雷火の仙女

白鳥真逸

プロローグ

 現代のどこにでもある二階建ての一軒家。バタバタと階段を下りる音が家中に響く。一階で寝ころんでいた黒猫が飼い主に向って威嚇した。


「どうしたのクロ? あんたまだ昨日の夕ご飯、出し忘れたの怒ってるの?」


「シャー」


 黒猫のクロが飼い主の女子高生に歯をむき出しにしている。女子高生は黒猫を避けながら食卓へ向った。食卓には食べ終えた朝食の皿がある。椅子に座っているのは、四十代で赤縁眼鏡をかけたボサボサ頭の主婦。その隣には、同じく四十代の神経質な身なりをした気弱なサラリーマン。玄関ではすでに丸刈り野球少年が運動靴を履いていた。


「姉ちゃん、やっと起きたの? そろそろ遅刻ギリギリだよ」


「え~、もうそんな時間? こりゃ走りながらパン食べるしかないよ~」


「行ってきまーす。あっ、お父さんも今出勤?」


「うむ。そうだ母さん、今日は残業だと思うから終電近くなるから」


「あ、そうなの。なら夕食はデリバリーか。今日は私も締め切り前で忙しいのよ。スグルは何か食べたいものある?」


「俺はピザ! コーラ付きだと、なお良し!」


 中学二年生のスグルは育ち盛り。練習着とスパイクとグローブが入ったカバンを持ち上げ、玄関を出ていった。紺色スーツのサラリーマンは眉をピクリと動かせて、溜息をついた。二人とすれ違うようにして長女が慌ただしく食卓に入った。


 ドタドタドタッ、バタン!


「お母さん、なんで起こしてくれないの~!?」


「え~? あんたいっつも『起こさないで~、まだ平気だから~』って言うでしょ?」


「そうだけどさ! そうだけど今日は陸上部の朝練あるから、無理やり起してって言っといたじゃん! 朝練さぼっちゃたよ~、どうしよ~!」


「え~? そうだっけ? 日頃の自己管理が出来ていないぞ、娘よ」


「もう~!!」


 この一家の長女である来夏は、栗色ストレートの髪の毛をヘアゴムで束ね、高校の夏服のワイシャツをスカートの中にしまいながら鏡で全身をざっとチェックした。食卓の上にある目玉焼きが乗ったトーストを折り畳み、口の中へ押し込んだ。


「むぐむぐ、いってきます」


 ちらりと時計の針を見ると八時を過ぎていた。母はせわしい娘を観賞しながら、タバコを一本手に取った。太極図のデザインの銀色ライターの蓋を開け、火を付けた。来夏がそれに気づき急いで食卓へ戻る。


「ダメ! 禁煙するって言ったでしょ!? 自己宣言しておいて、もう破るの?」


「しまった、見られた……。今日くらい、いいでしょ? 締め切りでストレス最大値なのよ、だからね?」


「すぐ約束破るんだから、今日くらい頑張ってよ」


「くそー、ライター返せよ~」


 高校生の娘に叱られる小説家の母親。来夏に取り上げられたライターを恨めしそうに見つめている。来夏はそれを無視して急いで玄関を飛び出して行った。家族がそれぞれの場所へ出掛け、家の中は静寂に包まれた。母親は火の付いていない煙草をくわえながら、テレビから流れるニュース番組に目を向けた。その番組では、最新話題作の映画の宣伝がされている。


『近日公開予定の【炎の戦乱】ですが、今回の映画撮影では、何が一番印象的でしたか?』


『そうですね~、やはり私の演じさせてもらった劉備玄徳が、諸葛孔明に会いに三回も出向くシーンですかね~。その出会いの演技が一番難しかったです。監督もこだわりがあって、何度もリテイクされちゃって、ははは』


『では、三顧の礼ではなく、リテイクの礼ですね』


 テレビ内のニュースキャスターと主演若手俳優のくだらないやり取りをボーっと眺め、母は煙草を口から取り出した。


「さてと、今日くらい禁煙しときますか」


「ニャーオ」


 黒猫がその意見に同調したかのように鳴いた。季節は七月。台風が増える夏手前。窓を開けると、モワっとした空気が部屋に押し込められた。


 ゴロゴロゴロ……。


「こりゃ、一雨来るな」


 母親が空を見上げると、太陽が黒雲で陰り不穏な雷鳴が都内に響く。黒猫はピョンと椅子に飛び移り、窓の外をジッと見つめている。クロが外に出ないよう窓を閉め、食卓の皿を片付け、母は仕事である小説の執筆に取り掛かった。

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