単位

haxibami

単位

「完全な政治体制の成立には、ひとりの人間の完全な視覚で十分である」—— ジャネット・メリウェザー、『古代諸国家の体制理論』



 男は輸送局の職員であった。

 輸送局というのは愉快な場所で、外部からその職務を窺い知ることは容易ではない。にもかかわらず、担っている役割はきわめて単純だった。端的にいえば、およそ自然状態では分散する傾向にある資源を人工的に統御し、輸送し、適切に配分する機構である。

 なかでも男が属しているのは統計部門であった。この部署はその響きとは裏腹に、輸送局内でもかなりの価値を有している。というのも、彼らの取り扱う資源は輸送されること自体によって価値を生み出す種類のものであるために、その統計はある種の生産量の管理にも等しかったのだ。男の職務はおもに地区輸送量の調整であり、眼前の資料には直近三ヶ月の調査結果が記されていた。十八万人目、十六万人目、十五万人目……といったぐあいだ。

 その日の業務を始めて二時間ほどが経ったころ、机の電話が鳴った。七セグメントのディスプレイには「1」とあり、連絡が執政府からのものであることを示している。普段ならば業務上の些細な事項、たとえば輸送量の緊急調整が伝達されるのだが、その日の受話器が伝えたのは、執政府に出頭せよ、という命令のみだった。

 男は地図を見てしばらく逡巡したのち、東の街区へ向かった。とはいえどの方角でも大した違いはない。この街には中心がなく、また街区はしばしば反復されるために、すべての方角にほぼ等確率で目的地が分布しているのだ。

 幸運なことに、ものの数分で男は目的の建物に辿り着いた。青銅の装飾が張り出した門をくぐり、手入れの行き届いた庭を横切る。正面の階段を登りきるのと、小ぶりな玄関扉が開くのが同時だった。建物に入るとどこからともなく女が現れ、男を廊下の奥の応接間へと案内した。

 会談の相手はすでに席についていた。色の抜けた髪と細身の体つきは老境のそれだったが、こちらを向いた夥しい数のセンサーからは高い地位が伺えた。畏れの波のようなものが男を襲い、彼はほとんど反射的に礼をしていた。

 老人は男に席をすすめ、さっそくだが、と切り出す。

「じつはいま、指導者の補佐役が欠員している。もしかまわなければ、きみにその役を担ってほしいのだが」

 男はいくらかの驚きとともに老人を見つめた。彼がいったのは、男にこの世界で二人目の人物になれということだった。

「きみも体制については知っているだろう」

 男はごく一般的な市民であったから、基本的な教育に含まれるその内容は理解していた。曰く、真の指導者はわれわれの中にいるが、決して姿を顕すことはない。つねに埋没するものにのみ権力は宿る、云々。

 はやる気持ちを抑え、男はうやうやしく頭を下げた。

「承知しました。よろしければ、理由をお聞かせねがえませんか」

 老人は満足した様子で重々しく頷くと、彼の全身を背中まで貫き通すような視線(実際、それは貫き通していた)でじっと眺めた。

「輸送局務めならわかると思うが……きみは二人目だろう? それが第一の理由だ」

 たしかに彼は数少ない二人目の男ではあった。多くの人間が増設視覚によって高い監視能力を獲得するなかで、彼は例外的に二目を保っており、また古典的な単独人格者でもあった。そのことが副指導者となることにどう関係するかは明らかではなかったが、老人の言葉と、輸送局での経験が彼に妥当な想像を許した。近年では増設視覚が普及して個人レベルでの監視係数が上昇していたにもかかわらず、全体の輸送係数の値は不安定なまま推移していたのだ。なお、監視係数は内蔵人格数に視覚モダリティ数(すなわち、目の数)を乗じた値である。

「三人目や、四人目ではいけないのですか?」

「だめだ」老人は即答した。「これはきわめて微妙な均衡の問題なのだ」

 男は心の中で歓喜した。いまや、彼の同僚たちの多眼志向は誤りであったことが明らかになったのだ。あるいは、適材適所ということか。実際、レンズだらけの老人の姿は正統な意味で社会に貢献しているように思えた。

「二つ目の理由は単純だ。きみが単に二人目だからだ」

 男はふたたび驚いたが、先程には及ばなかった。

「前の者はなぜ拒んだのです」

「肝が据わっていなかったのだろう。驚くのは無理もないが、慎重さが足りない」

 老人の哀れむような目はどこか遠くを見つめており、その様子が男を満足させた。降ってきた幸運に文句をつける真似はしまい、と心に誓う。

「最後の理由だが、これは少々複雑だ。きみの人間関係にかかわるのだが」

「妻と、子供が一人おりますが」

「それ以外に……たとえば、親しい友人などはいるかね」

 男はしばらく考えたのち、いいえ、と首を振り、老人の言わんとすることを察した。

「つまり、私が二人目だとおっしゃりたいのですね」

 明確に頷きこそしなかったが、老人は、うむ、とうめき声のようなものを漏らした。

「悪くは思わないでもらいたい。ただ、あまり注目を引くのも好ましくはないのだ」

 老人は、かつて英雄には英雄の役割があったが、指導者のそれは異なる、というような意味のことを言った。それから、男はいままでの仕事を続ければよいこと、職務はつねに主席指導者の管理下にあること、などを伝えた。

「ただ、その目を十分に開いていればよい」

 会談はそれで十分であった。

 男は(先程より控えめであったが)老人に一礼し、応接間を出た。門をくぐるとき、執政府にとぼとぼと入ってゆく別の男とすれ違った。相手の姿にはどこか見覚えがあったが、それはどうにも哀れで、ただ男の胸に先程までとは異なった感情を呼び覚ました。

 男は二人目の指導者として、街へ踏み出した。

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