第12話 白瀧5
辰巳ひなたと名乗る人物と会う約束をしてから、僕と桜沢さんは埼玉県所沢駅付近の喫茶店に来ていた。桜沢さんのオフィスから電車で小一時間という距離だ。佐久間さんの車で向かうのかと思ったが、この時間帯では電車の方が早いという。
既に午後八時を過ぎている。窓を見ると外には会社帰りと思われるサラリーマン達が歩いていた。
「それにしても、その辰巳さんという人は先輩とどんな関係がある人なんでしょうか?」
「電話で話した際は内島アキラという名前に心当たりは無さそうでした。ですが、彼女が白瀧くんに連絡してきたことが偶然だとは思えません」
桜沢さんが言った言葉。その意味を理解する前に扉が開く音がした。
入り口の方に目を向けるとふくよかな男性と小柄な女性の二人組が入ってきた。二人は店員と会話し、案内されながらこちらの席へと歩いてくる。
二人と軽く自己紹介を交え、店員へ飲み物を注文する。
辰巳ひなたさんは想像していたよりも小柄な人だった。しかし、その瞳には意思の強さが感じられる。かなり気の強い人のようだった。反対に彼女の同行者の鷹鳥刑事は人あたりが良さそうな人で少し安心した。
「お時間を作って頂いてありがとうございます。早速ですがこの写真を白瀧さんに見て頂きたい」
鷹鳥刑事が一枚のカードを差し出した。学生証のようだ。
その写真が目に入った瞬間雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡った。
学生証を取り上げ、食い入るように写真を見る。
そこに写っていたのは僕が探し求めた人物。
内島アキラその人だった。
汗が噴き出る。頭の中は答えを求めて彷徨ったが、なぜ? という思いが張り巡らされて思考が前に進めない。
「内島アキラ、僕の高校時代の先輩です」
「やっぱり」
辰巳さんは怒っているような、それでいて悲しみも混じっているような複雑な表情をしていた。
「学生証の名前を見て下さい」
刑事さんに促されて生徒名に目を向ける。そこには「新川悠」と記載されていた。自分の知っている限りの関係者を振り返るが、その名前に思い当たる人物はいなかった。
混乱している僕を尻目に桜沢さんは話を進めた。
「少し整理しましょう。私達が調べていた遺体。それは内島アキラさんの身分証を所持していた。しかし、それと同時に不可解な点も目立った。私達の調査動機はそこにあります。そして、辰巳さん達が追っていたのは新川家を襲った殺人犯と、拉致された新川悠さん。彼らを追った末入手したのがこの学生証だった。そこにはアキラさんが映った写真があり、名前は新川悠となっていた……と」
辰巳さんが僕達を交互に見る。そこには明らかな敵意があった。
「それだけじゃない。ここに来る前、私達は新川真由美さんにこの写真を見てもらったの。彼女の証言では彼女の夫、新川直樹さんを殺害したのはこの写真の人物、内島アキラだと言うことになるわ」
「そんなはずないじゃないですか!」
思わず大声で反論してしまう。店内の視線が一斉にこちらの席に集まる。僕は気まずくなり口を閉じた。
「大丈夫ですよ。私が選定した店です。店員もお客様も色々と心得ていますので」
桜沢さんは僕の膝に手を置き、なだめるように言った。そのおかげか、僕は少し冷静さを取り戻すことができた。
二人をもう一度見据える。今の情報だけだと正しい判断ができそうにない。とにかく話を聞かなければ。
「実際に真由美さんは何と言っていたのですか?」
「内島アキラが直樹さんを滅多刺しにしたと。そして、真由美さんに対して"自分がやった"と主張したの」
「正確には〝自分がやった。何も言うな〟です」
すぐに鷹鳥刑事が訂正する。
「我々が彼女を訪ねた時、かねてからの知り合いであったにもかかわらず、内島アキラについての記憶を失っていました。しかし、彼女はこの写真を見て思い出した様子でした。内島アキラの犯行の一部始終とその言葉を」
本当に……本当にアキラ先輩の犯行なのか? 戸惑いと怒りの感情が渦巻き、辰巳さんを睨みつける。
「私は、別にあんたの先輩を犯人にしたいわけじゃない。ただ友達を助けたいだけ。今言ったことは目撃者が言ったことよ。否定したい気持ちはわかるけど、事実よ」
辰巳さんはぶっきらぼうに言った。事実という言葉が重くのしかかる。否定するにしても僕には反論できる材料が無い。
「なるほど。ただ、その話が本当であるならば、あなたにとっても都合が悪い話になりますね」
桜沢さんが言ったことに反応して辰巳さんは彼女を睨みつける。彼女はそんなことを気にも止めないという様子でコーヒーを口にしていた。
「貴方が追っていた事件の犯人。それがアキラさんだとすれば、私達の調べていた遺体は一体どなたなのでしょう?」
彼女は続ける。それは辰巳さんを煽っているようにも聞こえるが、彼女にそんなつもりは無いのだろう。
「悠くんが死んでいると言いたいの?」
「可能性の話です。お二人の調査の結果、晴れてアキラさんと悠さんに接点が見つかったということです」
「ありえない。悠くんはつい先日まで私と連絡を取り合っていたの。あんた達の調べていた遺体はもう何年も前に死んでいるんでしょ?」
辰巳さんは否定したが、動揺の色は隠し切ることはできないようだった。
「白瀧くん。今までの話から仮説が立てられませんか」
「ぼ、僕がですか?」
「はい。あなたにしかできませんから」
なぜ僕が? と頭の中で疑問が浮かんだが、桜沢さんの瞳に迷いは一切感じられない。その瞳を見ていると、不思議とできるような気がした。
「……やってみます」
頭の中で情報を整理する。失踪した二人、アキラ先輩の行き先、古い知り合い、引きこもっていた悠さん、学生証。
今自分の感情はノイズでしかない。雑念は横に置いておけ。悩むなら全て終わった後にすればいい。事実と考えうる可能性だけに集中しろ。
今まで僕が見聞きしてきた情報を積み木のように重ねていく。行き詰まると何度も崩して組み立て直す。
崩れるたびに桜沢さんの言葉を思い出す。
彼女の思考を真似ていく。
情報と情報の間に矛盾が無いように、辻褄が合うように丁寧に組み上げていく。
そして、僕の知っている先輩の人物像を土台に情報を組み合わせていくと、一つの仮説が出来上がった。
恐ろしい考えが頭をよぎる。仮にそうだとすれば、先輩は……。
「内島アキラは、死亡した新川悠さんと入れ替わり、一年以上新川悠として生活していた。そして理由は分かりませんが、悠さんの父親である新川直樹さんをさ……殺害したと考えるのが自然だと思います」
声が震える。こんな仮説否定したい。信じたくはない。しかし、すんなりと言葉にできた自分に驚いた。現時点で考えられるのはこの説が最も矛盾が少ない。
「ちょっと待って。それじゃあ私は一年以上前から内島アキラを悠くんだと思っていたってわけ?」
辰巳さんの瞳に怒りの色が滲む。彼女の言いたいことも理解できる。大切な人と他人を間違えるなんて普通ならあり得ない。だけど、あの先輩ならできるかもしれない。僕が憧れた内島アキラ。舞台の上で毎回別人になりきってみせるあの人なら。
「普通に考えれば赤の他人を演じ、その友人を騙し続けることなんてまず不可能だ。でも、どうなんでしょう? あなたはここ数年、悠さんと直接会う機会がありましたか? 確かあなたの話ではメールでのやりとりのみ行っていたと言っていたと思いますけど」
そう。直接会っていないのだ。その条件でなら、可能性は一気に高くなる。
辰巳さんは俯き、唇を噛み締めた。手をよほど握り締めているのか、彼女の腕は少し震えているようにも見えた。
「できれば僕もはっきりとした証拠で否定されたい」
僕だって先輩が殺人犯だなんて信じられない。でも、僕達には証明する術が無い。確かめるには警察の力が必要だ。
「白瀧さんの言いたいことはわかりました。お二人が身元を調べている遺体と新川夫妻のDNA鑑定をしてみることが先決でしょう」
鷹鳥刑事が僕を見て頷いた。あの遺体を調べれば全てがハッキリする。現状から前進できる。でも、僕の仮説が正しかったとして、動機が見えない。それに、まだ謎がある。辰巳さんにメモまで渡して僕等を誘導した理由はなんだ?
「そんな……はずないでしょ」
辰巳さんが絞り出すように言った。先ほどとは明らかに声のトーンが違う。辰巳さんの目は見開かれ、テーブルの一点を見つめていた。無理もない。不可解な点はあれど、自分の友達が生きていることを信じて悠さんを探し続けた結果、こんな酷い話を聞かされているんだ。
僕だってそうだ。これがたどり着いた結論だなんて絶対に信じない。アキラ先輩が殺人犯? そんなはずないだろう。僕達の考えが間違っているならその方が嬉しい。普段聞けば、なんて酷い推理だと笑い飛ばしている。しかし、なぜこんなにも胸がざわつくのだろう?
「鷹鳥さん、外で今後のことをお話しましょうか」
桜沢さんと鷹鳥刑事が席を立つ。鷹鳥刑事が一瞬こちらを見たが、僕は目を逸らしてしまった。
辰巳さんと二人、店に取り残された。気まずさがあたりに漂う。先ほどまでお互いに敵意を持っていたのだから当然だろう。
「あんたはなぜ内島アキラを追っているの?」
彼女の意図を知りたくて表情を伺うが、俯いている為にハッキリとは分からなかった。
「それは、先輩は大切な……」
言いながら思う。先輩にとって僕との関係って何なのだろう。僕は憧れもあったし、慕っていた。でも、今回のことを調べる内に先輩のことが分からなくなってきた。
僕の連絡先をなぜ辰巳さんに渡したのか。僕は利用されているのだろうか? ただこちら側の一方的な想いでここまで来てしまったのか。
「そんなことも答えられないのに内島アキラのこと信じてるわけ? 殺人犯じゃないって」
彼女は笑みを浮かべたが、それは自虐的なものに見えた。僕のことを蔑んでいるようにも見えるが、彼女自身のことを責めているのかも知れない。そんなことを考えると、どうしても敵意を向けることはできなかった。
「あ、当たり前じゃないですか。犯行の目撃者がいると言われて、先輩が犯人だと言われて、あの人のことが分からなくなりました……それでも、僕は先輩という人を知っています。信じられるだけの時間を過ごしました」
辰巳さんが挑発するように笑う。
「それって一年ちょっとの間でしょ? ずっとあなたのこと騙していたかもしれないじゃん」
「一年〝以上も〟過ごしてきたんです。そんな長い間、人を騙すことなんてできませんよ」
辰巳さんが目を逸らした。
「……ごめん。イライラしていじめ過ぎたよ。あんたの仮説ってやつにはムカつくし、私は信じてないけど、あんたがいい奴なのはわかった」
彼女の雰囲気が少し柔らかくなった気がする。彼女は僕から目を逸らしながら続けた。
「中学二年の頃、私いじめられててさ。そりゃもう酷いものだったよ。私は、悠くんに気付かれたくなくてずっと黙っていたんだ。……でも彼は私の異変に気付いてくれた。幼馴染なんだからもっと頼ってくれって。私は結局、悠くんに助けられたんだ」
彼女が僕を見つめる。その透き通った瞳は決意に満ちていた。
「悠くんは大切な友達だけど、恩人でもあるの。だから、今度は私が絶対に助けたい」
僕は彼女のように強い意思を持っているのだろうか。
「まぁ、そのせいで鷹鳥刑事にはめちゃくちゃ迷惑かけちゃったけどね」
彼女はニッと笑った。その姿からなんとなく、本来の彼女の姿を想像することができた。今回の事件の件が無ければ、そしていじめの件が無かったら、もっと明るい人なのだろう。
聞けば彼女は僕の一つ上、先輩と同じ年齢だった。ということは、彼女と幼馴染の悠さんもアキラ先輩と同学年だったということになる。やはり、僕たちの追っていた方向からも悠さんと先輩に接点ができてしまった。
僕の立てた仮説を否定する材料が、一つ減ってしまった。
「お待たせしました」
桜沢さんと鷹鳥刑事がテーブルへ戻ってくる。鷹鳥刑事は僕等の様子を見て安堵した顔になった。僕達を残して席を離れることを不安に思っていたのかもしれない。
「桜沢さんから遺体調査の依頼主へ連絡頂きました。遺体と新川夫妻のDNA鑑定の段取りができましたよ。ただ、時間が必要になりそうです」
「どのくらいの期間になりそうですか?」
「そもそも対応していた管轄が異なりますからね……。十日前後はかかるでしょう」
「そんなに?」
辰巳さんは不満気な顔をしながら残ったコーヒーを飲み干した。彼女は悠さんが生きていると信じて疑っていない。十日間も待つことなどできないはずだ。
その後、僕達は互いの連絡先を交換し、その日は解散となった。
帰りの道を桜沢さんと歩く。しかし、次第に離されていく。追いかけも追いかけても距離が縮まない。後ろから歩いてきたサラリーマンにぶつかり、そこで自分が遅いのだと気付いた。
それでも駅へと向かい、やっと彼女に追いついたのは、駅まであと数メートルという所だった。桜沢さんは駅手前の公園で僕を待ってくれていたようだった。
「遅れてすみません」
店を出てから色々な考えに意識を取られてしまっている。今だってそうだ。ただ帰るだけなのにそれすらもおぼつかない。
「白瀧くん。あなたも覚悟しておいて下さいね」
「覚悟……ですか」
「もし、鑑定の結果が私達の予想通りだとしたら、アキラさんがどういうことになるかわかっていますね?」
「内島アキラは同世代の子供を殺して入れ替わり、その親までも手にかけた殺人犯……」
言葉に出して恐ろしさを感じた。仮説を立てた時には自分の感情を抜きにして話すことができた。でも今は……。
「あなたにも直接影響があるかもしれません。あなたは彼の友人なのですから」
桜沢さんの声が遠くに聞こえる。一瞬脳裏に先輩の笑顔が蘇った。絶対に信じない。信じられない。しかし、犯行を目撃したという証人がいる。僕と辰巳さんが利用されているという事実もある。もう何がなんだか分からない。
「すみません。今は先のことまで考えられません」
思えば今日は色々なことがありすぎた。先輩の死が告げられたと思えば、生きている可能性が浮上し、先輩の過去を目の当たりにして、最後は殺人犯だって? 冗談ならもっと現実味のあるものにしてほしい。
「ごめんなさい」
彼女はどういう意図で謝ってきたのだろうか? それを聞こうとした時には彼女は歩き出していた。その後僕達は無言で電車に乗って別れた。
そして、十日が経とうとした頃、鷹鳥刑事から連絡があった。遺体と新川夫妻のDNAは親子関係ということが証明された。それは同時に、アキラ先輩が新川悠さんと入れ替わり、その上、彼の父親をも殺害したことの証明でもあった。
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