投身自殺から始まる死神との輪舞曲

玖虞璃

『投身自殺』と『出会い』は突然に

「……」


 俺はその時、生まれて初めて『一目惚れ』という体験をした。

 『一目惚れ』。それは読んで字のごとく、一度ソレを見ただけで惚れるということ。


 夕暮れの教室。窓から差し込む茜色の空をバックに、その『少女』はそこにいた。


「……」


 俺の存在に一切気付く素振りはなく、処女雪のようにどこまでも白く透き通って見える長髪を春風に躍らせている。

 僅かに見える横顔は神々の最高傑作と言われても信じるほどに整っており、今この瞬間を写真に収めることができたなら、彼女の姿の前に全世界に存在するあらゆる絵画はただの藻屑と化すだろう。

 何処をとってもその一部分が歴史的芸術品のような価値を持ちそうな彼女だったが、俺の眼は彼女のある一部分に引き寄せられていた。


 それは彼女の『瞳』。


 白磁の肌の相貌に浮かぶ紅い月が二つ。

 俺はその彼女の赤い瞳から目が離せられなかった。

 夕日を反射して紅宝玉ルビーのようにキラキラと輝く瞳はこの世界の一切を映さず、何処か虚ろで幻想的で。俺の視線はその赤い瞳に引き寄せられ、そして絡めとられていた。


 ——あの眼を彼女の顔から抉り取って、口の中で転がしたらどのような味がするだろうか。


「……ング」


 喉が小さく波打った。

 俺の脳裏をそんな猟奇的な考えが過る。常人には理解が出来ない様な狂った衝動。

 しかし、それ程に俺は今彼女に夢中で。


 つまる所、俺はソレに恋をしてしまったのだ。


 姿に、俺は恋をした。


「……何、してんの?」


 俺は思わず声をかけてしまった。彼女は既に両足を窓の外に放り出し、あと少し体重を前に預ければ、万有引力に身を任せて自由落下。

 最終的にコンクリートの赤い染みとなり、人生というゲームから早上がりをしてしまうだろう。


 ……流石にそれはあまりにも寝覚めが悪い。

 初恋が実る確率が低いのは俺だって知っている。それこそ天文学的な数字だったとしても。

 初めての一目惚れの結末として、惚れた相手が三秒後に肉片と化してのバッドエンドは、これから先の一生のトラウマになるだろう。


 俺にはその自信があった。だから俺は彼女に声を掛けた。

 もしかしたら窓枠に座って外を眺めるのが、彼女の放課後の楽しみ方なのかもしれない。


「————飛び降りようとしてるだけ」


 そして彼女は俺が声を掛けたことに一切の驚きを示すことなく、振り返ることもなく淡々とハキハキと躊躇なく言い放った。

 私はここで『死ぬつもりだ』と。


「バ、バンジージャンプをするつもりなら校舎三階ここは少し低すぎないか…? そ、それに命綱が無いみたいだけど?」


 俺は頬が引き攣るのを必死に押し殺しながら、できる限り明るく冗談を口にする。

今の状況を少しでも好転させるために俺は、今までに無い速度で脳を酷使させる。


「……」


 彼女はその時になって初めてこちらの顔を見た。


「——ッツ」


 恐ろしく冷たい彼女の視線は、無遠慮に俺の顔を捉えると即座に刺し殺すような鋭いものに変わった。


「貴方は、確か————」


「……一様、君の今のの者です。神崎かんざきさんで良いかな?」


 俺は三日前のやり取りを再現するように、改めて彼女に挨拶をする。


「……?」


「あー、もしかして名前覚えてない、ですか?」


「……」


「はあ……。赤羽あかばね加月かづき、今回は覚えてくれると嬉しいな」


 無言を貫く神崎さんの姿を俺は問いへの答えだと悟り、あからさまに肩を落とす。


 まあ実際、学年一————いや、学校一の美少女である彼女の記憶に残るような特徴は俺にはないから妥当な結果か。

 ただ頭では理解できても、心へのダメージは尋常では無かった。

 

「——で、何の用? 赤羽くん」


 彼女は俺の内心の落胆など気付く素振りすらなく、事の要件を問う。

 凛とした声音に浮かぶほんの少しの苛立ち。自分の行動を邪魔されたことへの怒りだろうか。

 こちらとしてはソレが目的で声を掛けたのだからしょうがないのだが、彼女の赤い瞳に睨まれると胸が痛くなるから正直な所やめてほしい。


「いや流石にクラスメイトが飛び降り自殺しようとしていたら止めるでしょ、『普通』」


「あら、そうかしら。私だったら『普通』そんな状況に出くわしたら、見なかったことにしてその場を立ち去るわよ」


 彼女は自嘲気味に笑いながら肩越しに俺を見る。


「というか『普通』って何かしら? 貴方の常識を私に押し付けないでもらえるかしら」


人を煽るような、それでいて突き飛ばすような言動。


「——あぁ」


 その時俺は思い出した。この神崎かんざき美幸みゆきとかいう女が見た目は良いが、中身が最悪だということを。

 黙っていれば美人であり、その姿からか彼女は校内では『雪原の薔薇』と呼ばれていた。

 入学後たった三日で彼女はこの学校でアイドル的立ち位置についていたのだ。

それだけ見れば彼女の容姿がいかに優れているか、いかに人を引き寄せるカリスマ性に富んでいるかが分かるだろう。

 ただ彼女のその『雪原の薔薇』という異名は見た目だけの話ではなかった。

 つまるところ彼女の内面もまた『雪原の薔薇』だったのだから。

 吹雪く雪原のように人当たりが冷たく、近寄るもの全てに対して言葉という鋭い棘で傷付けるという所業。

 その極寒の人当たりと、幻想的な見た目とのマッチングを経て生まれたのが『雪原の薔薇』なのだ。


 結果、彼女は入学後三日目にしてクラス————いや、学校にて孤立していた。

 俺も入学式初日に挨拶をしたのだが見事にシカとされた経歴がある。

 

 さてどうしようか。

 俺は思考を巡らせる。

 『よく考えたら、これって一目惚れじゃなくね? あ、でも今の彼女の姿を一目見てから惚れたから一目惚れか?』というどうでもいい考えを思考の片隅に追いやり、どうしたら今のこの状況を良い方向に持っていくことができるか。

 俺は考え————。


「……何で?」


 ————口を衝いて出たのは単純で明快な疑問。

 結局のところ問題は全てそこに帰結していた。

 例え今この場を奇跡的に乗り越えられたとして、彼女の中で死にたい理由が消えない限り彼女は何度でも死のうとする。


 それでは意味がない。

 それは問題の解決ではなく、問題の先延ばしであるのだから。

 誰よりも恵まれている彼女の死ぬ理由とは一体何なのだろうか。俺には到底予想もつかない。


「死にたいから、それだけじゃ駄目かしら」


 しかし彼女はその『死にたい』理由については語るつもりはないらしい。


「おまっ、それ、本気で言ってるのか?」


 彼女の物言いに俺は僅かに苛立った。手のひらに自分の爪が食い込むのを感じる。


「ええ、何か文句でも」


 生き物が当たり前のように享受している『生』の放棄。それがいかに傲慢で強欲なことかこの少女はそれを恐らく知っていて、それをしようとしていた。


 世の中には生きたくても生きられない生き物がどれ程いるだろうか、捨てたくなくても捨てなければならない命が幾つあるのだろうか。


 ガリッ。

 奥歯が擦り切れる音が聞こえた。

 彼女の返答は普段温厚な加月を怒らせるには十分すぎた。

 加月は怒りのままに開きそうになった口を理性でもってねじ伏せる。


「何が不満なんだ…? 恵まれた容姿があって。お前確か頭も良かったよな?」


 彼女は入学式で新入生代表としてスピーチを行っていた程の才女だ。


「ええ、自慢じゃないけど。少なくとも貴方よりはいいと思うわよ」


「……『死ぬ理由』、なんて無いだろ」


「だから、さっきから言ってるでしょ。私がただ死にたいだけだって」


 彼女との問答はまさしく暖簾に腕押しであった。俺の問いに対して彼女は真面目に答えるつもりはないようで。

 口元に薄い笑みを浮かべ、余裕そうな態度を崩さない。

 その姿に俺は心底腹が立つ。


「お前さ————」


 死にそうな生き物はそんな顔をしない。

 死に際の顔なんていうのは、本当に満足そうな顔をするか————死ぬことに対して絶望に顔を歪めるかの二つに一つだ。

 今の彼女の顔はそのどちらでもない。


「————それで『幸せ』なのか?」


「……」


 プツン。

 それは間違いなく幻聴だった。

 俺の耳に届いたのはまるでテレビの電源を落としたような効果音。

 彼女の顔から笑みが消えた。

 俺の放った言葉が、何かが彼女の琴線に触れる。おそらく彼女の不可侵領域に俺は足を踏み入れてしまった。


「————良いことを教えてあげるわ」


 彼女は感情の消えた顔でこちらを見る。

 再び彼女の視線と俺の視線が交わった。

 俺は改めて彼女の瞳をのぞき込む。

 先程は夕日を反射して見えていなかったモノが今は見えていた。

 そこに映っていたのは『諦念』。

 彼女は諦めていたのだ。

 自分ではどうにもできない何かに対してだろうか。


(ああ、安心した)


 それに対して俺は内心安堵する。

 何故だろう、自分では分からない。

 ただその理由を考えるより先に、俺は走り出していた。


「————『幸せ』って人によっては『不幸』にもなるのよ」


 彼女はそれだけ言い残すと、窓枠に掛けていた手を放した。

 春風に混ざるように、彼女の体は校舎三階の窓から空に舞う。

 風に運ばれる彼女の姿はさながら風と戯れる風精霊シルフのようで美しく儚かで。

 今にも消えてしまいそうだった。


「はぁ…」


 彼女は眼を閉じその瞬間を待った。

 深い眠りについた姫君のように、『死』という名の己を解放してくれる王子をただ待った。


 ダン。

 しかし、地面に叩きつける衝撃よりも先に彼女の耳に音が届いた。

 それは固い何かを蹴ったような音で。

 次いで重力に反して上空に引き寄せられると温かい物に包まれる己の体。

 何かに手を引っ張られ、そして抱き寄せられた。遅まきながら彼女はその事実に気付く。


(誰が?)


 彼女は閉じていた瞼を持ち上げる。

 正直なことを言うと彼女にはそれが誰か分かっていた。

 しかし分かっていた上で、尚理解できなかった。


?」

 

 彼女の口からその言葉が漏れ出たのは偶然だった。それは死のうとしていた私に対して加月が言い放った言葉。


「こうするべきだと思ったから、それだけじゃ駄目か」


 今は少年の胸に抱かれているため、顔を見ることはできなかった。

だが私には分かる。どうせ今の彼はあの時の私の様に意地悪く笑っているのだろう。

久しぶりに触れた人の体温に私は懐かしさを感じながら、私はもう一度瞼を下ろした。

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投身自殺から始まる死神との輪舞曲 玖虞璃 @kuguri

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