいっぱいの灰皿や小銭が無造作に置いてあるし、チューブの絵の具が踏まれて飛び出し、そのまま固まっていたりした。

 僕にはそれもなにか恰好よく見えた。なにかとうるさくて厳しい母と父とはまるで正反対のおんちゃんは、僕が知る大人とは違う大人であった。


 おんちゃんは大学を卒業した後、今でいうアミューズメント関係の会社に入ったのだがどうしても宮仕えが性に合わず、一年足らずで辞めてしまったらしい。

 おんちゃんには甘い祖父母はそれを咎めることもなく、再就職を急かすこともなかったためか、おんちゃんはそのまま仕事にも就かずに一所懸命好きな絵を描き、写真を撮り、草野球をしていたのだそうだ。

 さすがにそんな状態が二年、三年と続いたため、長姉の母がおんちゃんに説教をしたのだという。


「いい歳していつまでも仕事にも就かないで遊んでて、あんた恥ずかしくないの? 親の脛をかじるのも大概にしなさいよ、情けない」

「わかるよ、わかりますよ、姉さん。でもね、僕はただ好きなことをして遊んでるわけじゃぁないんですよ。探してるんです、僕に合った仕事って何かを」

「はぁ? 売れない絵を描いて、フラフラ写真撮りに出かけて、合間に草野球してるだけでしょうが、あんたは」

「そうしながらずっと考えてるんですよ、自分らしく生きる生き方を。姉さんはいいですよ、市役所勤めの堅実な義兄にいさんと結婚して堅実に平穏に大過なく生活してる。まったく姉さんらしい生き方じゃないですか。姉さんは自分の生き方を見つけ、そして実行しているんだ。立派ですよ。でも、僕はまだ見つけてないんです。僕だって僕らしく生きたい。たった一度の人生ですからね」


 聞きようによっては痛烈な皮肉に聞こえるおんちゃんのこの反駁に、母は呆れて二の句が継げなかったという。

 おんちゃんの自分探しの自由な生活は、この後さらに一年ほど続いたらしい。

 母がおんちゃんを怠け者でろくでなしな男と評するのは、主にこの時期を指してのことのようだ。

 そして大学を卒業してから五年の歳月を経て、おんちゃんは突然、銀細工を商売にすると言い出したのだった。

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