第20話
折原 涼太
二〇二四年十一月
試合開始、十分前。
涼太は観客席の上側で翔のウォーミングアップ姿を見ていた。
「あ、翔パパ!」
「お、美織ちゃん。来てくれてたのか」
「翔も大吾も私の応援がないと辛いよなって思いまして」
美織は少しおちゃらけたように笑っていた。
「美織ちゃんぐらい可愛い子に応援されたら誰でも嬉しいさ」
「翔パパは本当に褒め上手ですね〜」
「そうか?」涼太は満更でもなく頬を掻いた。
「美織〜席無くなっちゃうよ〜」美織と一緒にいた女の子たちのうち一人が言った。
「あ、はーい! じゃあね翔パパ」美織は踵を返した。
「うん」と言った後、涼太は一拍置いて、「あ、美織ちゃん」と美織の後ろ姿に言う。
「はい?」
「翔のことよろしく頼むな」
「え? 翔パパ、それってどういう意味?」
「なんでもないよ。ほら、お友達呼んでるぞ」
美織は少し訝しみながらも、すぐに微笑んで、その場を去っていった。
「涼太さん!」その直後、観客席の下から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「史也! 来れたのか?」
「えぇ急遽予定していた会議が中止になったので、病院から慌てて来ちゃいました。でも間に合って良かった。改めてお誘いいただきありがとうございます」
涼太は翔の県大会決勝という大事に試合があることを史也に伝えてた。元々は仕事の予定があって来れないと聞いていたが、急遽来れることになったようだ。
「お前には翔が世話になったからな。紙飛行機の件、翔から聞いているよ、ありがとうな」
「いいえ、翔君達の想いは本当に素晴らしかったです。大吾君のお母さんもそのおかげで元気になれたと言っても過言ではないはずですから」
史也はそこまで言うと、少し神妙な面持ちになった。
「どうした?」涼太は史也の表情を変化に気付き聞いた。
「琴音さんにも翔君のこの勇姿、見せてあげたかったですね」
「それは言うな、史也」
「す、すいません」史也は申し訳なさそうに頭を下げた。
涼太は史也の肩を軽く叩いた。そして空を見上げた。
「見てるかもしれないだろ。天国かどっかからよ」
「そう……ですね」
「お、涼太じゃないか!」
また観客席の下の方から声が聞こえた。涼太は声の行方を探した。そして見つける。
「貴弘君!」
そこにはすらっとした出立で鹿島アントラーズのジャージを羽織った貴弘がいた。
貴弘は涼太と史也がいる上方部まで登ってきた。
「久しぶりだな! 涼太」
「えぇ。貴弘君はどうしてここに?」
貴弘はベンチで選手達とミーティングをしている雄星の方を見た。
「雄星から教えてもらってな。お前の息子が雄星の教え子だなんてさ、しかも俺の所属する鹿島アントラーズのユースチームと戦うってんなら観に来るしかないだろ?」
「俺の所属する?」涼太は貴弘の服装に視線を移した。貴弘は今日の翔の対戦相手である鹿島アントラーズのジャージを着ていた。
「あれ? 言ってなかったか? 俺今、鹿島アントラーズの専属メディカルトレーナーをやってるんだよ」
「あ、そういえば! すいません。すっかり忘れてました」
「お前はほんと忘れっぽいな。でも今日は土浦ユナイテッドを応援するつもりできたからな」
「だったらそのジャージ絶対着てきちゃダメでしょ」
「確かに」
二人の間で笑い声が溢れた。久しぶりに会う貴弘は変わらず当時のままだった。
「あの……」不意に史也が声を漏らした。
「あ、すまん。貴弘君、紹介遅れたけど、彼は──」
「史也君だろ?」
「え?」
「僕のことご存じなんですか?」史也は驚いたように訊いた。
「あぁ、友也の葬儀の時に会ってるからな。俺にとってもあの日の出来事は今でも鮮明に思い出せる。成長しているけど、あの時と面影は変わらないな、史也君」
三人の間には少し物悲しい雰囲気が醸し出された。それはもちろん友也のことを思い出してのことだった。
すると主審のホイッスルの音が聞こえて、その後入場曲のFIFAアンセムが会場のスピーカーから流れ始めた。
「そうだ!」貴弘が何かを思いついたように言った。
「ちょっと雄星のところ行ってみないか? ベンチの横あたりに行っちゃダメかな?」
「え、さすがにダメなんじゃないすか? 一応部外者立ち入り禁止でしょ?」
「部外者って言うほどの部外者じゃないだろ? 行くだけ行ってみようや」
「はあ」
涼太は史也と共に貴弘の後に付いていった。観客席の一番下まで行くとベンチのすぐ後ろ側に辿り着く。貴弘は「雄星!」と声をかけた。雄星は振り返った。
「お、貴弘! それに涼太に、君は……史也君か! ここまで来てどうした?」
史也はまたも驚いていた。雄星も自分のことを知っていて驚いたのだろう。
「そっち行っても良いか? ちょっとお前とも会話しながら試合が観たい」
涼太はそれはさすがに無理だろと思った。雄星は今は土浦ユナイテッドFCの監督だ。試合中も指示出しとかするだろうし、自分達になんか構っていられないだろうと思った。
「いいぞ」
「え⁉︎」
「やった〜さすが雄星」
「良いんですか?」
涼太は驚いた。こんなにもあっさり快諾してくれるとは。
「まぁあんまり話し相手できなかもしれないがな、それと貴弘」
「ん?」
「せめて鹿島のジャージだけは脱いでくれ。スパイだと思われるぞ」
「そうだな。さすがにそれはやめとくわ」
貴弘はカバンからナイキのウインドブレイカーを取り出しそれを羽織った。
「これでよろし?」
「うん、良いぞ」
貴弘は腰丈ほどある塀をサッと飛び越え、雄星の隣に行った。涼太と史也もそれに続いた。それと同時くらいに試合開始のホイッスルが吹かれた。
「どうだい土浦ユナイテッドは? 鹿島ユースは中々強いぞ」
貴弘が雄星に訊いた。
「鹿島ユースの強さは熟知している。特に熱田って奴は相当な実力だな。でもうちも負けていない。翔は熱田以上の才能の持ち主だ」
「かつての涼太を彷彿とさせる?」
「あぁそれ以上かもしれない。それと──」
雄星は会話を途中でやめ、突然サイドライン付近まで近づき、選手達に大声で指示を出し始めた。
「さすが永森監督ってところだな。あぁなったらしばらくはこっちもどってこなさそうだ」
貴弘の言う通り、その後前半は終了まで雄星はサイドライン付近に居続けた。そして主審が笛を吹き、ハーフタイムで選手たちはベンチに戻ってきた。涼太は翔に一言エールを送った。
後半が始まると貴弘は雄星に声をかけた。
「さすがの鼓舞だな。昔と変わらずお前の声には不思議と力が漲る魔法がある」
「思ったこと口に出しているだけだけどな」
「へへ。まぁ無意識だろうな。そういえば雄星さっき何か言おうとしていなかったか?」
「え? あぁ。ちょっとうちのチームの選手達を見て何か気づかないか?」
「え、いや、何も。なんだ?」
「俺はこのチームを見ていると大学時代を無性に思い出すんだ」
「ほう、例えば?」
「ゴールキーパーの夏樹のプレーは当時の貴弘を連想させる。的確なコーチングとセービングセンス。副キャプテンってのも被るな。センターバックの和人はまさしく俺だ。守備センス、リーダーとしての素質はチーム随一だ」
「確かに言われてみれば、ってことは……」
「翔は涼太、お前だ。あいつは涼太の生写しのようなプレーをする。プロだって夢じゃない。少しメンタルが弱いところも涼太っぽいけどな」
「それ褒めてます?」涼太は少しふてくされながら言った。「でも、翔は俺以上の選手になりますよ。親バカかもしれないですけど」
「涼太が言うんなら間違いはないさ。それとあともう一人、フォワードの大吾。あいつは……」
「兄ちゃんですか?」史也が言った。
雄星は史也の目を見た。
「あぁ大吾のプレーは友也と瓜二つだ。ダッシュ力、シュートセンスとパワー。翔と大吾は親友同士だから、そう言う意味でも当時の涼太と友也を連想してしまうんだ」
涼太はピッチ上にいる大吾を見た。
雄星に言われるまであまり意識をしたことがなかったが、彼はとても納得した。確かに大吾のプレースタイルや運動能力の高さ、それとムードメイカー的な素養は友也と重なる部分が大きい。
「え?」
一瞬、大吾の姿が友也の姿と被り、まるで小学生時代の友也が目の前でプレーしているかのような錯覚に陥った。涼太は目を服の袖で擦ってもう一度大吾を見た。するとそこにいたのは当然の如く大吾の姿であった。
涼太は大学時代の決勝戦、友也と一緒に試合した最後の試合を思い出していた。
「雄星君、貴弘君覚えてます? 全国大学サッカーの決勝戦のこと」
涼太は雄星と貴弘に訊いた。
「もちろん覚えてる。なんなら人生で一番印象に残っている試合だ」
「あの試合、最後僕のパスで友也が点を取って、勝利しましたよね? でね、僕がパスを出す直前、僕は三人のディフェンダーに囲まれていました。その時友也の奴、僕にこう叫んだんです。『お前ならそこからでもパス出せるだろ!』って」
「あぁよく覚えている。あの友也の声は試合に出ていた全員の耳に届いていたと思うぞ」
「あいつの声よく通るからな。キーパーの俺の耳にも届いていたよ」
「あの瞬間、周りの時が止まったようにゆっくりに見えたんです。どこにパスを出せば友也が点を決められるのか、確信的にわかった。あれが所謂『ゾーン』に入ったやつ……なんですかね? サッカーをやっていて一番楽しいと思えた瞬間でした。友也は……どんな困難な場面でも僕を、僕のプレーを信じ抜いてくれていた。翔と大吾君も僕と友也くらい強い絆で結ばれています。だから今日の試合もきっと彼らは何かを見せてくれるはずです」
その時、会場がわぁっと湧いた。ベンチの選手達も歓声をあげる。涼太達はグラウンドに目を向けた。大吾が点を決めたところだった。
涼太は試合を固唾を飲んで見守った。
お前の力はまだそんなもんじゃないだろ? 翔。さぁ見ておいで。あの時の俺たちと同じ、サッカーに愛された者だけが見れる至高の世界を──。
折原 翔
二〇二四年十一月
「──‼︎」
三人のディフェンダーに囲まれながらその声は翔の耳に届いた。
その瞬間、翔は不思議な感覚に陥った。自分以外の全ての時間が止まったかのようにスローモーション見える。相手選手の動きが手に取るようにわかる。ボールを奪われる気がしなかった。観客席の声援が徐々に聞こえなくなっていく。翔の集中力はどんどん研ぎ澄まされていった。
翔は右足を振り上げた。彼は大吾を見なかった。見なくとも大吾の動きが直感的にわかった。
大吾はそこにいる──。
翔はシュート性の鋭いボールを繰り出した。翔の放ったボールは相手ディフェンダーの股の間を通り、ぐんぐん相手陣地に侵入していく。そのボールは側から見ると完全なるミスパスのようにしか見えないものだった。ピッチ上の誰も反応出来ておらず、相手のゴールキーパーへ向かっていくだけのボール。のはずだった。
誰かが猛スピードでその球足の速いボールに向かっていく姿が見えた。まるでボールがどこに出てくるのか最初からわかっていたかのように、
「ナイスパスだ! 翔!」
大吾がペナルティエリア付近で翔のパスをトラップし、前を向く。ゴールキーパーと一対一だ。
だが、ゴールキーパーも前に出ており、シュートコースが塞がれている。大吾はゴールキーパーをフェイントで交わし、無人のゴールにシュートを放った。
大吾は天に向かってガッツポーズを掲げた。
主審が試合終了のホイッスルを鳴らした。会場は大きな盛り上がりを見せて、観客席からは素晴らしいプレーをしてくれた選手達に盛大な拍手が送られた。
鹿島ユースの選手達は全身で喜びを表現していた。笑顔で涙を流している者もいる。
翔は茫然自失でグラウンドのど真ん中で立ち尽くしていた。
土浦ユナイテッドFCの選手達はみんな、項垂れて立ち上がれないでいる。翔は未だにこの状況が信じられなかった。
試合終了間際、大吾の放ったシュートは無人のゴールに吸い込まれていった。誰もが土浦ユナイテッドFCの勝利を確信しただろう。だが。
大吾をマークしていたディフェンダーがゴール前に立ち塞がり、間一髪のところでボールをクリアしたのだ。まさかの展開に土浦ユナイテッドFCの選手達は足が止まってしまい、そこから鹿島ユースのカウンターを受け、エース熱田のシュートがゴールネットを揺らした。その瞬間、試合終了のホイッスルが鳴らされたのだ。
翔は現実を受け入れられず、悲しいはずなのに現実味がなくて瞳はからからに乾いていた。翔は相手ゴール前で項垂れて一歩も動けずにいる大吾の元に歩を進めた。かける言葉は何も浮かばなかった。それでも翔は大吾にさっと手を差し伸ばした。
「行こう、大吾、整列だ」
「……ん」
「え?」
「ごめん、せっかく翔があんなにも最高のパスをくれたのに。くそダセェよ俺……」
「大吾は何も悪くない。相手が少しだけ一枚上手だった。悔しいけど、全力は出せた」
「でも、俺、もう和人君たちとお別れだなんて嫌だよ。それに翔の母ちゃんに良い報告させてあげたかったのに。俺が決めてれば……」
翔は大吾に肩を貸した。
「それは言わないで、大吾」
「でもよ……」
「勝負の世界に絶対はないから。さぁ行こう」
翔と大吾は一緒に他の選手達が待つセンターサークルに向かって歩み出した。
それぞれのチーム同士が整列し、互いに礼した後、翔は熱田と握手を交わした。その時、翔は耳元で熱田から「次は世代別の代表合宿で会おうな」と言われた。
一体なんのことを言ってるのは翔はすぐにはわからず、ポカンとしてその場に立ち尽くしてしまった。
ベンチに戻ると観客席から両チームに対し惜しみない拍手が送られた。よく見ると美織が顔をくしゃくしゃにしながら泣いていた。美織の泣き顔はあまり見たことがなかったので、少々驚いた。よくもこの私を泣かせたわね、とやじられる未来がなんとなく想像できた。だが、それを見て翔は少しだけ冷静になれた。自分より取り乱している人を見るとふと冷静になれてしまうのはなぜなのだろう。
控室に戻ると、永森先生を中心に土浦ユナイテッドFCの選手達が囲むようにして集まった。永森先生は「本当にお前らはよくやった。俺が今まで持ったチームの中でも最強チームだ。心から自分を誇って良い」と男泣きしながら語ってくれた。
ミーティングの中で今年最後の大会だった六年生達から順番に後輩達への選別の言葉が贈られていく。最後の二人は夏樹と和人だった。
「僕は元々、体も弱くて線も細くて、和人に誘われるまできっとこのサッカーの世界に足を踏み入れることはなかったんだと思う。でも和人のおかげでこの最高の世界を知ることができたこと本当に感謝している。それにこのチームに入った時はまさか、鹿島ユースとこんなにも互角に渡り合えているだなんて思っても見なかった。それはひとえにチームメイトみんなのおかげだよ。特に翔と大吾はスタメンで二人しかいない五年生で、上級生である僕達をプレーで引っ張ってくれた。本当にありがとう。僕達の借りを返してくれとは言わないよ。二人が六年生として引っ張っていくチームであればきっと、今より遥か上のステージで戦えると思うから。頑張って」
「はい……」大吾は涙を流し声をしゃくり上げながら答えた。
翔は力強く頷いた。夏樹の言葉が翔の心に深く浸透していった。自分本意な考えかもしれないが、翔は夏樹のことを実の兄のように慕っていた。いつでも優しく温かい空気で包み込んでくれる夏樹のことが大好きだった。
ふと翔は思った。あれ、もう終わってしまうのかと。翔は込み上げてくる思いを必死に制御した。まだ和人の言葉が残っている。ここで取り乱したくはなかった。
最後に和人がみんなの前に出てきた。
「俺さ、みんなも薄々気付いているかもれないけど、結構バカじゃん? だからキャプテンとして不相応なこともたくさんやったしたくさん言ったと思うんだ。本当にこんな面倒なキャプテンに最後まで付き添ってくれて、語り尽くせないほどの感謝の言葉でいっぱいです。最後の試合にはなっちゃったけど、俺が今までプレーした試合の中でも圧倒的ナンバーワンだと思う。こんなにも素晴らしい試合が出来て俺は一切悔いはな──」
和人は言葉を止めた。すると奥歯を噛み締めて目を赤らめながら、こう言った。
「嘘はいけないよな。本当は死ぬほど悔しい。絶対しばらく夢に出てくると思う。まだみんなとサッカー続けたかった。もうこのチームメンバーでいられないなんて、嫌だ、嫌だよ」
和人の思いがけない涙ながらの言葉にチームメイトはみんな、これまでなんとか理性で制御していた心のダムが完全に決壊し、嗚咽も漏らしながら涙を流した。
翔も耐えることができなかった。いくら拭いても涙が止めどなく溢れてくる。
「でも、悲しいけど、悔しいけどそれでも、最高に楽しかった。こんなバカな俺についてきてくれてみんなありがとう」
選手達は涙を流しながら和人の元に集まり、抱擁しあった。誰もが他人の目を憚ることなく声を上げて泣き続けた。
ミーティングを終えた後、翔と大吾の元に和人と夏樹が来た。
「ごめんな、最後カッコ良く締めようと思っていたのに、あんな醜態を晒しちまった」和人が頭を掻きながら言う。
「まぁある意味和人っぽくて良かったと思うけどね。取り繕ってない感じがさ」
夏樹が言う。
「和人君、夏樹君……最後僕が決めてたら勝ってたのに……」
大吾は未だに泣いていた。翔は彼の身体中の水分が今日で一滴たりとも無くなってしまうんじゃないかといらぬ心配をしてしまった。
「それは言うなよ大吾。でもその前の翔のパスといい、大吾の絶妙な飛び出しと良いすごいプレーだったよな、あれ」
「うん、凄すぎて、正直僕よくわかんなかったよ。狙ったの? それとも偶然?」
夏樹が訊いてきた。翔は少し唸ってから口を開いた。
「なんというかなんか無我夢中で。でもなんか急に周りの世界がゆっくりに見えて。大吾がどこにいるのかも、どこに出せばパスが通るのかも、わかったんですよね」
「なんかすごいこと言っているな、翔」
和人は唖然としながら言った。
「お前ひょっとすると将来とんでもない選手になったりしてな」
「世代別の日本代表に選ばれちゃったりしてね」夏樹が言う。
「あ」翔は夏樹の言葉を受けて、試合終了後、相手選手の熱田から言われた言葉を思い出した。
『次は世代別の代表合宿で会おうな』
これはそう言う意味だったのだろうか。熱田が自分の実力を認めてくれたということなのだろうか。翔が考えていると大吾が口を開いた。
「俺もなんとなく翔ならここに出してくるって直感的にわかりました。以心伝心? 阿吽の呼吸? ってやつなんですかね」
以心伝心、阿吽の呼吸、翔は大吾のこの言葉に違和感を覚えた。
「よく言うよ大吾。僕に向かって『お前ならそこからでもパスが出せるだろ!』って大声で叫んでくれたじゃないか。和人君たちも聞こえましたよね?」翔は三人を見回した。
すると驚くべきことに三人とも判然としないといった様相を呈していた。
「何言ってんだよ翔。俺そんなこと一言も言っていないぞ?」
「え」
「僕も大吾がそう言っているのは聞こえなかったけどな」
「俺もだ」
どう言うことだ? と翔は思った。
翔の耳には明らかにその声は届いていた。必死だったからその声が大吾の声色だったかは正直思い出せないが、聞いたのは間違いない。では、あの声の主は一体誰だったのだろう。翔は狐につままれる思いだった。
「あ、そういや翔、ノート!」大吾が思いついたように喋った。
「あ」翔もハッとした表情になる。
「ノート?」和人が首を傾げながら訊いた。
「あ、いや、気にしないでください」大吾はヘタクソに取り繕った。
翔は大吾と目配せをして、翔は自分のリュックのもとに急いだ。リュックには『時を越えるノート』を入れていた。琴音からのメッセージをすぐに確認するため、サッカーの試合の報告をすぐにするためだ。
翔はノートとペンを手に取り、呼吸を整えた。本当なら勝利の報告がしたかったけど、もうそれは仕方がないことだ。
翔はノートのページを開くとある違和感に気づく。
これは……。
翔が最後のページだと思ってたところの先にとある文章が載っていた。その字は線が細く、力無く書かれており、小刻みに震えながら書いたようにも見えた。
翔は琴音からのメッセージだと確信した。いつもの字とは違えど、一年間ずっと母の字を見続けた翔にとって、弱々しく書かれた文字であっても母の筆跡を見間違えはしない自信があった。
辛い病気と戦いながら、必死になって言葉を紡いでくれたんだ。
翔は心して母からのメッセージに目を通した。
翔はそれを見ると、心臓が大きく跳ねた。次に息を呑み込み、目を瞬いた。
『翔、しばらく返事が出来なくてごめんね。あのね、私にはもう時間があまり残されていないみたい。手に力が入らなくて上手く文字も書けないの。要点だけ伝えるから良く聞いて。明日十一月十五日の午前六時に、霞ヶ浦総合病院の正門に来て。そこに私の親友奈央がいる。翔が言っていた例の仮説、きっと合ってる。だから……待ってるよ』
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