邂逅

 大事なのは、笑顔である。

 エルフであれ、人間であれドワーフであれ、その他の種族であっても。笑顔の相手に攻撃を仕掛けるというのは何故か、難しい。

 自分達の船を襲おうとしている者達の中へ単身、精霊術使って乗り込んで来た者が浮かべる表情として一番不可解で怪しいのも、笑顔である。そうして、どの種族であろうと不可解な物には、距離を置きたくなるのも又、共通している。

 勿論、冬餉号から空中を歩いて渡って来たヒョウの実力を単純に、皆それなりに恐れたというのも有るであろう。


 ともあれヒョウは、船の柵を背に、色々な武器を構えた一団に半円形に囲まれつつ、にこやかな笑顔を浮かべていた。


 直ちに襲い掛かってこられる事態にならなかったから、どうやら第一歩は成功だった。

 そこには、刃をかわせるか否かと同じ様に、抑え込めるか否かを分ける一瞬の境が、有った。


 冬餉号とはやはり、揺れ方が違っていた。もっとも、こちらの方が大きいにも関わらず揺れ方が速いというのはやはり、空荷だからであろう。


 周りの者達は大半が、多少それぞれ形が違うが、分厚く大振りという点では共通した剣を、持っていた。戦斧も、何人か居た。大槌持ちも二人いて、共に人間だった。一人は武器に似合って大柄だったがもう一人は、小柄なのが目を引いた。顔立ちも、幼かった。

 皆、腕が太く、戦いを経験しているのが見て取れた。

 武器を構えつつ、近付いては来なかった。


 勿論、こういった事を見て取ったのは、一瞬に過ぎなかった。

 大切なのは言うまでも無く、艦橋の一段高い所に立つ、指導者とおぼしき人物である。

 確かに、ガイナルト船長と同じく肌の黒い人種だった。

 背が高く手足が長く、首も長かった。上衣も足衣も黒一色で、戦い向けでは無いゆったりした仕立てだった。布地も、上質と見えた。

 細く鋭い顎、締まった頬と高い鼻、鋭い目線。美形と、言えるかもしれなかった。

 腰の剣は細身で、鞘も柄もやはり、黒かった。

 無表情だったが微かに、笑みを浮かべているかの様な雰囲気も有った。優しげに見える訳では、無かった。

 足踏みするかの様に細かく、立ち位置を動かし続けていた。身体も、揺れていた。


「失礼します!」


 ヒョウは、深めに頭を下げた。


「ヒョウ・エルガートと申します!」


 向こうが名乗ってくれる事は期待出来なかったので、ヒョウは取り敢えず、非常に見たままに相手を、黒ずくめの男と名付けた。


 黒ずくめの男は直ぐに返事をせず、小首を傾げながらヒョウを見つめて来た。

 市場で、正体不明なる物を見付けた時の表情みたいだ、とヒョウは感じた。

 細く長い首を傾けられると、それだけで何か異形の生き物の様に感じられた。


「通せよ!」


 突然発せられた声は、意外といっては何であるが深みが有り、美しかった。


 周りの者達が、素早く動いた。男が立つ下までの道が、開いた。

 周りの者達が今度は背後に、移動していった。

 皆、武器を変わらず構えていたがそこには、違った意味合いが有った。要するにヒョウが、指導者に対し何か仕掛けようとするなら直ちに襲い掛かって来るという事で、先程までの様な躊躇いは、無かった。


 船長と叱責を受ける部下、といった形に成ったがとにかく黒ずくめの男とヒョウが、対峙した。


 相手を見上げつつ、つい最近、似た様な事をやったなと感じてから直ぐに、思い出した。クー・カザルで、ジャフリカなる銀族エルフの男に召喚状を受け取らせようとした時である。

 事の性質や、必要な心持ちはさして、変わらない。

 ただあの時は、力関係となるとこちらが上だったが、今度は向こうが遥かに、上である。

 無論、掛かっている物の重さもかなり違うのであるが。大事なのは、相手の人物が掴めているのか。そして、掴んでいる自分を信じる事が出来るかどうかである。大体、同じである。


「腹減ったな!」


 やはり、声自体は美しかった。


「突然、申し訳無いです…!」


「謝る事なんか、無いぜ?それよりさっきのお前、見事だったじゃねえか…精霊使いか?」


「はい!」


「素直だな…!」


「有難うございます!」


「とにかく俺は、腹減ってんだよ…だから飯食う前にさっさと全部、済ませちゃいたいんだ!」


 沈黙が、訪れた。互いに表情は、動かなかった。

 突然、相手の目がヒョウから逸れて、冬餉号の方に向けられた。


「おい!こちらのお客さんばかり、見てんじゃねえ!もうすぐあちらさんと、並びそうじゃねえか!」


 回りを囲んでいた者達の半数位が各所に素早く、散らばった。冬餉号の方を向いて武器を、構えた。弓矢を手にする者、突き槍を手にする者もいた。鉤縄も、用意された。

 ヒョウは、表情を変えなかった。

 風は、相変わらず良き速さで吹いていた。


「で?」


 視線が、ヒョウに戻った。


「判ります…食事は、大事です」


「話が合うな!そうなんだよ…無駄遣いって言う奴もいるけどな、船に乗る時は必ず、良い食い物積み込んでんだ!」


「素晴らしいですね!」


 本心だった。冬餉号に乗り込むといつも、腐らない事だけで選ばれた糧食を食べさせられて内心、閉口の極みが本音だった。


 再び、一瞬の沈黙。


「で、何か言いたいんだろ?」


「はい…食事も、早めに取れるかと!」


「お前、料理も出来んのか?」


「そこそこ、出来ます…ただ、今はその話じゃ無いんですが」


「次、ちゃんと喋らなかったら攻撃命令、出すぞ」


「降伏です」


「…あ?」


「ですから、降伏です」


「おい、全然判らねえぞ!降伏ってのはな、もっと頭を下げて頼むもんだろ!何お前、堂々と胸張って偉そうに、降伏してあげますって顔してるんだよ!楽しい奴だな!」


「申し訳無いです!」


「あのな、こっちが勝つに決まってんだよ!」


「はい!」


「やり辛えな…!」


「とにかく抵抗無し、降伏します…積み荷は全部、進呈します。その代わり、乗客と乗組員には、手を出さないで欲しいです」


 今度は、長めの沈黙が訪れた。


 冬餉号と荷貨船は、完全に並んでいた。速さに勝る荷貨船としては、細かく調整しながら、並んだまま間を狭めていく事が出来る。

 初めに当然、矢を射掛けていくであろう。鉤縄を投げて、上手く引っかけていけば船同士、離れる事は無い。荷貨船の方が丁度良く高さが有るので、矢を射るのも、冬餉号に飛び移っていくのも、容易い。

 冬餉号からは、矢はまず当たらないし先手を打って切り込むなども、出来ない。


「あのな…」


「はい」


「どのみち、こっちが勝つんだから同じ事なんだよ!」


「そちらの乗組員で、死ぬ事に成る人にとっては同じ事では、無いです」


 勿論、荷貨船上の者達は皆、やり取り聞いていた。声にならないざわめきが、有った。初めて「戦い」に関わる事を言ったヒョウの言葉に対して沸き上がったのは、当然ながら殺気であるのが感じ取れた。


「おい」


「はい」


「お前を、此処で殺すだろ?後、ちゃんと戦える奴は一人って所だろ?」


「そうでも無いです」


 黒ずくめの男は、冬餉号の方に目をやった。敢えてヒョウも、振り向いて目をやった。艦橋に船長と並んで立つアルトナルドと、エノシマと名乗った人物とが見えた。


「…面白えな」


「自分はあっさり殺されるとして、船の皆は徹底的に戦います…荷物とか、そちらに取られる位なら何するか、判らないですよ?もし、何か特別に欲しい物が有ったりしたら、残念な事に成るかもしれません」


 最後の言葉は、荷貨船の一行がただ、通りすがりの海賊では無いという読みに、基づいていた。


 沈黙。


 考え込みながらも、黒ずくめの男の立ち位置は細かく動き続けていた。身体も、揺れていた。


「…独断じゃ、無いよな?」


「勿論!自分は、船長の考えを伝えに来ただけです!」


 いきなり、男はニヤリと笑った。大きく口元を歪めて、優しげとは言えなかったが妙に、ホッとする感じも有った。


「正直者ですな!ヒョウ・エルガート、大したもんだ!」


 名乗りをしっかり覚えていたのは、少々驚きだった。


「普通なら、聞く耳なんか無いけどな!少々訳も、有りましてな…乗った!」


 突然、周りの者達の後ろに居たらしく存在に気がつかなかった、頭巾と一体の青い長衣に身を包んだ人物が、男のいる所まで小走りに上がった。ヒョウの知らない言葉で、激しく何かを言った。

 「感知」と、胸元の内側から対魔章印が、小さな声を発した。

 今度は青の男か、とヒョウは内心、おかしみを覚えた。

 鼻と口をやはり青い布で覆っており、目深く被った頭巾とも合わせて顔立ちも、種族も判然としなかった。身長から見てドワーフでは、無さそうだった。

 黒ずくめの男は、笑いながらやはりヒョウの知らない言葉で、返事を返した。

 青服の人物は、激しく更に何かを言った。

 やり取りは、暫く続いた。黒の男の顔から笑いは、消えなかった。

 黒ずくめと、青ずくめ。中々悪く無い色合わせだなと、ヒョウはふと感じた。


 突然、黒ずくめの男は青の男に顔を近付けると囁く様に、言葉を続けた。暫く時間が、掛かった。

 顔が離されても、青の男は返事をしなかった。

 そのまま二人は暫く、目線をぶつけ合っていたが、やがて黒ずくめの男は、ヒョウの方を向いた。


「解決!良かったな!」

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