深謀

 船上の目が全て自分に向けられているのを、ヒョウは感じていた。黒い物体は、剣を抜くと同時に胸元に、しまわれていた。

 風の音、船体が軋む音、様々な音が変わらず行き交っていたが、同時に、それらから遮断されて静かに成った様にも感じられた。

 取り巻く世界がやや、ゆっくりに成った様に見えていた。心の奥底には、喜びと快感も有った。

 脇で相棒が、ヒョウの意図を図りかねつつも、両腰の手斧をいつでも抜ける様に手をやっているのも視界の隅には、入っていた。


「頭おかしくなったのかよ!」


 駆け上がって来たのは、操舵長だった。

 頑丈そうな身体が掴みかからんとするばかりだったが、そこで、相手が剣を抜いた傭兵である事を意識して、踏み止まっている感じだった。


「どいてくれないか」


 言うとヒョウは、それまで船首部分の端の方にアルトナルドと立っていたが、進み出ると、船尾の高く成った部分に立つ船長に、視線を向けた。二人が、対峙する形に成った。

 操舵長に対する言葉には、日頃感じていた気持ちが思わず込められていたので後程、気まずい事に成るかもしれなかったが、それどころでは無かった。


 船長の様に肌の黒い人種は、セトの海では、まとめて南方人と呼ばれたりもしていた。そして、当人達はそういった呼び方を好まない事もヒョウは知っており、気をつけていたが。ともあれ、縦長で鋭い顔は常に、落ち着きを感じさせた。

 今もヒョウは、目が合った途端、色々楽に成るのを感じていた。

 船長の表情には、続きを促す色が有った。

 再び話そうとしたが、一瞬言葉に詰まり、最終的に声が出て来るまで間が産まれた。


「さっき…同じ様な船が通ったから、違いに気が付いた!あんたの方が専門だから、判ると思う!あの船…」


 ヒョウは、急速に旋回を完了し、冬餉号と同じ向きに進みつつある荷貨船の方に、手をやった。


「喫水、見ろ!揺れ方を見ろ!軽そうな動き、速さ…!空荷だ!」


 それまで、冷ややかな好奇心といった感じだった船上の空気が突然、変わった。船長の目が、鋭く成った。荷貨船の方を、見た。

 アルトナルドが、鋭くヒュッと息を吐いたのがヒョウの耳に入ったが、意識はそちらに向かなかった。


「だが、あれ間違い無く、本物の荷船だぜ…」


 操舵長の声も、それまでとは違っていた。


「だから?海賊は、海賊らしい船に乗る決まりでも有るのか?何とかして荷貨の船手に入れて、乗って来たって話だろ!」


 いつの間にか、ジパングの人間とおぼしき船客が、甲板上に出て来ているのにヒョウは気が付いた。荷貨船に、目をやっていた。片手で船体に掴まっていたが、利き手は、腰の曲刀の柄に乗せられていた。


 船長は、暫く上を見上げてから再び、少しずつ近付いて来ている船に目を向け、それから再び、ヒョウに目を戻した。


「此のセトの海で、荷物船が空っぽで、ウロウロしてるなんて有るもんか!それで、便りが有るからと近付いて来る…怪し過ぎるだろ!それに、見ろ!空だとしたら乗ってる数、多過ぎる!」


 船員達は皆、その場で動かずに居た。


 赤覇エルフの船客も、甲板に出て来ているのにヒョウは、気付いた。船の揺れを全く気にする事無さそうに、スッと立っていた。

 茶色い地に赤い模様が入った、頭巾付き旅装に身を包んでいた。武器を持っているかは、判らなかった。そしてヒョウは、エルフが謎の船でも船長で無く、自分の方を見ている事に気が付いた。

 黒と灰色の中間の様な、肌の色。透明感が、有った。灰白色の、長めの髪の毛。エルフの種族の中でも魔力が強い者が多いと言われているのが納得出来る様な、周りに異なる力が流れているといった、佇まい。

 顔立ちそのものに特徴は余り無く、直ぐに記憶から薄れてしまいそうな感じさえ有ったが。ヒョウに向けられている赤い瞳には、深さが有った。

 二人の視線が、交錯した。エルフが何を感じているかは、読めなかった。

 無表情に、ヒョウと目が合っている事を気にしている様子も無く、何に気付かれ、何を考えられようと気にしていない風だった。


「『了解』を揚げろ!」


 船長の声は、張り上げる感じでは無かったが、良く通った。


「それから、全員武器を取れ!」


 船上は一瞬にして、静寂から騒音へと転じた。


「まず、矢盾だ!剣の置場、判ってるよな?兜も、忘れるな!」


「武器を取れ!武器を取れ!」


 船長の命令は明らかに全員に伝わっていたから復唱の必要は無かったが、船員達は、そうすれば物事が上手くいく見込みが上がるとでもいうかの様に、「武器を取れ」の声を交わし合った。

 ヒョウの剣は鞘に、収められていた。実際上暫く、抜身で持っている必要は無かった。


 操舵長は、真っ先に船倉の入口に走っていっていた。


「出て来させるな!」


 船室への入り口から、何人かが顔を覗かせていた。他の船客達だったが、船長の言葉で直ぐに、船内へ追いやられていった。

 ジパングの人間とおぼしき人物と赤覇エルフも存在に気が付かれ、乗組員が船室の入り口へ、押し込む様にしていた。

 赤覇エルフは、佇まいから言うと意外にも感じられたが、全く逆らう様子無くスッと、船内へ消えた。

 ジパング人らしき男も、歩みはゆっくりだったが逆らう事無く船内に押し込まれようとしていたが、その時ヒョウは、自分でも何故そんな気に成ったか判らなかったが、叫んでいた。


「船長!その人はそのまま、居させてくれ!」


 船長は一瞬、ヒョウを見た。が、直ぐに乗組員に向かって声を飛ばした。ジパング人とおぼしき人物は、甲板に残された。

 驚き、というより意図や人物を量る様にヒョウに目を向けて来ているのが見えたが、それどころでは無かった。


 船員達の動きに、これまでの滑らかさは無かった。速度は上がっていたが、ぎくしゃくしていた。

 しかし、セトの海に出る者達で、戦いが身に降り掛かる事を全く考えない者などいない。腰に、剣が付けられた。人が後ろに隠れる事が出来る、分厚い木の盾が甲板上に、並べられた。槍や、長柄の鉤も用意され、大半の者が、兜を着けた。

 操舵長も兜をかぶり、他の者よりやや大振りな剣を腰に付けて再び甲板上に出て来たが、そのまま船の縁に行くと、手すりに掴まりつつ荷貨船の方を凝視して動かなかった。何か指示を出す様子は、無かった。


「船長!船長!」


 再び、帆柱の上から声が響いた。怪しい荷貨船は、冬餉号とほぼ同じ方向を向きつつ僅かに斜めに、少しずつ寄って来ていた。向こうの方が少し大きいにも関わらず、速度が勝っているのは明らかだった。

 しかし、見張りの叫びが向けられているのは、そこに対してでは無かった。

 まだ、向こうの船上にいる者達がはっきりと、見分けたり出来る距離では無かったが。操船に専念している何人かを除いて、明らかに武器を取り出していた。

 足元に置かれていたか、布の下にでも隠していたか。抜身の剣や槍や鉤がいつの間にか、船上の者達の手に有った。こちらと同じく、矢盾も用意されていた。


「本当かよ…!」


 自ら予測した事だったにも関わらず、ヒョウの口から思わず出た言葉はそれだった。同時にそこには、読みが正しかった事に対する喜びも、有った。


「大当たりだな」


 相棒の声に、やや冷静さが戻るのを、感じた。


「これにて、悠久の別れに成るのやもしれぬが」


 胸元から、声が響いてきた。


「見事な読みであったな、ヒョウ・エルガート」


「まだまだ、お別れにはならないよ」


 ヒョウの言葉は、静かだった。


 乗組員達は、荷貨船の方に目を向けて固まっていた。

 先程までは、あくまで阿呆な護衛がおかしな考えを言い出したに過ぎないのかもしれなかった。が、今や、危険と戦いが牙を剥き出していた。その事に、潰されている様だった。 


「みんな!少々、マズい事に成ったな!」


 船員達は、船長の言葉に直ぐには反応しなかった。


「参ったよ!」


 一体何を言い出そうというのか、驚きの反応も加えてようやく、船上の目が船長に、向けられ始めた。

 張り上げられていたが、落ち着き有る声だった。


「だが、良く見ろ!あれは、軍船じゃ無い!何処の海賊か知らないが手の込んだ事してきやがって、だけどあれじゃ、そんなに手強く無い筈だ!確かに俺達は、戦士じゃ無い…だが、最後まで、何が有ろうと戦う!最後まで頑張る海賊なんて、いるか?恐れず戦えば、あいつらは逃げていくさ!」


 船長の言葉に対し、歓声が起こったりはしなかったが。やや、皆に生気が戻った。

 それを逃さず船長は矢継ぎ早に、とにかく最速出せる様に指示を出していった。

 航路関係無く最も順風に成る様、進路が修正された。全ての帆が、全開に成った。

 船長は、ヒョウとアルトナルドに視線を向けた。


「凄く、厳しいな?」


 護衛の二人が側にやって来ると船長は、小声で言った。

 速度が上がって、細かい横揺れが強く成っていた。


「残念だが」


 珍しくアルトナルドが、先に答えた。


「俺もヒョウも、何人かは道連れにしてやる…言えるのは、それ位だ」


「…ああは、言ってみたが」


 少々抵抗された位で引く程、セトの海の海賊がひ弱で無いのは、はっきりしていた。


「ヒョウが持ってる、黒い小皿みたいなので何か、出来ないのか?」


 黒い物体に関しては船上の誰に対しても秘密にしていたから、ヒョウに、驚きが無いと言ったら嘘に成った。


「残念ながら今の状況には、役に立たないんだ」


 言いながら胸元から、取り出した。


「初めて御挨拶申し上げる、ガイナルト船長」


 黒い物体から言葉が発せられると、さすがに船長の顔に、驚きが浮かんだ。


「喋るんだな…!」


 ヒョウとしては、意外な所から船長の名前を思い出す事が出来て内心、笑みを浮かべる部分が有った。


「『対魔章印』聞いた事無いか?精霊戦士としての自分とは全く、関係無い…出会いについては、長い物語が有るんだが」


「闇と、炎と、雨の物語であったな」


「聞かせて貰うのは、生き延びてからの楽しみにしよう」


「これは、闇の魔法に対して働く…逆に言うと、闇が関わって無ければあそこの、海賊だかなんだか判らない奴らがどれ程悪どかろうと、何も無い」


「済まぬな、船長殿」


「『海賊だか判らない奴ら』?」


「何か、おかしい…確かに、荷貨の船に乗っていれば怪しまれずうろつけるかもだけど。あんたも言った様に、軍船じゃ無い。あの大きさじゃ、大型船襲うのは厳しい…けど、冬餉号相手にするには、丁度良いんだ!」


「俺もそれが、気になってた」


 アルトナルドが、口を挟んだ。


「勿論、手頃な船探して、ウロウロしてただけかも…だが、こんな奥の海まで入り込んで来てそれって、旨味無さ過ぎないか?あの船手に入れるのだって、タダでその辺に浮いてた訳無いだろ」


「此の船わざわざ、狙って来たというのか?」


「そんな気も、してるんだ」


「有り得るか?」


「心当たりは?」


 船長の口許に、笑みが微かに浮かんだ。


「安い金で客も荷物も運ぶ、小さい船だぞ?」


「判ってる…だが、こっそり貴重な物を、運んでたりするかもしれない」


「無い!もっとも、荷物に関して言えば、番号と書類と照らし合わせて積み込んでるだけだから、中にエスペリアの宝冠が入ってたって、こっちに判りはしないが」


「エスペリアの冠を積んでおったら、今頃此の船は魔龍達に取り囲まれておろうな」


 ヒョウは答えず、対魔章印を胸元にしまい込んだ。

 三人の目が再び、謎の荷貨船に向けられた。冬餉号より幅広で、平たく感じられる船体。荷物を積んでいたならば速度でも操舵でも負ける事は有り得なかったが、同じ様に進路を合わせつつ、着実に距離を詰めて来るその動きは、間違い無く空荷なのが今や誰の目にも、明らかだった。


「船長、まだ諦めなくて良いかもしれない」


 アルトナルドが、言った。


「相棒が、今みたいに落ち着き無く不安そうに見える時は、何か考えてるんだ…冷静に、動じない様に見える時は本当に、マズい」


「何か有るのか、ヒョウ?」


「…有るかも、しれない」

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