ガルキス
船長と、ヒョウ及びアルトナルドが話をする機会が生まれたのは様々な事が、落ち着いた後だった。
甲板の、隅だった。陽は大分、落ちかけていた。
エノシマも、居た。冷静な顔付きだったが、無表情という印象には成らなかった。
いきなりヒョウは、左肩を強く掴まれた。船長としては、首元を掴みたい所だったが何とか、自制した様だった。
「重り付けて、海に沈めてやりたいよ」
「済まない」
黒ずくめの男の配下の耳に届かない様、声は潜められていた。
アルトナルドは、口を挟まなかった。
「船長は、俺だ!俺の船だ!勝手に、戦いもせず…海賊野郎に、降伏なんて話をされちまった!こんな恥が、有るか!」
「海賊野郎」と口にする時一瞬の躊躇いが有り、一段と声が潜められたが、口にしないという事は無かった。
「申し訳無い」
「皆殺しされて、船に火を掛けて沈んだ方がマシだ!」
ヒョウは、答えなかった。
船長は、ヒョウの肩から手を離した。
「それにしても、未だに信じられん…こんな話が、通るなんてな。とにかく、一旦に過ぎないのかもしれないが…皆の命が、救われた。心から、感謝する」
「いや、怒るのは、当然だ…そんな身分じゃ無いのに、勝手に話を進めちまった。此の船を、あんな奴等」
その言葉を口にする時はヒョウも、声をより潜めた。
「…の好きに、させちまった。申し訳無い」
「いや、有難う」
「有難う」
「しかし、ヒョウが言ってた通りだったな…確かにあいつらは、ただ海賊というんじゃ無い」
「ああ…ただ積み荷を盗ろうとかじゃ無い、何か、狙いが有る」
改めてヒョウは、船長への尊敬を深めていた。
黒ずくめの男との話し合いを受けて、ヒョウは、横並びで少しずつ寄っていく荷貨船上から、最初、大きく手を振った。それから、声が届きそうになるやいなや「話が、付いた!武器を一旦、収めてくれ!」と呼び掛けた訳であるが。
応じる形で、それが予定でもあったかの様に行動を、合わせてくれたのである。
そしてヒョウが、此の時は勿論精霊術などで無く、鉤縄を使ったが。冬餉号に戻り、急いで近付くや「荷物と引き換えに、乗客、乗組員及び船自体には手を出さないって事で話付けて来た」と小声で早口に言った時も、表情は変わらなかった。
ともあれ、帆が畳まれた。冬餉号は、停止した。横付けされた荷貨船から、長く厚い渡し板が、伸ばされて来た。黒ずくめの男は先頭に立ち、笑顔を浮かべつつ手を振りながら、乗り込んで来た。
船上の空気は、呆然としていた。
突然、ほぼ全滅間違い無い戦いに臨まざるを得なくなった所から。更に今度は、あれよと言う間に護衛が何やら話を付けてしまって、しかし海賊達が乗り込んで来て船は、支配下に置かれるという。
受け止められる物では、無かった。
黒ずくめの男は、自分以外は数人の手下しか、乗り込ませて来なかった。その内の一人が、大槌を持っていた小柄で幼い顔立ちの男であるのにヒョウは、気が付いた。
片手持ちの大槌は、背中の特別な装具に収められていた。
ガイナルト船長との対面は、興味深かった。自分と同じく肌の黒い人種が船の長である事を知ると黒ずくめの男は、青の男と話していたのとは明らかに別の、やはりヒョウの知らない言葉で話し始めた。船長も即座に、同じ言葉で答えた。
顔立ちは、対象的だった。首が太めで武骨な船長に対し、全身何処も細い黒ずくめの男は、整った顔付きながら、何か不安を与えて来た。実用優先な船長の服装に対し、黒ずくめの男の、その上下黒一色のゆったりした装いは船上では、異形だった。
相変わらず、話しながら立ち位置を動かしていた。身体も、揺れていた。
しかし二人には、共通点が有るとヒョウは感じた。
長としての、人の上に立つ何か。他人を従わせる事が出来る、資質。好かれるか否かとも又、違う。
似た者同士だった。
それ故に、どうあっても仲良く成るという事は無理な状況ではあったが互いに、顔を合わせた瞬間から或る種の仲間意識を、感じてもいる様に見えた。
乗組員は皆、どう行動して良いか判らないでいる様だった。とにかく、船長の指示に従っているだけだった。
話し合いは、すんなりとまではいかなかった。状況は極めて珍しく、言う迄も無いが、互いに相手に対し、心からの信頼が成立する筈も無い。
ただ、騒がしくはあったが黒ずくめの男の態度には、強圧的な物は無かった。
「冬餉号の乗組員は、抵抗をしない」
「向こうの乗組員達は、冬餉号の人間に危害を加えない」
「冬餉号を操るのは、乗組員達でやって良いが、進路等の指示は荷貨船側から出す」
「冬餉号から何人か、人質を出す」
「乗組員も船客も基本自由にして良いが、指示が有った時は従う」
といった話が、まとまった。
話し合いとなると両者は、ヒョウや乗組員達にも判る言葉に戻していたが、やり取りは良く聞こえなかった。
荷貨船の事を黒ずくめの男は「五百号」と呼んだ。名前の付け方は謎だったが、無論誰も、尋ねたりはしなかった。又自分の事は、ただ「指揮官」と呼ぶ様に言った。
人質には、操舵長が真っ先に名乗りを上げた。荷貨船の者達が危険な顔を剥き出した時から、何も出来ずにいた事を恥じている様だった。
他四名が選ばれ、荷貨船に移った。
冬餉号に残って指示を出すのは、大槌使いの小柄な男らしかった。
「バルキエールだ!俺の、片腕だ!こいつの言葉は、俺の言葉だ!」
黒ずくめの男は、後ろから両肩を掴み、前に押し出す様にしながら言った。
それから、首に手を回し、顔を近付けて笑顔を見せながら、小声で暫く話し続けた。
バルキエールと呼ばれた男は、無表情に頷いていた。
暫く時間が掛かったが、とうとう黒ずくめの男は、相手の腰の辺りを叩きつつ身体を離し、笑い顔のままヒョウとアルトナルドの方へやって来た。
「なあ、船長殿だが…ガイナルト・ギャレアとおっしゃるのか?」
「ガイナルト船長だが、名字は知らない」
「そうなのか…立派な方じゃないか!御迷惑御掛けして本当、申し訳無い!」
それから、ヒョウに顔を近付けると真顔に成り、小声で言った。
「色々有難うな、ヒョウ・エルガート!」
そして、再び笑顔を浮かべると手を振りながら、自らの船に戻っていった。
長い渡り板が、外された。
バルキエールと数人の仲間が残った船上には、新たな緊張感が生まれた。
黒ずくめの男には確かに、陽気さだけで無く何とはなし、安心感というか柔らかさが有ったが、その片腕だという小柄な男には、無表情から突然、狂暴さを発揮しそうな空気が有った。幼い顔立ち故に、一層恐ろしくもあった。
他の四人は、人間が二人、ドワーフが二人だった。いずれも憮然と退屈そうに、何となく散らばって立っていた。それぞれ、分厚い剣を腰に着けていた。
バルキエールは、船長に近付くと早口に、何かを話し始めた。良く聞こえなかったが、やや甲高かった。
船の動きに対する指示らしかったが、船長の頷く様子から見て、船の事を判った上での言葉である様だった。
やがて船長は、乗組員に命令を下し始めた。再び帆が上がり、冬餉号は動きを、取り戻した。帆が再び風を受け始め、船体に伝わり出す瞬間の軋む音。風の、流れ。
針路を大分転じたのが、ヒョウにも分かった。
バルキエールは無表情のまま一連の動きを見ていたが、やがて船首の方に進み、そのまま前方に目をやり始めた。他の者達も更に散らばり、それぞれに楽にし始めた。
帆柱を背に、座り込んだ者も居た。
荷貨船にも、帆が上がっていた。二艘は、何となく横並びに、進み始めた。
順風というのでも無かったが、速度はそこそこだった。
ただ乗組員の動きは、滑らかとは言えなかった。
船長が、ヒョウの肩を掴んだ所のやり取りが始まったのはそれから、暫くしてからだった。
「そういう事だろうな…しかし問題は、それが何なのか」
「心当たりは?」
「有ると、思うか?もっとも、言ったみたいに我々は中身一々確かめてる訳じゃ無い…こっそりやられてたら、「旧帝国」の黄金杯入ってたって、判らん」
「一応、考えてみるとしよう…今回の、荷物は?」
「例の如く、色々だよ…稀少香料と薬草は、いつも通り。大きな船じゃ無いんでな、大量に運びたい物は余り、扱わない。商売用地図、少し。新品の、壺」
「空?」
「そう…もっとも今は薬草を一時的に、中に入れてる。そうしないと積み込み、収まらなくてな!」
「面白いですな」
エノシマが、口を挟んだ。
「それから、車輪が沢山…あれが、面倒だった!」
「車輪だけ?」
「ケチャリアの、優れた職人仕事で作られててな…後、毛織物の束も、結構有る」
「やっぱり、一番何か有りそうなのは個人の、荷物か…。積んでるよな?」
「幾つかな。ただ、それこそ専用の箱や包みに入ってるんでな、誰が何を、とか全く、判らん」
「でも一番、有りそうだな」
「あの、黒服好きの男だが」
アルトナルドが、口を開いた。当人は茶色尽くしなので、言い方には多少のおかしみが、有った。
「耳にした事が、有る気がする…人種、いつも黒着てる…」
「お洒落だよな」
「ガルキスって名前だ、確か…海賊とは又、違うらしいんだが」
「今回は、商売変えか?」
「何と言うか、変わった何でも屋というのかな?金を貰って何か難しい事、特別な依頼を知恵を使ってやってみせるみたいな話らしい。無論、汚れ仕事もやる」
「海に居るとは、限らないって事か」
「酒樽に兵士隠して隣の国に忍び込ませ、砦を攻め落とすのに力貸したとか、イジャーケルの軍船二艘、港で火事に成った裏にいたとかな」
「楽しいな!」
「話は、合う」
船長が、言った。
「ああ…合う。その、ガルキスなる人物だとして、何だか判らないが此の船に積まれてる物を、手に入れる仕事を受ける。見るからに海賊っぽかったり正体不明だったりがこんな奥の海域ウロウロしてたら見咎められ易い。そこで荷貨船手に入れて、空荷の代わりに戦える奴、沢山乗せる」
「結局、話は戻るな…」
船長は、バルキエールにそっと目を向けてから、言った。小柄な男は、ヒョウ達など存在していないかの様にひたすら、行く手を見つめていた。
「ガルキスとやらが一体何を、狙っているのか?」
「今、何処に向かってるんだ?」
「此の針路で此の風のままなら、明日の昼には咬呀群島だ」
「行った事無い」
「小島っていうか、岩の塊みたいなのが沢山、集まってるだけだからな」
「とにかく…片腕だというバルキエール殿の言葉に、合わせていくしか無いか」
「愛人でも、ありそうだな」
アルトナルドが、付け加えた。
風が、冷たく成って来ていた。
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