貴族探偵
ぴとん
第1話 貴族探偵 問題編
王都の大貴族ロスマルク家の長男として生まれた私、ガウス・ロスマルク3世は昨今のお家事情にひどく悩まされていた。
「明日の警備は本当に大丈夫なんだろうな!」
せっかく1日の終わりを寛げる、夕食の席だというのに、我が父上殿はご立腹であった。
「はっなんども確認をいたしました」
髭の生やした騎士は、胸を張って答えるが、その表情は男らしさをひそめ、不安げであった。
これまで何度も失敗してきているのだから当たり前だろう。次に失敗したらクビかもしれない。
私はそんな騎士殿のことを他人事のように、気の毒に思いながら、パンをちぎった。
小麦の味が口に広がる。焼きたてのパンである。こういった美味しいものを口にする時、自分は貴族に生まれてよかったと思う。
機嫌の悪い父は、食事もそこそこに、自室へ戻っていった。去り際、私もいくつか小言を言われたが、いちいち気にしてもいられない。適当に流して聞いた。
部屋には私と料理長、そして私の世話係であるメイドの女の子ミニィだけが残された。
チラリと料理長を見ると、ほとんど手のつけられなかった父の皿を見て残念そうにしていた。
私はジェスチャーで、こっそりと彼に秘密の合図を送る。すると彼はパァと明るくなって、いそいそと父の皿を片付け始めた。
背後で待機していたミニィは小声で囁いた。
「いつもありがとうございます……」
私は無言で食事を続けた。そして席を立つと、ミニィもその後ろをついてくる。
屋敷には、私を含め10人しか住んでいない。しかし、かつての先祖が築いた栄光により、敷地は無駄に広く、自室に戻るのも一苦労だった。
ようやく自室についた私は、椅子に深々と座ってひと呼吸ついた。
いつも通り、ミニィはコーヒーを淹れてくれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
食後のコーヒーにほっと一息ついていると、ノックとともに料理長から新聞紙に包まれたサンドイッチが届いた。
ミニィは申し訳なさそうにそれを受け取り、扉を閉める。
「いただきます」
モグモグと美味しそうに食べるミニィ。その愛らしい姿に、私は頬が綻ぶ。
料理長は、料理に絶対の自信を持っているのだが、最近の父上は年齢とストレスのせいで、料理を残してばかりで、悲しんでいた。
食事の量を調節しようにも、屋敷に入荷する食材の量は、業者と固い癒着により決まっており、変えられない。
そこで、私はその余り物で作らせたサンドイッチを、成長期のミニィにこっそりと与えていたのである。
「おいしかったです」
ミニィの口にはソースがついていた。私はハンカチでそれを拭ってあげる。
「はわわ。ご主人様のお世話をするのは私なのに、これじゃアベコベです」
「気にするな、ミニィはまだ九つだろう、甘えたいだけ甘えた方が健全というものだ」
ミニィは、ほんとうにいいのかなぁ、と複雑な表情をした。私はそれを見て苦笑した。
もともと孤児院出身のミニィは、さまざまな縁があってこの屋敷でメイドとして働くことになった。
まだメイドとなってから半年たらず、わからないこと、できないことも多い。
専属メイドとするには幼すぎると周りにも反対されたのだが、私はその意見を押し切って彼女を自分につかせた。
私はミニィの頭を撫でる。ミニィはしばらく硬直していたが、やがて目を細めた。
年端もいかない娘を、都合のいいように扱っているエゴは自覚しているが、私はどうしようもなく……小児性愛者であるため、ついつい甘やかしてしまうのである。
決して性的な悪戯などはこれまでもこれからもすることはないと、神に誓うが、このタチだけは、たとえこの先結婚したとて、生涯治ることはないのだろうとも思う。
私はミニィを抱き抱え、膝の上にのせる。子供特有の温かな体温が、伝わってくる。
「しかし、父上はずいぶん気が立っていたな。騎士どのの名誉のためにも、ぜひとも明日はうまく事が運んで欲しいが」
人形のようにちょこんと縮こまるミニィは、丸い瞳で私を見つめた。
「あの……騎士どのというより、問題なのはロスマルク家の名誉の方ではないでしょうか?」
鋭い指摘に、私はふふっと笑った。
「その通りだね、ミニィ。はは、父上の苦労を見ていると、名家の跡を継ぐことが嫌になってくるね」
私は机のうえの便箋を開いて、手紙を眺めた。
「最初に届いたのはもう4ヶ月前か。あれからひと月に一回はこれが届くようになってしまったよ」
その手紙には、新聞の印刷文字が切り貼りされていた。
『明日 もらう 小麦 差出人 怪盗X』
「相変わらずとんだ怪文書だ」
手紙は父上が強い力で握りしめていたため、しわくちゃだった。
「この怪盗Xは我が屋敷から何度も小麦を盗んでいるが、いったい何が目的だと思う?」
聡明なミニィに尋ねる。するとミニィはキョトンとした顔で答えた。
「それは小麦が欲しかったからでは?」
「むっ……それは逆に思いつかなかったな」
私は顎を撫でる。ミニィからは、先ほどのようにお家の名誉を傷つけたい輩がいるのではないか、という一歩先をいった回答が返ってくると期待していたのだ。
さすがに九つの子に期待しすぎたと反省する。そこで懇切丁寧に説明する。
「王都に名家などたくさんある。ここより大きな屋敷には、もっとたくさんの小麦があるだろう。もし小麦が欲しいだけなら、他の屋敷を狙った方がいいとは思わないかい?
我が家を泥棒も満足に捕まえられない無能だと印象付けたい者による私怨なのではないかと私は考えるのだよ」
「はぁ……」
ミニィは気のない返事をした。あまり私の推理はお気に召さなかったようだ。
4ヶ月前から、我がロスマルク家には、この怪盗Xを名乗る泥棒から手紙が届くようになった。
最初の一通目は、ただ『小麦 X』としか書かれておらず、悪戯だと断じて、屋敷の誰も相手にしなかった。
しかし、次の月にも同じように『小麦 X』と、切手も貼られていない手紙が届き、さすがに不審に思った執事が、調理場に確認すると、数キロの小麦が食料貯蔵庫から消えていたのが発覚したのである。
野次馬気質な記者がどこから聞きつけたか、翌日屋敷にやってきて、話を聞かれた。その後すぐに新聞には、ロスマルク家に怪盗Xが入ったと書かれてしまい、我が家は王都中に恥を晒すことになってしまった。
これだけで済めばよかったものの、先月も同じように、怪盗Xの宛名の怪文書が届いた。
さすがに恥を上塗りできないと、食糧庫の前に警備の騎士たちを配置した。しかし、一晩中誰も出入りしたものはいないという騎士たちの証言に反して、翌日食糧庫の小麦の量を料理長に調べさせたところ、やはり小麦は数キロなくなっていたという。
そんななか、今月も届いた怪盗Xからの手紙。父上がピリつくのは仕方がなかった。
長男であり、この家を継ぐ予定の私も、本来はもっと焦らなければならないのだが、どうも他人事のようにしか思えなかった。
どうせこの家から小麦が盗まれたとしても、食事の量が減っている我が家族には実質的な影響はないし、盗みに数回入られた程度の不名誉など、私が継ぐ頃にはみなから忘れられている些細なゴシップであるからだ。
そんなわけで、高みの見物をしている私は、手紙が届いたところでなんのその、こうして自室でミニィとお話をしながら、いつもの夜を過ごすのである。
私は一度ミニィを膝から下ろし、本棚の前に立つ。今晩彼女に読んであげる絵本を、選んでいるのだ。
本棚にはたくさんの絵本が並んでいる。私が6歳の頃まで読んでいたもので、地下の書庫に仕舞われていたが、ミニィが来てから引っ張り出してきた。
森の動物が音楽隊をする物語や、砂漠を旅するラクダの物語。
中には、金持ちから財宝を盗んで、貧民たちにばら撒く義賊の物語、という「教育に悪い」話もあったのだが、これは棚の奥の方に押し込んでおき、ミニィの目には触れさせないようにしておいた。
そんなラインナップから、今宵私が選んだのは、少女が一生懸命に花畑を育てる物語である。なかなか咲かない花を、熱心に見守る少女のキャラクターは私もお気に入りだった。
寝巻きに着替えた私たちは、一緒に布団の中に入る。そうしてページを開いて、物語を読み始める。
「少女は毎日毎日、晴れの日も雨の日も花畑に足を運びました……」
私は物語の情景を脳内に思い浮かべてる。可憐な少女が、膝に泥をつけながらも、ジョウロをもって花に水をあげている姿。なんと可愛らしいのだろう!
陶酔したようにページをめくっていた私だったが、ふとミニィは楽しんでいるだろうか、と顔を覗き込む。すると彼女は目をしょぼしょぼとさせていた。
まだ読み始めて2分も経っておらず、夜も更けていない。ミニィにしてはお早い入眠である。
「つまらなかったかな?」
「いえ、あの……でも……」
言い淀むミニィ。そこで、私ははっと気づく。どうして気が回らなかったのだろう。この絵本を読むのはもう何回目になるのか。
ついつい私の好きな絵本を選んでしまっていた。ミニィが飽きるのも無理はない。
私はミニィに尋ねる。
「今度からはミニィが読みたい本を持ってこよう。何が読みたい?」
「え、えと……あ、あの怪盗の絵本とかが読みたい……かもしれないです棚の高いところにあるあの……」
「……わかった、では明日はそれを読み聞かせよう」
「いえ、あの……文字も多そうでしたし、自分で読んでみたいかなと……」
ミニィは機嫌を伺うように、私の顔を覗き込んできた。
「ミニィは、あんなに文字が読めるのかい?」
「たぶん……書くことはまだできないですけど、読むことなら」
私は自己嫌悪に陥った。ミニィを子供だ子供だと決めつけて、彼女の成長を妨げていたのだ。なんてエゴだったのだろう。
そのままミニィは寝息をたてて寝てしまった。私も心にモヤを抱えたが、彼女の安らかな顔を見ているうちに寝てしまった。
翌朝、布団からはすでにミニィは消えていた。メイドは早起きしての仕事があるからだ。
私はゆっくりと起き上がると、朝食を取りに食卓へ向かった。
さて、父上殿のご機嫌はというと。案の定だった。
「くそっ!役立たずばかりだ」
ぶつぶつと呟きながら、やけ食いのようにパンをむしって口に放り込んでいる。
「むっ固いぞ!時間が経ったものではないか!?」
「い、いえそんなことは……」
「まったくだいたい食糧庫は貴様の管轄だろう!警備とともにクビにするぞ!」
父上に怒鳴り散らされる料理長。朝から災難なことだ。
しかし私の口にしたパンも、たしかにパサパサとしていた。出来立てを食べられると思っていたので少し残念だった。
あまり良くない一日のスタートを切り、早々に食卓を後にすると、廊下で執事に話しかけられた。
「坊ちゃん、少しお時間よろしいでしょうか」
「どうした?」
執事に連れられてたどり着いたのは、件の食料倉庫だった。
中を覗くと真っ暗で、電球が一つしかついていないこの部屋は、懐中電灯を使わないと、よく見えない。
昨夜は、扉に南京錠がかかっており、鍵は父上本人が一晩預かっていたという。
「ふむ、それで小麦粉が無くなったというなら父上本人が盗み出したのではないか?狂言事件だったというわけだ」
私は華麗なる推理を披露するのだが、執事は首を振った。
「いえ、昨夜は一晩中私がご主人様の部屋の前で見張っておりましたから。私まで共犯とするならば可能な話ですが」
この執事は長年父上に仕えている。いざとなれば父上の味方をして、証言を合わせることは可能だろう。
しかし直感的にわかっている。父上が狂言でこんな事件を起こすはずがない。当主自ら家名の信用を失墜させる意味などない。ストレスの溜まったあの姿が演技には思えなかった。
そして、私も関係ない。こんな事件に首を突っ込む必要などない。
事件のことにあまり興味を示さないでいると、執事はじぃっと私のことを見つめてきた。
「ところで坊ちゃん、最近ミニィのことを甘やかしすぎではございませんか?」
「な、なんのことだ」
「料理長に頼んで部屋にパンを持っていかせているのを、知らないとでも?」
「むっ……気づいていたのか」
「毎日のように新聞紙にくるんだパンを料理長が持ち歩いていたら、さすがに気がつきますよ。我々使用人にも充分な食事は与えられています、あまり甘やかさないように」
「すまない……」
「まさか坊ちゃん、手は出してはないでしょうね?」
「それは断じてないっ」
執事はしばらく私を疑っていたが、いまは小児性愛を追求してる場合ではない。すぐに本題に話を戻してくれた。
「坊ちゃんにも昨日の状況を伝えておこうと思ったのです。いくら興味がないとはいえ、長男が事件の全容を全く知らないままというのもおかしな話でしょう」
「それはそうだな」
執事は昨夜の出来事を語り始めた。
まず夜23時ごろ、父上は料理長に指示して、小麦粉の入った麻袋の重さを調べさせた。
麻袋は3つあり、ひとつあたり25キロ。屋敷に入荷してから5日目で、ひとつはすでに口は空いていたが、それもほぼ25キロだったという。
個数と重さを確認したあとは、倉庫に南京錠をかけて、誰も入っていないという。
それなのに、翌朝南京錠を開けると、倉庫内には、小麦粉の詰まった麻袋は2つしかなく、空っぽの麻袋が1枚、床に転がっていたという。
「ふうむ、不思議な話だな。一袋分小麦粉が、中身だけ消えたと言うのか」
「ええ。しかし本当に初耳とは……」
執事は呆れたように頭を抱えた。
「ミニィから聞いてはいなかったのですか?」
「ミニィから?」
首を捻る。この件に関しては、私と同じくまったく関わっていないと思っていたのだが。
「ええ、昨晩とそれと早朝南京錠を開けた時も、食糧庫にいました」
「なんだと?昨晩は私と……」
言いかけて口をつぐむ。メイドと同じ布団で寝ていたなどと言って、要らぬ誤解を与えかねない。
私がミニィとともに布団に入ったのは、21時ごろだったはずである。
23時の食糧庫チェックにミニィが同席したというなら、私が寝たあとに彼女は、部屋から抜け出していったというのか。
メイドとしての仕事までも邪魔をしていたのだと自覚して、さすがに自己嫌悪に陥る。
「そうか……」
落ち込んでいたその時、料理長が通りかかった。食糧庫なのでここを通るのは彼にとって当たり前なことである。
「むっ料理長」
「はい?」
「今朝の……」
今朝のパンがパサついていたことを指摘しようと思ったのだが、彼はさきほど父上からも叱られていたことを思い出し、喉からでかかった言葉を飲み込む。
首をかしげる料理長に、かわりの言葉を投げかける。
「いつも食べてるパン一個には、小麦粉何グラム使っているのかな?」
「80グラムですけど……」
「そうか、ありがとう。なんでもない」
料理長は調理場に去っていった。私も顎を撫でて、執事に尋ねる。
「協力できそうにないし、私も戻っていいかな?」
「……お好きにどうぞ、お坊ちゃん」
執事の声は失望が混じったように聞こえたが、私はそそくさと食糧庫を去った。
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