第13話:万能薬を作るには聖水がいるようです


「待て待て……精霊で毒が治せるってどういうことだ」


 師匠がそう聞いてくるので、私は当然とばかりに答える。


「へ? いや毒の精霊がいるので、頼めば毒ぐらいは……」

「……毒の精霊なんているんだ」


 ウルちゃんの言葉に師匠も同意とばかりにコクコクと頷いた。


「いますよ~。属性は水ですけどね」

「知らんかった……そういえば初めて出会った時に出してくれた精霊達は、見た事のない精霊ばかりだったな」

「そうなんですか? てっきり精霊召喚師ってみんなそうだと」

「エリスお姉ちゃんが特別なんだと思うよ……」


 ウルちゃんの言葉に師匠が無言で同意を示した。精霊召喚師については、確かに自分と父ぐらいしか知らないので、もしかしたら私の常識は非常識なのかもしれない。


「しかし毒を治せる精霊の力があるなら、あらゆる毒に効く解毒薬……いや万能薬と呼んだ方がいいか、が作れるかもしれないな」

「おお! それならウルちゃんの役に立てそう?」

「うん。でも万能薬なんて本当に作れるかな……?」

「そうだな……あれは錬金術師が追い求めてやまない存在だからな」


 師匠が私が読んでいたあの教本のとあるページを開いた。


「これは?」


 そこは挿絵のページで、不思議な物体が複数描かれていた。


 瓶の中で蛇のようにとぐろを巻く謎の液体。

 金属のような光沢をもつ長方形の物体。

 まるで星空を封じ込めたような中心部が透けて見える丸い石。 


「これは全ての錬金術師が作ることを夢見る、三つの物質だ。この液体は万能薬とも呼ばれ、あらゆる病毒や傷を瞬く間に癒やすという――〝霊薬エリクシール〟」


 師匠がとぐろ巻く液体の小瓶を指差した。


「魔力を付与出来る素材としては最高峰で、最も硬くかつ柔らかいと言われている金属――〝完全物質アルカナ〟」


 師匠が指を長方形の物体へと移した。


「そして……あらゆる金属を金へと変えることができ、かつ所持した者を不老不死にするという伝説級のアイテム――〝賢者の石〟」


 最後に丸い石を指して、師匠は教本を閉じた。


「これらはあくまでも伝説上の存在で、実際に生成することは叶わない――というのが現代の錬金術師の間では通説になっている。俺ももちろんそう思っているが……エリスを見ているとなんだか、これらもあながち夢物語でもないのかもな、って気分になるよ」

「でも、流石に精霊で傷は治せませんよ? あくまで毒を中和するというか、なんというか」

「だろうな。だから、〝霊薬エリクシール〟と呼ばずに万能薬と呼んだのさ。それでも、もし生成できれば、錬金術の歴史が大きく変わるぞ」


 なんだか、大事になってきた。


「あ、でも、まだ出来るとも限らないですし」

「分かっているよ。だが精霊水や精霊鉄の例から考えると、あながち不可能ではない気がするんだよ」

「だったら早速やってみましょう!」


 私が提案すると、師匠が首肯する。それを見ていたウルちゃんが躊躇いがちに口を開いた。


「僕も見学していい……?」

「もちろんだ」

「大歓迎だよ!」


 私がウルちゃんに笑顔を向けている間に、師匠が材料を準備し始める。


「これまでのパターンからすると、精霊水を使ってまずは各種解毒薬の元となる薬剤を作れば良いと思うのだが――」


 そう言って師匠が取り出したのは、いつものビーカーと精霊水、魔石、それに謎の赤い液体だ。


「これは?」


 私が怪訝そうにその赤い液体を見ていると、師匠が説明してくれた。


「これは〝ホースブラッド〟って呼ばれる液体でな」

「ほー」

迷宮メイズ内に自生している木の一種である、〝ホースツリー〟の樹液だよ。色が血に似ているから、ホースブラッドと呼ばれていて、これが薬剤の原材料となる。さあ、いつものようにやってみるといい」

「はい! おいで――ニーヴ」


 私が右手で描いた魔法陣から紫色の、蛇に似た姿の精霊――〝毒の精霊、ニーヴ〟を喚びだした。ニーヴは身体が液状で小さく波打っており、まるで液体が蛇の姿を借りているかのようだ。


「しゅー……」


 息を吐くようなその声に私は頷きながら、材料を全て入れたビーカーに火を掛け、中に入るように指示する。いつもの精霊錬金と同じ要領で魔力を注ぎ、ビーカーの中身を混ぜていく。


「うーん」

「しゅー……」


 いくらやれども、精霊水や精霊鉄の時のような反応が起こらない。


「ダメか?」

「はい……なんででしょうか」

「ふむ」


 師匠が腕を組みながら何やら考え始めた。不思議そうに見ていたウルちゃんが私を見て、質問する。


「いつもはこれで出来るの……?」

「うん」

「失敗する時は?」

「滅多にないよ。あ、でもそういえばクイナで精霊鉄を生成しようとした時は失敗したなあ」


 なぜかクイナは頑なに鉄と融合するのを拒否したのだ。悪戦苦闘した結果、諦めて別の風属性の精霊を喚んでやっと成功したぐらいだ。


 なんて話していると――考え込んでいた師匠が口を開いた。


「だとすると――やはり相性だな」

「相性……ですか?」

「ああ。エリスが前に言ってたじゃないか。精霊には個性があって、好き嫌いがあると。例えば、クイナは金属が苦手とか言ってないか?」

「あ、そういえば、クイナは布が好きで金属が嫌いだって」


 なんでそんな基本的なことを私は忘れていたんだ! そうか……金属が苦手だから、クイナは鉄と融合出来なかったんだね。


「だとすると……今回もその可能性がある」

「ちょっと聞いてみます! ねえニーヴ、君は何が嫌いで何が好きなの?」

「しゅー! しゅーしゅー!」

「うんうん、なるほど。この赤いのが嫌って言っているので……ホースブラッドがダメみたいですね」

「そうか……となると、万能薬は難しいかもな。解毒薬は全てこのホースブラッドを使うからな」


 師匠が半ば諦めかけていると、ニーヴが再び話し始めた。


「しゅー……しゅしゅー」

「ふむふむ……穢れた血は無理だけど、祝福された清らかな水なら好き――だそうです!」


 毒蛇っぽい見た目なのに、ニーヴは意外と綺麗好きなのかもしれない。


「ふむ。祝福された清らかな水、か。うーん」


 師匠がなぜか難しい表情を浮かべた。それだけは勘弁してくれ、と言った感じだ。


 なんだろ。凄く貴重な素材とかなのかな?


「それって……〝聖水〟のこと?」


 ウルちゃんがそう言うと、師匠が渋い顔で頷いた。


「そういうことだ」

「なんだ。あるなら、言ってくださいよ~」


 早速それを使って再挑戦! と私が意気込んでいる横でしかし、師匠は動かない。


「……エリス。聖水なら……うちにはない」

「へ? ないんですか? あれ、でも確かこの教本の材料一覧に載ってた記憶が」

「もちろん聖水を材料として扱う錬金術はある。一部の特殊な薬剤やポーションの原材料としても有用だ。だが――手に入れるのが大変でな」

迷宮メイズ内でしか手に入らないとか?」


 私が先回りしてそう言った。このパターンはもう覚えた!


「いや、この帝都で手に入る」

「なーんだ。ならすぐに買ってこればいいじゃないですか」


 もしかしたらまた迷宮メイズに行くのかとちょっとワクワクしていただけに、肩透かしを食らったような気分だ。


「エリスお姉ちゃん。聖水は選ばれた聖職者が祝福して、初めて聖水として効力を持つんだよ。だから聖水を手に入れるには……アゼリア教の教会に行くしかない」

「それに何か問題が?」


 アゼリア教はこの国のみならず、大陸全土に広く普及している宗教だ。聖女アゼリアを信仰対象とするその教えは平和と愛を尊び、その教えの緩さからすぐに一般市民レベルにまで浸透したそうだ。その信者は、下手な小国の人口以上と言われ、どこの国も表面上はアゼリア教とは仲良くやっているとか。


 実際、この帝都も各地区ごとに教会があるほどで、アゼリア教徒の数も多い。


 私の生まれ育った村は土着の精霊信仰が強かったため、イマイチその教えにはピンと来ない。だがそれでも存在自体は知っているし、その教会の門戸は常に市民に開放されていて、自由に出入りできるという話も聞いたことがある。


 きっと聖水もお願いすれば貰えるのではないのだろうか。だって、困っている人がいるんだし。


「聖水自体は貰えるんだが……貰うにはアレコレ条件があってな。がないとまず話すら聞いてもらえない。なにより、俺はああいう輩が大っ嫌いだ」


 師匠がそう言って、煙草を吹かしながらそっぽを向いた。


「……それって、ただたんに師匠は行くのが嫌なだけなのでは?」


 禁酒禁煙禁欲を教えとするアゼリア教からすれば、お酒も飲むし、煙草も吸う師匠との相性は確かに悪そうだ。


「でもね、それだけじゃないよ。アゼリア教は迷宮メイズや冒険者の存在を、公には認めていないんだ」


 そう言ったウルちゃんまで、なんだか嫌そうな顔をしている。


「へ? どういうこと?」

「奴等の教えによると、迷宮メイズは地獄へと続く道であり、天国に行くことを最上とするアゼリア教にとって、わざわざ自ら地獄へと向かう冒険者は異端……つまり異教徒なのさ。奴等は無神論者や他宗教の信者には寛大だが……冒険者や迷宮メイズが関わってくると、途端に頑なになってな。冒険者が困ってるから聖水を恵んでくれなんて言った日にはどうなることやら」

「そんなめんどくさいんですね……」

「僕は、アゼリア教が嫌い」


 ウルちゃんが珍しく、キッパリと強い口調でそう言い切った。


「アゼリア教にとって、冒険者同士の子供でしかも迷宮メイズ生まれのダンジョンチルドレンは、悪魔の如き存在だからな。昔、酷い差別があったそうだ。今でも、いい顔はしない」

「それは良くないなあ……ウルちゃんはこんなに天使なのに、悪魔だなんて!」


 私は憤慨しながらウルちゃんのフワフワの金髪を撫でた。


「えへへ、ありがとうエリスお姉ちゃん。でも、聖水が必要なら……行くしかないのかも」

「冒険者はともかく、錬金術師はどうなんです? アゼリア教的に」

「冒険者相手の商売が多いからな。当然好かれてはいないさ。ただ、俺らは俺らで色々とアゼリア教に貢献している部分がある。だから冒険者ほど露骨に嫌がらない……はず」


 うーん。どうも冒険者や錬金術師とアゼリア教との間にある確執はかなり根深そうだ。


「とにかく、一回教会に行って……」

「寄付を求められるぞ……多分かなり高額の」

「ど、どれぐらいですか」

「――これぐらいだ」


 師匠が紙に書いた金額は、想像よりもずっと高かった。それは一般市民の家族なら、二ヶ月近くは贅沢はしなければ暮らせるほどの金額だ。


「そんなに!?」

「ただし一回寄付すれば、一年ぐらいの間はタダみたいな金額でくれるから、まあトータルで言えばさして高くない。だが、俺はあいつらが好かんから寄付なんぞ絶対にしない」


 ……子供かな? 冒険者達が毒で困っているんだから、そこはへそを曲げないでほしい――と、私が無言の圧力を師匠にかけ続けていると、


「はあ……分かったよ。金は俺が用意するから、エリス、お前が教会に行ってもらってこい」

「おー、やけに素直ですね」

「ウルの頼み事だしな。それにアゼリア教への嫌悪感より、万能薬に関する期待と興味の方が上回っただけだ」


 師匠がそう言って、雑に金貨を詰め込んだ革袋を私へと差しだした。これはつまり、今すぐ行けってことらしい。


「僕は、ここで待ってる……」

「そうだな。その方がいい。茶でも飲みながら、今の表層の状況を教えてくれ」

「うん」

「じゃあ、私は行ってきますね」


 私は出掛ける準備をして、工房を後にした。


 雨はいつの間にか止んでおり、湿った重い空気が髪にまとわりつく。


「ちゃんと聖水……貰えるかなあ」


 私はぼんやりとした不安を抱えたまま、この地区にある教会へと歩き始めた。


 そして私の予感通り――アゼリア教は一筋縄ではいかない相手だった。

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