アハーディの森再び

 そして約束の朝。

チマは早めに起きて二人分の弁当を作ってから兵舎を出発した。

先に公園で待っていたがアーヴェも約束よりかなり前にやってきた。

二人共挨拶もせず無言で見つめ合っていたが、先にチマが口を開いた。

「どこに行くかとかどんな危険があるのかとか聞かないのね」

それに対してアーヴェが答える。

「聞いたら恐くなりそうだから」

ふふ、と二人で笑うと「さぁ行くわよ」とチマが車椅子を押し始めた。

「長丁場になるから、しばらく行ったら車椅子を動かす役は交代してね」

「ええ、私これでも大分腕に力がついたのよ」

そう言いアーヴェは自分の二の腕を掴んで見せる。

八時前で開いている店も殆どない静かなメインストリートを二人は進む。

首都といっても小さな町だ、すぐに町の城門へやってきた。

門衛をしていた二人はチマと同じ部隊の人達であった。

「チマさん早いですね、今日は郊外まで?」

門衛の一人が手を振りながら言うと。

「もう少し遠くよ」とだけ言って脇目もふらずに一気に門を抜けていった。

やはり今日の事でチマは緊張しているのである。

一時間歩き、車椅子の役を交代してアーヴェがぎ始める。

はるか先まで平坦な道が続いていて移動は楽だった。

更に一時間ちょっと移動するとアハーディの森が見えた。

「アーヴェ、あの森に入っていくわよ」

その場所からはまだ林位の密度しか見えなかったので、

アーヴェは結構楽そうな道程だと思ったのだがそうはいかなかった。

森に入ってすぐに間違いを悟った。

地面は木の根が張り巡らされ、二人がかりで車椅子で乗り越えていく。

凸凹の揺れで車椅子についたクッションはまるで役に立たず、

アーヴェはすぐにお尻が痛くなってきた。

「この森はどのくらい続くのかしら、お尻が…」

「我慢我慢、今のペースだとあと二時間たっぷり進むからね」

そのチマの言葉にアーヴェは心のなかで悲鳴を放った。

 森の中をしばらく移動し、ついに妖精のささやきが聞こえ始めた。

「あれはチマだよ、チマがまた遊びに来たよ」

「一緒にいるのは人間だよ、久しぶりに人間が来たよ」

「面白くなりそう、楽しそう」

そんな声が色んな場所からひそひそ聞こえて来てアーヴェは不安になる。

「チマちゃん、この囁き声は誰なの?」

横で木の根を越えさせようとしているチマに聞いた。

よいしょっとチマが根っこを乗り越えさせると答えた。

「気にしないで、森の妖精達が遊びに来てくれたのを歓迎してるのよ」

その答えにアーヴェはびっくりした。

「この森には妖精さんがいるの?」

「いっぱいいるよ、これからみんなに会いに行くんだから」

思っても見なかった答えにアーヴェは胸がおどった。

(絵本で見聞きしただけの妖精がこんなに身近にいたなんて)

さっきの不安げな表情からわくわくした顔になったアーヴェを見て

チマはえて負の部分は言わないでおいた。

そしてそれから数多くの根っこを乗り越えて湖手前の花畑までたどり着いた。

前回来た時は秋だった、今度は春であったのだが前回と同じ花が咲いていた。

どうやら一年中この花畑は咲き続けているらしい。

まもなく妖精達が周囲に集まってきた。

「チマ、チマ、今度は何して遊ぶ?」その妖精の言葉を途中で遮るように、

チマは大きな声で皆に聞こえるように話した。

「今日は遊びに来たんじゃないの、この子の足の怪我を治して欲しいの」

それを聞くと妖精達はアーヴェの周りを回り始める。

「この人間大怪我、大怪我」「この人間女、女」「女だったら治せる」

治せると言う言葉が聞こえたらチマとアーヴェはほっと安心した。

「すぐ治す? すぐ治す?」と一体の妖精が二人の目の前を飛びながら言う。

「早く治してくれるとありがたいわ」とチマが答える。

「じゃ、あっち、こないだの祠の前まで行こ、行こ」

目の前の妖精は言うなり案内として飛んでいった。

チマは車椅子を押して後をついていく。

チマはそのまま祠に入っていこうとしたが妖精に止められた。

「中じゃないよ、外で、外で」

そう言われると祠の入り口から五メートル程の所に二人して待機した。

沢山の妖精が祠の中へと入って行った。

見渡すと周りに妖精は全くいなくなり静寂が残った。

そうなってから十五分は経っただろうか。

「遅いね」と一言、アーヴェは祠の洞窟を見ながら呟いた。

「大きな魔法の用意をしているのかもね。

あたしがすり傷を治してもらった時は一瞬だったんだけどね」

「今になって聞いてもいい? 死ぬ可能性が高いってどういう意味なの?」

振り向きざま後ろにいたチマに問う。

「ここは迷いの森とも言われていて妖精の気分次第で運命が決まっちゃうの。

入ったら二度と出られないかもしれないのよ」

アーヴェはキョトンとした顔をした。

「でも、チマちゃんは前にここに来て帰ってきたんでしょ?」

チマは父に叩かれた痛みを思い出した。

「その時もひと悶着もんちゃくあったのよ。半日遊んだだけのつもりが一ヶ月も経ってたの」

「じゃぁ、今回も…」

アーヴェが言い終わらない内に祠から猛烈な突風が吹いた。

まるで突然の事で、二人共何の反応もできなかった。

その突風はアーヴェを包み込み空中へと放り投げた。

アーヴェはあっという間に空に点のように小さく高く飛んでいってしまった。

チマは呆気にとられて見ているしかなかった。

そして、風が止むと祠の中に入っていた妖精が沢山出てきた。

「あ、あんた達一体何したのよ!」チマが大声で叫んだ。

「治した、足治した」「ふふふ歩ける、歩ける」

納得できないチマが妖精達をにらむと遠くからアーヴェの声が聞こえた。

「……ゃん、チマちゃ~ん!」

チマは再び空を見上げた。

空からアーヴェが降ってくる。ものすごい速さで落ちてくるのだ。

「アーヴェ、危ない!」チマは叫ぶがアーヴェの声は違う事を言っている。

「チマちゃん! 私飛んでる、飛んでるのよ!」

アーヴェは地面に近づくにつれ速度が遅くなりゆったりと花畑に着地した。

そして花畑を軽いステップで歩き始めた。

チマは驚いた。落ちる速度が遅くなったことでも歩いていることにでもない。

アーヴェの姿がかすかに透けて見えるのだ。

「こ…これは何が起きているの…?」

妖精が笑いながら言う。

「神様にお願いしたの、神様に」「風の精霊が産まれますように、精霊が」

「産まれたばかりの精霊は人間の女を食べる、人間の女を、クスクス」

チマの頭の中は真っ白になった。

(人間の女を食べる? アーヴェは殺された?)

呆けた顔のチマにアーヴェが言った。

「チマちゃん大丈夫だよ私はここだよ、私風の精霊シルフになったんだ!」

そう言うとくるっと空で宙返り。

「体は?」チマはようやくその一言だけを絞り出せた。

「体も心も精霊と溶け合ったよ。

でも風の精霊の心は空っぽだったから、心の中は全部私なんだよ!」

嬉しさを抑えきれないアーヴェがステップを踏みながら伝えた。

「あ、あたしが考えてた道はこんな事じゃ…」チマの顔は変わらず蒼白だ。

「そうなの? 私は私が思ってた以上の奇跡をもらったんだよ。

もう陰鬱いんうつな家にも帰らないでいいの、あの親の顔を見なくても!

それに歩けるだけじゃなくて空まで飛べちゃう。

私も旅をしてみたかったんだよ、チマちゃんは神樹の森まで旅したんだよね。

私も神樹の森に行ってみようかな、大陸の北へも飛んでいけちゃう!」

それを聞くとチマはがっくりと膝を落としその場へ崩れ落ちた。

チマは風魔法を得意とする者としてシルフの話は詳しく聞いたことがあった。

風の精霊はその特性により一箇所にとどまることはなく、

魂が擦り切れてただの風になるまで遥かなる時間を放浪し続けるのだ。

アーヴェの考え方が既にシルフのそれになっていることを、

アーヴェの今の言葉で知りチマは絶望したのだ。

チマのうなだれる姿を見て妖精達は全員が大笑いをしていた。

「笑わせてくれたお礼に今回は時間を流さないでいてあげるの、流さないで」

「チマちゃん、それじゃあ私はもう旅に出るね、今までありがとう。

またいつかどこか出会おうね、約束よ」

そう言ってアーヴェは後ろも振り返らずに飛んでいってしまった。

チマは意識を取り戻すと怒りが湧いてきて、

高速詠唱で風属性魔法の風刃ふうじんを妖精達にびせる。

風刃は風を鋭く研ぎ澄まし相手を切り裂く魔法である。

だが、風の刃は妖精の手前で旋風つむじかぜのように消え去ってしまった。

「あはは、わちらは風の眷属けんぞくなの、風の」

「風魔法は効かないの、効かないの、ふふ」

チマは腰の剣を抜いて滅茶苦茶に振り回した。

覚えた剣術など全く忘れ渾身こんしんの力で剣を振った。

「あたしが望んだのはこんなことじゃない! お前たち何してくれたのよ!

絶対に許さない、絶対に!」そう言いつつも剣を振り続ける。

だが笑い続ける妖精達にはかする気配もなかった。

いつまでその動作を繰り返しただろうか、それでも剣を振り回し続け、

いつしかチマの意識が混濁こんだくしていた。

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