過去の残滓 五

「なぁ、陸王りくおう



 雷韋らい会衆席かいしゅうせきに腰掛けている陸王を呼ばわった。



「どうした。腹が減ったなら、保存食の干し肉でも食ってろ」

「ちっげーよ。喉渇いたんだよ」



 両腕を振り上げて抗議する。



「水袋を持っているだろうが」

「水袋のじゃなくて、新鮮な水がいい。どっかで井戸見なかったか?」



 それを聞いて、陸王は少し考え込んだ。



「……酒場の裏にそれらしいもんがあったな」



 陸王が呟くようにぼそりと言うと、



「酒場って事は、あのでかい建物か。ちょっと行ってくる!」



 全てを言い終わらないうちに、雷韋は教会を飛び出していった。

 その様を苦々しげに見遣って、



「ったく、落ち着きがねぇガキだな」



 陸王は一人、毒を吐いた。


 だがその声が、たいして大きくもない堂内に響く。それが何故か、突然独りになった気分にさせられて小さく舌打ちをした。


 陸王は別に天主神神義教の信者ではない。それどころか、むしろ嫌っている。そして天慧の印がないからと言って、それだけの事で堂内が寂しくなったような感じはしなかった。それでもなんとなく、不気味な気分にさせられる。


 人のいた痕跡ははっきりあるのに、今は誰一人としていないことをまざまざと感じさせられたせいかもしれない。


 陸王が席を立って外に出ようとしたところで、軽い足音が近付いてきたことに気付いた。


 慌ただしいぱたぱた音は、雷韋のものだ。それが堂内に駆け込んでくる。



「陸王!」

「なんだ」



 不機嫌そうに返すと、雷韋は陸王のもとまでやって来て腕を掴むと引っ張った。



「井戸みっけたんだけど、大変なんだ」

「あ?」



 眉根を思い切り寄せて雷韋を見下ろす。陸王が上背があると言う事もあるが、雷韋は年のわりには小さい。陸王の胸元までしかないのだ。


 それを見下ろしていると、更に腕が引っ張られる。


 雷韋の深い琥珀の瞳が真剣に陸王を見詰めて、興奮の為か、陽の下では細く尖っている瞳孔が丸く大きく開いていた。


 その様に、何事か起こったのかと危惧する。



「なんだ、どうした」



 口調を改めて問うと、



「ここの人達がいなくなった理由が分かった!」



 雷韋は大きな瞳を更に大きくして、強い口調で告げる。



「井戸が涸れてんだよ! それでここの人達、村を捨てたんだ! 井戸は空っぽで、泥水さえなかった! それどころか、水の精霊の気配もなかったんだよ!」



 確かに村の水源が涸れてしまったのなら、それは考えられる事だった。



「それでこの始末か」



 陸王は腕を組み、顎に手を当てると嘆息する。そして、僅かばかり考え込んでから雷韋に問う。



「水袋の水はまだ保つか」

「あ、うん。朝、宿で水買ったから、明日まで保つよ」

「そうか。ならいい」

「あんたこそ保つんだろうな?」

「大丈夫だ」



 言うと、雷韋の額を指で弾く。



「いって! 何すんだよ」



 雷韋は雷韋で、額を押さえたまま陸王のすねを軽く蹴り付けてくる。それをさっと躱し、躱したついでに陸王はもう一度雷韋の額を指で弾いた。



「ってーな、もー!」



 奇声に似た声で文句を返す。

 その声を鼻先で笑い返し、



「奇声上げてねぇで、お前もちょっと来い」



 言って、陸王は教会から出て行く。どこへ行くともなんとも言わずに教会から出て行ってしまった陸王の後ろ姿へ舌を出してから、雷韋も外へと出た。


 外へ出ると、陸王が待っていた。それを見て、



「どこに行くんだよ。井戸に行っても水なんて一滴もないぞ」



 雷韋が文句を言うように問うと、



「違う。今夜のたきぎりだ」



 陸王は村の中へと顎をしゃくる。



「薪? ん~、それはいいけど、なんで村の中なんだ?」

「適当な家から集める。おそらく床板は痛んで使えないだろうが、壁ならなんとかなるだろう」

「適当な家って言ってもなぁ。壁かぁ……」



 腰に手を当てて、どこか考え込む風な雷韋の口調に、



「探すのが面倒なら俺について来い」



 そう促して歩き出す。


 雷韋も家の選別をするのは面倒に感じた。それに陸王が誘ってくれたのを拒む理由もない。だから、迷いなく進んでいく陸王のあとを追っていった。


 教会は村落の外れにあったので、村の中心部に行くのにはかなり道を戻る事になる。その道すがらにも朽ちた家屋がぽつぽつと現れ、陸王はそれぞれをじっくりと見て回っていった。


 そうやって一軒一軒を見ていったが、陸王の足が止まる事はない。どれもお眼鏡にかなわないのだ。


 そうして村の中心部分に差し掛かった頃、残照に照らされている家が目に付いた。


 どの家も天井が崩れていたが、そこも同じだ。それでも陽当たりと風通しがいいのか、木材はかなり良好な状態で残っている。


 雷韋が辺りでうろちょろしているのが邪魔だったので、陸王は声をかけた。



「雷韋、退いてろ」



 言うと同時に、陸王は建屋たてやから距離を取って腰の刀を引き抜く。

 そして真横に一閃。辺りに鋭く空を斬り裂く音が響いた。

 陸王は何かを確かめる風に廃屋を眺めて、それから刀を腰にゆっくりと戻す。


 途端、何かが擦れるような籠もった音がし始める。


 陸王よりも離れていた雷韋が彼のもとへ近付き辿り着いた瞬間、廃屋が地響きに似た音を立てて倒壊した。


 陸王も雷韋も、咄嗟に外套の端を鼻と口元に当てて、襲い掛かってくる土埃から身を護る。


 そのまま暫く二人は身動きも、言葉を交わす事すらなかった。


 建屋が崩壊した原因は、陸王が空間を斬り裂いたからだ。斬り裂かれた空間は鎌鼬の波動となって建屋に襲い掛かかり、廃屋とは言え、家一軒支えていた柱を悉く斬り裂いたのだ。だから家を支えていた柱を失って建屋は倒壊した。


 だが、こんな事は陸王にとっては朝飯前の事だった。元々子供の頃から空間を斬り裂く技に秀でていたし、彼の持つ刀も特別なものだ。



 神剣『吉宗よしむね



 神をもほふると伝えられている特別な業物わざものだった。日ノ本を出る間際、守り刀として持たされた。


 それもひとえに、陸王が吉宗の刀身を引き抜く事が出来たからだ。


 神をも屠ると伝えられている吉宗には『神意』がある。己の意志を持って、持ち主を選ぶのだ。神意に適わなければ、どんな剣豪と言えども吉宗を引き抜く事は出来ない。


 つまり、陸王は吉宗に選ばれた吉宗の主なのだ。


 これまで戦場いくさばで雇われ侍としてさんざ立ち働いてきたが、甲冑を叩き斬ろうとも、骨を断とうとも、吉宗の刃はこぼれた事がない。


 誰がなんの目的でこんな刀をこしらえたかは知らないが、陸王にとってはいい相棒だった。だからこそ、錆が浮く事すらもない吉宗の刀身を、陸王は夜ごと、出来る限りの頻度で手入れしてきた。吉宗をおろそかに扱った事は、手にした瞬間から今まで一度もない。


 そして雷韋も、吉宗の力は充分に知っていた。陸王の侍としての力量と共に。だから廃屋が倒壊しても驚く事はなかった。


 寧ろ、当然だと思っていた。

 これくらいはするのだと知っていたから。


 二人は倒壊時の土埃がある程度まで収まるのを待った。待って、それから建屋の残骸の上に足を運ぶ。

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