贈り物

生糸 秀

贈り物

「広君、数学教えて?」


彼女は、ステキな笑顔で僕を見てそう言った。まいったな、僕は、数学ができないから文系を選んだ口だ。


「いや、無理だよ。僕が数学苦手なの知ってるでしょ?」


「いいや、大丈夫。広君は、やれば何でもできる人だから。ほら、野球だってサッカーだって、私が頼んだら、すっごく上手に教えてくれたじゃない。」


「それは、君がどうしてもそれがやりたいっていうから・・・。運動得意じゃないから、すっごく大変だったんだよ?」


「ほら!最初はできなかったんでしょ?だから、今できなくても、広君なら、すぐ数学私に教えられるようになるって!!」


始まった・・・。僕の彼女は、いつもこういって、僕に無理難題を押し付けてくる。


彼女は好奇心旺盛で何でも知りたがる。でも、なぜかそれを自分で調べようとせず、僕に教わりたがる。僕はwikipediaじゃないっていうのに・・・。


でも断れず、結局彼女の頼みを聞き入れているのは、僕が彼女を好きだから。彼女の期待にこたえたい。かっこいいところを見せたい。そういう欲望と、彼女のかわいい笑顔にいつも根負けしてしまう。


「・・・わかったよ。少し時間をちょうだい。」


「やったー!うれしい!楽しみだな~広君先生に教わるの。」


彼女は満面の笑みを僕に放った。僕は、鼻血が出そうになるのを抑えて、


「・・・ま、任せなさい」


と、精一杯格好つけて言った。





それから、僕は数学の勉強にいそしんだ。彼女の聞いてきた問題は、高校数学、特に数Ⅲの知識が必要な問題だった。


数Ⅲなんていう拷問を、よく理系のやつらは耐えているなと、高校時代は思っていたのに。大学生の今、結局やっているじゃないか。


僕は、こんな風に頑張ることでしか、彼女に格好をつけられない自分の、かっこ悪さを憎んだ。





それから、数ヵ月後、僕は、彼女が聞いてきた問題を解説してあげた。


「わー!広君先生すごい!!私感動しちゃった。本当に何でもできるんだね!」


「へへっ。すごいでしょ。・・・まぁ、だいぶん時間がかかっちゃったけど。」


「ううん。そんなことないよ!うれしいよ!こんなに、頑張ってくれて。ありがとう。」


彼女はまた、僕に、満面の笑みを放った。


彼女の笑顔は、ここ数ヵ月の疲れをいやすには十分な報酬だった。





それから、数年後、僕たちは結婚した。


結婚してからも、妻は僕に、笑顔で無理難題を押し付けてきた。


「ギターが弾きたい。」


「プログラミングができるようになりたい。」


「バク天がしたい。」


そのたびに、僕は必死に要求にこたえていった。そして、最後に妻の笑顔を見て、達成感を得ていた。


しかし、妻は、僕が教えたことを継続していない。野球もサッカーも数学も、一度僕が教えると、少しして、いつの間にか辞めている。


なんで、辞めちゃうの?と、聞くことはできなかった。


怖かった。僕が、「わざわざ教えたのに・・・」と思っている、なんて思われたくなかったから。器が小さいなんて思われたくないじゃないか。





「広君。私、もうダメみたい。」


30歳手前で、妻は病気で床に伏した。


「何言ってるんだ。まだまだこれからだろ?早く病気を治して、僕にまた、何か知りたいこと言ってよ。」


僕は、涙でぐしょぐしょの顔面で、妻にそう言った。医者には、もう妻は治らない病気だと言われた。でも、僕は、妻に生きていてもらわないと困る。妻の存在が、僕のすべてだから。妻がいない僕は、価値のない人間だ。


「ねぇ、私、広君にたくさんお願いしてきたでしょ?」


妻は、かすれそうな声で、そういった。


「でも、教えてくれたこと、すぐ私辞めちゃったでしょ?」


「あぁ、そうだね・・・。」


「ごめんね。でも、私、広君が頑張って何でもできるようになっていく姿が好きだったの。なんにもできないような顔して、何でもできるの本当にかっこよかった。」


「え・・・。」


「広君、自分に自信がないでしょ?自分は何にもできない人だって。」


「うん、そうだよ。だから、君がいないと僕は、意味がないんだよ。君に、生きてて欲しいんだよ。」


「それは違うよ。広君は、今は、なんだってできる。野球だってサッカーだって、勉強だって音楽だって、なんだって私に教えてくれたじゃない。かっこよかったな。必死に頑張ってる広君。」


「それは、君がいないと意味がないんだ。君に教えるためだけに、頑張ったんだから。」


「じゃぁ、空から、広君のこと見てるね。私に教えてくれた、たくさんのこと、今度は、私じゃない誰かのために教えてあげて。」


妻はそう言って、ゆっくり目を閉じた。


僕は、ぼろぼろと涙をながしながら、妻の手を握った。冷たいその手を、必死で温めた。そんなことしても意味ないと分かっていたけど。





僕は、一人残りの人生を、ただぼーっと過ごしていた。


朝起きて、会社に行って、帰って寝る。ただ永遠にその繰り返し。


でもある日、会社の同僚が、


「坂田、ちょっとギター教えてくれない?お前、昔ギターやってただろ?」


「え?・・・あぁ、少しなら弾けるけど」


「まじ?ありがとう!じゃあ今度の週末、お願いします!」


僕は、ついそのお願いを受けてしまった。頼みごとを断れない癖がついていたらしい。





週末、同僚は、僕の家に来ていた。


「どうぞ。ゆっくりしていってよ。」


「どうも、へー、坂田って意外と多趣味なんだね。」


「え?そう?どうして?」


「いや、だって、ギターだけじゃなくて、サッカーボールに野球のバット、レコードに参考書、いっぱいあるじゃないか。」


「ああ・・、昔は色々やっててね・・・。」


妻が死んでから、この部屋をそのままにしていた。妻にせがまれて勉強したものを、捨てずに残していた。妻がやらなくなったときに、道具とか参考書とかを捨てようと思っていたが、妻が反対したのだ。


「へー、そうなんだ。じゃぁ早速、教えてくださいよ。坂田先生。」


僕はなんとなく、懐かしい感じがして、同僚に、ギターを教えた。





数時間後、同僚は満足して帰っていった。


「今日はありがとう。坂田、教えるのうまいな。ほんと助かったよ。」


「あぁ、いいよいいよ。僕で良ければ、また、いつでも。」


同僚を送った後、僕はぐるりと部屋を見まわした。


サッカーボール、野球のグローブ、バット、教科書、ギター・・・


あぁ、僕はこんなにもたくさんのものを妻にもらっていたのか。


妻は、自分が早く死んでしまうことを、悟っていたのかもしれない。残された僕が少しでも長く、妻のことを覚えておけるように。


ぽろぽろと涙があふれてきた。


「ばかだなぁ。そんなことしなくても、忘れないよ。」


忘れられるわけない。あんなに大好きな人を。


そのまま、しばらく泣いた。みっともないくらい、くしゃくしゃに泣いた。





それからの日々は、常に妻を近くに感じながら生きていた。


ふと付けたテレビでやっていた野球中継で。


数学出来るマウントをとる、高校生で。


路上で歌うアーティストのギターで。


君は空で見ていると言っていたけど、近くで君に見られているみたいで、おかしかった。


「ふっ。ははっ。」


僕は、妻が死んでからはじめて笑った。

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贈り物 生糸 秀 @uisyu

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