あの日

Sanaghi

あの日

 国道の除雪は、三、四日に一度程度しか行われなくなった。だから、国道沿いの歩道もまた、常に膝下から膝上あたりまで雪は積もり続けている。それは、私の暮らす寒冷な土地が持つ気候の影響によって、大きく増えることもなければ減ることもない。


 土砂混じりの雪の跡を見て、私はその先にある立入禁止区域の先に、誰かが侵入しているのだろう、となんとなく予感した。車ではイワシの缶詰とパンが、そして自宅では猫が、それぞれ私の帰宅を待っていたから、私はそこに向かうことがひどく憂鬱のように感じていたけれど、立場上、それを無視することはできなかった。呼吸をすれば肺が凍りつきそうな昼下がりだった。


 立入禁止区域のひとつとして指定されているエンポリウムデパートが本格的な閉店をはじめたのは二〇二九年の一月三〇日で間違いないはずだ。私がまだずっと若かった頃に、施設内の掲示板でポスターを見た時の衝撃が、私にとってはあまりにも大きなことだったものだから、それ以来、閉店という事実と、脳に焼き付いてしまったポスターを見た記憶があまりに強く結びついてしまって、もはや忘れることなどできなくなってしまった。とにかく、それはあまりにも突然のことだったのだから。


 そんな思い出のエンポリウムも、まるで老爺のように、骨と皮だけになってしまった。とうの昔にエンポリアムを賑わせていたテナントとは、すべてが閉店の日に店を立ち去ってしまった。シンボルとして立っている大観覧車も、回転を止め、ゴンドラはすべて外されている。手袋を外し、自動でなくなった自動ドアのアルミサッシを握り、無理矢理扉をこじ開けた。手袋を着けなおそうとした時に、自分の手のひらいっぱいに真っ赤な一本の線が走っているのに気づいた。きっとドアを開けようとした時に皮が凍りついてしまったのだろう。そこから真皮が露わになる。痛みはない。ぼんやりとした乾きだけがそこにあって、そこから毒が回っていくようなくすぐったさだけがあった。手のひらを握りしめたり、離したりを数度、繰り返してから、建物の奥の方へと進む。どこかから、人の声がしている。


 天井がところどころ崩れ落ちていて(ここが立入禁止区域に指定されているのはそれが理由だった)、そこから雪がフロアに積もり、ほこりと相俟って黒く滲んでいる。そこに足跡があって、辿っていくように前へ進んでいく。動かなくなったエレベーターから上り、二階へと上がる。その先には元々映画館があったはずだが、今は大きな空洞になっていて、看板や壁紙を無理やり剥ぎ取ってできた跡は、どこか痛々しさを覚える。


 映画館の奥はスケートリンクになっていたはずだったが、とうの昔に撤去されてしまったのだろう。そこだけが巨大なコンクリート床の広場になっていて、そこの天井だけが吹き抜けになっていて、天窓からのひかりを浴びてきらきらと輝いている。そして、そのそばに彼らはいた。焚き火を起こしているようで、ちりちりと木の中の水分がはじける音が聞こえ、白い煙が立っている。二、三人ほどの若い青年がそれを取り囲んでいて、なにかやり取りしているようだった。


「警察です。ここは立ち入り禁止のはずですが、そこで何をしていますか」


 私が声を掛けると彼らはあきらかに狼狽えた様子を見せた。彼らがなにかよからぬことをしているのだろうか。そんなことを案じながら、私は家に待つ猫と、イワシとパンのことを考えていた。声を出したところから、私は私の息をこぼし、白くなって空に登った。私はおそるおそる彼らに近づいて、彼らの手の中にあるものをたしかめようとしたところ、彼らのうちのひとりが突撃してきた。雪靴で身動きもできずに、私はあおむけに倒れかける。すぐに立ちあがろうとしたが、まるで地面が揺れているかのように、体にうまく力を入れることができない。今度はうつ伏せになって倒れたところで、自分の腹部の違和感に気づいた。手のひらのように、やはり痛みはない。つめたさがそこを中心に渦巻いて毒が回っていくみたいだった。白い床に、壊れた蛇口みたいに、真っ赤な自分が流れ出していく様子を、私は声をあげることもできずに、ただ、ぼんやりとその波紋を眺めていることしかできなかった。

 

 エンポリウムが閉店することを知ったのは私が十九歳だった。そばには弟と祖母が一緒に居て、祖母はずいぶん驚いていて、それから少しだけ寂しそうにしていた。ポスターには「開館から二十年以上のご愛顧」とだけ書かれていたが、後から建物の老朽化と地域の過疎化が進んで、経営が破綻したことを知った。


「おじいちゃんが亡くなった日に、お父さんとここに行ったのよ」


 駐車場で、祖母はふとそんなことを呟いた。祖父は、私が生まれた翌年に亡くなってしまって、私は彼のことをほとんど知らない。私は運転席に乗り込む。弟が生まれたと同時に購入した(だから、もう十年以上使い古されていることになる)トヨタの軽自動車は、ばふりとエンジンが燃費の悪そうな音を立てて走りだした。雪が降りしきり、一面が銀色の海のようだった。そこにぽっかりと浮かぶ島のようにエンポリウムが立っていて、そばでは観覧車が回っている。後部座席に座る弟は、祖母から買ってもらった誕生日のプレゼントの箱を胸に抱えて、しずかに眠っていた。ちらりと助手席に座る祖母の方を見る。祖母は薬の服用が増えてきて、私はしばしば彼女の健康が不安になってきた。見た目こそまだ若々しいが、もうすぐ八十を迎える。


「ひとつの時代が終わっちゃう感じがするね」と私はなんとなしに言葉をこぼした。それから、きっとそうなのだろう、と心のなかで自分に相槌を打つ。子供の頃に父と映画を見に行ったり、母と観覧車に乗ったり、洋服を買ってもらったりした。今、着ているコートでさえも。けれど今となっては、寒冷化が進み、続く降雪で、物流も鈍化してきて、この田舎町の物価はだんだんと上がっているのを、学生の私でもひしひしと感じている。整理してみれば、エンポリウムの存在はひとつの時代(つまり、私にとっての子供時代であり、父にとっての祖父が亡くなった後の時代)の象徴を担っていたように覚える。跡地に何が別のものが建つ予定はないようだ。私はふとエンポリウムのそばの歩道に、私たちに背を向けてぼんやりと観覧車を見る父の姿を見たような気がした。


 そこから数キロメートル走ったところには国立気候研究所があり、もう夕方だというのに、そこだけ車の出入りが激しかった。私たちの車の前を走っていた小さな車を左折して、研究所の駐車場の方へと入っていく。この町は人間が暮らす土地の中でもっとも北に位置しているとされている。だから地球の気候変動とそれによってもたらされる生態系の変化や海洋の変化は、ほかの地域に先立つ形で現れる。だから、たかだか十平方キロメートルほどの小さな町は、世界の一部から「カナリア」と呼ばれていた。しかし、この研究所も次第に別の研究所へと機能を移すことが決まっている。


 それから雪原の中は一時間ほど車を走らせて、荷台軽トラックを追い越し、私たちは私たちの暮らす家へと帰った。世界は寒冷を帯びていて、目を開けるのでさえ億劫だった。家の中は薄暗く、キッチンだけが灯りが着いていた。母はそこで湯を沸かしながら、タブレットを手に持って映画を見ている。私たちが帰ったことに気づくと、おかえりなさいとだけ話して、また画面のほうに向ける。


「エンポリウムが今年いっぱいで閉館するんだって」

「そうらしいね。この町もどんどん寂しくなるわね」


 寂しくなる。そう言われて私は初めてそれが寂しいと呼ぶことができることに気づいた。私だけを置いていって、どんどん周囲と時代と価値観が変わってきて、その波に置いていかれる。そこには寂寞があった。ものはいずれ朽ちて、人はいつか死ぬ。この残酷な現実を、私はいつか受け容れることができるようになるのだろうか。


 二〇二九年の一月三〇日、私は弟の手を引いて、家の裏にある岩に登る。星がクリアに見えるほど晴れた夜だった。私も弟の姿も夜闇に消えて、黒いシルエットになっている。雪原に破裂音が響き、花火の硝煙の匂いがわずかに香った気がした。それは時間のテープに入れられた鋏の音のようだ。私と私を取り巻く世界の価値観がずれて意味をもたなくなってきた時に、きっと何度も、私はこの光景を思い出すのだろうと感じた。

 

 遠くで、誰かの話し声が聞こえる。振動が私のところからちょっとずつ離れているようだが、もう身体を起こして確かめることはかなわないようだ。壊れた蛇口のように流れ出す真っ赤な私を横目に見る。明日にはきっと、波紋すら収まっているのだろう。薄れる意識の中で、ふと、そんなことを考えた。

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